第二十六話 本物の称号
呆れた! とリッカから叱責が飛ぶ。エイジは眠け眼をこすっていた。
「試験会場に二十分も遅刻するなんて!」
「……しょうがないだろ。ルガルガンの技構成を組んでいたんだから」
「あたしだって! 書類を提出するのに忙しかったのよ!」
言い争いが始まる前に、手が叩かれていた。目線を振り向けると、先生が佇んでいる。
「はいはい、エイジ君にリッカちゃん、そこまでー。でも、嬉しいわ、エイジ君。ジェネラル試験は受ける気がないと思っていたから」
おっとりとしたその言葉に内側のダムドが言葉にする。
(おい、あれが相手か?)
「ああ。ジェネラル試験はトレーナーズスクール教師との一対一。それが基本ルールなんだ」
(だったら楽勝な気もするがな。何でメスガキは難しいって言ってるんだ?)
「先生の手持ちでよく分かるよ。いずれにしたって、先生! ここで僕が戦うのにもう他の理由だとか、そういうのはありません。ジェネラル試験、受けさせてもらっていいですよね?」
「もっちろん! エイジ君もようやくやる気を出してくれて、先生嬉しいです」
うんうんと何度も頷く先生にダムドが疑念を呈する。
(……強いようには見えねぇが……。いずれにしたって、エイジ。分かってるんだろうな? ここまで来りゃ)
「ああ、後戻りする気はない。それに……」
周囲を見やる。トレーナーズスクールの戦闘試験場は解放されており、町の人々がこぞって見学に来ていた。これもハジメタウンならではの光景であろう。町のみんなは家族も同然なのだ。
その中にダムドののしたクラスメイトの姿を認めて、エイジは覚えずばつが悪そうに視線を背けていた。相手も同じのようでどこか得心がいかない様子である。
「……きっと、これまで最底辺だった奴が何で今さら……なんだろうな」
(気にすんな。気にしたら負けだ。それよりも、連中より上に行くんだろ? だったら、勝ちゃいい。勝って実力を示せば、誰も文句は言わねぇ)
「うん、それも……分かっているつもりだ」
先生がバトルコートのジェネラルラインに入る。自分もジェネラルラインへと入場した。
他の地方で使われるトレーナーコートと全く同じ構成である。違うのは、地面に投影された最新鋭の機材であろう。
アイドリング状態で浮かび上がっている映像にはモンスターボールを中心に据えたデザインであり、凹凸も、そして地形的不利もまるで存在しない、オーソドックスコートであったが、これが試験中には激変する事をエイジは知っている。
「エイジ君、まずは説明します。このジェネラル昇級試験で使用されるコートは、一定時間ごとに属性が変化し、その変動値は教師である私にも分かりません。いわばこれは、フラットな勝負と言えます」
(属性が変わるってのは……いざ見ないとよく分からねぇな。テメェもそれには気をつけろとは言っていたが……)
ダムドにはピンと来ないのだろう。エイジは何度も昇級試験は見てきたクチだ。それなりに攻略法もあるはずだと思っている。
しかし、いざコートに立てば、その理由は半減した。
戦いに際しないと分からない精神性がある。胸の高鳴り、不安と興奮がない交ぜになったこの胸中だけは戦う者達特有のものだろう。
これを自分は味わいたくなかった。今まで避けて生きていたのだが、もう遠ざける事は出来ない。
目を背け続け、戦いから逃れ続ける事は、もう叶わないのだ。
ダムドを身に宿したからだけではない。それはザイレムで聞いた真実とも符合する。ここで逃げれば、単純に男が廃るから、それだけでは決してない。
逃げられない理由が出来た。そして確かめなければならない理由も。
戦いは、こうして胸を高鳴らせる戦闘への昂揚感は、ここで因果にケリをつけると決めた意地の一つでもある。
その意地を貫くため、エイジはホルスターに留めてあるモンスターボールをさすっていた。
ルガルガンの鼓動。そして、戦いへの連鎖。その道行きが今、眼前にハッキリと示される。
だから、逃げない。背中は決して見せられない。
「行きますよ! エイジ君! ジェネラル昇級試験を、開始します!」
その言葉にエイジは首肯し、構えていた。先生がモンスターボールを天高く投擲する。
「行け、クワガノン!」
現れたのは緑色の体色をもつ虫ポケモンであった。僅かに地面より浮遊し、その電磁を纏いつかせた翅を高速振動させる。
真正面に位置するヒトの顔面に見えるオレンジ色の発光体がこちらを睨んでいた。
クワガノンに併せてエイジもボールを投げ放つ。
「行け! ルガルガン!」
ルガルガンが地面に降り立つなり、その赤い眼窩をぎらつかせて咆哮した。その威容に先生が声を発する。
「進化したのね……、エイジ君のイワンコ。でも、どれくらい使いこなしているのかしら。さぁ! 見せて頂戴! クワガノン、電磁――」
「――遅ぇ」
刹那、ルガルガンの姿が掻き消える。どこへ、と先生が首を巡らせた時には、その姿がクワガノンの直上にあった。ルガルガンがその掌に岩石を溜める。
一撃の予感にクワガノンが急速後退していた。
恐らく急に自分の纏う空気が変化した事をいち早く察知したのだろう。先生の表情から笑みが消える。
「……あなた」
「ルガルガン、追い込め。ンなポケモン、やれるだろ?」
主人のその言葉にルガルガンは応じるように一声鳴き、地面を蹴りつけて身体を反転させていた。そのまま、斬りかかるかのように一撃が見舞われる。
クワガノンが前面に張り出したハサミの間に電磁を通わせる。
その攻撃がルガルガンに放たれる前に、急に地面より岩が屹立した。
突然の岩礁にクワガノンが攻撃を中断し、円弧を描いてルガルガンへと肉薄しようとする。それを、ルガルガンは待っていたばかりに眼前の岩肌へと爪を軋らせていた。
「……なるほどね。リアルタイムでホログラフィックでありながら、実体のあるフィールドの変化……。これがエイジの言っていた気を付けるべき特筆事項か。だがな、こんなもんは百パーセント利用するためにあるもんだ。ルガルガン、登れ」
ルガルガンが爪を立てて岩石の山を駆け上る。クワガノンが電磁波攻撃を何度か浴びせかかったが、どれもルガルガンを捉えるのには至らなかった。
「……速い」
「センコーよぉ。そんな虫ポケモンでオレら捉えようなんざ、百万年早ぇっ! ルガルガン、直上からストーンエッジ!」
ルガルガンがその掌に蓄積した岩石の散弾を一斉に放つ。天より爆撃のように放たれた岩の応酬をクワガノンはほとんど受け流していた。
自身をロールさせ、電磁を纏わせた身体で受け流したのである。
「クワガノンは伊達じゃないわ!」
その言葉に口笛が上がった。エイジ――ダムドは喜悦に笑みを浮かべる。
「やるじゃねぇの。でもよ、まだルガルガンの攻撃は継続しているぜ!」
着地したルガルガンがそのまま地面を蹴り上げ、クワガノンを地面へと叩きつけていた。
「地ならし!」
ルガルガンの放った衝撃波が地面を揺さぶり、クワガノンの堅牢なる体表へと亀裂を走らせる。
電気タイプに地面攻撃は効果抜群のはず。クワガノンが明滅する顔面部位で苦悶した。
さらに追撃を、ルガルガンは見舞う。
「ストーンエッジ」を溜め込んだ掌底で放ち、ゼロ距離で激震されたクワガノンが傾いだ途端、軽業師めいた動きでクワガノンの背後を取っていた。
そのまま翅を掴み取る。
「まさか……」
息を呑んだ先生にダムドは哄笑を上げた。
「そのまさかよ! ルガルガン、引っこ抜いちまえ!」
翅を引き裂き、ルガルガンが吼え立てる。その攻撃の荒々しさにギャラリーがざわめいていた。
まるで今までの自分の戦法とは違っていたからだろう。ダムドの戦闘神経にルガルガンが呼応し、能力以上の戦闘を実現していた。
ルガルガンは飛翔能力を失ったクワガノンをそのまま掴み上げ、岩礁へと引きずる。
そのままクワガノンを岩石へと叩きつけようとした、瞬間――、クワガノンはその満身から糸を吐き出していた。
ルガルガンの身体へと纏いついたそれを、しかしルガルガンは気にするでもない。
「引き裂くまでもねぇ。そのまま岩石に身体突っ込ませて吹き飛ばせ!」
昂揚した戦闘本能がルガルガンへと凶暴なる攻撃を命じる。だが、それが実行される前に、クワガノンは先生のボールへと赤い粒子となって戻されていた。
フィールドが移り変わり、焼け落ちた家屋のフィールドとなる。
先生は焦土の向こう側で、なるほどね、と声にしていた。
「……エイジ君。その姿に関しては問いません。しかし、強くなったのは事実みたいね。まるで命令に迷いがなくなった。それに、岩フィールドを瞬時に物にするだけの技量。落ち着いた……いいえ、もとより備わっていた技術と胆力が前に出ている。まるで剥き出しの本能のように」
先生の指摘にダムドがケッと毒づく。
「ンなこたぁ、関係ねぇだろ、センコー。問題なのは、今戻したって事は、負けを認めたって事なんだよな?」
確かに、ポケモンが致命打を受ける前に戻すのはジェネラルとして、敗北を認めた事になる。だがエイジは、どこかこの戦いの行方に得心がいかなかった。
どうにも、出来過ぎている。その予感に内側で声にしていた。
(ダムド。何だか変な感じだ。まるで勝てるように誘導されていたみたいに……)
「エイジ、テメェはビビり過ぎだ。オレ達が強かっただけだろ? なぁ、センコー。これで、オレはジェネラルレベルは上がったって、そういう事でいいんだよな?」
その問いかけに先生は頷く。
「そうね。少なくとも、ジェネラルレベル2は取り消し。4までは保証しましょう。ですが、エイジ君。もっと上を、目指したくないですか? そう、たとえば私の権限なら、ジェネラルレベルを最大で6までなら保証出来ます」
思わぬ提言にエイジは内側で声にする。
(ダムド……、これは妙だ。元々、ジェネラルレベル4辺りで手打ちにする昇級試験。それなのに、6だって? 6もあればこの町では事欠かないどころか、ランセ地方の真ん中辺りまでは行けるだけの権限だ)
「ちょうどいいじゃねぇの。センコー、二言はねぇな?」
挑発に乗ったダムドにエイジは忠言する。
(……何かあると思ったのはこれか……。ダムド、ここは素直に4で手を打とう。最初から、先生はこれにお前が乗るのを――)
「うっせぇぞ、エイジ。6をもらえるんなら、それに越した事はねぇ。センコー、日を改めるのか?」
「いいえ。このまま試験を続行してもらいます。その代わり、負ければ一生、エイジ君は昇級試験は出来ません。だって最低ラインの2から、標準以上のラインである6への昇級ですから。これは例外的措置です。それでいいですね?」
何と言う条件、とエイジは絶句する。これを呑めば、自分は一生、どれだけ試験を経ようがジェネラルレベルは2のままだ。これは罠に違いない、とエイジは人格を戻そうとする。
(ダムド! 僕に変われ! もうここで試験は打ち止めでいい。これ以上やるのは下策だ!)
その言葉にダムドは口角を吊り上げていた。
「……センコー。面白味のねぇマジメ人間かと思いきや、結構ユーモアがあるじゃねぇの。いいぜ。ジェネラルレベルを賭けたこの戦い、オレも半端じゃつまらねぇと思っていたところだ。それに、メスガキと同じ4じゃ、高が知れている。受けようじゃねぇか」
(駄目だ! ダムド、これは絶対に……)
「罠、か。それも込みで、さ。エイジ。ここで打ち負けるようなら、セルを集め切って他のコアを出し抜くなんて出来やしねぇ。これは分水嶺だ。オレとテメェが、どこまで行けるかってのを、示すためのよォ!」
駄目だ。今のダムドは戦闘の高揚感に酔っている。これでは対等な判断を下せるわけもなし。
(ダムド……でも先生がクワガノン以外を出すとすれば、それは恐らく……)
「エイジ。あんましうっせぇともう一生、内側から出さねぇぞ。これは戦いだ。極上の戦いに! 余計な言葉は不要だろうが!」
ダムドの言葉振りに先生はフッと微笑む。
「……先生、嬉しいわ。エイジ君がそこまで、ポケモンバトルに夢中になってくれるなんて。だから、これは先生の、ちょっとしたワガママでもあるのよ。ここであなたと、本気で打ち合えるのなら、先生だって試験官の権利を取っ払っていいほどの」
先生がホルスターから外したのは紫色に輝くボールであった。緊急射出ボタンの上に「M」の刻印が映えている。そのボールに入るポケモンの意味を、エイジは瞬間的に悟っていた。そして、現れるであろう、ポケモンの強大さを。
(ダムド! ここは退いて――!)
「うっせぇ! 来い!」
「行きなさい。――カプ・コケコ」