AXYZ





小説トップ
第三章 試練前夜
第二十四話 十二番目の少女と死に損ないの彼

 プールの上に浮かび上がった光景にサガラは苦味を噛みしめていた。

 高度一万メートルに位置する相手の正体はようとして知れず、加えて執行部の不始末、そしてエージェントの手前勝手な命令。

『これらは全て背信行為である。何か、言い分はあるか。サガラ室長』

 円筒型の機械より声が発せられる。沈黙を貫こうとすると糾弾が浴びせられた。

『これは査問会だ。場合によっては君の今の処遇を解いてもいい』

 それは、とサガラが致し方なく口を開いていた。

「これは……最善策であったはずです」

『どの口が言う。執行部をカエンシティに独断で動かし、そしてエージェントの一人を自分の都合で命じておきながら、Z02の逃亡を許した。君の不始末を問うのは簡単だが、我々とて今までの君の手腕は買っている。ここでただ単に尻尾切りにするのは惜しい、と言っているんだ』

 尻尾切り。比喩でも誇張でもなく、その通りなのだろう。彼らからしてみれば、切っても何の痛みもない身分である。代わりなどいくらでも利く人間だ。だからこそ、彼らの詰問の声は激しい。

『Z02の宿主にランセ地方の秘密も一部漏えいした、という報告もある』

 お喋りなオペレーターがいたか。誰か、までは問うまいが。

『これらが事実だとすれば、我々は大きな一手を仕損じた。反論があれば聞くが、それが有用かは』

『我らが決める。君はどれだけ言葉を弄そうとも責任は取らなければいけない。Z02の宿主を逃した、その責からは逃れられない』

『言い分はないのか? サガラ室長』

 ここで下手に抵抗したところで、ザイレムでの居場所は限られている。だが、このお歴々の言う通りにすごすご下がるのも、それは違うとサガラは拳をぎゅっと握りしめていた。

「……Z02の宿主である少年にはまだ使い道があります」

『どのような? あんなもの、どうせ死にたくない一心で契約した紛い物だ。殺してどうして契約権を奪わなかった?』

「解析しても、Z02の痕跡は出なかった」

『しかし契約痕は出たはずだ』

 その声に自分の左手の甲を咄嗟に隠す。今は手袋をしているが、それでも内側のスペードの火傷が疼いた。

「……それが決定打とは」

『サガラ室長。君の悠長な態度にザイレムのスポンサー連はそれなりにお怒りでね。Z02が手に入らないのならば多額の寄付金も来期はないと言っているのだよ。これ以上状況が逼塞すれば、それこそここまで積み上げた意味もないというもの』

『左様。今こそ、一気呵成に全てのスートを揃え、そしてセルの盤面を支配する時。そのような一刻を争う事態に、君は何をしていた? 敵であるはずの契約者に何もしないなど。まさかそこまで日和見になったわけでもあるまい』

「しかし、まだ八割以上のセルの居場所も分からないのです。セルは、コアに引かれ合う。ならば、ジガルデコアを泳がせる方向に行動させても何ら不思議はないでしょう」

『セルの居場所など、君ら自慢の十二番目に任せればいいだろう』

『それとも、あの被験者は失敗かね?』

 挑発されればこちらがぼろを出すとでも思っているのだろうか。むしろ、それを引き合いに出されればサガラはより慎重であった。

「……彼女は不安定です」

『だが利用は出来る。コアにセルが引かれるというのならば、あれも例外ではないはずだ』

「コアと言っても、クラブのスートは我々からしてみても切り札。出したくないのが心情のはず」

『サガラ室長。我々を侮ってもらっては困るな』

『これを見たまえ』

 プールに投影されたのは、どこかの戦地を行き交う白髪の少女であった。白いスーツを身に纏っており、その背中にクラブのマークが緑色の光を伴って現出する。

 その光景にサガラは息を呑んでいた。

「まさか……」

『実戦配備は滞りない。執行部の教育は行き届いている』

 サガラは奥歯を噛みしめた。これでは自分の計画通りに事が進まない。

「……トゥエルヴは不完全です。出すべきではない」

『しかし戦果はそれなりだ。見るといい。現在のゾーンだ』

 投射画面が切り替わり、概念宇宙に発生する盤面に僅かながら差異が発生したのを告げていた。

 四隅のうち、緑色に区分けられた部分が増えている。

『クラブのスートのジガルデはそれなりに働いてくれている。まぁ、確かに君の言う浸食の危険性ははらんだままだが、それも別の駒を用意すればいいだけの事』

『どうかね? サガラ室長。これでもまだ、異論があると?』

 最初からこれを見せつけ、自分の退路を断つためにこの査問会は開かれたのだ。そう考えれば、この連中もとんだ食わせ者。室長の座を追いたい誰かの口車に乗せられたか。あるいは、もっと旨味のある交渉条件を上げられたのか。

 サガラはしかし、この程度で折れるつもりはなかった。これしきで下がるくらいならばこの悪魔達とどうやって渡り合うと言うのか。

「……では、これもご存じで?」

 サガラがプール上に投影させたのは、適合者のリストである。その合致率に相手が今度は言葉を失っていた。

『……合致成功率八割以上だと……』

『サガラ室長。我々に黙っての適合者探しは――』

「違法、ですか? そっちも外法を使ったのです。こちらばかり糾弾されるのも間違っているはず。それに、我々ザイレムにとって法は意味を成さない」

 適合者リストを漁るお歴々は急に言葉を慎重にしていた。

『……これが事実ならば……サガラ室長。君はセルの適合者を、わざと野に放った、というのかね?』

 そう、適合者達はスペードスートのジガルデの放ったセルを移植した後、ランセ地方にて元の生活に還した。

 これがどれほどの脅威なのかはゾーンで陣取り合戦を俯瞰する連中ならばよく分かるはずだ。

 駒が駒以上の動きをする可能性がある。しかも、自分達には不利益な方向で。それだけでもマイナスならば、サガラはさらなるカードを切っていた。

「セルの適合者の位置情報は私が持っています」

 これで相手の出る行動は絞った。後は、どれだけの手札を互いに持っているかで変わってくる。

 ここでは――目論見通り、相手は態度を委縮していた。

『……セルの適合者の情報は秘匿権限にある』

『それをどう扱うのかは我々の一存のはずだ』

「ええ、そうでしょうとも。しかし、持っているのは私ですよ?」

 下手を打たなければ、ここで相手は引き下がるはず。しかし、ザイレム上層部はただでは後退する気はないらしい。

『……十二番目の被験者との面談を、君に課す』

「……何故、私が……」

『あれの適合実験を指揮したのは君だ。今の彼女のメンテナンスくらいはお手の物だろう?』

 精一杯の嫌味のつもりか。サガラは言い返していた。

「適合者のそれからの処遇は彼ら彼女らの心情を優先すると……」

『その言葉が正しいのならば適合者の情報をオープンソースにしたまえ。全てはそれからだろう』

 ここに来て本音を隠すつもりもないか。サガラは少しばかり剣を呑む必要性もある、と自分に言い聞かせた。

「……承知しました。しかし、セルの適合者の情報は私の権限で動かしてもらいたい」

『構わん。君の都合のいい時に渡してくれるといい』

 ここで課せられるだけのペナルティは課したのだろう。それ以上は相手も要求してこなかった。

『以上で査問会を閉会する。サガラ室長。首の皮一枚で繋がったな』

「……幸運に、思うべきなのでしょうかね」

『ゆめゆめ忘れるな。我らザイレムの理想を。それは全てのスートのセルとコアを手に入れた時にこそ、達成される』

 話はそこまでだ、と言うように円筒の機械達は沈黙する。サガラは踵を返していた。

 エレベーターに揺られながら、使用端末より十分後に十二番目の適合者との面談予定が設定されたのを確認する。

 それを目にしてサガラはエレベーターの壁を殴っていた。

 何も出来ない不実よりも、こうして突きつけられた弱さが滲み出る。

「私は……まだ降り切れていないと言うのか……」

 到着したエレベーターは十分のインターバルを利用すべく訪れた喫煙所であった。

 そこに佇む人影一つを確認して、サガラはサングラスのブリッジを上げる。

 密閉された喫煙ルームで、背中越しにその影と声を交わした。

「珍しいねぇ。室長がここを訪れるなんざ」

「……執行部にはすまない事をしたな、オオナギ部長」

「いいさ。泥を被るのは慣れてる」

 オオナギは一服を含み、紫煙をたゆたわせた。

「……だが私の判断ミスだ。あそこでZ02に読み負けなければもう一手上を行けた」

「セルは手に入った。それでチャラだろ」

 そう、セルは手に入った。スペードスートのセルは有効に使える。問題なのは、仕損じたという事実は思ったよりも重く沈殿するという事。

「……セルの数だけでこの争いに終止符を打てるわけではない」

「コアをどこまで効率よく手に入れられるか、だからな。加えてコアの宿主には、セルを感じ取る能力もある。効率的にセルを集められるのは、どう考えてもコアの契約者だ」

「……だから、トゥエルヴも利用される」

 その言葉には一家言あったようでオオナギは言葉尻を沈ませた。

「……悪かったな。ああいうパフォーマンスもしないと、お前さんの首が飛ばされそうだったからよ」

「いや、最低限の被害であったと、理解している」

 ただ、理解するのと納得するのは別の話だと分かっただけの事。サガラは大きくため息をついていた。

「トゥエルヴの利用には、こっちももちろん、慎重にするようにしているさ。あれを失えばお歴々は怒り心頭だろう。それが自分達の采配ミスだなんて考えもしない」

「考える前に結果の試算だろう。トゥエルヴの利用に際していくつかの条件を設けたつもりだったが、甘かったな。上は軽く、その抜け道を見つけてくる」

 上層部を嘗めていたわけではない。それでも苦味が先行するのは、やはり現実とは割り切れないものだと痛感させられるのだ。

「……五分後だろ。面会」

「……他人のスケジュールに干渉するのはおススメしないな」

「トゥエルヴに関しては俺も悪いとは思っているからな。だから……罪滅ぼしじゃないが、今回の作戦報酬に好きなものを選んでいいと言ってやったら……新しい本が欲しいだと。カロスの学術書が欲しいってんで、渡してやったよ。その話でもして盛り上がって……いや、これも嫌味かもな」

「いいや、助かる。カロスの学術書ならばいくつか読んだ事があるからな。遺伝子研究、メガシンカ分野ならばそれなりに」

「俺はちんぷんかんぷんだ。頭が痛くなるから見せないでくれと頼んだらむくれていたよ。あのお姫様は」

 ははっ、と渇いた笑いが出たのも一瞬。サガラは喫煙ルームを後にしていた。

「一つだけ聞くが、過去への償いは、ただ虚しいだけだぜ」

 それは、誰への忠言のつもりなのだろうか。サガラは目線すら向けずに応じていた。

「……この地に赴いてから、私を苛むのは過去ばかりだ。目を背けていたら何も出来んよ」

 それを潮にしてオオナギと別れ、サガラはエレベーターへと再び乗り込む。向かった先にあるのは実験区画であった。

 いざという時にはこの区画はザイレム地下施設から切り離せるように設計されている。いくつかの照合を経てからサガラは滅菌されたかのような真っ白な空間に出ていた。

 立方体の部屋の壁は自傷防止のためにクッション状になっている。

 その部屋の中央部に、真っ白な少女が佇んでいた。

 黒い革製のカバーをかけた本を読んでいる。

 先ほどの映像のままの身体に張り付くかのようなスーツを身に纏い、白い少女はこちらの気配に気づいて面を上げていた。

「……トゥエルヴ。具合はどうだ?」

「ステータスはオールグリーンです。身体状況に影響のないレベルでの汚染は、七パーセント以内に備蓄。空間内の酸素濃度は、平常通り」

 読み上げるかのような機械的な声を聴き、サガラはサングラスをかけ直す。

「実践データを見た。有意義な戦闘だったか?」

 その問いかけに白い少女は、その白亜の見た目の中で最も映える真っ赤な瞳を伏せていた。

 伏せた眼差しが何かを得たかのように見開かれる。

「……十五時間前の戦闘を反芻。はい。いくつかのセルを回収しました。埋めたゾーンは三つ。私とZ03は共に損耗状態は軽度。これは我が方の勝利と言えます」

「そうか。……それならばいい」

 淡々と白い少女は告げてから本へと視線を落としていた。サガラは咳払いして尋ねる。

「その本は面白いか?」

「面白い……。その感情は明言化が難しいと、判定します。私の中にはない経験のため、これに対する的確な判断を保留。ゆえに、結果としてその判定は困難です」

「……Z03は?」

「コアの状態で私の中で眠っています。睡眠状態はレム睡眠へと移行中。起こしますか?」

「……無理がないのならば」

「では。起きて、ライカ=v

 その言葉に少女の身体からしみ出すかのように緑色の体色をしたジガルデコアが出現していた。

 コアの色も同じく緑。

 サガラはそれを前にして聞いていた。

「ライカ。先の戦闘での感想を聞きたい」

(はい。サガラ室長。我々はセルの争奪戦に参加し、執行部の方々と共にセルを三つ、入手しました。それぞれ、クラブが二つ。ハートが一つです)

「別のスートが混じっていたのか。反発は?」

(今のところは。トゥエルヴの体調も悪くありません。今回は相性が良かったのでしょうね)

 少女よりかは少しばかり感情の籠った声音だが相手はZ02と同じ、ジガルデコアには違いないのだ。

 こうして話しているのもジガルデコアが高度な知能を持ち、テレパシーで人間と交信する術を持っているからに他ならない。

「少しでも異常が発生したら知らせてくれ。私はそのためにいる」

(はい、室長。……トゥエルヴ。その本が面白いか、という質問をされたのですから答えなさい。それが務めでしょう)

 叱責したライカに少女――トゥエルヴはここに来て初めてどこか顔を翳らせる。

「……分からないから、答えられない」

(貴女の場合は答えられない、ではなく、答えようと努力しない、でしょう。考えなさい。何のために貴女の五感はあるのか。それで感じた事をそのまま言葉にすればいいのです)

 トゥエルヴは目線を彷徨わせた後、ふっと答えていた。

「……興味がある」

(それが貴女の感想です。興味があるのならば、それは面白い、のですね?)

「……分からない」

 平行線を辿る会話に、ライカのほうが呆れ返る。

(申し訳ありません、室長。トゥエルヴはまだ、その感情をどう呼ぶのかを……)

「いや、無理はしないでくれ。私も、無理難題を吹っかけたようなものだ」

 サガラは腕時計型の端末に予定時間を調整する。これで面会時間は過ぎたはずだ。

(もうお仕事に戻られるのですか)

「……君らと会うのも上から命じられてね。たまには顔を出せ、との事だ」

(無理はなさらないでください。トゥエルヴ。室長が帰られますよ)

 その言葉にトゥエルヴが本から視線を上げ、そしていつもの挨拶をしていた。

「……行ってらっしゃい。にいさん。……ライカ、これってどういう意味なの?」

(そう言って差し上げると室長は私達のために頑張ってくださるのです。そう言いなさい)

「うん。分かった。がんばってね。にいさん」

 その言葉を受けてサガラは身を翻していた。いくつかの身分の照合を再度受けて、エレベーターへと入る。

 誰の監視の目もない事を確認し、サガラは奥歯を噛みしめ、叫んでいた。

「チクショーが!」

 どうしようもない憤懣。そして、どうしようもない現実。それがサガラの脳裏を掻きむしる。

 どうして現実の前に人間は無力でなければならない。どうしてここまで残酷な事を強いられなければならない。

 全ては――この呪われた地が放つ運命なのだとすれば……。

「恨むぞ、ジガルデ。私は、お前が憎い……」

 その罪なる一滴が、墨のように黒く心を澱ませていた。



オンドゥル大使 ( 2019/06/12(水) 22:13 )