第二十二話 逆転の鍵
「痛ってぇ……。ずっと同じ姿勢だったんだな、エイジ。関節のところどころが痛くって仕方ねぇ。だが、ま。オレが宿ったんなら関係ねぇか」
茶髪を逆立たせ、その相貌を青いラインが貫いている。右目に浮かぶのはスペードの意匠。
その威容にクジラでさえもたじろぐ。
「……契約者……。しかし何故この位置に……」
「さぁな。だが、まぁ、時間は稼げた。どいつの目論見かは分からねぇが、こういうの、天の思し召し、とか言うのか? 人間は。どっちだっていいさ。天だろうが地だろうが、オレの味方には違いねぇ!」
言い放ったエイジへとクジラが手を払う。
「ドヒドイデ! ルガルガンを操って攻撃せよ」
しかし、ルガルガンはその命令を聞き入れなかった。それどころか敵意を持って、ドヒドイデとクジラを睨む。
その瞳が赤く怒りに燃えていた。
「ルガルガンの毒ならさっき消したぜ。オレの黒い霧でな」
「さっき肉体が砕けた時の……」
ダムドは躯体を破壊される事も計算内でルガルガンに肉薄したのか。正気を取り戻したルガルガンがドヒドイデへと一瞬で接近する。ドヒドイデの遅れた一撃が突き刺さる前に、ルガルガンの手に固めた岩石の刃が突き刺さっていた。
ドヒドイデが後退した床へとルガルガンが地面に拳を打ち付け、衝撃波を与える。
ドヒドイデの体重が床にかかった瞬間、地面が砕け無数の岩の散弾がその堅牢な躯体を震わせていた。
「……これは地面タイプの……」
「ドンピシャだ! やっぱり毒は持っているって事はよォ、地面は苦手タイプだよなァ。そんでもって、今のルガルガンは……」
ドヒドイデが応戦の毒針を放射する。リッカは慌てて声にしていた。
「危ない! ルガルガンに攻撃は絶対に命中する!」
そう、特性「ノーガード」が有効ならば、ルガルガンは避けられない。だが、その特性をまるで無視したようにルガルガンは軽く身をひねり、ドヒドイデの攻撃の応酬を完全に回避していた。
クジラもその素早さに言葉を失っている。
「馬鹿な……。特性は変えようがない」
「ああ、変えられねぇ。だが無効化は出来る。それがオレの固有技、コアパニッシャー。ルガルガンに接近した時、今だけ特性を打ち消した。今のルガルガンに攻撃は当たらねぇ。もちろん、こっちの攻撃が当たるかどうかも賭けだが、それでもドヒドイデからしてみれば、今のルガルガンは脅威だろ? 素早くて地面技を出せる相手だ」
クジラは歯噛みする。リッカは構え直したルガルガンを目にしていた。主人を守り、そして誓いは貫くと決めた双眸に迷いはない。最早、操り人形の愚を犯す事はないだろう。
この戦局、クジラはどう出る? と息を呑んでいると相手は意外にもドヒドイデをボールに戻していた。
「……おいおい、まさか終わりかよ」
「ああ。勝てない勝負はしないのが私の流儀だ。行くといい。ただし、私は一度帯びた任務は死んでも達成する。いずれはパッケージを確保すればそれでいい。そう、最終的な勝者が覆らなければ、それでいいのだ」
今の因縁に執着するよりも大局の勝利を見据えたやり方にダムドは反吐が出るとでも言いたげであった。
「つまんねぇな、テメェ。だが、ここでオレを逃がせば背信行為じゃねぇのか」
「それよりも、ここで私が死ねばそれこそ、組織にとって不利益となる。私はそういう風には動かない」
見事に挑発が外れた形となった。ダムドはしかし、この戦局も読んでいたのか、言葉少なにリッカへと顎をしゃくる。
「行くぜ。道を譲ってくれるって言うんだ」
「で、でも……」
「でもじゃねぇ。堂々と行こうぜ」
リッカはクジラの横を悠然と通り抜けようとするダムドを止めかけたが、クジラもダムドもそれ以上の言葉を交わそうとしなかった。その代わり、二人の間にはより色濃い因果が横たわったのが窺い知れる。
エイジの身体に宿ったダムドに手を引かれ、リッカは通り抜けるその瞬間まで緊張の糸を緩められなかった。
ようやく敵が射程距離から離れてようやく呼吸を戻す。
通常の呼気から離れた緊張の吐息はいつもより深かった。
ダムドがエイジの身体で嘆息をつく。
「こんなところで、やられてられねぇ。相手が譲るんならそれ以上の深追いはしねぇ」
「でも……ここでやらないと」
追われるだけなのでは、という疑念にダムドは頭を振った。
「……正直なところ、こっちも限界が近ぇ。ここで敵が退かなかったら奥の手も辞さないくらいだったんだからな。それなら、敵が潔いほうがちょうどいいさ。こっちも手を晒さずに済む」
「……そんな悠長な……」
「悠長もくそも、エイジを取り戻すのが第一条件だったはずだ。それを果たした以上、勝利条件は満たした。オレ達は勝利しながらに帰還しないといけねぇ。間違えんな、メスガキ。まだオレ達は戦いのレートにすら立っちゃいねぇんだと」
戦いにすらなっていない。その言葉の重みにリッカは身震いする。これだけ戦力を整え、戦術を磨いてもそれでも足りない。圧倒的に足りないのだと実感させられただけだ。
ダムドはセルを使用し、必死でエイジを取り戻した。それはきっと、契約とやらが言うほど容易くない事の表れであろう。
エイジは、と窺った眼差しにダムドが応じる。
「……エイジは何でだかさっきからだんまりだ。おい、エイジ。メスガキが必死こいて助けてくれたんだ。礼くらいは言えよ」
「だからメスガキって……。エイジは、本当に……その……」
エイジ本人なのか。そう問い質そうとして、エイジの逆立った髪が戻っていた。癖っぽい茶髪に戻り、柔らかな眼差しが応じる。
「……ゴメン、リッカ。ダムドからある程度は聞いたよ。無理をさせた……」
「別にいいのよ。留守の間は任されているんだし」
そうは強がったものの、エイジの帰還は素直に嬉しい。それを言葉にするのが照れくさいだけの話だ。
エイジの表情にはしかし、翳りが見えた。どうしてだか助け出された事実をエイジ自身がどこか気後れしているようである。
「エイジ……。何かあったの?」
幼馴染なりの機転のつもりだったが、エイジは頭を振る。
「いや……まさかダムドとリッカが助けてくれるとは思っていなくって……。正直な驚きだよ」
「それは……ダムドがどうしても助けたいって言ってくれたのよ。あんたが……強盗からあたしを助け出してくれたって聞いたし」
その事も礼くらいは言わなくては、と思い立ったその時、地下通路に声が鳴り響いていた。
『エイジ君。逃げるのか』
男の声音にエイジが目に見えて息を呑む。リッカは前に出て言い返していた。
「勝手に連れ去って、何て言い草!」
『……お仲間か。君はしかし、真実を知ったはずだ。ならば、戻れないぞ』
その退路を断つ物言いに抗弁を発しようとしてエイジが制していた。
首を横に振り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……教えてもらった事が嘘だとは思っていません。それに、その真実とやらも。……ですが、僕は自分で知りたい。自分で、本当の事は自分の目と耳で、感じたいんです。それの手助けを、ジガルデはしてくれる」
その言葉振りに何かあったのは疑いようのないのに、エイジは異論を挟ませなかった。相手は納得したのか、元より説得は不可能だと判断していたのか、言葉を繰る。
『しかし、エイジ君。それは茨道だ』
「構いません。僕はジガルデと契約した。その時から無関係は決め込めないんだと、覚悟はしたんですから」
普段のエイジらしくない強い論調に言葉をなくしていると、相手の男はふむと一拍置いた。
『……覚悟、か。しかし後悔する権利はある。君には道を誤って欲しくない』
「違えるかどうかは僕の問題です。あなたの問題じゃない」
言い放ったエイジに相手はそれ以上の言葉を仕舞った。今も自分達の位置は捕捉しているはずなのに、攻撃してくる事もなかった。
『……ルート23を開く。そこから脱出したまえ』
「むざむざ逃がすと?」
『今の君に宿っているジガルデはスペード。最も強い力を持つとされるジガルデだ。その追撃を、エージェントは諦めた。それだけで、もう我々の追う理由は半減した。今の君は、そのジガルデと共に外に逃がしたほうが有益だろう。無論、我々にとってね』
「……行こう」
エイジは示された道を歩みゆく。リッカはその背中に覚えず声を投げていた。
「エイジ……! あたしもその……いるから」
すぐ傍にいる。そう言いたかったのだが、言葉が浮かんでこない。いい言葉が、気の利いた一つでも言えれば、どんなに違うか。
エイジは寂しげに頷いた。
「ありがとう。でもゴメン」
どうして謝ったのだろう。どうして、そんなに悲しい眼をしているのだろう。悲しげに沈んだままの瞳で、自分を見て欲しくなかった。
エイジは無鉄砲でも、優しくそして前を向いて欲しい――。
そう願うのは、自分のエゴだろうか。今はまだ答えは分からない。
分からないまま、この地下通路から、二人は外を目指していた。
「対象、離脱しました……。これでよろしかったのですか?」
オペレーターの問いかけにサガラは頭を振る。
「これ以上は自由意思に差し障る。それに、追撃に出ていたクジラがもう不可能だと判断した。執行部が諦めれば、我々が追うわけにもいくまい」
「ですが……このままでは」
「上からの命令もある」
その一言が効いたのか、全員が押し黙った。
上の考えは窺い知れない。しかし、ジガルデによるこの壮絶な陣取り合戦を裏で糸を引こうとしているのだけは間違いないだろう。
そのために、今はスペードスートのジガルデコアは逃がす。
その判断が大局を見ているのならばそれに従うしかない。所詮自分達も、駒に過ぎないのだから。
「しかし……ジガルデコアがこれをやってのけたと? 我々ザイレムの上を行くのでは……」
その懸念も無理からぬ事。翻弄されたのは事実なのだから。これまで以上に、ザイレムではジガルデコアの警戒を厳にするべきだろう。
サガラは拳を骨が浮くほど握り締めていた。
「……借りは返す。だが今ではない。我々も盤石ではない今、追う事ばかりにかまければ見失うものもあるだろう。泳がせるのも必要な戦術だ」
それに、とサガラは胸中に結ぶ。
今回、スペードのジガルデコアは相当セルを消費した。こちらで回収出来たセルも多数ある。その収穫だけで充分だと思うほかない。
「しかし……苦々しいですよ。せっかくの契約者を逃がすなんて……」
「だが彼は全てを知った。……まぁ、彼の世界で知り得る全てだが」
まだ隠し通しているジガルデの秘密はある。無論、世界の秘密も。
だが、まだ知る時ではない。エイジはいずれ、立ち向かわなければならないだろう。彼自身の世界の秘密に。
そして対面した時、彼は何を思うのか。それがジガルデ攻略の鍵となる。
「闇の眷属達よ……。その時を待っているがいい。貴様らを潰すのは自らの育んだ毒だ。それを知った時、お前達は……」
絶望するのか。その答えまでは出なかった。