第二十一話 再戦
「……パッケージの確保には、失敗していたらしいな」
氷のように冷たい声音にリッカは怖気を覚えたが、ダムドはケッと毒づく。
「残念だったな。簡単には捕まってやれなくてよ」
「だがここに現れたのは失策であった。貴様は捕獲する。Z02よ」
「気に入らねぇ名前で呼ぶじゃねぇの。だからテメェら、間抜けなんだよ」
「抜かせ。行くぞ、ドヒドイデ」
その声に相手の手持ちである白い触手のポケモンが応じていた。四本の太い触手に支えられた中型の水棲ポケモンは回転しながらこちらへと滑るように接近する。
「フローゼル! ハイドロポンプ!」
発した水の砲弾を直に受けても相手は止まる気配がない。ダムドは舌打ちし、身体を横っ飛びさせていた。明らかに筋肉の負荷を無視した動きにリッカは声を荒らげる。
(あたしの身体なんだからね! あんた!)
「うっせぇな……。誰の身体だろうが死んだら終いだ。それに、テメェ、そこそこ運動しているのか? エイジよりかは使いやすいな」
(そりゃ、トップジェネラルを目指しているんだもの。運動神経くらいはエイジよりいいわよ)
「……いずれにしたって、ここで生き残るのにはこいつを倒すしかねぇらしい」
睨み据えたダムドに大男が応じる。
「名乗っておこうか。ザイレムのエージェント、クジラ、だ」
「妙な名前だな。だがオレは名乗る気はねぇぜ」
「いいさ。殺す相手に敬意くらいは表しようと……思っただけだ。ドヒドイデ! 壁を伝って毒を注ぎ込め」
ドヒドイデが水を滴らせて滑走する。その動きはまるで読めなかった。壁へと吸着し、そのまま疾走する。
「無茶苦茶だな。毒で壁を融かして張り付いてやがる。フローゼル! アクアブレイク!」
フローゼルが両手に水の榴弾を溜め、直後には爆砕するそれを放っていた。水を相手へと凝縮して放出する技「アクアブレイク」はこの時、正常に発動したが、それでも相手の勢いを殺す事が出来ない。
再び首を刈ろうとした敵にフローゼルが応戦していた。
「アクアジェットで逃れろ! そいつに止められるな!」
(どうして? 接近すれば……)
「阿呆が! あいつの毒は並大抵じゃねぇ! 鉄の壁を融かすんだぞ! ンなもん、受けたら消耗戦だ! それに……フローゼルには出来るだけ時間を稼いでもらわないといけねぇんだよ」
(でも、時間なんて相手に見つかった以上……)
「まぁ、ねぇのと同じには違いないが、それでも、だ。好位置に来てくれねぇ」
(好位置……)
フローゼルが水の推進剤を焚き、相手から後退する。出来るだけ接近を許さない戦い方であったが、それでも狭い廊下では限界が来る。
ドヒドイデは壁を融解させ、そして自分のフィールドとするほどの毒の濃度を持つ。当然の事ながら、ここで呼吸していたリッカの身体にも影響が表れ始めていた。
不意に咳き込むと掌に血が滲む。
(これって……!)
「おい、テメェの命も度外視して、オレの確保か? 空気の中に毒を混じらせやがったな。だが、この濃度ならテメェも無事じゃ済まねぇはずだ」
「その心配はない。私はドヒドイデの毒に対して抗体を持っている。しかしながら、その小娘にはない。貴様がどれほど優れたポケモンでも、人間の身体を使う以上は致し方ないはずだ」
「なるほどね……。このメスガキの身体が逝っちまえば、結局関係はねぇって事か。時間稼ぎをやっている暇もなさそうだな」
「どういうつもりかはしらないが、時間なんて稼がせない。貴様はここで費える」
能面のような表情でクジラは言いやる。それに対してダムドはその瞬間――嗤っていた。
(な……何で笑ってるの? おかしくなった?)
「何故笑う。イカれたか」
「いんや、そうでもねぇさ。テメェらどっちにしたって……人間の領分ってヤツからは逃れられやしねぇ。この場所の捕捉に、五分あればよかった」
その瞬間、天井が粉砕される。立ち現れたのは牙を軋ませたルガルガンであった。驚嘆したクジラがその姿を目にした時には、ルガルガンの爪がクジラの首筋を掻っ切る。
全ての現象が遅れたように、ルガルガンが地面を滑ってダムドの前に佇み、そしてクジラの首筋から血が迸っていた。
鮮血の赤に相手も狼狽しているようだ。
「……伏兵か。いや、そのポケモン、ドヒドイデの毒を受けているな。あの時のルガルガン……」
「そうだとも。そいでもって、こいつは、とっておきさ」
セルが一つ、ルガルガンからリッカの身体へと飛びつく。ルガルガンを遠隔操作していたセルであろう。
「……驚いたな。自身を分離する事でポケモンの遠隔操作か」
「別段、おかしな話でもねぇだろ? オレのセルは分割した自己そのもの。自分を切り外せるってのはこういう使い方がある」
セルがリッカの腕を伝い、その筋力を補強する。手にしたのはポーチから出したボールであった。
三つのボールをそれぞれ投げ飛ばす。
ドヒドイデが瞬時に飛びかかり、破砕した瞬間、煙玉が発動していた。
煙幕の中で立ち止ったクジラに対し、ダムドは反対側に逃げおおせていた。ルガルガンとフローゼルを伴い、足に移したセルで脚力を上げている。
(ちょ、ちょっと! 逃げないで戦えば……)
「テメェ、戦局が見えてねぇのか。あのままの空間にいれば決着の前に肺が腐って死んじまう。少しでも距離を取って相手の消耗を待つ。そいでこれは次いでだ」
ルガルガンが投げたのは注射器であった。ダムドはそれを腕に突き刺す。電撃的な痛みが走る中、少しばかり体調がマシになっていた。
(……これは、抗体?)
「……ビンゴで助かったぜ。あいつ自身に抗体があったって人間だ。高が知れてるさ。予備くらいは持っているはずだったからな」
まさかあの一瞬の交錯で、ルガルガンに持ち物を引っ手繰らせたのか。その手腕にリッカは絶句する。
(あんたって……もしかしてとんでもない?)
「今さら言ってんじゃねぇ。にしたって、エイジの気配は近づいてきている。そろそろ出会ってもいいはずなんだが……」
瞬間、ダムドは足を止めていた。何を、とリッカが口を挟む前にルガルガンの爪が空間を奔っていた。
服飾の前の部分が引き裂かれる。ダムドは赤い眼光をぎらつかせたルガルガンに息を呑んでいた。
「ルガルガン……テメェまさか……」
ルガルガンが咆哮する。瞬時に手を払い、フローゼルに命じていた。
「アクアジェット!」
水の推進力を得た体当たりがルガルガンにぶつかる。互いに後退した形の二者にダムドが舌打ちする。
「……テメェもいやらしい真似を覚えてるじゃねぇの。毒の枝葉を仕込んだ相手の行動を縛るなんざ」
ルガルガンの胸元に毒の欠片が妖しく紫色に輝く。ドヒドイデと共に、クジラはゆっくりと歩み寄ってきていた。
首筋にはドヒドイデのものであろう粘液で傷口を補強している。まともではない、とリッカは唾を飲み下した。
(こいつ……ヤバいんじゃ……)
「ドヒドイデの毒はたとえ掠めた程度でも三日三晩苦しむほどに強烈な毒。それを相手の神経に注ぎ込めば一時的な操作も不可能ではない。ルガルガンはしかし、岩タイプだからな。血液の中に流して心臓を圧迫させ、殺すよりもこういうやり方で凶暴性を利用する」
「他人の事は言えねぇな。テメェだって汚いやり方だ」
「勝てばいい。勝者の意見は全てにおいて優先される」
ドヒドイデが構え直す。リッカはダムドへと言葉を投げていた。
(どうするの! ルガルガンが敵になったら、いくらあたしのフローゼルでも……!)
「ああ、少しまずいかもな。しかもフローゼルの攻撃は全然効いてねぇし……。ドヒドイデのタイプじゃ有利にならねぇのか」
「抗体を盗んだな。……お陰で楽に死ねる方法で倒すわけにはいかなくなった。苦しみながら死ね」
リッカは震撼する。クジラの瞳には一滴の慈悲もない。殺し尽くす、と決めた双眸には迷いなど欠片もなかった。
(こいつ……あたし達をここで……)
「殺す気だろうな。ま、間違いじゃねぇだろうさ。しかし、ルガルガンをどうやって正気に戻すか……。見えている距離じゃねぇと精密な遠隔操作は無理なのは分かるんだが、ここで退くのはちょっと違ってな」
「退かぬのならば押し潰す。それまでだ」
ドヒドイデが稼働し、水と毒で再び壁を滑走する。背後に猛ったルガルガンが爪を立ててこちらに向かう。必然的にフローゼルが受けていた。
水の皮膜でルガルガンの一撃は防げるものの、ドヒドイデは確実にこちらを目指す。
ルガルガンをさばいてもドヒドイデから逃げる術がないのならば同じだ。いずれにせよ、ここで詰む。リッカは問いただしていた。
(……ねぇ、ダムド。あんた、本当に手があるの? このままだと……)
「うっせぇな。今考えてる。敵がここまでマジになるのは、つまるところ近いって事には違いねぇはずだ。手としては下策だが、仕方ねぇな。おい、メスガキ。身体、返すぜ」
瞬間、身体感覚が戻ってきてリッカはつんのめっていた。
分離したダムドがセルと融合し、漆黒の獣と化す。
「ダムド? あんた、逃げるつもり?」
(悪く思うな。生存率を上げるためだ)
四つ足形態になったダムドはルガルガンを速度で圧倒し、肉薄した刹那、額のスペードの意匠が照り輝いた。
何が起こったのかまるで分からぬまま、ルガルガンは爪を軋らせる。ダムドの肉体が崩壊し、その躯体が砕け散った。
「ダムド!」
(バカ野郎。ただでやられるワケねぇだろ)
ダムドの肉体が黒い霧となってルガルガンを包み込む。一瞬の眩惑の後、ダムドの姿は消え失せていた。
まさか、本当に逃げたのか。
ルガルガンが両腕を構える。
そして、ドヒドイデが射程に入っていた。
「……どうやら見限られたようだな。かわいそうだとは思わないし、温情をくれてやるつもりもない。ここで、貴様は死ぬ。辞世の句でもあれば、聞いてやろう」
「い、いや……。本当に、こんなところで……」
ドヒドイデが壁を融かし、毒の霧を広げていく。リッカは目に涙を溜め、直後には叫んでいた。
「助けてよ……。エイジーっ!」
「――うっせぇな。ちょっと身体を返しただけだろうが」
その声の主へと、全員が目を向けていた。
直後、機械の隔壁が破砕され、中から現れた拘束服の人影に瞠目する。
「……まさか」
「……エイ、ジ……?」