第二十話 基地潜入
(悪くない状況だろ?)
問い返したダムドにリッカは下水道の臭気に顔をしかめていた。そこいらに汚泥を纏ったポケモン、ダストダスやマタドガスが群棲しており、この場所が如何に汚れているのかを告げている。
「……どこが。あんた、これうまくいっているんでしょうね」
(織り込み済みの事象は全部、計算内だ。メガプテラの爆撃はいい塩梅に敵の戦力を分からせてくれた。敵の迎撃部隊を回収したルガルガンはもうすぐ合流ルートについている。それに、オレの仕掛けた罠も発動したらしい)
という事は、とリッカは肩口に留まったダムドを横目にしていた。
彼は現在、ジガルデコア一匹のみの状態。まさかここまで身を削る作戦だとは思いも寄らなかった。
「……あんた、セルを使えるだけ使って大丈夫だったの?」
(ンなわけねぇだろ。コアが剥き出しの状態なんざ、想定外もいいところだ。これで敵に出会ったらまずいっちゃまずいな)
「よくもまぁ、抜け抜けと……。あんたの身の保証までは出来ないんだからね」
(してもらう必要もねぇさ。オレだって必死だ。エイジを取り戻すのに手段は選んでられねぇ)
それだけダムドもエイジの事を考えているというのだろうか。否、話に聞いていた契約とやらが本当ならば、エイジの確保こそが急務であろう。
「……あんたもエイジも、それだけ無茶をしているってわけなのね」
(セルがねぇんだ。もしもの時の弾除けは頼むぜ)
「願い下げよ。にしたって……酷いにおい……」
(下水道だからな。だが、もっと過酷な場所を想定していただけにまだマシだろうさ)
「合っているんでしょうね、このままで」
懸念事項を浮かべたリッカにダムドは頷く。
(これで間違っていたら相当なロスだが、間違ってはいねぇはずさ。気配はずっと感じているからな。契約した相手の場所は逐一分かる)
「それって……エイジのほうからも?」
(そこまでは不明と言うしかねぇ。結びつきって言ったってまだ二三日だ。エイジがオレを感じるのにはちょっと時間が足りねぇかもな)
どちらにしろ、不安が横たわるわけか。リッカは嘆息をついて下水道の隅で舗装された足場を気にしていた。
澱んだ水流が行き過ぎるのをリッカは視野に入れる。
「……ねぇ、エイジは、どうしてあんたなんかと契約したの?」
(しなけりゃ死ぬだけだった。だから最善を選び取ったんだろ)
「それってさ、あんたが強制したんじゃ……」
一番の不安はダムドとエイジの再接触が悪い事態に転がる事だ。しかし、ダムドはそれだけはないと言いたげだった。
(強制じゃ契約は出来ねぇ。そのはずだ。エイジの中に一滴でも、オレを疑う気持ちがあったのならな。だが、エイジは勝ち取る事を選んだ。それが何よりの証明だろうさ)
「勝ち取る、ね……」
どれもこれも遊離した言葉である。リッカは不意に立ち現れた巨大な隔壁を目にしていた。
さすると振動を感じられる。メガプテラの爆撃が有効な証であろう。
「行き止まり……じゃないわよね?」
(水流は中に続いている。問題はねぇはずだ。反対側から隔壁を解除する)
その言葉に汚泥が波打ち、放たれた影が反対側へと赴いていた。隔壁を破ったのはフローゼルの一撃である。
先ほどから汚水に身を浸しているせいでせっかくの黄金の毛並みが台無しであった。
「ゴメンね、フローゼル。後で手入れしてあげるから……」
(上に登れそうだぜ、メスガキ。フローゼルを戻して移動するぞ)
視界に入った梯子にリッカはため息を漏らしていた。
「どうにもこう……肉体労働よね。ってか、メスガキって呼ばないでよ」
抗弁を発し、梯子をよじ登る。見えてきたのは機械の廊下であった。壁は一面の精密機械で構成されている。
(メンテナンス用の通路か。これなら問題なく侵入出来そうだな)
「さっきまで泥臭かったのに、何か変な感じよね。今度は滅菌されたみたいに……。でも、においはするのね」
鼻をつまむとダムドが嗤う。
(人間ってのは五感を封じられねぇから面倒だな。オレなら五感をコントロール出来るってのに)
「そりゃ、あんたはそうでしょうよ。細胞一個の状態じゃない」
だが、そこまで自分を搾ってダムドはエイジを助け出そうとしている。その心意気だけは買おうと思っていた。
だからなのか、直後のダムドの慎重な声に身を固くする。
(……おい、止まれ)
「……勘付かれた?」
(……いや……こっちの手を読んでかどうかは分からねぇが……エイジを移動させやがった。ちょっとだけルートを変更するか)
「見抜かれたんじゃ……」
(カエンシティに置いていた措置は正常に稼働した。そっちは問題ねぇはずだ)
その「措置」とやらに対して、リッカは詳しくは聞いていなかった。今回の作戦はほとんどダムドの独断だ。
しかし、自分の知恵ではどれだけ搾ったところでエイジは助けられないだろう。それが分かっていただけに、ダムドに任せたのは正答だと思っていた。
ここに来てイレギュラーが出たのならば、自分も腹をくくるべきだろう。
「危なくなったら……」
(フローゼルで対抗出来る相手なら助かるんだがな。そうとも限らねぇだろうし、ルガルガンとの合流ポイントをずらすぞ。少しでも相手の想定を崩す。それしか方法はねぇ)
機械の壁に手をつき、リッカは歩みを進める。ここで下手に敵と遭遇すればそれだけエイジ救出のタイミングははかり辛くなるだろう。打てる手は全て打っておくべきだ。
「……ねぇ、敵に対して、あんたの分かっている事を教えてよ。あたし、危ない連中だって事以外はほとんど分かっていないんだけれど」
(オレみたいなのを躍起になって追っている連中ってだけじゃ信用ならねぇか。……まぁ、オレもよく分かっていないんだがな)
「あんたも、分かっていないの?」
驚愕したリッカにダムドは当然だろう、と応じる。
(追ってくるから迎撃していただけだからな。何を目的にした組織なのか、よくは分かっていねぇ。しかし、それがろくでもねぇのだけは確かだろうな)
ダムドが自分の中に入った時に流れた電撃的なビジョンを思い返す。こちらの物質の支配する宇宙とは違う、概念の宇宙の姿。あれを手中に入れようとしているだけでも脅威ではあるだろう。
「……協力する気はなかったの? 話くらいは聞いても」
(そんな友好的な相手じゃなかった。いつだって強硬策さ。捕まえられるのは癪だから逃げ続けてきたらこういうザマだ)
まさかそこまで考えなしだとは思うまい。リッカはこの作戦もどこか不安になっていた。
「……せめて話し合いが通用すれば、ね」
(そんななまっちょろい相手かよ。ま、期待はしないんだな)
「そうさせて……、あれは何?」
窺えた光にリッカは足を止める。ダムドはフローゼルの背に乗り、先んじて確かめに向かっていた。
(メンテナンス通路から普通の廊下に出られるのか……。だが待ち伏せの可能性もある。フローゼルで突き進むから、テメェは死なねぇようにしておけ)
「どうすればいいっての?」
(知らん。流れ弾にでも気ぃつけておけ。行くぞ)
「ちょっ……ちょっと! まだ心の準備が……!」
開かれた先の通路に、人影はなかった。それどころか人間の住んでいる気配もない。
(人っ気がねぇな……。あまりに静かだ。本当にここなのか?)
「あんたが疑問に思ってどうするの。撃たれはしないわよね?」
(今ンところは。来い、メスガキ。敵の気配はねぇ)
その言葉にむっとしながらリッカはフローゼルに続く。ダムドはその背に乗って周囲を見渡した。
(ここまで静かだと……ちぃとおかしいな。だが、この階層なのは間違いなさそうだ。さっきまでよりも強く、エイジを感じるぜ。すぐに合流は出来そうだが……)
「ねぇ、ここって何なの? まるで秘密基地じゃ……」
そう濁したのは鋼鉄に包まれた廊下と、そして最新設備で固めたメンテナンス路を目にしていたからだろう。ランセ地方に、まさかこれほどの規模の地下施設が存在するなど思ってもみなかった。
(……ひょっとすると、ヤバい組織なのかもしれねぇな。今さらだが)
「まさか……昔あったロケット団とか?」
歴史の授業で聞いた事がある。その昔、カントーのような文明国でも地下組織が存在し、暗躍していたと。それらの組織を破壊したのはいずれも少年少女だったと聞いているがまことしやかな噂ばかりで実際には定かではない。
(……分かりやすい象徴もねぇし、どういう組織なのか、まるで……)
「あんたさ、そういうのばっかり――」
その刹那でった。ダムドがフローゼルの背中からこちらへと飛び込む。突然の事に言葉をなくしたリッカは直後の意識のジャックに応じられなかった。
唐突に意識の線が切れ、内側から文句を発したその時には、先ほどまで頭部のあった空間をポケモンの触手が引き裂いていた。
(何を……! 何なの、こいつ……!)
「おいでなすったか! いや、遭遇した、というべきだな。あの時の毒ポケモン使い……!」
(毒使いって……。知り合いなの?)
「一日前の付き合いさ。こいつがエイジを連れ去った」
その言葉に宿った怒りにリッカは当惑していた。内側に潜ったからこそ分かる。ダムドは彼なりに焦っている。その焦燥感が、眼前の男への脅威も相まって睨む眼を寄越していた。
相手は大男だ。血色が悪く、青白い顔立ちをしており、まるで幽鬼のようである。
(……あたしみたいに操られて……?)
「いや、あいつはそういうのじゃねぇ。生まれながらの……人殺しの顔だ」
人殺し。そう断じられてリッカは押し黙る。