第十四話 殲滅戦線T
光軸が洞窟を激震し、壁に張り付いていた虫ポケモンが一掃される。
それほどの威力が放たれた事を実感出来ず、リッカは固まっていた。ジガルデコアが叫ぶ。
(メスガキ! ここはヤバいぞ! 洞窟なんかで戦ったら不利だ! 逃げに徹する!)
「ばっ……馬鹿! 何言ってんのよ! あんたが戦力の確保がどうのこうのって……」
(まだ分かんねぇのか! そういうレベルのポケモンじゃねぇ!)
「どういう……」
その瞬間、風切り声が響き渡る。甲高い咆哮が洞窟の最奥より発せられていた。
「……何、今の……」
聞いた事もないようなポケモンの声だ。ジガルデコアは警戒心を走らせ、舌打ちする。
(……完全にオレ達を敵と見なしやがったな。逃げるぞ!)
「じょ……っ、冗談じゃないわよ! ここまで来て逃げられるもんですか! フローゼルで捕まえにかかる!」
こちらの決意に相手は苦々しげに呟く。
(……本音なら好きにしろ、ここで死ねって言いたいところだが……逃がす気はねぇみたいだ。来るぞ!)
洞窟の奥から現れたのは翼を広げた翼竜のポケモンであった。灰色の体色にごつごつとした漆黒の棘を無数に持っている。
甲高く吼え、こちらを睨むなり、その双眸が青白く発光した。途端、口腔部にオレンジ色の光芒が充填されていく。
(野郎……! こんな洞窟で破壊光線を撃つつもりか……!)
リッカは完全に茫然自失の状態であった。見た事のないポケモンに射竦められた形である。
(おい! メスガキ! ……殺気に中てられて動けねぇのか)
その通りであった。フローゼルも恐れに戦き、水の光源を維持するので精一杯の様子である。
口を開こうとして、喉が酷く渇いている事に気づく。高密度のプレッシャーに晒された皮膚がひりついていた。
何も言葉を出せない。何も動けない。何も出来ないまま――死ぬ。眼前に突きつけられた選択にジガルデコアが前に出ていた。
(……ったく、ポケモンとしては当てにすんなって言ってんのに。仕方ねぇ!)
ジガルデコアの体表が波打つ。スカーフのように首に巻き付いた細胞から赤く変色し、額にあるスペードの文様が輝いていた。
瞬間、ジガルデコアの身体から引き出されたのは無数の矢である。空間を満たすかのように弓矢が番えられ、迫る不明ポケモンを狙い澄ました。
(サウザン――アロー!)
幾千の矢が敵ポケモンへと降り注ぐ。吼え立てた翼竜が直後に光条を放出していた。
ジガルデコアが飛び退り、セルを分離する。
ジェル状のセルがそれぞれ意思を持ち、フローゼルと自分を洞窟の外に向けて移動させていた。
首筋に咬みついた形のジガルデセルに誘導されてリッカはようやく我を取り戻す。
「……今、の……」
(しくったぜ、クソッ! ここで使うつもりなんてなかったんだが……)
口に出した途端の悪態に返す前に洞窟内を炎が満たしていた。煉獄に落とされた洞窟が照り輝き、出口で炎熱が燻る。
リッカとフローゼルは突き飛ばされるように洞窟から脱出を果たしていた。
まだ呼吸が荒い。それでも、生きている。その実感だけが確かであった。
「あの……ポケモンは……」
授業で習った事がある。遥か太古に滅びた化石ポケモンがいたと。そのポケモンの一覧の中にあれに近い個体がいた。
――その名称をプテラ。化石ポケモン、プテラである。
ジガルデコアは再びセルを取り戻し、四つ足の獣に戻った。身体をぶくぶくと沸騰させ、その直後、まるで風船が弾けたようにジガルデコアが脱力する。
リッカは覚えず駆け寄っていた。
「ちょ、ちょっと! あんたどうしたのよ!」
(……使うつもりのない技を使ったからな。代償がデカい。サウザンアローは万全の時に使うんなら何でもねぇんだが、今のオレは10%程度のセルしか持ってねぇ。当然、反動があるってワケだ)
「あんた、そんな事一言も……」
(言ったら解決すんのかよ。そうじゃねぇだろうが。こっちだって必死なんだよ。……ったく、オレも焼きが回ったもんだ。人間なんざ、助けるもんでもねぇな)
ジガルデコアはこの場から動けそうにない。リッカは逡巡を浮かべた後、ハッと胸元に宿るセルを意識した。
もし、エイジがこのジガルデコアを身体に宿していたのなら、同じ事が――。
その考えが明瞭な像を結ぶ前に、甲高い鳴き声が木霊する。森に住まう鳥ポケモンが一斉に羽ばたき、獣のポケモンまでもが逃げ出したのが伝わった。
「倒したんじゃないの?」
(あんなもん、気休めだ。倒すのは難しいだろうな。だが、分かった事がいくつか……)
立ち上がりかけてジガルデコアは何度も失敗する。身体を維持するだけのセルが足りてないのだ。
こちらが手間取っている間にもあのプテラにしか見えないポケモンは追撃してくるだろう。ジガルデコアに言わせれば、もう狙われている、と。
ならば、迷う事なんてない。
「……あんた、人間に寄生出来るのよね?」
(あン? まぁ、そうだが、緊急時以外は人間になんざ寄生したくも……。って、テメェ、まさか……)
息を呑んだ相手にリッカは首肯して手を伸ばす。
「あたしに寄生しなさい。そうしないとあんた、ここでプテラに食い殺されちゃうんじゃないの?」
(バカ言ってんじゃねぇ。メスガキに寄生して何の旨味があるって言うんだ)
「それでも、生き永らえるためにでしょ? あたし達はここで死ねない」
その決意だけが確かな輝きを持つ。ジガルデコアは逡巡の沈黙を挟んだ後、問い返す。
(……言っておくが、セルの相手にコアが寄生するなんてやった事がねぇ。もし、反動でテメェの人格が消えても、オレを恨むなよ)
人格が消える。その言葉に揺り動かされるものがあったが、今のリッカを突き動かすのはそんな些細な迷いではない。
今は、エイジを助け出すために、最短ルートを行く。そのためならば、一時の命の危機くらい惜しくはない。
「……構わないわ。やりなさい」
あまりにも突拍子もないのだと思われたのだろう。ジガルデコアは再度、思案の声を出す。
(……だが、消えちまった人格は戻る保証なんて――)
「グダグダ男らしくない事言ってんじゃないわよ! とっととあたしに全投げしなさい! このスカタン!」
叫んだ刹那、ジガルデコアのスペードの文様が照り輝く。その藍色の光が視界を埋め尽くした途端、意識は無辺の彼方へと誘われていた。
リッカの身体が静止する。
全ての生態活動が、血液循環や脳のシナプスでさえも、何もかもが消え失せる。その消失点の向こう側にリッカの極大化した意識は銀河の果てを目にしていた。
累乗の先、人々の命の瞬き。そして星々の流浪の旅の果て。命が生まれいずるところ――それ即ち「Z」の理。
世界の闇を引き裂いて、四つの欠片が解き放たれ、青白くぼやける宇宙にマス目を敷く。灰色の盤面を俯瞰するのは自分の意思か、それともジガルデコアの意思か。
いずれにせよ、ここでリッカは消え失せる運命の途上にある自分の魂の残滓を目にしていた。
一目で分かる。ここはヒトの来る場所ではない。ヒトの到達出来る領域を遥かに超えている。
ここに辿り着くのには幾千年、幾億年、気の遠くなるような時間の概念の向こう。
その果ての果てから、彼らはやってきた。到達し、解き放たれた。この物質世界の、まだ涅槃には遠く辿り着けない、この常世に。
――何のために?
問い返したその時、自分の唇が答えを紡いでいた。
「――さぁな。オレもそれは分からねぇんだ。分かれば、こんな回り道はしねぇさ」