第十三話 二人の策
「Z02?」
問い返したリッカにセーフハウスで見据えた相手は首肯していた。
黒い獣の姿を取っており、四つ足のポケモンに近いのだが、気配はまるでポケモンのそれではない。
どちらかと言えば人間――それもただの人間ではない。別種の存在に思えていた。
(まぁ、そう呼ばれているって話だ。オレはどうにも嫌われているみたいでね)
リッカはエイジの書き付けた日誌を捲っていた。エイジの日誌は昨日で止まっている。それは自分達の間柄に亀裂が走ってから時間が止まっている事の象徴のようでもあった。
「エイジ……大丈夫なの?」
(こればっかりは分からねぇな。オレはエイジの居場所は掴めても、何をされているのかは死にでもしない限り不明なままだ)
「死にでもって……! 縁起でもない事言わないでよ!」
大声に相手は白濁した瞳で首を引っ込める。
(悪いだとか殊勝な事は考えてないぜ。だってオレと契約したのはあいつの意思なんだからな)
「その、契約ってのも分かんない。あんた達、何なの? ジガルデコアだとか、セルだとか……」
説明はされた。リッカは自分の胸元に取り憑いているジェル状の物体を感じ取る。これがジガルデセルらしい。コアに隷属する存在。そして、いずれは自分の物になる、と相手は告げていた。
(……分かんねぇか。ま、それも仕方ねぇな。テメェはゾーンを経験してねぇ。だから、エイジに比べりゃ説明しても実感は出来ないだろうさ)
「……あたしだけ鈍いみたいな言い草はしないでよ。エイジを巻き込んだのはあんたでしょ」
(巻き込んだ……ねぇ。別段否定する気もねぇが、エイジだってオレに突きつけたんだ。だからこれもお互い様さ)
「四つのコアと、セル94個の争奪戦……。そんなの、信じろってほうが……」
どうかしている。リッカは二つに結った髪を揺らし、天井を仰いだ。木目調のセーフハウスはいつも通りなのに、その主であるエイジだけがいない。
(いずれにしたって、今のままじゃ敵に攻め込むのに力が足りてねぇ。無謀もいいところだ。だからオレはテメェをここに誘導した。この森はポケモンの生態系が豊かだ。新しい力が手に入るとすればここだろうからな)
「力って……。あたしももちろん、エイジは助けたい。でも相手の規模も何もかも不明だって言うんじゃ……」
打つ手はない。そこまで考えてから、相手は返答していた。
(……言っておくと、そこまで不可能でもねぇぞ? オレの条件に合うポケモンさえいりゃあな)
「……考えがあるって言うの?」
相手はベッドから飛び降り、床を練り歩いて机の上にある日誌を顎でしゃくった。
(エイジの日誌はそれなりに当てになる。この森に棲んでいる、強ぇポケモンの記述くらいはあるんじゃねぇのか? そいつを捕まえればいい)
「……ポケモンが一体増えたところで、出来るの?」
(逆に言わせれば一匹でいい。あんまりたくさん雁首揃えたって対策を練られちまうだけだ)
どうにも相手の自信がどこから発せられるのか分からない。リッカは、あーもう! と叫んでいた。
「……言っておくけれど、あたしの実力はそんなにあんたの思っているほどじゃないかもしれないわよ?」
その言葉に相手は応じる。
(期待してもいねぇよ、メスガキ。エイジみたいに図鑑オタクだって言うんなら、まだやりようはある。日誌の中にある凶暴なポケモンを探せ。出来るだけ出力の高いヤツがいい)
リッカは日誌を捲る。そのような都合のいいポケモン、と視線を走らせて、一つの記述に行き着いた。
「……治療不可能なポケモン?」
いくつも付箋が貼られたそのページにはハジメタウンの森に潜むポケモンに関しての継続日誌があった。
(ほう……。願ったり叶ったりなヤツがあるじゃねぇの。エイジはこういうのに詳しかったんだな。あいつは何だ? ポケモンの医者なのか?)
過去に切り込んでくる相手にリッカは苦々しい顔をする。
「……あんたに教える義理はないでしょ」
(……ま、どっちでもいい。この治療不可っての、つまりはそれだけ強いって事だろ? なら決定だ。こいつを捕まえて戦力にする)
セーフハウスを出ようとする相手にリッカは慌てて日誌を手に追いかけていた。
「ちょっと! まだ対策も練れていないのに……!」
(ガン突き合わせて考えたって時間が惜しいだけだ。それに、捕まえれば何にも脅威じゃねぇ。メスガキ。ボールくらいは持ってるんだろ?)
リッカはポーチの中にあるブランクのモンスターボールを数える。残り十個であった。
「あるけれど……簡単に考えないで。エイジが難しいって判断したのなら相当なはずよ」
(構えなさんな。どんだけ凶暴だからって不可能なんてねぇよ。今までだってそういうのはよく見てきたクチだぜ?)
返答にリッカは嘆息をついていた。
「楽観的なんだか悲観的なんだか……。あたしのフローゼルで勝てなかったらどうするの?」
(こっちにはルガルガンもいる。テメェの手持ちが弱かろうがオレが何とかすればいい)
前を歩み進む相手にリッカはとことん呆れていた。
「……あんた、本当に何なの? ポケモンがポケモンを駒みたいに言うのなんて、あたし知らないわよ?」
(そいつぁ小さい世界で生きてきたんだな。案外、ポケモンなんざ、そういうもんだ。期待したってそんなに高尚な世界で生きちゃいねぇんだよ)
リッカはページを開く。日誌に書かれた場所は現在地から北東部に位置する洞窟であった。
「……洞窟の奥にいるみたい。エイジはそのポケモンに少量の餌だけを渡して、自然治癒に任せたって書いてある」
(そのポケモンの名前は? まさか名前が書いてねぇのか?)
リッカはページを隅々まで見やるが、どこにも詳細な情報は書かれていなかった。
「……おっかしいわね……。何で名前も書いてないんだろ……」
(エイジの立場なら、もしかするとそのポケモンを他人に捕まえられるのがまずいって思っていたのかもな。だからもし日誌が泥棒に盗られてもそれ以上の情報が広がらないように対処していた)
「……分かった風な事を言うじゃない」
自分だってエイジがこの森でどこまでの救助作業を行っていたのかは把握していないのだ。一昨日のゴーゴートだって、エイジはどう考えてもイワンコでは対処し切れない相手であった。それでも果敢に治療に励もうとしたエイジが「治療不可」と判断を下した。それだけでも警戒に値するべきだろう。
(メスガキ。テメェはエイジの何だ?)
「何って……幼馴染よ。あとメスガキって言うな」
(……そんな立場であいつもよく命張って助ける気になったな。強盗がそこまで強くなかったとはいえ、死んでも別段文句は言えないレベルではあったんだぜ? なのにエイジは逃げるなんて選択肢を取らなかった。そうさせるだけの何かがあるんだと、オレは勝手に勘繰っていたんだが……。いざ助け出したのは弱っちいメスガキ一匹ってのは笑えねぇな)
「だからメスガキって言わないでってば! 大体、あんたエイジの何を知っているって言うの? さっきから偉そうだけれど」
相手は足を止める。何か、考え込んでいるようであった。
「……何? 聞いちゃいけない事を聞いた?」
(……いや、そういう点ではオレも妙だ。契約者なんざ、掃いて捨てるようなもんだと思い込んでいたんだが……どうしてだ? 何でここまでオレも必死にならなきゃいけねぇ。確かにエイジが嬲り殺されれば、オレの命も危うい。だがそんなもん、知った事じゃねぇし、大体、捕まったあいつが悪いはずなんだ。だって言うのに……何かモヤモヤするんだよ……。気分悪ぃ)
相手の言葉振りにリッカはどこか驚嘆していた。その考え方や感じ方はどこか、人間くさい。
しかし相手はどう見ても人間ではない。四つ足の獣形態もそうならばその正体である細胞膜のようなあの姿。どれをどう取っても人間の要素はないというのに。
「……あんたもあたしも、面倒な奴を助け出そうとしているって事じゃないの」
(言うじゃねぇか、メスガキ。だが、それに関しちゃ同意かもな。……ったく、安易に契約なんかしちまったばかりに、オレの行動範囲も限られちまう。セルが少な過ぎてゾーンに逃げるのも出来ねぇし……)
「……着いたわ。ここよ」
洞窟は湿っぽく、大穴から空気の流れが感じられる。どうやら穴は一本道らしい。明かりはまるで差していなかった。光源がないと進むのも厳しそうだ。
「……光がないわね」
(オレは進めるが、テメェはどうする? 人間ってのは視覚に頼り切っているからこういう時にどうしようもねぇな)
むっと、リッカは顔をしかめる。
「……悪いわね。人間には知恵があるのよ。行け、フローゼル!」
繰り出したフローゼルが水飛沫を散らせて全身の毛を逆立たせる。すっと指を翳すと、水の塊が形成され、そこに太陽光線を取り込んだ。
疑似的な光源が確保された光景に相手は鼻を鳴らす。
(フローゼル、か。水の球体の中に氷をいくつか混ぜて光を乱反射させやがったな。その氷を水の中で一定量保てば確保した光は逃げねぇって寸法か)
まさか一瞬で看破されるとは思ってもみない。リッカは目を瞠り、改めて問い返す。
「……あんた何者? 本当にそこいらのポケモンなの?」
(言ってるだろうが。オレをポケモン扱いするんじゃねぇ。それに、そこいらのポケモンとはワケが違う。ま、どっちにしたって足手纏いにならないでくれよ。オレは進むぜ)
歩みを進めた相手にリッカは慌てて追いすがる。
「待ちなさいって! あんただけで勝てないでしょ」
(どうかな。案外、エイジも気弱だからよ。本当に大した事のねぇポケモンを危険だとか言ったのかもしれねぇし、そこんところは分からないもんだ)
「……エイジを馬鹿にしないで。あんたとは違うんだから」
(オレとは違う、か。その通りだろうが、どっちにせよオレは……)
そこで相手は言葉を区切る。胡乱そうに眺めていると、声がかかった。
(止まれ。これ以上は……まずい)
「何よ。あんたのほうがビビってるじゃない」
リッカは構わず前に進む。ここまで馬鹿にされてきたのだ、自分が前に進まないでどうする。そのような感情を相手は知ってか知らずか、声を荒らげていた。
(聞こえねぇのか、メスガキ!)
「だーかーら、メスガキじゃないって。あたしにはリッカって言う名前が――」
そこまで口にしたその時、ジガルデコアは飛びかかっていた。牙を軋らせ、ジガルデコアが自分の首根っこを引っかける。
思わぬ膂力に洞窟の壁へと身体を叩きつけられる。背中に広がった鈍痛にリッカは抗弁を発していた。
「何すんのよ! あんたってば、本当に……」
(伏せろ!)
その言葉が消えるか消えないかの刹那、空間を満たしていたのは黄金の瀑布であった。