第九話 戦闘の予感
(……なぁ、ガキ。流儀は知らねぇが、イワンコだって進化したがっていたはずだぜ?)
「……お前に何がわかるんだよ」
(分かるさ。オレ達ジガルデにはそれぞれ固有の性質があってな。オレの性質は暴き=Bその対象が持っている潜在的な望みや指向性を暴く事が出来る。だからルガルガンになったのは、オレの暴きの性質が発揮されたからだ)
「……イワンコが心の底では望んでいたって?」
(少なくとも、イワンコのまま飼い殺しにするよりかはよかったはずだぜ)
エイジは額に手をやる。確かにレベルを満たしているのに進化させなかったのはわざとだ。だが、それにも理由はある。
「……進化させるにしたって、ルガルガンは三つの姿がある。どの戦術を選ぶかによって、大きく変化するんだ。僕は……せめて真昼の姿に進化させるつもりだったのに……」
ルガルガンの辿った進化は「まよなかのすがた」。大きく攻撃性能が上がる代わりに、平時から凶暴性が露になる扱いの難しい姿だ。
ただでさえ、命中精度の悪い技の練習に励んでいたのに、これでは大きく路線変更を強いられる。
(……ふぅん。人間ってのはつまんねぇ事に気を遣うんだな。何に進化させたって、実際に使うのはテメェだろうが。なら、最大限の効力を引き出してやりゃいい。テメェの手記を読ませてもらったぜ。この地方じゃ、ポケモントレーナーじゃなく、ポケモンジェネラルって呼ぶらしいじゃねぇか)
「……そうだよ。だから何」
(ジェネラルって言葉には、智将って意味もある。悔やんでばかりいねぇで、そいつの最適を模索するのが、ジェネラルの仕事じゃねぇのか?)
分かった風な口を利く。エイジは相手にするのも馬鹿馬鹿しいと感じていた。
「……お前には分からないよ。ポケモンジェネラルってのは、どういう意味なのかって事は……」
(いずれにせよ、連中はオレを逃がす気はないだろうさ。ガキ、ここで腐っていたってしょうがねぇ。町に出て情報を集める。オレもとっととこの身体には慣れたいところだ)
「この身体って、お前はずっとその形態のはずじゃ……」
(ああ、言ってなかったな)
瞬間、ジガルデがコアへと変異し、自分へと飛びかかる。直後にはエイジの意識は内側に潜っていた。
自分を中空から眺めている感覚に狼狽している間に、自分自身であるはずの身体が動く。
「コアと契約した人間の人格ってのは、こうやって簡単にジャック出来ちまうんだよ。だから慣れるのはオレのセルの肉体じゃなく、人間の肉体の動かし方だな」
自分の喉を震わせた自分以外の声に、エイジは困惑する。その間にも自分にしか見えない相手が立ち上がっていた。
髪の毛が逆立ち、横顔に青いラインが走っている。眼光は鋭く、まさしく自分以外の姿であった。
「……にしたって、つまんねぇ見た目してんな、テメェ。もっと腕に何か巻くとかしろよ。せっかくの人間の躯体なのに、もったいないだろ」
(お前……! ……僕の声のほうが、内側に?)
「ああ、そういう事。オレの人格が優先される。まぁ、多少のやりづらさはあるから、元の姿には何度か戻るだろうがよ。それでもまずは慣れだ。ちょっと身体を借りるぜ」
(待てよ! お前、僕の姿で身勝手に……!)
セーフハウスを出ようとする自分自身にエイジは抗議していた。相手は喧しそうに耳をほじる。
「うるせぇなぁ……。完全に人格を乗っ取っていないだけマシだと思ってもらいたいくらいだってのに。契約したんだ。テメェの人格を消し去っても、別に構わないんだぜ?」
まさか、そこまで出来るのか。押し黙ったこちらにジガルデコアは言いやる。
「安心しろって。ちょっと下界を覗きたいだけなんだからよ。今の今まで追われてばっかりでまともに人間の暮らしなんて見た事もねぇんだ。ちょっとだよ、ちょっと」
(……本当に、ちょっとなんだろうな)
「疑い深いヤツだな。そんなにまずいのか? 寝ている間に何が起ころうと知った事じゃねぇだろ? それと同じだよ」
話を聞く限りではこのジガルデコアは悪意で動いているようではない。ただ、何か窺い知れないものを内包しているのは自分でも分かった。
(……その陣取り合戦って言うの、他のお前みたいなジガルデもいるって事だよな? もし、襲われたら……)
「あー、その心配はしばらく必要ないだろうぜ。コアは基本的に動かないんだ。出歩いて襲撃されたんじゃ元も子もねぇ。だから他の連中はうまく身を隠してるんだろ。オレみたいに宿主の中に入ってな」
つまり他のジガルデコアも宿主を見つけ、こうして人間のふりを装っているというのか。
エイジは考えるだけで恐ろしいと思えた。見た目は人間そのものでも、中身が、考え方が人間とは異なる何かがこの地方で跳梁跋扈している。
そんな現状を、何もせずに看過しろというのか。
(……本当にコアは不用意にそこいらにはいないんだろうな?)
「うるせぇな。いねぇよ。いたら分かる。オレもジガルデコアだ。何かしら察するものくらいはあるだろうさ」
(……僕の身体で勝手な事だけはしないでくれよ)
「了解、っと。人間ってのは面倒だな。いちいち梯子かよ、ビビりめ。こんなの飛び降りりゃいいだろうが」
エイジの身体がセーフハウスより跳躍し、地面を踏みしめる。感覚はないはずだが、意識の中にいるエイジは激痛を覚えていた。
(痛っつ――!)
「ンなワケねぇだろ。痛くもかゆくもねぇ」
(僕の身体だぞ!)
「オレの身体でもある。セルは纏っているからな。まぁ、たったの四つだ。気休めレベルさ」
歩み出したジガルデコアは周囲を見渡して口笛を吹く。ポケモン達には平時の自分ではないのだと分かるのだろうか。どこか余所余所しく立ち去っていく。
「この森は生態系だけは一級だな。テメェの観察日誌を読んだぜ。これだけポケモンがいりゃ、駒の確保には苦労しなさそうだ」
(駒って……)
「言ったろ。陣取り合戦だって。それなのに、ルガルガンだけじゃ頼りねぇ。使えるっちゃ使えるんだがな。あの体躯と身のこなしなら、市街戦や混戦状態、それにタイマンならお手の物だが、相手がいちいち真正面から来るワケねぇ。搦め手も上等だと思っておくしかねぇだろ」
(それは……お前が戦わないって事なのか? お前の都合じゃないか)
言いやったエイジにジガルデコアは鼻を鳴らす。
「勘違いすんな。オレは、他のポケモンとは違う。テメェの身体を使って、手持ちを使役する。それが一番に効率的だ。ハッキリさせておくぜ。オレは、絶対にポケモンとして、テメェを助ける事はねぇ。絶対にだ」
何がそこまで言わせるのか分からなかったが、エイジはうろたえつつも認めるしかなかった。
「ン? 何だ、あいつら」
ジガルデコアが見据えた先にいたのは森の出口で待ち構えていたクラスメイト達であった。彼らは瞬時に自分を取り囲む。
「……何の真似だ」
「昨日の隕石みたいなの、お前なら近くで見ていたんだろ、最底辺。森に入る。その前に、お前はのしておかないとな!」
全員がホルスターに手をかける。その様子をジガルデコアはつまらなさそうに眺めていた。
「……五人か。にしたって、このガキ相手に随分と粋ってるじゃねぇの。こいつ、そんなに気に入らねぇのか?」
(ジガルデ! 面倒事に取り合う事はないんだ。今は譲って――)
「冗談。ガキ五人程度にかけずらってオレの目的が達成出来るかよ」
(目的……?)
「ああ、聞いていなかったな。そういや。オレの目的は……」
「ぶつくさ何言ってんだ! 今にぶっ潰すぞ!」
凄んだクラスメイトにジガルデコアは嘆息をつく。
「弱ぇヤツほどよく吼える。それはどこの世でも同じみたいだな。ガキ。テメェのルガルガン、どれだけ強ぇか、いっぺん見てみろ。それなりだぜ?」
「やっちまえ!」
全員がポケモンを繰り出そうとする。その時には、ジガルデコアはモンスターボールを踏みしだいていた。
緊急射出ボタンが押され、飛び出したルガルガンが赤い眼光を滾らせる。その勢いを殺さず、まずは背後の三人の手を爪で裂き、躍り上がったルガルガンが掌に掴んでいた石粒をまるで弾丸のように親指で弾いていた。
石粒が跳ねてもう二人の手にあったボールを叩き落させる。
ほんの一瞬、瞬きの一つにも満たない時間で、ルガルガンとジガルデコアは四人を無力化した。
その事実に呆然としていたのは内側にいるエイジとクラスメイトであった。
「……な、何を……」
「取り巻きってのはどういう立ち位置でもつまんねぇな。五人纏めて一気に来るなら勝算はあったのにてんでバラバラだ。これじゃ、狙ってくれって言っているようなもんだぜ?」
挑発したジガルデコアにクラスメイトは逆上し、その手にあるモンスターボールの緊急射出ボタンを押し込んでいた。
「やれ! ゴローニャ!」
飛び出したゴローニャが威嚇するのを、ジガルデコアは醒めた目つきで見やる。
「ゴローニャか。つまんねぇガキってのはつまんねぇポケモン持ってるんだな」
「お前……! 最底辺のクセに生意気な! いつもよりむかつくぜ!」
「そいつは結構。オレも随分と苛立っているんでね。バカにしてんのか? 悠長にお喋りなんざ」
回り込んで横合いより、ルガルガンが爪を軋らせる。まさかいきなり攻撃が来るとは思っていなかったのか、クラスメイトもゴローニャも反応が一拍遅れていた。
その一瞬をジガルデコアは見過ごさない。ゴローニャの懐に入り、その腹部へと蹴りを浴びせていた。
一発が入るや否や、嚆矢として眉間に拳が撃ち込まれる。それだけに留まらず、攻撃の応酬はゴローニャの巨体をその場から後ずさらせていた。
「な、何でだ……? 相手は所詮、一進化だぞ!」
「分かってねぇのか、マヌケ。ゴローニャも主人に似て図体だけがでけぇでくの坊だな。攻撃への対応速度、それだけじゃない。撃ち込まれた一撃に対しての対処反応、そして緊急時の応対速度、技の反射も、視覚の情報網も……、全て遅ぇ」
言い捨てたジガルデコアの言葉に呼応して、ルガルガンが大きく腕を振るい上げる。一撃がゴローニャの額へとめり込んでいた。
(……まさか、こんなに簡単に……)
エイジも驚きを隠せない。よろめいたゴローニャにルガルガンが身を翻す。地に突っ伏した相手は戦闘不能であった。あまりの出来事に思考が追いついていないのか、クラスメイトも絶句している。
ジガルデコアはエイジの身体を操り、茫然自失の相手へと歩み寄って襟首をひねり上げた。
「おい、ガキ。テメェ、オレの邪魔するんなら、これ以上って事になるが、死にたいみたいだな」
その声音にクラスメイトが悲鳴を上げて逃げ去っていく。取り巻き達もそれに続いて駆けていった。
(なんて事を……。彼らは被害者だぞ!)
「うっせぇ。邪魔するヤツはぶちのめす。それがオレだ。それに、ちょうどよかっただろ? ルガルガンはあの程度の輩ならぶっ潰せる。それが出来るってだけ証明してやったんだ」
(……でも怖がらせる事なんてなかったはずだ)
言い返した抗弁にジガルデコアは冷笑を浴びせる。
「テメェ、自分の事なのにいやに冷静なんだな。あのままじゃ、ぶちのめされていたのはこっちだろ? 正当防衛ってヤツ、知らねぇのか」
(……目立たないようにしていたんだ。それをお前が!)
「あー、うっせぇ、うっせぇ。どっちだっていいだろ。オレが楽しみなのは人間共の暮らしってヤツ。戻れ、ルガルガン」
赤い粒子となって戻ったルガルガンには目もくれず、ジガルデコアは自分の身体で歩き回る。その瞳が一点を捉えていた。
「おっ、何だあれ。おい、ガキ。ありゃ何だ?」
(ガレット屋さんの事を言っているのか? 露天商だよ。知らないのか?)
「人間の姿で出歩くのは結構久しぶりでね。ああいう文化があるのか。殺して奪っちまえばいいのか?」
モンスターボールに手を伸ばしかけたジガルデコアを、エイジは必死に制した。
(馬鹿! お金で買うんだよ! 殺すなんて……乱暴過ぎる!)
その答えにジガルデコアは舌打ちする。
「ンだよ、つまんねぇな。何円だ?」
「おっ、エイジ君じゃないか。何それ、イメチェン? 髪上げたんだ」
「うっせぇぞ、オヤジ。ガレットくれ、一個」
明らかにこちらの様子がおかしいのにも関わらず、ガレット屋の男性は快く応じていた。
「おじさんも若い頃はヤンチャしたからねぇ。男ってのは一晩で生まれ変われるもんさ! エイジ君も分かってくれたみたいで嬉しいよ。今までリッカちゃんの背中に隠れておどおどしていたもんね!」
「オヤジ、うぜぇからさっさと渡せよ」
「はい。二百円」
「二百円……? おい、ガキ。財布ってもんがねぇぞ?」
(あー! セーフハウスに置いてきてしまったんだ! じゃあ諦めて……)
「オヤジ、今はねぇんだ。貸しにしといてくれ」
普段の自分ではあり得ない態度だったが、相手は頷いていた。
「いいねぇ、エイジ君。ワイルドって奴なのかな? いやー、小心者のエイジ君がここまではっちゃけられるとは! いいよ、まけてあげよう!」
相手は自分が何かの拍子にこういう性格になったのだと思い込んでいるようであった。ジガルデコアはガレットを引っ手繰り、乱暴に頬張る。
「うめぇな、これ。味覚ってもんを自覚したのは……数えてねぇな。何千年ぶりか?」
「うーん! 何て言うんだろうね、こういうの! 中二病って言うのかな? いいよー、青少年の成長ってのはこうでなくっちゃ!」
「オヤジ、うっせぇ。でもこいつはうめぇから殺さずにおいてやる」
失言にも相手はどこか満足げだ。エイジは内側でぼやいていた。
(……後で謝らなくっちゃ……。にしても、何千年って、それは大げさなんじゃないのか?)
「いや、そうでもねぇんだな、これが。オレらには食事ってのが要らなくてよ。ついでに言うのなら他の機能も何もかもだ。代謝だとか、そういうのもねぇし内臓もないから消化もしねぇ。ま、色々と無駄なもんを削ぎ落とさないと生きていけねぇ、不便な生き物なんだよ。しかしマジにうめぇ。オヤジ、才能あるぜ」
サムズアップを寄越したジガルデコアは近場の噴水施設のベンチに座り込む。胡坐を掻いて座る様子は絶対に他人には見せられないだろう。
(……何でお前はそうなんだよ……)
「にしたって、平和だな、人間ってのは。このランセ地方で追い詰められていたのが嘘みたいだ。これならさっさと契約者を探したほうが楽だったか?」
ジガルデコアは空を仰ぎ見る。青空を横切っていくマメパトの群れにいちいち大仰に反応した。
「うまそうだな、あれも」
(食べられないし、食べるなってば……。あー! もう! 指をしゃぶるな! 情けないだろ)
「だってまだうめぇのがついてるんだもん。仕方ねぇだろ。だが、この感じなら追っ手の心配は薄そうだな。ずっとテメェに成り代わってりゃ、やり過ごせそうだ」
(ずっとなんて悪夢だよ……)
「半分は冗談さ。オレもここで終わるつもりはねぇし、それに他のコアが嫌でもオレを追いかけてくる。連中だってバカじゃねぇ。オレの位置情報の捕捉くらいはわけないはずだ」
(待ってくれ。じゃあまだ追われる身だって言うのか?)
「そう言ってるだろうが。だから駒が要るんだよ。ルガルガンだけじゃ心許ねぇ。戦いにはまずは数だ。頭数を揃えないと勝負にすらならねぇ。それくらいは分かるだろ」
(でも……昨日のそういえばレンジャーは? どうしたんだ?)
「ああ、あの人間なら……。おい、待て。ざわつく」
不意に周囲へと目線を配るジガルデコアにエイジはうろたえていた。
(ざわつく? 何が?)
「……テメェには伝わらねぇか。近くにセルの宿主がいる。追っ手かもしれねぇ」
(どういう事だよ。戦うのはジガルデコア同士だけじゃないのか?)
「ああ、厳密には違っていて……。まぁいい。説明ってのはどうにも性に合わねぇからな。行くぞ、ガキ。ルガルガンだけでも、まぁ自衛になればいいだろ」
(ちょっ……どういう事なんだ!)
問い返したその時には自分の身体は駆け出していた。ハジメタウンの町並みを抜け、人垣が集まっている場所を見据える。
(何だろう……)
「おい、何があった?」
「ああ、エイジ君。どうしたの、髪型……、それに目つきもなんだか……」
呼びかけた大人へとジガルデコアは詰問する。
「ンな事はいい。あの建物の中……」
「ああ。……銀行強盗らしい。何でも、人質を囲っているとか。危ないから下がったほうがいいかもね……ってエイジ君!」
封鎖線を抜けていた自分の身体にエイジは内側で平謝りした。
(ああっ! すいません! 何をして……!)
「セルだ」
応じた声にエイジは尋ね返す。
(……それってゲル状の? あれが何を……)
「セルにも意思がある。ま、細切れにされた身体の一部みたいなもんだから、残りカスだがよ。元になったスートのジガルデの性質を反映している。昨日のレンジャーだってそうだ。あいつはオレの暴き≠フ性質を色濃く出していた。殺意が強く出ていたのはそのせいなんだが……有り体に言うとオレのスートのセルはその人間の本性を暴く。だから破壊衝動を抑えている人間なんかに宿った日にぁ……」
その帰結する先を予見し、エイジは内側で息を呑んだ。
(まさか……! セルにもそんな性質が?)
「ああ、それにセルは同じスートのコアに引き付け合う。オレがここにいるから、同じスートがどこかから出てきたって寸法だろうさ」