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第一章 邪帝降臨
第八話 屹立する現実

 ――エイジ。お前を連れていけないんだ。

 頭を撫でた父親の影に、エイジは言葉も返せなかった。何を言ったところで無駄。それがどこかで分かっていたからであろう。父親は自分とは違う。自分はいつまでも最底辺を彷徨うだけ。対して、父親はこのハジメタウンで医師の地位についていた。

 彼はあらゆる分野に精通し、名医とも呼ばれていた。その甲斐があってか、医療機関の集中するカントーの大病院より声がかかったのだ。

 誉れだと誰もが語った。大人達は父親の出世を喜んだ。

 だから自分のような小さな存在が、その栄誉ある道を阻んではいけない。幼い心にそう刻み付け、エイジは別れの日になっても文句の一つも言わなかった。

 きっと、もっと悲しんでよかったのだろう。もっとわがままを言ってもよかったのだろう。

 しかし、言えなかった。言えるものか。寝る間も惜しんで毎日、学術書を読み込み、急患があれば夜半であれ関係もなく診察していた父親の背中に、自分は偉大さや誇りよりも、畏怖を抱いていた。

 どうしてそこまで他人のために出来るのだろう。どうしてそこまで切り売って、自分の損得は無視出来るのだろう。

 最も近い存在でありながら、最も遠い。生き方としては縁遠い相手。それが十三年生きてきて、エイジの下した父親への評価であった。

 別段、嫌いであったわけでもなければ、親子の関係が悪かったわけでもない。ただ、巡り合せとして、その生き方には同調出来ない。

 それだけのシンプルな答えであった。

 だから、この町に置いていく、という判断は順当であったし、自分のようなお荷物は置いていくのが正答だろう。

 そこまで客観視出来ていたエイジはごねる事も、ましてや縋り付く事もせず、遠ざかっていく父親の背中に涙の一つも流さなかった。

 どうしてなのだろう、と何度も問い返す。

 何回、問いを重ねてもそれでも答えは出ない。分かりやすい解答は出てくれない。

 だって、父親の幸福を願うのならば、自分は要らないからだ。

 要らない、子供なのだ。

 その人生に、必要のない存在なら、何も干渉する必要はない。

 きっと、父親にとっての自分は、ちょっとした汚点であったのだろう。

 だから、目もくれないのは当然の事。当たり前で、そしてたわいない。

 だから、涙なんて必要ない。孤独なんて必要ない。誰かと馴れ合うのも、必要ないはずだ。

 だから、だから自分は――。

「こんなにもシンプルに、僕は要らないんだ」












 夢の声に導かれるようにして、エイジは身を起こしていた。

 セーフハウスのベッドの上で目をこすり、そして先ほど身に起こった出来事が脳裏を駆け巡った。

 慌てて起き上がり、窓の外を眺める。

 どこにも、隕石の痕はない。何かが起こったような痕跡も。

「……夢だったのか」

(バァーカ。夢で堪るかよ)

 その声の主にエイジは振り返っていた。机の上でエイジの手記を眺めているのは漆黒の獣である。

 四つ足のその獣は白濁した眼窩でこちらを睨んでいた。

 声も出ず、エイジは腰を抜かす。

「……なっ……なっ……」

(臆病なガキだな。オレと契約したクセに一端の挨拶も出来ねぇのか)

 ふんと鼻を鳴らした相手にエイジは声を搾っていた。

「……お前は」

(しかし、助かったぜ、ガキ。テメェが契約しなかったら、オレはあそこで捕獲……いや、もっと悪い結末に転んでいたかもな。その点では感謝さえしている)

「……ポケモンなのか?」

(人間に見えるか? ま、どっちだっていいんだがな。オレは、どっちでも構わねぇし、テメェだってその通りだろ? 死なずに済んだ。儲けものの命だろうが)

 エイジは首筋をさする。先ほどの殺意にひりついていたのはやはり間違いではない。

 本当に殺されかけたのだ。その事実がどこか遊離している。

「……お前みたいなポケモン、見た事もない」

(そりゃ、そうだろ。こうしてテレパシーで話していても、テメェの驚き様はよく分かるさ。それに、何匹もいるポケモンじゃねぇんだ)

「……何者なんだ……」

(自己紹介がまだだったな。よっと……)

 四つ足のポケモンは机から降り立ち、白濁の眼球でこちらを見据える。しかし、真に見ているのは額のスペードマークのようであった。

 目に見える部分は恐らくただの器官。それに、スカーフのように首に巻きついた物体も、ただの装飾のような気がしていた。

 意味を持たない、ただの形状。どうしてそのような感触を持ったのか、エイジ自身にも分からなかった。

 ただ、この相手は今までのポケモンの常識では決してない。それだけは断言出来る。

(オレの種族名は、ジガルデ。まぁ、そう分類されている、ってだけだが)

「ジガルデ……? 聞いた事もない……」

(秩序ポケモン、って呼ばれているらしい。オレ達は、この世界に危機が及んだ時にのみ活動を許される特殊なポケモンなんだ)

「オレ……達?」

 複数形に疑問符を挟むと、相手は舌打ちした。

(ああ、そこからか。しょうがねぇな。ま、教えるよりもこっちが早い。ガキ、オレの額に触れろ)

 スペードの意匠を持つ額へと、エイジは恐る恐る手を伸ばしていた。触れた途端、四つ足の獣の形状が崩壊し、ゲル状の物体が無数に四散する。

 その光景にエイジは驚嘆していた。

(いちいち驚いてるんじゃねぇよ。説明が先だ)

 エイジの手の上にいる相手がそう告げる。

 掌大になった相手はまるで細胞核のような形状をしていた。目のように見える器官を片目だけ有しており、緑色の半透明な細胞の中に青い結晶が入っている。

 額にはその結晶の青を引き写したスペードの文様があった。

「……どういう……」

(これが、オレの真の姿……というか、大元だな。ジガルデという種族は特殊でね。本来ならばこの掌程度しかないこの姿が全てなんだが、普段はセルっていう殻を身に纏っている。まぁ、人間でいう衣服だとかそういうもんだと思えばいい)

 地面を這い進むセルと呼ばれたゲルにも目がついている。それどころか意思があるかのようにそこいらにばらけている。

「これ……生きているの?」

(どっちとも言えるな。コアであるオレがいないと、こいつらは生きちゃいねぇ。面倒だから纏めて説明するぜ。ジガルデコア、それがオレ達の大元だ。この分散した殻はジガルデセル。このセルってのは全部で94個、存在している。ただし、全部が全部オレのものってワケでもない)

「……ジガルデってポケモンは……たくさんいるの?」

 ジガルデコアは、まぁな、と告げる。

(全部で四体。コアは四つ存在する。それぞれにスートと呼ばれる属性があってな。オレの属性はスペード。他にいるのは、ダイヤ、ハート、クラブの三匹。だがそいつらとオレは決して相容れない。絶対に相手の存在を許容しちゃいけねぇんだ)

「どうして? 同じジガルデなんじゃ……」

 ジガルデコアは思案するように目を伏せた後、エイジの手から机の上に移動し、ペンを操った。

 ジガルデが日誌に書き付けたのは四角形を四つ切にした図である。

(オレ達は四体が四体、それぞれ別の個体だ。そして、それぞれ生まれた時から互いを潰し合うように設計されている。……誰に、とか聞くなよ? オレらにだってそれは分からねぇんだ。ただ、ハッキリしているのは、オレ達は四つの陣営に分かれ、それぞれ陣取り合戦をしている、という事)

「陣取り……合戦?」

(これは体感したほうが分かりやすいな。ガキ、オレに触れろ。そうすりゃ、イメージとしてテメェの脳内に叩き込める)

 エイジはジガルデコアに触れる。すると、今までセーフハウスにいた意識が剥離した。

 途端に意識の身体が宙を舞い、虚空を彷徨う。

 何もない暗礁の闇が茫漠と広がる中、エイジは必死に己を保とうとして、ジガルデコアに制された。

(落ち着けって。ここはイメージの世界だ。重力も何もかも思いのまま。話を続けるぜ。オレ達ジガルデコアはこの世とは異なる次元……位相空間にそれぞれの陣地を持っている。あれを見な)

 示された先にあったのはマス目である。100のマス目の四隅にそれぞれ色が宿り、いくつかは他のマスを侵攻していた。

(色のついたマスは既に相手に取られちまっている。簡単に言えば、四人でやるオセロさ。陣地をいち早く取らないと押し負けちまう。そしてその陣地の証が、さっき分離したセルだ。オレ達、ジガルデコアはセルを集めなければならない。それも他の三匹より多く、より早く、な。セルを纏っているのはそれもある。セルの数だけ、オレ達は姿を変えられる。……だが、今のオレにあるセルはたったの四つ。これじゃ、10%の姿が関の山だ。それも長く維持出来ねぇ。つまるところ、追い詰められるのは必定だった、って事だな)

 イメージの宇宙でエイジはどこまでも広がる闇を見据えていた。青白くぼやけた宇宙はしんと静まり返っている。

「……この陣取りが、僕らに何の関係があるって……」

(詳しい事は、オレも教えられていねぇ。ただ、全ての陣地を制圧し、そして94個のセルを吸収した時、オレ達ジガルデコアに何か≠ェ起こる。そして、その何かってのはどうやらテメェらの世界を脅かす何からしい。だからオレは追われる身だった)

 あの追っ手のポケモンレンジャーを思い返す。簡単に人殺しをしてしまえる瞳に今さらながら怖気が走った。

「陣取り合戦なんて……他所でやってよ……」

(そうもいかねぇんだ。このランセ地方じゃないと、意味がねぇんだと。ま、何でなのかは……)

「分からない、って……? そんなの無茶苦茶だ」

(そう、無茶苦茶だが、ルールはルールだ。その上で、オレとテメェは契約した。見ただろ? オレ達ジガルデの中に内包する宇宙を。追ってくる連中はゾーンとか呼んでいたな。そのゾーンが、飛び切り珍しいみたいでな。追ってくる酔狂なヤツらはゾーン内のエネルギーを欲しがっている。そして、ゾーンはオレ達、ジガルデのコアと、その宿主である契約者しか、基本的に接触は不可能だ)

「宿主……契約者?」

(そうだ。テメェとオレはもう、運命共同体ってワケさ)

 せせら笑った相手にエイジは拳を握りしめて抗議していた。

「冗談じゃない! そんな危ない事なんて、僕には出来ないよ!」

(おいおい……せっかく契約したんだぜ? 今さら危ないとか言っている場合かよ)

「……契約を、じゃあ破棄する。こんな大げさな事に付き合っていられない」

(いいが……テメェの胸元を見な。それでも契約を破棄出来るか?)

 エイジは左胸から左手首にかけて青いラインが走っているのを目にする。スペードのマークが手の甲に現れていた。

 辿っていくと、脈打つ心臓へと接続されている。

(オレの生命とテメェの心臓はもう同位体だ。オレが死ねば、テメェも死ぬ。逆も然り。言ったろ? 運命共同体だって)

 まさか、とエイジは絶句する。そのままよろめいて、空間が元に戻っていた。

 ベッドの上にエイジは腰を落とす。俯いていると、ジガルデコアはセルを取り込み、再び元の四つ足形態に戻っていた。

(ま、運がいいのか悪いのかはさておいて、このゲームからは簡単には降りられないと思うぜ? 何せ、一地方を巻き込んだ争奪戦だ。テメェの身勝手で降りるなんて、まぁ難しいだろうな)

「……じゃあ、他のコアにセルを渡せばいい。そうすれば、お前も僕も解放されるんじゃ……」

(そうもいかなくってね。敗北はつまり、死だ。取り込まれちまったら、もう何もない。死という結果だけさ。それにセルを無暗に譲渡するのはおススメしないぜ? オレは形状を保てなくなるし、それにテメェだって、貴重な戦力を手離す事になる)

「僕からしてみれば厄介者なだけだ」

(果たして、そうかな。ジガルデコアと契約した人間が安穏と暮らせるとは思わない事だな。……にしたって、テメェ、迂闊が過ぎるだろ。何で手持ちが一匹なんだ? 相性上で有利だったからいいものを、もし不利だったら死んでたぜ?)

 ハッと、エイジはモンスターボールを光に翳す。内部で手持ちが変化していた。

 後ろ足で立ち上がる屈強な獣のポケモンだ。垂れ下がった前髪の下で赤い眼窩がぎらついている。

「……まさか、ルガルガンに?」

(まさかも何もねぇよ。何でレベル水準は満たしているのに進化させてなかったんだ。宝の持ち腐れとはこの事だな)

「……お前……何をしてくれたんだ! イワンコだけは……進化させたくなかったのに……」

(テメェの都合なんて知るかよ。やらなきゃ今頃生きてねぇ。それとも、死んだほうがマシだったか?)

「……今となっちゃ、そうも思えるよ」

 そのような厄介ごとに巻き込まれているなど思いも寄らない。エイジは茶髪をかき上げ、天井を仰いでいた。

 何もかもが様変わりしてしまった。たったの一夜で。



オンドゥル大使 ( 2019/05/08(水) 20:49 )