第七話 終焉の王
Z02から命の残滓が消え失せたのを、エージェントKは感じ取っていた。
何が起こったのか、それを判ずる前に、眼前の少年が立ち上がる。先ほどまで恐れに戦いていたとは思えない、押し殺したかのような笑い声が押さえた手の下の口から漏れていた。
「……なぁ、オイ。最高じゃねぇか。この土壇場で、こういうのと出会うってのはよォ。運命って言うんじゃねぇのか? テメェら人間の言葉で言うならな」
「……まさか」
『どうした? エージェントK。何が起こっている?』
エージェントKは無線を切り、少年と相対する。
胸の上で脈打つゲル状の物体が危険信号を伝えていた。
「……お前、まさかコアと……」
「どうした? 殺さないのか? 相手はガキ一匹だぜ?」
エージェントKは唾を飲み下す。もし、自分の想定しているように事態が転がったのだとすれば、この相手は――。
「それとも、ようやく気づいたか? テメェらの尺度で、オレを止められるワケがねぇって事がな!」
少年が面を上げる。髪が逆立ち、青い線が入っていた。明らかに先ほどまでの少年の相貌ではない。
そう、これは――畏怖だ。
感じ取ったエージェントKはケンホロウへと命じていた。
「エアスラッシュ! 頸動脈を裂けぇーッ!」
「――遅ぇ」
少年がホルスターに留めていたボールを地面に転がす。直後に割れた内部から飛び出したのは茶褐色を持つ四つ足のポケモンであった。
獣のポケモンがケンホロウへと飛びかかり、牙で翼を噛み千切る。
血潮が舞い、一撃を許したケンホロウへと追撃の牙が背中へと迫った。
「空を飛ぶ、だ! 急上昇して間合いを詰めさせるな!」
ケンホロウが上空へと瞬時に飛翔する。少年が舌打ちした。
「おいおい、逃げんなよ。楽しもうぜ。せっかくのポケモンバトル……いいや、殺し合いだろうが!」
面影の消え失せた少年の高笑いにエージェントKは叫んでいた。
「ケンホロウ! 急速降下! ゴッドバードを併用してこの場所を塵芥に還す!」
既に布石は打った。風のエネルギーを翼に充填し、黄金の燐光を宿したケンホロウが急降下する。
その単純な物量エネルギーだけで、この一帯は燃え盛るはず。そう確信していたエージェントKは満月へと咆哮するイワンコを目にしていた。
たちまち後ろ足が力強く大地を踏みしめる。前足をだらりと下げ、発達した鬣が前に垂れ下がる。茶褐色であった体色に赤い色彩が混じり、丸っこかった瞳が鋭角的な光を宿した。
狩人の眼だ。
赤い眼光が照り輝き、月下の獣が吼え立てる。
「ルガルガン、か。いいぜ、来いよ。ゴッドバードでもなんでもかまして来い。それでオレに勝てると、本気で思っているのならな」
その余裕にエージェントKはたじろいだのも一瞬。直後には命令を下していた。
「……後悔する! ケンホロウ! ゴッドバードでこの空間を薙ぎ払えーッ!」
舞い降りたエネルギーの瀑布が森を焦土に変えるかと思われた刹那、躍り上がったルガルガンが蹴りを見舞っていた。
その一撃がケンホロウの頭蓋へと叩き込まれる。僅かながら、絶対的な技を放つのには致命的であったのは、ここでのケンホロウとの関係がジェネラルとポケモンではなく、あくまでキャプチャを施した一時的な関係性であった事だ。
ルガルガンが砕いたのは他でもない、キャプチャの際に用いる脳のシナプス。それが最も強く作用するうなじであった。
一撃を与えられたケンホロウの身体からエネルギーが急速に絶えていく。その隙を逃さず、ルガルガンが脚を大きく振るい上げていた。
そのまま打ち下ろされた踵落としがケンホロウの背筋に突き刺さり、その身を地面へと叩きつける。
舞い上がった砂塵の中、少年は口角を笑みに吊り上げていた。
エージェントKはコントロールを失ったケンホロウが混乱状態に陥っているのを認識する。
「……しまった。ケンホロウのキャプチャを……!」
「手ぬるいんだよ。あんなオモチャでポケモンを縛り付けようなんざ。それにこいつは……いい性能を持っていやがる。ルガルガン、かましてやれ」
ルガルガンが降り立つなり、地面へと拳を叩き込む。捲れ上がった岩石へとルガルガンが拳の応酬を浴びせていた。
岩を砕き、一個一個が無数の刃となってケンホロウとエージェントKへと襲いかかる。彼は咄嗟に叫んでいた。
「ケンホロウ! 風の皮膜で防御を――」
「防御は無理だぜ? ルガルガンの特性を、オレの能力で暴いた=Bこいつの特性はノーガード、攻撃は必ず」
刃の嵐がケンホロウへと殺到し、エージェントKの身体を突き破っていく。岩の剣は正確無比にエージェントKとケンホロウの命を啄んでいた。
「命中する。死ぬ前に分かっただろ? 何で連中がオレを躍起になって追うのか、をな」
膝を折ったエージェントKへと少年が歩み寄っていく。抵抗するだけの体力も残されておらず、彼は力なく顔を上げていた。
少年は喜悦に表情を滲ませ、エージェントKの胸元に手を伸ばす。
瞬間、纏いついていたゲル状の物体が少年の腕を伝っていた。そのまま胸元へと吸収され、青い光が瞬く。
「……セル一個分か。まぁ、ねぇよりかはマシだな」
「お前は……何者なんだ……」
先ほどまで脳内を満たしていた昂揚感は消え失せていた。代わりに死の足音が実感を持って近づいてくる。
少年がこちらの前髪を掴み上げ、見開いた眼で見据えた。
「分かり切った事聞いてんじゃねぇぞ、クズが。オレはこの世界を終わらせるものだって、教えられたはずだろうが」
「お前、は……」
「ただ、冥途の土産に教えておいてやるよ。オレの最終目的を。オレの志すのはただ一つ。――世界征服。それがオレの、たった一つの望みだ」
突き飛ばされた瞬間、牙を剥いたルガルガンがこちらへと飛びかかっていた。
血潮が舞う中、少年は満月を睨む。
「……いい夜だ。覚醒にはもってこいの、な」
本部基地にもたらされた情報は大きく二つ。
一つは放ったエージェントの反応がロストした事。そして、もう一つは――。
「……室長。Z02の反応が……」
「ああ、モニターしている。遂に……最後のジガルデに宿主が決まってしまった……」
この事実の意味するところを、本部施設にいる人間ならば誰しも分かっているはずだ。サガラは拳を骨が浮くほどに握りしめる。
「……始まるのか。この世界を賭けた最大のゲームが」
本部の大型投影装置にはスペードのスートが映し出されている。その青い瞬きをサガラは睨み上げていた。忌むべき敵、そしてこの世界を終わらせる「Zの導き手」。
「……Z02、追跡に当たっていた全人員に告げる。これより、Z02……正式名称、ジガルデの完全なる殲滅を命令する。これは決定事項だ。進めてはいけない、奴は、ポケモンにとっても人間にとっても……最大の敵となるだろう」
その想定にただただ苦味を噛みしめるのみであった。