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第一章 邪帝降臨
第六話 契約の刻

「キャプチャ、オン」

 スタイラーを稼働させ、レンジャーは突撃に入ろうとしたポケモンをキャプチャしていた。

 レベルの高い飛行タイプの鳥ポケモンだ。図鑑を取り出してその名称を紡ぐ。

「ケンホロウ……。ランセ地方には進化系のポケモンが生息図を無視して乱立しているな。こんな辺境の森にまさか、最終進化がいるなんて」

 能力値を参照し、レンジャーは本部へと繋ぐ。

「こちら、エージェントK。ポケモンをキャプチャした。この場所で間違いないのだな?」

『本部より。Z02の空間移動の痕跡を確認したところ、その森が最も出現率が高いと算出されました。手持ちは……』

「相手は地面タイプだ。飛行なら優位を取れる」

 それに、とエージェントKは前回の事を思い返していた。一瞬で無力化された。あの敗北を思い返すだけで怒りに我を忘れそうになってしまう。

 それもこれも、組織に「あの処置」をされてからだ。

 エージェントKは胸元で脈打つ、ゲル状の物体をさすっていた。鼓動と同期し、血脈をたぎらせている。

 細胞膜のような姿の内側に本体があり、それが身体に吸着しているのだ。

 物体より声が脳内に反響する。

 ――壊せ。敵を倒せ、と。

 今まで感じた事のない酩酊感と闘争心であった。身を任せると心地よい。自分はトップレンジャーとして、感情を抑制する術に長けていたはずなのに、今ならばその楔を解き放ってもいいと思えるほどだ。

 それほどまでに、この物体の言葉は耳心地がよかった。

「ケンホロウで夜を待つ。それにしたところで、ランセ地方はもっと辺境地かと思っていたが……すぐそこに町があるのだな」

 端末のタウンマップに呼び出した町の名前は「ハジメタウン」。森の他に特筆すべきものは町の中央に陣取る巨大な風車であろう。

 穏やかな風の流れる町だ。情報によれば、この町は他の地方で言う「始まりの町」なのだと言う。

『町の市民には勘付かれないよう留意を願います。当然、目撃者は』

「分かっている。消せばいいのだろう?」

 これも、おかしいと感じてはいた。自分はあくまでレンジャー。トレーナーでもなければ、この地で言うジェネラルでもない。

 それなのに、相手を今ならば迷いなく消せる。その確信がある。

 どうしてしまったのだろうか、と己に問い返したが、そんなものは些事だ、と答えが返ってきた。

 ――ただ壊せ。何もかもを破壊せよ。

『ミッションを開始してください。これより六時間以内にその森にZ02が出現します。予測範囲を送信。範囲内における制圧権をエージェントKに譲渡します』

「了解。なに、こっちはトップレンジャーだ。すぐに終わるさ。Z02……」

 いや、と改めて教えられたその姿を脳裏に描き、彼は正式名称を口にしていた。

「ジガルデ……王の器」











 ゴーゴートの治療は自分が思ったよりもうまくいったらしい。既にその姿はあのアーチの空間にはなかった。最適な水辺を見つけたのだろう。走り続けていたのならば喉が渇いていたはずである。

 エイジは花園までの最短ルートを辿っていた。

 背の高い草むらを抜けようとすると、そこいらで生傷を作る。それでも前に進み、ようやく開けた空間に出る。すると、色とりどりのバタフリー達が乱舞していた。

 彼らの生息域は限られており、決まった時間に決まったように寄り集まる。

 エイジはその中にまだら模様の翅を持つバタフリーを発見していた。要観察対象として、手記をつけている個体だ。メモを取り出し、今日の状態を仔細に観察する。

「健康状態は問題なさそう。でも、エサが少ないのかな。ちょっと羽ばたきが弱い気がする……」

 それでも出来るだけ普段の営みには干渉しないのがエイジの流儀であった。エサは本当に餓死寸前のポケモンにしか与えない。いたずらに与えると他のポケモンがそれを真似して自分でエサを取れなくなってしまうからだ。そうなれば森全体の生態系に関わってくる。

 自分はあくまで傍観者。観察者としてのスタンスは崩してはならない。

 エイジはいつも通り、十六匹のバタフリーがいる事を確認していると、そのうち一匹が何かを隠し持っているのを目にしていた。

 窺うと楕円状のものが視野に入る。

 あっ、と声にするとバタフリーの群れが一斉に羽ばたき、エイジの目を眩惑した。花畑が風に舞い、風圧が草花を吹き飛ばす。

 風がやんでから、エイジは微笑んでいた。

「……タマゴ、か。また新しい命が生まれるんだなぁ……」

 感慨深くそう口にして、バタフリー達の去った花畑を後にする。こうして自分の関知せぬ間にポケモン達が増えていくのもまた楽しみの一つでもあった。

 帰路に位置するのは木製のログハウスだ。かつて父親が作った観測所であり、今は自分のセーフハウスになっている。

 家に戻るよりも、森の中の小屋に戻ったほうが落ち着くのだ。

 木の扉を開けると、忍び込んでいたコラッタが一斉に駆け抜けていった。特段、ポケモン除けの仕掛けは施していないため、こうして野生が雨風を凌ぐために根城にするのはよくある事であった。

 父親が言うのには、それも一つの営みなのだと言う。

「……人とポケモンが境目なく分かり合える、か。でもそれは、理想論だよ、父さん」

 木造の机の上に荷物を広げ、エイジは今日の観察日誌をつけていた。迷い込んだゴーゴートに、バタフリーのタマゴ。それに他のポケモン達の状態。それらを一日たりとも逃さずに書き連ねている。

 誰かに褒められるためではない。ただの自己満足だ。それでも、この日課を欠かさないのには理由があった。

 スクールでジェネラルレベルが低いと罵られても、それでもこれだけは欠かすわけにはいかないのだ。ポケモン達の息遣い、生物としての感触。それらが自分に伝えてくるのは、ポケモンもまた一種の生物としての根幹――ルールが存在し、自分達の理で動いているという事実である。

 それをいつの間にかヒトが冒してしまった。このハジメタウンの森が多種多様なポケモンの生態系に優れるのは、領分を守っているからである。

 ポケモン達の引いた線以上に踏み込んではならない。

 それが鉄則であった。

 しかし、とエイジはここ数か月の変化に目を留める。スクールでの課外授業にも使用されるため、この森にも人の手が入るようになってしまった。

 そのせいかは分からないが、少しずつ生態バランスが崩れ始めている。

 いたはずのポケモンが翌週には姿を消している事も多くなった。

「……嫌だな。どんどんポケモン達が住みづらくなっているなんて」

 それも人のエゴで。嘆息をつき、エイジは外を見やる。陽は沈み、森はすぐに夜の顔を見せる。

 ハジメタウンはそうでなくとも日の入りが早い。森に住まうポケモン達は既に夜の様相を呈している。

 夜に出歩くのは危険だ、と経験則で知っていた。イワンコを連れ歩いていても、それでも思わぬポケモンに出くわす。夜行性の凶暴なポケモンには手を出すべきではない。

 無論、防衛手段は心得ているが、それも成功すればの話。

 昼間のゴーゴートへの攻撃が逸れたのを、苦々しく思い返していた。

「……ストーンエッジの精度が悪いわけじゃない。でも、どうしてだか当たらないんだよな……。やっぱり、見透かされているのかな。イワンコにも」

 戦いたくない、という自分の思いが。秘めたる心がポケモンには窺えるのだ。彼らなりの何かが人の潜在意識を読み取るのかもしれない。

 いずれにせよ、ポケモンのほうが随分と人間より繊細だ。

 エイジはイワンコの戦術バランスを講じていた。「ストーンエッジ」を主軸に置くにしたところで、もう一手欲しい。

 確実な手段としてみれば、副次的な技を保持すると言ったところだろうか。

「岩石封じ……噛み砕く……ステルスロック……、どれも現実的のようで、ちょっと違うんだよな……。それに、あんまり攻撃に振ったところで僕は……」

 戦いたくはない。一つ深いため息をついたその瞬間であった。

 ログハウスを激震が見舞う。思わぬ衝撃にエイジはよろめいていた。

「地震? ……いや、何だ、この揺れと……」

 直後に轟音が響き渡る。明らかに平時の代物ではない。窓から顔を出すと、森の中央が淡く光り輝いているのが視界に入った。

「……森の中央に、隕石でも落ちたのか……?」

 確証はない。だが、それでも確かめなければならないだろう。森の生態バランスが崩れてからでは遅いのだ。すぐに支度を済ませ、エイジはホルスターにイワンコのボールを留めた。

 ログハウスを飛び出し、最短ルートを辿ると煤けた風が周囲を満たしている。隕石、というのはほとんど冗談のつもりだったが現実味を帯びてきていた。

「……頼むから、厄介な事にはなってくれるなよ……」

 口にしてエイジは光り輝く軌跡を目にしていた。光の曲線が描かれ、地面を滑走する。その速度と独楽のような形状はスクールで教えられていた、ポケモンレンジャーの専門装備、スタイラーに酷似している。

 そのスタイラーが追跡しているのは、漆黒の獣であった。木々を跳躍し、駆け抜けるその速さは尋常ではない。加えて、エイジはその対象が普通のポケモンにあるような気配を全く帯びていない事に気づいていた。

 まるで無機質のような冷たさを感じさせる疾駆の獣へと空中より一直線の降下攻撃が見舞われる。

「辻斬り!」

 弾けた声の主は赤い服飾を纏っている。その意匠はまさしくポケモンレンジャーのものであったが、どうしてここに? という思いが勝っていた。

 ハジメタウンの森には何の異常もないはず。ただ一つ、イレギュラーがあるとすれば、追っている謎の対象だ。

 エイジはその対象と攻撃を交わし合う飛行ポケモン、ケンホロウを交互に見やっていた。

 ケンホロウはプライドポケモンという異名を持つ。闘争になればその攻撃から逃れる事は難しい。

 そのためか、黒い相手は攻撃をさばき切れず、ケンホロウの放った風圧の刃を身に受けていた。

「エアスラッシュ!」

 黒い獣が声にならない叫びを上げて地面に落下する。エイジは咄嗟に草むらの中に身を隠していた。

「手こずらせやがって……。こちら、エージェントK! Z02を確保する」

 どこかに連絡しているのか、ポケモンレンジャーが歩み寄っていく。漆黒の対象は何度も立ち上がりかけて、その身体からゲル状の血潮を垂らしていた。

「セルがもうないんだろ? それなのに、10%の状態で動き回りやがって。ちょこまかと……目障りなんだよ!」

 レンジャーが獣の腹を蹴りつける。その行動にエイジは目を瞠っていた。ポケモンレンジャーがポケモンを傷つけるなど言語道断のはず。それが目の前で展開されている事に驚きを隠せない。

 黒い獣へとレンジャーがスタイラーをセットしようとする。軌跡がじりじりと描き出され、円弧がゆっくりと黒い獣から自意識を奪っていくのが窺えた。

 エイジは草陰よりそれを凝視する。すると、獣の白濁した眼窩と視線が合ってしまっていた。

 あっ、と声にしかけたその時、脳内に言葉が残響する。

(……ガキか。しくったぜ、クソッ。こんなところで、終わって堪るかよ。しかし、セルを使い過ぎたな……。ゾーンを開くだけのセルも残っちゃいねぇ……。……この際、選り好みはしていられねぇな)

「……この声は……君が?」

(ああ、そうだ。なぁ、ガキ。テメェもこれを見ちまった以上、逃がされやしねぇぞ? 皆殺しにしろってこいつは命令されてんだ。それに、こいつにはセルがついている。大方、証拠を隠すためにこの森も、近くの町も焼かれるぜ? それでいいのか?)

「何を……何を言って……」

「……そこに誰かいるのか?」

 こちらに気づいたレンジャーに、しまったと慌てて身を隠しかけて、ケンホロウの翼が草むらを掻っ切っていた。

 露になったエイジは腰を抜かしたまま、後ずさろうとする。

 レンジャーは冷淡な声音で口にしていた。

「子供、か。しかし目撃者には違いない。ケンホロウ、せめて苦しませないように一閃。それでケリがつく」

 まさか、と息を呑んだ刹那にはケンホロウの迷いのない空気圧の刃がすぐ傍の地面を切り裂いていた。

 その時になって状況判断が追いついたのか、どっと汗を掻く。

 呼吸困難に喘ぎ、四肢が硬直していた。

 ――ここから一歩も動けない。

 そんな状態なのにケンホロウが翼を研ぐ。恐らく一撃で首を落とすつもりだろう。

(おい! ガキ! 分かっただろう。こいつはテメェだけじゃねぇ! 皆殺しにするつもりだ! 殺されたくなけりゃ、言う事を聞け! オレならギリギリで助けられる!)

「……う、嘘だ……。レンジャーが人殺しなんて……するわけ……」

 歯の根が合わない。それでも、現実を受け入れられないエイジに、黒い獣が力を振り絞っていた。

 液状の何かが浴びせられ、電撃的にビジョンが脳内を駆け巡る。

 それはこのポケモンレンジャーが辿るであろう、破壊の未来であった。

 町は焼かれ、人々は蹂躙される。見知った者達が、この男一人に嬲り殺される。

 その中にはリッカも――。

「今の……は……」

(分かっただろ、これがヤツらのやり口だ。テメェだけ死ぬんじゃねぇ。全員死ぬ。それを止めたきゃ、オレに力を貸せ。終わりたくねぇんだろ、テメェも)

「……セルで意識を伝達しているのか。悪足掻きを!」

 ケンホロウの翻した翼の一閃が黒い獣の腹腔を掻っ捌いていた。腹部が割れ、何もない空虚な腹腔が露になる。

 意識を伝う声に舌打ちが混じっていた。

(……こいつぁ……参ったな。オレの意識も限界が近ぇ。さすがにコアを破壊する事はないだろうが、それでもセルは残り一割未満……。強硬策だが、仕方ねぇな。ガキ、オレと契約しろ。ただ一言でいい。オレに委ねると言え)

「子供だからと言って温情を与える気はないし、逃がすなという命令だ。それに……何故だか分からないがとても昂揚していてね。人殺しというものは縁遠かったはずなんだが、今ならば何でも出来そうなんだ」

 不気味に口角を吊り上げたレンジャーにエイジは息を呑んでいた。その間にも意識の声が脳内に残響する。

(早くしろ! オレと契約するんだ! そうすればここでは死なずに済む! それとも! テメェ、死んでもいいとか思ってんのか!)

 その言葉にハッとする。

 死んでもいいのだと、どこかで思っていた。諦めていた。どうせ、最底辺だ。多分、死ぬまでそんな場所を彷徨うのだと。

 それはいつからなのだろうか。

 ジェネラルレベルが2だと告げられてから? 森に入り浸ってから? それとも――あの日、父親が自分を置いて立ち去ってから――?

 ――この世は選択の連続なんだ、エイジ。だから父さんは、ここで一つの選択をする。お前を、連れてはいけない。

 自分は選ばれなかった。選択の対象に入らなかった。だから――要らない命、要らない子供なのだ。

 だから自分は……。

(選べ! 選択権はテメェにある! 選び取って、勝ち取れ! ガキ!)

 勝ち取る。その言葉がどうしてだろう。

 この時、自分の胸の中を、久しく高鳴っていなかった鼓動を、脈打たせたのは。

 エイジは手を伸ばす。意識の中で無数のビジョンが脳内に注ぎ込まれた。

 星々の瞬き、人々の刹那の命の輝き、この世界の創造と破壊。そして、Aに始まり、Zに終わる宇宙の理。

 光の人影が自分へとそっと手を伸ばしている。

 エイジはその手を意識の中で取っていた。

 ――契約は成された。



オンドゥル大使 ( 2019/05/01(水) 10:54 )