第五話 痛みの代価
「Z02の追跡レポート、読んだか?」
差し出されたコーヒー缶にサガラはふんと鼻を鳴らす。
「随分と仕事が早いじゃないか。いつもらしくない」
「まぁ、そう言うな。今回はレンジャー二人の協力に、それに現場に残された大量のセルが大きい。セルからZ02の追尾は可能だ。それに、何人かに適合試験を試したんだと」
プルタブを開ける相手にサガラは缶を受け取って一気に呷っていた。
「……適合試験か。セルならそれほど難しくはないだろう」
「で、数名の適合者が生まれたから、そいつらへの教育……という名のいつも通りの洗脳だな。一人は前回の作戦で使ったレンジャーの片割れだ。協力的でね。女レンジャーのほうはビビッて案件から引き上げたみたいだが、まぁ、無知は助けになるってな」
「挽回の意味もあるのだろう。レンジャー勤務の連中はプライドだけは一級品だ」
手元で缶を弄び、サガラは頭上を仰ぐ。地下施設の天井は高めに設定されており、青白い蛍光灯が輝いていた。
「まぁ、皮肉ってやるなよ。戦力には違いない。それで、だ。Z02の追跡任務に際して、お前の指揮を上は求めているようだが、どうだ? 執行部に来ないかって誘いだよ」
「生憎だが、今の職務が板についているのでね。執行部の領分じゃない」
相手はははっ、と笑ってから、だよなぁ、と頷く。
「お前はそういう奴だよ。だが、別段、左遷ってわけでもないんだぜ? ザイレムにいる以上は機密に触れないといけない。どこの部署だって必死さ。それに、Z02の再出現に対して一番の優位を取れる。お前からしてみりゃ、何回も煮え湯を飲まされた相手だ。捕獲作戦くらいは参加したいってのが心情だろ?」
「Z02を甘く見るな。管轄が変わったからと言って、捕まるような相手じゃない」
「それも経験則、かねぇ。ま、いずれにしたってキャプチャではなく、Z02へと強硬策が取られる事になった、ってのは言っておくぜ。無傷で捕えるってのは無理って判断だな」
立ち去り間際の相手へとサガラは呼び止めていた。
「オオナギ執行部部長。お前はどう考えている?」
振り返った相手――オオナギは目を見開いていた。
「……久しぶりに名前で呼ぶじゃねぇの」
「考えを聞きたい。あれは御せるかどうかを」
何度も取り逃がした。その度にお歴々からの叱責が飛ぶ。だがそれでも、自分をこの地位から外さないのは、Z02への有効打を分かっているからに他ならないはず。
室長勤務としては失格かもしれないが、Z02へかける執念は買われているのは感じ取っていた。
オオナギは顎をさすって応じる。
「制御可能か、って論点で言えば、まぁ難しいんだろうな。クラブのスートの前例だってある」
「それを加味して、奴を捕まえて、ではその後はどうする? また適合者探しか? ……今度は何人犠牲にするつもりだ?」
上は焦っている。すぐにでも適合者を見つけようとするだろう。しかし、相手が容易くないのは彼らが一番に理解している。それでも、強硬策に出るのだろう。
それだけが望みだと信じ込んでいるからだ。
オオナギは慎重な議論だと感じたのか、周囲へと目を配る。人目はない。
「……これは俺の考えだが……Z02の側にも何かしら焦りがあるんじゃないか? ゾーンを見れば、あれが最後のスートだってのは証明されているんだろ? だったら、宿主を探すはずだ。どこかにいるかもしれない、ジガルデの適合者を、な」
「相手も焦っている、か。だからセルを消費してでも、こちらの手に渡るのを防いだ」
「コアにとっちゃセルは生命線だろ? それを使ってでも逃げるってのは、やっぱり何か考えがあるんだろうよ」
「考え……ポケモンに考えなど……」
そこで断じかけて、否、とサガラは思い直す。Z02のこれまでの行動と状況把握、いずれもただのポケモンの枠で収めるにしてはあまりにも……。
「まぁ、ここで俺らみたいな人間が議論したってしょうがないさ。どこかで誰かが考えてくれているだろ。今は、まず結果を待とうぜ」
「結果、か……」
畢竟、そこに集約される。結果を求めるしかない。自分達には、その程度しか出来ないのだ。
「このランセ地方じゃ、昔っからそうだったみたいだからな。結果、勝利、まぁ、エトセトラ。勝てば官軍って言葉もあるだろ? 荒れくれ者はさすがに淘汰されたが、それでも根っこの考えってのは変わらないもんさ」
「せいぜい、五十年余りの近代歴史、か。どうして、Z02を含め、ジガルデはこの地方に現れた? ここでなくともいいはずだ」
「カントーやジョウトじゃ、睨みを利かす怖い機関がたくさんあるからな。俺らとしちゃ動きやすいが」
「……やはり、ゾーンか」
その結論にオオナギは肩をすくめる。
「陣取り合戦には打ってつけってわけだ。ランセのこの場所が」
だが、とサガラは缶を握りしめていた。
――そのためにどれだけの犠牲があったか、せめて知らしめられれば。
その思いは直後には霧散しているのだった。
「言われた通りにするってのは、従順じゃねぇか」
最新型のホロキャスターをいじっていたのは、大柄なクラスメイトである。他の取り巻き達もどこか下卑た笑みを浮かべていた。
「最底辺。授業抜け出して森に行くにしちゃ、抵抗も出来ないんだな」
「……ジェネラルレベルが全てじゃない」
抗弁にクラスメイト達から笑い声が響いた。
「こいつぁ、傑作だ! このランセ地方においては、ジェネラルレベルが全て! 結果が全てなんだよ! そんな事も分からねぇから、いつまでもレベル2を彷徨ってやがる!」
大柄なクラスメイトに突き飛ばされ、エイジは尻餅をつく。それでも何か抵抗する気も起きなかった。
それを目にして彼らは侮蔑の眼差しを向ける。
「何にも出来やしねぇ。せめてポケモンで打って来いよ。返り討ちにしてやらぁ」
「……ポケモンは、そんなためにいるんじゃない」
「綺麗事なんざ、うんざりなんだよ! いいから、打って来い! 力の差を見せつけてやる!」
大声になったクラスメイトに、エイジは土を払いつつ冷静な声を出していた。
「……リッカに用があるなら直接言えばいいだろ。僕を倒したってリッカは振り向かないよ」
それが相手の逆鱗に触れたのか、顔を真っ赤にしたクラスメイトが取り巻きを払う。
「うるせぇぞ、最底辺! やられてぇのか!」
「……呼ばれたから来ただけだし、僕を殴りたいのならそうすればいい。それで気が晴れるんなら、それでいいよ」
「ポケモンバトルの一つや二つも出来ないってか? 腰抜けが!」
「……腰抜けでも何でもいいよ。僕は森に行かないと。怪我をしたポケモンもいるし、この時間帯ならちょうどバタフリーの群れが見られるんだ。それも見ておきたい」
「俺とのバトルよりそんな下らねぇ事のほうが上だって言うのか! 俺の話にノーだって言いたいんだな、最底辺!」
「……何もそう言ってないだろ。決めつけで……」
「うるせぇぞ! 行け! ゴローニャ!」
飛び出した巨体にエイジは嘆息をつく。そのデータをそらんじていた。
「ゴローニャ。岩・地面タイプ。レベルは見たところ45。メガトンポケモンの異名通り、力強い戦法を得意とする……」
「ナマ言ってんじゃねぇ! 俺のゴローニャ嘗めてると怪我するぜ。ステルスロック!」
ゴローニャが周囲へとばら撒いたのは不可視の岩石であった。浮遊するそれが周囲を取り囲む。
「……逃がさないためにわざと? 別に逃げる気はないのに」
「いちいち癇に障る……! ゴローニャ! ヘビーボンバー!」
ゴローニャの体躯が躍り上がり、エイジへとそのまま真っ逆さまに落下する。その体重を利用した物理技「ヘビーボンバー」。エイジは逃げようとは思わなかった。
逃げたところで背後には「ステルスロック」の罠。それに、逃げおおせればこのクラスメイトの溜飲は下がらないだろう。
なら、ここでちょっと怪我をする程度で、気が済むのならそれで――。
そこまで考えていたところに、割って入った声があった。
「フローゼル! ハイドロポンプ!」
水の砲弾が落下途中のゴローニャを押し飛ばし、躯体へと水を染み込ませる。効果は抜群の攻撃にゴローニャとクラスメイトが瞠目する。
「……クラス委員が」
「こんな場所でポケモンバトルはご法度でしょ! 弱い者いじめはあたしが許さないんだから!」
フローゼルに対し、ゴローニャは相性が悪い。すぐさま赤い粒子となってモンスターボールに戻されていた。
「……覚えていろ、最底辺」
捨て台詞を吐いて一同が立ち去っていく。それを見届けてから、リッカは腰に手を当て、声を荒らげる。
「呆れた! 何でイワンコを出さなかったの! やられていたのよ?」
糾弾されてもエイジは特に言う事はない。
「だって……こんな人間同士のしがらみになんて出したんじゃ、ポケモンがかわいそうだよ」
「何のための手持ちよ! こういう時の自衛手段でしょうが!」
「自衛って……。別にあれを食らっても死にはしないよ。ヘビーボンバーくらいなら、あっても骨がちょっと折れるくらいで……」
「だから! その認識が変だって言ってるの! イワンコで防衛出来た! あんたのジェネラルレベルじゃ、確かに勝てるかは分からないけれど、でも戦いもしないで……!」
よほど信じられないのだろう。目に涙さえも浮かべたリッカにエイジは醒めた様子で返していた。
「……相当、ヤケに見えたっていうのなら謝るよ。でも、勝ち負けってさ、そんなに重要かな。だって、こんな場末で戦ったって、何もないじゃないか。イワンコにも悪いよ。僕みたいなのの自衛に使われるなんて」
その言葉から先を遮っていたのは、リッカの張り手であった。乾いた音が校舎裏に響く。
「……痛いよ」
「バカ! バカじゃないの! あんたがどう思おうが、それって結局、自分の事を軽んじているだけじゃない! そういうの、大ッ嫌い!」
「……嫌いになるのなら好きにすればいい。僕は森に行くから。ゴーゴートの怪我が心配だし」
頬が痛みにひりつく。それでも、ここでリッカの言葉通りに何かを受け止める気にはなれなかった。
彼女は身を翻す。
「……そうやって自己犠牲になっている気分に浸って……。あんたってやっぱり、最底辺」
走り出してしまったその背中に、何も言い返せなかった。いや、言い返す気も起きない。
最底辺なのは事実だし、それに別段、戦いに拘泥するのも馬鹿馬鹿しいだけだろうと思っていたからだ。
「……でも、戦って誰かが傷つくくらいなら、僕が一人だけで傷つけばいい。そうじゃないか。だって、この手が誰かを傷つけるよりもよっぽどいい」
そう思っていた。思い込む事でしか、自分を保てそうになかった。