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第一章 邪帝降臨
第十話 エイジとダムド

(そんな……! じゃあここから離れなくっちゃ……)

「いや、その判断は逆だぜ」

 思わぬ返答にエイジはうろたえてしまう。

(何で……! セルが来るって言うのならお前がいなければ……)

「バカ野郎。この状況を見ろよ」

 口角を吊り上げたジガルデコアは周囲を見渡す。強盗事件に端を発したのか、ハジメタウン中の人間が固唾を呑んで見守っている。

「……人間ってのはバカに出来てやがる。一匹が凶行に駆られりゃ、そいつを見に野次馬が数十人規模……。もし、こいつら全員にセルが宿れば……。考えるだけで笑えてくるぜ。一気にオレの占有するセルの陣地はデカくなる。ここは何もせず、連中にセルが勝手に宿っていい餌になってくれるのを待つんだ。賢い方法ってのはそういう事さ。どうせ、一匹ごとの戦闘力なんてこんな場末の町だ、高が知れてやがる。こういうの人間の言葉じゃ、一挙両得とか言うんだったか? それとも一攫千金か? まぁ、どっちでもいい。待っているだけでセルが来るなんてオレは出だしからツイてる」

 思わぬ答えにエイジは言い返していた。そのような事を許せばハジメタウンの人間は他ならぬ自分の手で皆殺しにされてしまう。

 先ほどの五人組の末路が脳裏に浮かんだ。ジガルデコアは容赦を知らない。きっと、全員から巻き上げられるだけ巻き上げるだろう。

 相手が死のうと構わずに。

(やめろ! そんな事はさせない!)

「させない、だぁ? だったらどうするよ? いずれにしたって、人は死ぬんだぜ? 中の強盗の様子は分からないが、オレのスートが憑いているんだ。凶暴性は折り紙つきだろうぜ」

 ジガルデコアに取り憑かれた自分自身がまるで制御が利かないのだ。その言葉は自然と説得力を帯びていた。

 だが、とエイジは頭を振る。こんなところで、何もせずにいるしかないのか。みんながジガルデの身勝手な理由で死ぬのを是とするのか。

 その時、声が響き渡った。

「リッカちゃんが……! エイジ君、あの中にリッカちゃんがいるの!」

 先生の声に警官達が抑え込む。エイジは内側で震撼していた。

(リッカが……?)

「リッカ? 何だ、それ。つまんねぇ事、言ってんじゃ――」

 その言葉が阻まれる。地面に転がっていた鋭いコンクリート片を手が掴み、自らの首筋にあてがっていたからだろう。ジガルデコアは沈黙を挟む。

「……オレの支配を」

(ジガルデコア、これは取引だ。僕の身体くらいなら、いくらでも貸す。貸してやる。その代わり、これは絶対だ。絶対に、なんだ! 僕の前で人殺しだけはさせない! それは僕の中の絶対だ!)

 ジガルデコアは首筋に向けられた石を反対側の手で退けようとするが、エイジは退かなかった。絶対に、ここでは屈しない。その思いが身体を支配するジガルデコアの神経を上書きしている。

「……右手だけの抵抗で何が出来る」

(じゃあ逆に聞くが、このまま右手で首を掻っ切ってもいい。そうすると困るのは誰だ? 僕の命とお前の命は等価なんだろ?)

「……こんなつまらねぇ問答で死ぬ気か?」

(お前にとってはつまらなくっても僕にとっては絶対なんだ)

 退かない、退くものか、という意思が伝わったのか。それとも時間を弄するだけだと判断したのか、ジガルデコアは舌打ちしていた。

「……契約者をこんなに早く死なせるとまた連中に追われる身だ。オレの現状のセルはたったの四個。ここで死ぬとそれもおしゃかになる。いいぜ、聞いてやるよ。ただし、取引って言ったな? 本当にこの身体、オレの好きに使うぜ? テメェの言う通りに事が進むのは今回だけだ」

 その言葉に嘘偽りはないとエイジは感じ、右手からコンクリート片を手離す。ジガルデコアは鼻を鳴らしていた。

「……で、どっちにしたってオレはチャンスをふいにするつもりはねぇ。銀行強盗のセルはいただく」

(それは僕も同意だ。暴きの性質なんて、野放しには出来ない)

 少なくとも被害が今以上に拡大する前に、自分一人でも対処すべきだろう。エイジは考えを巡らせる。

 その間にもジガルデコアは前に進んでいた。止めに入った警官をジガルデコアは人間の膂力とは思えない力で引き剥がす。自分の両腕にセルが宿り、筋肉を何倍にも引き上げていた。

 吹き飛ばされた大人達が呆然とこちらを目にしている。エイジは言葉を失っていた。

「……セルを手に入れるには強盗とやり合わなきゃいけねぇ。ガキ、視力を拡張する。中の様子を見てみろ」

 不意に視野が何倍にも拡大される。これもセルの力なのか、とエイジは圧倒されつつ映った視界の中に氷ポケモンを引き連れている強盗を発見していた。人質は全員、下を向いて座らされている。

(あれは……バイバニラか……。氷タイプのポケモンだ。イッシュで目撃例が最初にあって、二進化ポケモンで……)

「余計な情報はいい。氷単一か? それとも複合か?」

 エイジは脳内にバイバニラの情報を呼び起こす。何度も父親が家に遺していったポケモン図鑑を読み漁った。現状のポケモン図鑑に掲載されている情報のままならば、とエイジは口にする。

(氷単一……。でもレベル50は超えているはず。技構成までは分からない。でも一つだけはハッキリしている)

「何だ? 言ってみろ」

(特性だ。バイバニラの特性は三つある。そのうちの一つ、雪降らしなら今頃銀行の中に雪が少しでも積もっているはず。だったら、特性は残り二つのうち、どっちか……)

「ゆきふらし」の特性個体ならばあられが発生し、バイバニラの周囲を覆っているはずだ。それなのに、バイバニラの体表からは冷気は発生しているものの、あられは見られない。

「……へぇ。テメェ、ポケモン博士か?」

(……ただの図鑑オタクだよ。でも、危険だ。バイバニラの特殊攻撃力は高い。直撃を受ければ――)

 そこまで口にしてジガルデコアは駆け出していた。思わぬ行動にエイジは狼狽する。

(何をやってるんだ! 強盗の眼がこっちに……)

「それでいいんだよ。オレだけに注目させていりゃ、足元までは見えづらいだろ?」

 エイジは靴裏が何かを踏んだのを遅れて認識する。足蹴にしたのは、紛れもなく――。

(……だとしても、撃たれるぞ!)

「おい、そこのガキ! 何近づいてきてやがる! バイバニラ、ぶっ潰せ! 冷凍――」

「撃たれる前に、先手が起動する。三秒だ」

 駆け出してからちょうど三秒。突然に別移動を始めたもう一つの標的に強盗は困惑する。

「ルガルガンだと……いつの間に出してやがった……」

 まともな繰り出し方ではない。転がしたボールを踏みつけて強制起動させ、そのタイムロスを計算に入れて相手の視線を釘付けにした。

 当然、バイバニラは標的を決めかねている。この一瞬の迷いを無駄にするジガルデコアではない。

「ルガルガン! 地面を抉り飛ばせ! ストーン――エッジ!」

(ストーンエッジは命中しない! この距離でも……)

 今までの自分の経験則だ。ここぞという時に「ストーンエッジ」は決まってこなかった。

 だが、ジガルデコアは諦めた様子はない。

「いや、命中するぜ。ルガルガンを信じろよ」

(信じる……)

 久しく感じていなかったものだ。ポケモンを信じ、自分の腕を信じる事。当たり前でありながら、自分には最も縁遠いのだと思っていた。

 ルガルガンが地面を叩き、浮かび上がった岩石へと拳の応酬を見舞っていた。砕けた岩石が散弾となり、バイバニラへと殺到する。

 しかし、何の手も打たないバイバニラと強盗ではない。

 突然に大気の温度が下がり、氷点下の冷気がバイバニラの体表より浮かんで突風を編み出した。否、ただの辻風ではない、これは……。

(吹雪、だ! 凍結して死んでしまう!)

 この距離では避けようもない。相手の凍結攻撃に晒されるかに思われた瞬間、「ふぶき」の皮膜が岩石の弾丸を弾き上げていた。

 そのうち一つの鋭い岩石が天井を破る。直後、発生したのは水滴であった。

 噴射した水の勢いに強盗が天を仰ぐ。

「スプリンクラーを……」

「起動させた。弾かれるくらいは想定内だ。銀行内部にはスプリンクラー発生装置がある。そんでもって、テメェは今、吹雪でバイバニラの体表温度を冷え切らせた。冷えた氷に水をかければ、どうなるのか」

 バイバニラの表皮に亀裂が走る。凍結連動能力が低下し、放たれた冷気に乱れが生じた。

(まさか、これを狙って? 最初から、強盗に攻撃を焦らせるために、走って……)

 相手に攻撃の一手が急かされれば急かされるほどに、こちらの一撃への布石が打たれる。バイバニラが氷の凍結調整に時間をかけたのはほんの数刻だ。しかしその数刻が命運を分けていた。

 ルガルガンが跳躍する。その手にはいくつかの岩石が握り締められていた。

 バイバニラが照準を定め、中空のルガルガンを睨む。

「野郎……冷凍、ビーム!」

(危ない! ルガルガンが狙い撃ちにされるぞ!)

「ンな事は分かってんだよ。だがまだスプリンクラーは有効なはずだ。ルガルガンの身体にも、水はかかっている。岩石の身体から生じる僅かな体温の蒸気化……気流の乱れが発生し、精密な気流制御を必要とする冷凍ビームはこの時……」

 ルガルガンはわざと水を浴びていた。ルガルガン本体にも無論、体温は存在する。生じた水蒸気が「れいとうビーム」の精密照準を屈折させ、肩口に突き刺さるはずだったその光条はその僅かな差により、逸れていた。

 同時にバイバニラの額へと岩の岩石が叩き込まれる。亀裂が走り、バイバニラが仰向けに倒れていた。

「なっ……俺のバイバニラが……」

「甘ぇんだよ。何もかも。さて、手は潰した。ルガルガン!」

 着地したルガルガンが疾駆し、強盗を突き飛ばす。それで王手であった。戦力を失った相手にルガルガンが赤い眼光をぎらつかせて睥睨する。

 完全に手は尽きたのか、強盗は項垂れていた。その首筋へとルガルガンが手刀を見舞う。

 昏倒した相手にエイジが声を発していた。

(何を……!)

「意識があるとうまくセルを剥がせねぇ。眠ってもらったほうが手早い」

 歩み寄ったジガルデコアが人質へと視線を投げる。その瞬間には、ジガルデコアは身体から分離していた。

 漆黒の獣に変貌したジガルデコアがエイジの身体から占有権を手離す。いきなり身体感覚が戻ってエイジは狼狽した。

「……どうして」

(セルを吸収するのに人間の身体のままじゃ都合が悪い。それだけだ)

 しかし、きっとそれだけではないはずだ。人質相手に自分ではうまく宥められないと判断したのだろう。エイジは自然と口にしていた。

「……ありがとう」

(礼なんて言われる筋合いはねぇ。とっととその、リッカだが何だか知らねぇのを助けてこい)

「でも、僕一人ではここまで出来なかった」

(オレはセルを取りに来ただけだ。他の事はどうだっていい)

 そう冷たく切り捨てるジガルデコアだが、エイジはこの相手がただ冷酷なだけではないのではないかと感じ始めていた。

「……ジガルデコア、僕は……」

(ダムド、だ)

「……何だって?」

(オレの個体名だよ。いつまでもジガルデコアじゃややこしい。オレはスペードのジガルデ、ダムド。覚えておけ、ガキ)

「僕もガキって名前じゃないよ。エイジだ」

(そうか。じゃあエイジ、オレはセルを見つける。人質にはうまい事言っておけよ)

 エイジは目線を下げている人質達へと駆け寄っていた。その中にいるリッカを見つけ出す。

「みんな! もう大丈夫です! 強盗はその……僕が倒しました!」

 他に説明の方法がなくそう言うと、人質達は信じられないように目線を交わし合う。

「エイジ君が……? ジェネラルレベルは2のはず……」

「エイジ、あんた本当なの?」

 不安げにこちらへと視線をやったリッカにエイジは強く頷いていた。

「うん。僕が……やったんだ」

 ダムドの力を借りたとはいえ、それでも自分のような人間でも誰かのために戦う事が出来た。それがきっと一番の躍進だろう。

 リッカがよろよろと立ち上がり、こちらへと歩み出しかけて躓く。その身体をエイジは支えていた。

「大丈夫?」

 リッカは咄嗟に顔を背ける。

「……平気。それよりも本当に? だって強盗は……」

「あそこでのびてるよ。いいから、ここを離れよう。みんなに無事だって言わないと」

 リッカは困惑しながらもようやく事態を把握したようであった。共に歩みを進めようとして、ダムドの声が脳内に残響する。

(おい、エイジ。変だ。セルがねぇ)

「……どういう意味だ?」

「エイジ?」

 怪訝そうにこちらを見やるリッカに、エイジは手を払う。

 駆け寄ってきたダムドを目にしてリッカは驚嘆していた。

「何それ……。エイジのポケモン?」

「ええと……その……。何て言えばいいのかな……」

 愛想笑いを浮かべようとして、後頭部を掻こうとしたその手が――リッカの首筋をひねり上げていた。

「え、エイジ……? 何を……」

 自分でも分からない。当惑したエイジの脳内にダムドの声が響く。

(……迂闊だったぜ。セルはもう剥がれていやがった。そのメスガキの身体に、引っ付いていやがる。そいつを新しい宿主に決めたか……)

「ダムド? 何を……一体何を僕にさせているんだ!」

(セルが宿主を決めちまったら剥がす方法は一つだけだ。殺して奪う)

 冷酷なその宣言にエイジは目を戦慄かせる。リッカが苦しげに呻いた。

「エイ……ジ……」

「やめろ! やめさせてくれ! ダムド! 僕の手でリッカを殺させるなんて……!」

(忘れんな。テメェは契約した。オレの野望のためにな)

「野望……」

(言っていなかったな。オレの野望は世界征服。全ての民と全ての存在を手中に置く。それは人間だって例外じゃねぇ)

 手の力が強まっていく。リッカは当惑の眼差しでこちらを見やっていた。潤んだ瞳から涙が伝い落ちる。

 まさか、こんなところで自分は過ちを犯すのか? こんな、最悪の形で。

「ダムド! お前は僕に――」

 その瞬間であった。

 視界に大写しになった巨体の男が自分の身体を突き飛ばす。一撃が肺に食い込んだのか、エイジは何度もむせ返った。

 解放されたリッカを無視して男がこちらを睨み上げる。その双眸には迷いのない殺意が見て取れた。

「……本部へ。どちらが宿主なのかは不明だが、二人発見。どうする?」

『どうもこうもない。どちらかは確実に宿主だ』

 冷たい通信先の声が耳朶を打つ。男がリッカへと一瞥を向けた。エイジは咄嗟に声にする。

「やめ――!」

「少年のほうを優先して確保する。少女のほうではないと、判断した」

 男が繰り出したのは前に張り出した触手が腕のように小さな本体を支える水色のポケモンであった。触手の内側、殻のようになった内部より鋭い眼光が覗く。

「ドヒドイデ、先制する。毒突き」

 触手の一撃が食い込み、エイジの身体へと突き刺さる。激痛が生じた直後には意識が靄にかかったかのように薄らいでいた。

(エイジ! ルガルガン!)

 ダムドの思惟の声にルガルガンが反応して跳躍する。そのまま一撃が叩き込まれようとしてドヒドイデと呼ばれたポケモンは四肢節足を固めて防御陣を張った。

「トーチカ」

 ルガルガンの岩の弾丸を防御し、さらに返すように放たれたのは触手の一手であった。ルガルガンの懐へと潜り込み、一撃がその身を突き飛ばす。

「ルガ、ルガン……」

 消えかかった意識の中でエイジは手を伸ばす。男はスーツの襟元を正していた。

「Z02の宿主。その身柄、貰い受ける」

 その言葉が意識の表層を撫で、霧散していった。



オンドゥル大使 ( 2019/05/08(水) 20:52 )