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第一章 邪帝降臨
第一話 咎狗は微笑む

 疾駆する影に光る軌跡が追従する。

 円弧を描く青白い軌道は、漆黒の咎狗へと草むらを切り裂いて回り込もうとしていた。赤い制服に身を包んだ男女一組がそれぞれに呼吸を合わせ、直後には扁平な駒――スタイラーを稼働させる。

 平時ならばポケモンと感応波を同調させ、その力を借り受ける。それがポケモンレンジャーの大義名分であったが、今この時、一体のポケモンを捕捉している二人にしてみれば、それは本当に張りぼての代物であった。

 少なくとも雇われの身であるのに、そのような理念、振り翳すだけ馬鹿馬鹿しいというもの。スタイラーが草むらから飛び出し、四つ足のポケモンの進路を塞ぐ。決まった、と確信したキャプチャの一撃は、開かれた口腔部より発せられた牙が軋っていた。

「……スタイラーを噛み千切るなんて」

 想定外だ、と手元に戻しかけて、黒い痩躯が恐るべき速さで肉薄する。ハッと気づいたその時には既に至近。思いも寄らぬ距離まで接近を許した時点で、ポケモンレンジャーは敗北であった。

 突進をその腹腔に食らい、突き飛ばされた男のレンジャーの生死を確かめるよりも、残された片割れの女レンジャーは今、これをモニターしているであろう、本部に繋いでいた。

「作戦司令部、キャプチャ成功率は五割を切りました。捕獲作戦に移行するべきだと進言します」

 しかし、その提言を本部基地よりもたらされた通信は棄却する。

『キャプチャを続行されたし。Z02を無傷で確保せよ』

「……無理を言う」

 女レンジャーは既にキャプチャなどという生易しい領域で済む話ではないのは重々理解していた。この案件を受ける際に提示された契約書を脳裏に思い返す。

 その中に「同意した際には死んでも責は負わないとする」という条文があった事に歯噛みしていた。

 ここで死んでもそれはただ死んだだけだとするのならば、せめて意義のある抵抗を。

 彼女はスタイラーを起動させつつ、ホルスターに留めていたボールを解き放っていた。飛び出したのは黄色の矮躯である。頭を抱えた水棲ポケモンが、きつく目を瞑っていた。

「コダック、金縛り」

 命じられたコダックが念力を放出し、サイコパワーが標的を縛り付けようとしたが、敵の速度は並大抵ではない。

「かなしばり」の有効射程からすぐさま跳躍して逃れ、こちらから一定の距離を取る。女レンジャーはその姿を仔細に観察していた。

 四つ足の疾駆。その姿形だけ見れば陸棲のポケモンであったが、黒く沈んだ表皮に、緑色のマフラーのような形状物が首から伸びたその異様さ。そして、額に輝くスペードの文様が青くこちらを睥睨する。

 眼窩は白く、それで物を見ていないのは容易に想像出来た。

 見た目からしても通常のポケモンの枠に収まる相手ではない。ゆえにこそ、彼女は慎重を期すべきだとして、普段の装備ではない捕縛装備を身につけていた。

 レンジャーにトレーナーのような携行捕獲器の併用は認められていない。それは特殊資格をもってポケモンの力を「借り受ける」というレンジャーの理念に反するからだ。

 だが、眼前の敵を見よ。

 唸り声一つ上げない獣型のポケモン。先ほどから静かにこちらの射程を潜り抜けつつも、決して完全な離脱挙動には入らないのが、まるで値踏みされているようで、女レンジャーは気に食わなかった。

「……後悔させてやるわ。コダック! 思念の頭突き!」

 コダックが紫色の念波を纏い、その短い脚で目標へと一気に迫る。無論、速度面で劣るのは織り込み済み。

 対象は反対側へと逃げおおせる。それを待ち構えていたのはアイドリング状態に設定された、相方のスタイラーだ。咄嗟にスタイラーの位置を把握したのは、自分の手腕によるもの。稼働したスタイラーが円弧を描き、目標ポケモンを捕捉しかける。

「……抵抗しない事ね。私のレンジャーレベルは9。確実にキャプチャしてみせる」

 それはせめてもの慈悲のつもりであった。抵抗すればするほどに、強引な手を取らざるを得ない。そうしないのが、レンジャーとして残った矜持だとも。

 しかし、相手はその薄っぺらなプライドを打ち破る。目標ポケモンの体表より放たれたのは緑色の液体であった。瞬時に固形となったそれがスタイラーへと浴びせられる。

 スタイラーが一瞬で機能を奪われ、直後にはその軌道がコダックへと向いていた。

「スタイラーのジャック? まさか、そんな事が出来るポケモンなんて……」

 信じられない心地で眼前に展開された光景を目にする。標的はスタイラーを絞り、コダックをキャプチャする。

 コダックの瞳が見開かれ、その敵意が自分へと向いていた。

「……ポケモンの占有権を奪うなんて、……そんなのポケモンじゃ――」

 ない、と紡ごうとした女レンジャーの意識はコダックより無慈悲に放たれた「サイコキネシス」の激痛に掻き消されていた。

 四肢の筋肉を的確に砕いたコダックは混乱状態に陥ったのか、頭を抱えてふらついた後に倒れ伏す。

 それを、標的は感情の浮かばない眼光で見据えていた。

 ――二人の腕利きレンジャーが一瞬で無力化され、そして英知の結晶であるスタイラーを奪取する。

 あり得ないかに思われた戦場に、割って入ったのは鋼鉄の巨躯であった。空より投下された人型の巨大機械が扁平な頭部で標的を捕捉する。

 その姿はそのまま、この戦いをモニターしていた本部基地にもたらされていた。



オンドゥル大使 ( 2019/04/30(火) 21:03 )