序『Ki―SS OF LIFE』
9thkiss

「不可能だろう……! 警察はもう張っている!」

「だからよ。もう一度だけ、ルージュの魔術を使う」

「ルージュの……」

 絶句したカムイを無理やり引き連れ、キッスはホテルのエレベーターホールまで駆け抜けた。

 既に監視カメラにかけられた魔術は解けている。だから、ここで使うのは本当に下策でしかない。

「サクラビス! エレベーターを粉砕する! ハイドロ、ポンプ!」

 サクラビスが凝縮した水の砲弾でエレベーターの扉を破砕した。吹き飛んだ扉の隙間へと潜り込み、キッスは引き連れたルージュラにカムイを任せる。

 自分はワイヤーへと手をかけ、一気に降下した。

 火花が激しく散る中、キッスは奥歯を噛み締める。このような事態を想定して設計された特殊手袋を装備していても、手にかかる負荷は相当なものであった。

 灼熱と激痛の中で苛まれつつ、キッスは最下層まで降り立つ。

 地下駐車場はまだ包囲の外にある。

 キッスは目に留まった高級車のフロントガラスを蹴り上げた。

 粉砕したフロントガラスから手を回し、キーをルージュラの作り出した即席の氷の鍵で代用する。

 エンジンは間もなくかかり、キッスはルージュラに任せていたカムイを後部座席に放り込ませた。

「こんな荒事……」

「今さら、そんな言い草?」

 車の運転は一通りのノウハウが叩き込まれている。車痕を刻み込ませて、高級車が急発進した。

 地下駐車場から突然に現れた暴走車に警官隊は明らかに遅れを取っているのが窺えた。

 彼らを威嚇するように背部二輪のいななき声を上げさせつつ、キッスはホテルのロータリーを飛び越え、中庭を踏み荒らしながら、高速道路へと至っていた。

 ようやく息がつけたのは二十分ほど走ってからだ。

「……呼吸、してもいいわよ」

 その言葉でカムイが、大仰に嘆息をついた。

「……恐れ入るよ。手なんてなかったじゃないか」

「ない手から知恵を絞って最善策を編み出す。怪盗の必勝手段よ」

「……ルージュの魔術が、聞いて呆れるよ」

 あの場でルージュの魔術は通用していなかった。つまり監視カメラ周りを欺けなかったという点で、カムイの存在は足枷になる可能性がある。

 それでも、助けたのはどうしてだろうか。アムゥを助けた時とはわけが違う。

 彼は自分にとって有益になるとはまるで思えない。

「……どうした? 眉間に皴、寄ってるけれど」

「誰のせいだと思って……。いずれにせよ、どこかで足を変えないと。ノエルに伝手があるか聞いてみる」

「……ヤマブキなんかよりよっぽど物騒じゃないか。ジョウトでもこんな調子?」

「それはあなたが見ていないだけよ。ヤマブキのほうがよっぽど酷い」

「それはどっちの街でも言い合う、ってのが、今、ようやく、分かった」

 助けられた身で何を言っているのか。キッスはふんと鼻を鳴らし、ノエルへの直通回線を繋がせた。

『随分と……派手にやったな、キッス』

「ノエル。あんたが今回、回収出来る範囲は?」

『君らの足跡全て……と言いたいところだが、警察からの最新報告では、あの場にもう一体、ゾロアークがいたようだな。彼のお仲間か』

 彼、と名指しされてカムイは身を竦めた。

「俺は……」

『何故助けた? 余計な感傷は死を招く』

「分かってる。分かってるけれど……ああっ、もう! あんたら、みんなそうやわ!」

 急に「キッス」ではなく「モナカ」に戻ったものだから、カムイは瞠目している。

『どうした? ヒステリックだな』

「あんたの言い分聞けば、ね。誰やってヒスになるわ! あの場でガブリアスの違法取引がされていたって、気づいて何も言わんかったんやろ!」

『我々の知る怪盗キッスはその程度、障壁とも思わないはずであったのだが』

 舌打ちする。そういうところが、ノエルの性質の悪い部分だ。

「……いい。もう、どうでも。でも、次はないから、覚えといてな、ノエル」

『はて、次はない、か。その警句はなかなかに、助長じみている、キッス。君とてしくじればいつでも次はないはずだ』

「……何なん? 言うてお喋りやん、今夜は。何かいい事でもあったん?」

 こちらの勘繰りに隠すのも無駄だと判じたのだろう。ノエルは手の内を明かした。

『警察との渡しがうまくいってね。身柄の引き取りを行える事になった』

「……誰の事言うとるん?」

『分からないか? カシワギ博士だよ』

 その名前にモナカは耳を疑う。

「だってその人は……重要参考人やろ?」

『刑務所からようやく出てこられる身になれた、というわけだ。キザキ警部が直前に伝手をつけたのが効いたようでね。頭の固い上を説得する材料を集めずに済んだ。彼が目をつければ、それはずっとだろう。今しかないという判断だ』

「……今しか、言うんは?」

 端末のメールボックスに早速メールが届く。件名は「NEXT KISS」。

 嘆息をつく前に、ノエルが説明した。

『報酬は倍増しだ』

「割に合わへん。三倍増し」

『乗ろう。それでもこっちはお釣りが来るくらいなのでね』

「……で? 次はそのカシワギ博士を盗め、言うわけ」

 得心したこちらに、後部座席のカムイが異議を差し挟む。

「ちょっ……ちょっと待てって! カシワギ博士を盗む? そんな事をして、どういう意味が……」

「意味分からへん奴は! ……黙っといてくれへんもんかなぁ……、うち、暇ちゃうんやけれど」

 一喝するとカムイは静かになったが、それでも納得は出来ていないようであった。

「カシワギ博士は……だって恩人なんだぞ」

『厄介な足枷を作ったな、キッス。前回よりも性質が悪い』

「前回はあんたらの思惑通りでうちは同じようなもんやけれど? 今回が性質悪いんは……ホント」

『キッス。メールで送った通りだ。カシワギ博士奪還作戦は十二時間以内に実行される』

「その間、どこで落ち合えばいいわけ?」

『セーフハウスには帰れまい。こちらで渡し人を用意しよう。信用出来る筋だ』

「どうだか……。信用出来る筋なんてあんた、ほんまにあると思ってるん?」

『少なくとも後部座席に乗っている彼と心中するよりかは現実的なプランだと思うが?』

 言われれば立つ瀬もない。モナカは嘆息をついた。

「いい。ノエル、あんたはせいぜい火消しに躍起になって。うちはそいつと合流するから」

『このような時でも冷静さを欠かないのは美徳だな。キッスよ。しかしもうケツに火が点いている状態なのは、忠告するまでもない、か』

「やから! せいぜい火ぃ、小さくして言うてんの」

『努力しよう』

 一方的に通話が切られる。舌打ち混じりにハンドルを切ると、カムイがこちらを窺ってきた。

「その……俺、君に迷惑をかけているな」

「その自覚あるんやったらここから飛び降りる? ……つもりもないんやろ。黙っとって。今話しかけられるとどうしようもないやろ」

 カムイが口を閉ざす。モナカは端末上に表示されるルートへと折れ曲がった。

 高速道路を下りて西へと一路。どのような場所なのかの詳細も与えられていない。

 それでも、マシな場所ではない事は予感するまでもなかった。












「あっ、警部。お疲れ様です」

「首尾は?」

 ヤマギが展開していた警官隊がキッスの犯罪を抑制したとの報を聞き、駆けつけてきたのだが、実際には全て終わった後のようだ。

「いえ、今警官隊がホテル内に」

「取り押さえたのか?」

「警部が八年かかる相手ですよ? 僕なんかじゃ、一生かも」

「弱気になるな。ワシも運だけは見離さないようにしている」

「……珍しいですね。警部から激励とは」

「馬鹿にしとるのか。それとも、この状況、軽く見ておるのなら、拳骨が飛ぶが」

 ヤマギが大仰な仕草で後ずさった。

「それはご勘弁を」

「状況を言え。そこから話は変わる」

「では……。我々が第一報で駆けつけた時、まだキッスはホテル内にいたようです。これを」

 差し出された端末には地下駐車場から走り抜けていく一台の高級車が映し出されていた。

 ――警官隊の甲斐もなく、またも取り逃がした。

 その確信にキザキは拳を骨が浮くほど握り締める。

「……キッスめ。我々をコケにしておるのか」

「いえ、コケにされているにしては、不明点がいくつか」

「……言ってみろ」

 苦々しい面持ちでキザキは煙草をくわえた。

「一つ。我々の介入する前に不明な飛翔ポケモンの目撃情報があります。仔細は不明ですが、目撃例から恐らく一体のポケモンと照合可能かと」

「照合? 何だ?」

 なかなか火が点かない。冷たい風がコートを煽る中、キザキはようやく煙草に火を点けていた。

「ジョウトPMCの擁する戦闘用ポケモン……メガヤンマ。それと合致するであろう特徴です」

 せっかく点けた煙草が口元から滑り落ちる。

 あまりの出来事にキザキは茫然自失であった。

「ジョウトPMCぃ? 連中がまた動いたと?」

「公式見解はまだですが、我々も見ました。空を横切っていく謎のポケモンを」

「では何だ……キッスをジョウトPMCが回収したと? ……いや、それだとさっきの暴走車と辻褄が合わないな……」

「そうなんですよ。キッスが先ほどの車を運転していたのならば、ジョウトPMCへの引き渡しに対する……何らかの牽制か、あるいは」

「あるいはこちらの捜査状況の掻き乱し……。だが、ジョウトPMCは表立ってこちらとつるんでいる。どっちに転んでもきな臭い事実か」

「ええ。ジョウトPMCが動いたのは間違いないとしても、キッスを捕らえたのかどうかは怪しい部分です。警部、ジョークマン氏からは何か?」

「ワシは彼奴と対立しておる。あっちから連絡なんぞ、死んでもしてこないだろうな」

「では……共闘の可能性もあり得ると?」

 キザキはコートのポケットに手を入れつつ、ジョウトの冬の風に身震いした。

「まだ分からん。分からんが、これがどういう札になるのかは、読めてきたな」

 その言葉にヤマギが疑問符を挟む。

「……鬼札になるとでも?」

「ヤマギ。考えてもみろ。ジョウトPMCはキッス制裁に関して、過激派であった。そういう連中がキッスの身柄を先に押さえて、得をしたい部分を予期すればいい」

「えっと……機密情報だとか、あるいは知られるとまずい何かを……」

「キッスは知っている。だから消したい、と。まぁ短絡的に考えるのならば、な」

「他があると言うので?」

「だから、まだ分からんと言っておるのだ」

 キザキは身を翻していた。その行動にヤマギが驚愕する。

「警部! 現場検証は……!」

「お前に任せる。どうにも……ワシが追わなければならないのはそちらではない気がしてな」

「……カシワギ博士ですか」

「会ってきたが、変人奇人では済まされん、何かを背負っておる感じだな」

「何か……」

「それが明らかになるまでキッス追撃はお前に一任する。どうにも……今目を離すと危険な気がする」

「危険……? カシワギ博士の身柄に何かあるとでも?」

 ヤマギの端末が不意打ち気味に鳴り響いた。

「失礼……。なに? カシワギ博士が……!」

 キザキが振り返り、端末を引っ手繰る。

「貸せ。カシワギ博士がどうなった?」

『キザキ警部……? その……これはまだ公開前の情報で……』

「いい。話せ。他で問題があるのあらばワシが責任を負う」

 通話先の相手は逡巡を挟んだ後、では、と切り出した。

『カシワギ博士は超法規的措置により、釈放処分となりました……』

「釈放? 釈放だと? あり得ん……! さっき会ってきたばかりだぞ」

『言われましても……現場も立て込んでいるんです。報道陣のほうが耳が早かったみたいで……。留置所周り、明らかな連中が張り込んでいますよ』

「……そっちに情報が来たのは」

『三十分前の出来事です。これでも恐らくは最速……』

 それでもマスコミ周りのほうに一足早い情報が行っていた。その事実の帰結する部分にキザキは歯噛みする。

「……何者かが情報をリークした」

『警察内部、って後で書かれても面白くありませんよ。いざこざがあったのは事実ですから』

「火のないところに煙は立たん、か。突かれて痛い横腹を晒した結果になったな。お歴々はどう釈明するつもりだ?」

『どうも何も……。知らないの一点張りでしょうね』

 予測出来た事だが、やはり腐敗を目にすると悔しさが勝る。

「……ああ、そうだろうな。それが正しいだろう。社会的には。……クソッ! 納得と理解は別のところにある。分かってはいるのだが」

 状況として納得出来る事と、感情として理解出来る事は別物。刑事として、上が腐り切るところなど何度も見てきた。だが、その度に立ち上がる機会も同じくらいに目にしてきたはずなのだ。

 それでも、浮かんだ悔恨にキザキは足元の石を思い切り蹴っていた。

『……お気持ちはお察しします。でも、どうしますか、この状況。カシワギ博士の身元がどこに引き受けられるのか、今、全力で調べ尽くしていますが……』

 濁されたのは調べても出ない可能性が濃厚だという事実。藪を突いて蛇を出してはこちらが損をするだけ。

「……慎重になれよ。我々とて、どこに潜んでいるのか分からん何かと戦っているのだからな」

 通話を切るとヤマギが頭を振った。

「カシワギ博士の身柄に関しての情報は一切……。そもそもあの留置所にいたんですか?」

「ワシは面会した。……だが、不都合な事実は隠蔽される。最初から、なかった事になってしまえば、それはないのだ。……記録と記憶の違いか。こんな矢先に勉強させられる羽目になるとはな」

 コガネシティの風は依然として冷たい。肌を刺す冷気にキザキは陰謀の渦中を予見する。

 この街はもう踊り始めている。それも間違った方向に。正す意味を持って行動出来るのは一握りの人間のみ。

 皮肉な事に、現状一番自由が利く身分は、キッス本人であった。

「高級車で逃げたのならば車体IDから足がつく。もう乗り捨てている線も含めて、高速道路のカメラを当たる」

「警部がそんな事をしなくても……。僕が引き継ぎますよ」

「いや、そうしたいのだ。……逃がしてしまった我が身の不実を呪うのには、一度冷水を浴びる心地にならなくては」

 こういう時こそ、感情に駆られてはならない。理性でもって、物事を俯瞰すべきだ。

 ヤマギもこういう気質なのは理解しているのか、すぐにその命令を飲み込んだ。

「……了解しました。ですが、警部。自分はあなたの、直属の部下です」

「本庁のほうが大事だろう。出世コースを逃すな」

「いえ、それでも。敬意は表させてください」

 敬礼したヤマギにキザキはふんと鼻を鳴らす。

「よくは思われんぞ。愚直なのは、な」

「そういうのが通る上にするのが、僕の役目ですから」

 分かった風な口を利く。しかし悪い気分でもなかった。

「ヤマギ。この場の指揮権はお前に任せる。ワシは消えてしまった小鳥を追わなければ」

 煙のように消えた小鳥は何処に行ったのか。追及するのに、今は一つでも情報が欲しかった。



オンドゥル大使 ( 2018/04/04(水) 20:53 )