序『Ki―SS OF LIFE』
5thkiss

「条件は出揃った、とは思うが」

 ノエルへと繋いでいたマスターの声音に相手は鼻を鳴らす。

『悠長だな、マスター。それで制する事の出来るのはせいぜい、カムイとか言う青いガキ一匹のみ。他のゾロアークがどう動くのか、我々に関知は出来ない』

「どうかな? もう眼≠ニ路地番を駆使して追う事くらいわけないはずだ。わたし達がこの場でカムイという青年を三十分ほど抑えただけでも違うはずだが」

 ノエルは通信越しに舌打ちする。いつもは皮肉を吐く側の彼をもってしても、マスターの権謀術数には勝てない。

『……先代キッスの相方が、吼えてくれる。いいとも。そちらの条件で我々は追うとしよう。ただ、こちらの追尾はこちらの領分とする』

 線引きはきっちりと、と言いたいのだろう。自分達がカムイを保護する形に回っても、ノエルは街の秩序のためならば排除も止むなしと考えている。

 マスターは首肯していた。

「ああ、それで構わない。……ノエル」

『……何だ?』

 苛立たしげなノエルの口調に、マスターは一言添えるのみであった。

「いつも怪盗キッスをありがとう」

 これもマスターが食えない理由の一つだろう。ノエルは通話越しでも分かるほどに、嫌悪感を露にする。

『……街の古株を気取りたいのだろう。分かるが、もう貴方の時代ではない』

 捨て台詞にモナカは笑いを堪えるのに必死だった。通話を切ったマスターは、やれやれと息をつく。

「今代のノエルは血の気が多くって困る」

「でも、いいお灸を据えられたんちゃうの?」

「……いつもは君がいじめられている側だからね。たまにはいいさ」

 微笑むマスターにモナカはエネココアを口に運びつつ、考えを浮かべていた。

 ノエルの弁ではないが、彼らを野放しにするのは危険である。ゾロアーク一味は一気に捕らえ、この街で管轄すべきだ。

 眼差しだけで伝わったのだろう。マスターがマグカップを拭きつつ声にする。

「モナカちゃん。君は怪盗キッスとしての戦いを。外的なものはわたし達に任せて欲しい」

「お見通し……か。マスターは師匠の相棒やったんやもんね」

「先代キッスも随分と無茶を抱え込む人だったが、君も相当だ。アムゥちゃんの事と言い、今回といい、どうにも最近のジョウトはきな臭い。ジョウトPMCの一件だけでもピリついている。今は連中の動きを制する事を重点に置くべきだろう」

「でも、カムイとかいうの、あんなんで出し抜けると思う?」

 そのボスの判断で盗品を返さない、という事はこちらが怪盗キッスである事は割れていると見るべきだ。キッスの正体を知る者は少ないほうがいい。

 マスターもそれは考慮に浮かべていたようで少しだけ顔を翳らせた。

「……イレギュラーとは言え、誰かに正体を掴まれるのは面白くない。それにあのカムイという青年、嘘をつくのが下手と思う。だから、その頭の切れるボスを前にして、どこまでしらを切り通せるか。時間との戦いかもしれないね」

 相手が勘付く前にこちらが仕掛ける。畢竟、そこに集約されるのだろう。

「獲物を横取りされるのはつまらんもん。それもカントーから来た余所者なんかに。マスター、エネココアありがと。アムゥちゃんは、寝かせておいてもらえる?」

 連戦はアムゥにはまだ辛いはずだ。慮ったモナカにマスターは微笑む。

「モナカちゃん、君だって随分と心配だ。まずは、敵の動きを見るにしても、ジョウトPMCの軍人くずれでも出てくれば……」

「やからこそ、うち、ここで怠けてはおれんと思う。それこそのっぴきならない状況になってからじゃ遅いもん」

 その言葉の強さにマスターは納得したのだろう。ただただ、キッスの協力者としての声を振る。

「……分かった。その健闘を祈るとしよう。怪盗キッス」

 隠し階段から屋上に上がったモナカは衣装収納用のボールを解き放った。

 刹那、輝きと共に被服が解き放たれる。髪が一つに結われ、女子高生としての服装が赤と黒を基調としたものへと変化し、最後に目元を隠すマスクが添えられる。

 モナカは一瞬のうちにキッスへと変身を遂げていた。

「まずは情報、やね。警察関係者の話を聞いてみる」

 屋上から跳躍したキッスの姿は宵闇の喧騒の中に紛れていった。











「遅かったじゃないか」

 合流地点で待ち受けていたボスは自分の知らない人物を招き入れていた。

 先ほどまで路地裏で気配を殺していた身分だというのに、指定されたのはジョウトでも指折りの高級ホテルの一室。

 カムイは着の身着のままであったが、そこはゾロアークとしての変身の術を心得ている。それなりのドレスコードに袖を通し、群衆の目を欺いていた。

 ボスの隣に立つ仲間が痺れを切らしたようにこちらへと歩み寄る。

「おい、カムイ。何か、妙なものでも仕掛けられてるんじゃないだろうな?」

 あまりにも時間をかけ過ぎた。疑われても何も不思議ではない。だからか、デコイくらいは用意出来ていた。

 あのマスターがわざと目立つ形で着けた盗聴機械を取り出す。

「撃ち込まれたみたいだな。向こうは気づいているのか分からないが」

 無論、本命はバタフリー型の盗聴器だ。デコイは握り潰される事を前提として設計してある。

 仲間はふんと鼻を鳴らして疑似餌を破壊した。

「こんなもの、浅知恵なんだよ」

 実際、浅知恵はどっちなんだか。カムイはボスへと確認する。

「ボス、そのお方は?」

「我々に興味を示してくださっている。ジョウトでの行動においての協力を請け負ってもらった」

 踏み出た協力者は威風堂々と手を差し出す。

「どうも、ジョークマンと申します」

 ジョークマンと名乗った外国人紳士は読めない笑みを浮かべつつこちらを観察していた。カムイはその身のこなしからただの交渉人でない事を看破する。

「……失礼ながら、戦闘の心得がお在りで?」

「カムイ! お前……!」

「見抜かれましたか。しかし、我々の活動に際して、常に最悪は想定しておくもの。あなた方の中にはそれなりの手だれもいる、と聞き及んでいました。ミスターカムイ。あなたはこの三人の中でも、指折りだと」

「たった三人です。期待なさらぬよう」

 笑ってみせたボスであったが目は笑っていない。この場所での交渉条件を詳らかにしない限りは、自分達にとっても不利に働く。

 せめて、余計な真似だけはしてくれるなよ、という眼差しにカムイは目線で応じていた。

「……ジョウトPMC、小耳には」

「ありがとうございます。なにぶん、ここ最近発足された企業でして、至らぬ点もあろうかと」

「それでも、耳にはした事があるだろう? カントーのプラズマ団蜂起に際して、その秩序を取り戻すべく組織された、誉れある企業だとも」

「いやはや、照れますな」

 社交辞令に偽りの笑み。嘘くさいこのやり取りでさえもマスターとモナカは傍受している事だろう。

 今は気が気ではなかったが、ここは冷静さを欠いては事を仕損じる。ボスの忠実なる部下を演じて見せるのが正しい。

「ボス、俺がいない間に、何が……」

「ああ。今回、お前が拾ってきてくれた獲物、あれはとある犯罪者に結びつく代物だった。名前を怪盗キッス」

 先ほどまでその牙城で捕らえられていたとは口が裂けても言えない。

 自信満々にボスは息巻いてみせる。

「……まぁ、ただの小悪党だがそのコソ泥でもここジョウトはコガネシティでは少しばかり有名なようでね。いくつかのコネクションに当たってみたところ、一番に解答をいただいたのが、ジョウトPMCであった、という話だ」

「キッスは警察も威信をかけて逮捕したいと考えている重犯罪者。そして我々にも浅からぬ因縁がありましてね」

「因縁?」

「今は申し上げられませんが、なに、ちょっとした貸しですよ。犯罪者キッスをうまく罠にはめるのに、あなた方ほどの適任もいますまい」

 カムイは仲間へと視線を投げる。彼は肩を竦めた。

「おれらの変身能力が欲しいんだと」

「期待していただいているんだ。我々ゾロアークの擬態能力は全てを欺く。体温、体臭、熱光学センサー、指紋認証、網膜認証、静脈認証……エトセトラ。つまり人間の持ち得る全てのセキュリティを突破出来る、切り札を生まれた時より備えているに等しい」

 口振りにカムイは怪訝そうにジョークマンを見やる。彼は満足気にボスの言葉を耳にしていた。

「あなた方は素晴らしい逸材です。それは、統率役のあなたを見ても明らかな通り。ゾロアークというポケモンであり、なおかつ交渉可能な人間でもある。その力の真髄を、我々ジョウトPMCに提供していただきたいのです」

「提供? つまり、手を貸す、と?」

 どこまでも胡散臭いジョークマンに警戒を解けずにいるとボスが諌める言葉を吐いた。

「カムイ……敵意など剥き出しにする必要はない。彼は紳士だ。本来、ポケモンであるはずの我々に、こうまで便宜を尽くしてくださっている」

 それは、確かにその通りなのだろう。ポケモン産業を食い尽くす人間ならば即捕獲もあり得る話。それをここまでまどろっこしい真似をしてまで交渉のレートに上げてもらっている。

 信じるか、否かで言えば、信じるべきだろう。

「あなた方は大変に聡明だ。殊に、カムイ、あなたのような強く気高い若者が未来を切り拓く事、素晴らしいと思っている」

 どこまでも人を食ったような発言をする。笑みを浮かべたその表情の仮面を引き剥がしてやりたいほどに。

「ミスタージョークマン。とりあえず、本日はここまででよろしいでしょうか?」

「ええ、有意義な話し合いになる事、期待しておりますよ」

 固い握手を交わしたボスとジョークマンにカムイはどこまでも信頼を置けなかった。

 突然の闖入者に、自分達のボスが比肩している。それだけでもどこか浮いた出来事だ。

 ジョークマンを見送る役目は仲間が引き受けた。

 部屋から出たのを確認し、カムイは声にする。

「……ボス、信用出来るので?」

「ジョウトPMCはここ数年間で急成長を遂げた企業。そこの重要ポストに我々を推してもいいと、仰っている」

 安楽椅子に深く腰掛けたボスにカムイは鋭く食いかかっていた。

「でも! あんな奴信用に値するものですか? ジョウトPMC、全く聞かぬ名前ではありません。ポケモン産業を食い扶持にする……死の商人」

「カムイ。どこに耳があるか分からない以上、不用意な発言は控えるべきだ」

 諌められたカムイは返答に窮するしかない。

「……だからって、我々がジョウトに渡った本来の目的をお忘れですか? 自由のために、俺達はこの場所を求めたはずです。それは……拘留中のカシワギ博士だって、理解しているはず」

「彼女、か……。確かにカシワギ博士は納得の上で政府に捕まってもらった。それもこれも、我々ゾロアークの自由と自治のため」

「では――」

「だが、カムイ。大義を成す前には、小事にこだわっている暇はないのだ。路地番相手にこびへつらい、ジョウトの眼≠警戒していつまでも縮こまって生きていくつもりか? そんな生き方に、理想があるとでも?」

 言われてしまえば、カムイは絶句するしかない。

 自分には大義も、ましてや誰かに誇るべき能力もない。

 ただ、小悪党である事を重ねて、小さな罪を積むだけしか出来ないのならば、ここで翻って、巨大な何かに包まれるのもある一面では正答だろう。

 しかし、カムイの中の何かが、その納得を拒んでいた。

 ここで首を縦に振れば、自分は後戻り出来なくなるだろうと。

「でも……あまりに大きな事を掴もうとすれば、それは分不相応というもの。しっぺ返しが来ます」

「心得ているさ。お前より何年長く生きていると思っている? いいか? カムイ。組織において個人の思惑など所詮は弄ばれるだけの木の葉も同義。ジョウトPMCは我々に上昇の機会を与えてくれている。それも、ポケモンと人間の隷属関係ではなく、人間と人間、というレートでね。その時点で、我々は感謝すべきだ」

「……今会ったばかりです」

「そういうものなのだ。世界という奴は。深く知った隣人が裏切り、数分前の他人が味方になる。世渡りのコツはつけておけ。そうしなければ呑まれるぞ」

 世渡りするため、この流れに逆らわず、世界を掴むため。

 言葉にすれば立派だが、その生き方は自分には……。

 カムイは身を翻していた。

「どこへ行く?」

「少し、野暮用で」

「カムイ。背中に気をつけろよ。我々は言葉の上で、とはいえジョウトPMCと手を組んだ。それの意味するところは反発組織からの攻撃もあり得る、という事態だ」

 もう、この身体でさえも自由ではないのか。歯噛みしたカムイは言葉を返す。

「……心得ております」

 部屋を出たところで、仲間とすれ違った。彼は苦々しい面持ちで口走る。

「あの野郎、いい気になりやがって。人間なんておれ達の力を使えばどうとでも出来るのに……!」

 どうやらジョークマンに一杯食わされたらしい。カムイはその肩を叩いた。

「どうとでも、出来る、って思っているのは向こうも同じだ。モンスターボールの叡智を前にすれば、俺達ポケモンなんて……」

 そこから先を濁したのはそうだと断じたくないからか。

 歩み出たカムイの背中に仲間の声が飛ぶ。

「おい! どうするって言うんだ!」

 足を止め、カムイは振り返らずに応じていた。

「……出来る事をやる。それだけだ」

「……へぇ。そこまで熱心だとはな。スリくらいしか能がない、と思っていたが」

「俺達ゾロアークが生き延びるため、だろう?」

 鋭い一瞥を投げたカムイに仲間が肩を竦める。

「マジになるなよ。冗談さ」

 どうだか。胸中に毒づいて、カムイはエレベーターホールに向かった。



オンドゥル大使 ( 2018/03/20(火) 19:39 )