序『Ki―SS OF LIFE』
2ndkiss

 獲物が思ったよりも軽かったので拍子抜けする。

 女子高生の足を払ってモンスターボールをすったはずが中身は収納携行用の何かであった。透かしても中身が見えないところから、金品であるのは間違いなさそうだがこれではせっかくのジョウトへの橋渡しも意味がない。

 自分の醜態に仲間達が裏路地で笑みを交わす。

「まだまだだな。カムイ、お前はやっぱりスリ向いていないんじゃないか?」

 その忠告にカムイはふんと鼻を鳴らす。

「自分が獲物を都合よくカモっているからって調子づくんじゃねぇって。大体、ジョウトとカントーじゃ質が違うんだよ、質が」

「おいおい、逃げ口上か? だったら最初から眼≠フ仕事に専念するか、あるいは路地番でもやらしてもらうんだな」

 腕を組んでいるこの場での年長者にカムイは言いやる。

「でもよ、この中身がすっげぇお宝だったら、あんた達でも俺への評価は変わるだろ?」

「どうかな? そんな奇跡が起きるとでも?」

「お笑い種だぜ、カムイ。まさか追い詰められてギャグセンスまで鈍ったか?」

 どうやら仲間二人は自分を随分と低く見ているらしい。ここは獲物の是非で決めるべきだ。

 開封しようとして、カムイは収納用のボールに添えられたキスマークを目にする。

「……何だ、これ。キスマークなんて」

「――そこまでにしといてもらえると、誰も怪我せんで済むよ」

 その声に全員が視線を向ける。その先にいたのは自分がスリを行った少女であった。まさか、追いつかれた? とカムイはここに来るまでの道筋を反芻する。

「……嘘だろ、おい。一応は道筋の痕跡を消す方法で来たって言うのに」

「あんた、随分と粗いね。あんなん、ついて来てくれ言うとるようなもん」

「女子高生に言われてやんの」

 馬鹿にした調子の声にカムイは獲物を手に掲げる。

「だがよ、俺の獲物だって言ってんだろ。それに、ここに来たってのもおかしな話だ。二人のどっちかが、下手こいたんじゃないだろうな?」

 その言葉に胡乱そうにする相手に対し、少女は冷静であった。黄金の虹彩が射る光を灯す。

「今なら、見逃してあげてもええよ」

 言葉振りに仲間がおちゃらける。

「お嬢ちゃん、ついて来ちゃいけない人間のところに来ちゃったみたいだなぁ、おいおい。ここに大の男三人。女の子一人で何が出来るとでも?」

 歩み寄った仲間へと目にも留まらぬ速度で足払いが放たれた。仲間が地に背中を強く打ちつける。

 肺の中から呼気が漏れた仲間の腹部を少女は足蹴にした。

「……これでも?」

 カムイは目の前で展開された早業に目を奪われていた。明らかにカタギの動きではない。それを察知したのか、年長者が声にする。

「……その身のこなし、相当な実力者と見受ける。どうだろうか? 我々も見逃す、君も見逃す、というのは」

「条件にもならへんね」

 どうやら自分の盗んだこの宝は相当な執心の代物らしい。年長者の仲間に問う視線を彷徨わせていると彼はすっと指を掲げた。

「幻影、というものを見た事はあるかね?」

「……まさか、ただの女子高生だぜ?」

「今の体術でただの、というのはおかしな話だな。ここで逃げ切るのには、我々の正体を晒してでも行動を起こすべきだと提言するが」

「……勘繰られるとまずい」

「それも織り込み済みだ。……そろそろ動けるだろう?」

 刹那、倒れ込んでいた仲間が巨大なハブネークへと姿を変位させた。突然の事に、ただの少女ならば失神するであろうが、彼女はハブネークに変身した仲間を蹴飛ばす。

 その立ち振る舞いに一切の迷いはない。

 ハブネークになった仲間が呻きを漏らし、後退する。

「強ぇな、このガキぃ……」

「ポケモン……? いや、どういう手品なん?」

「種も仕掛けもないさ。ただ一つ、この世には幻影の覇者が存在するというだけの話」

 年長者が姿を変えたのはオニゴーリであった。氷結の鬼の首が少女を脅かそうと吼える。しかし少女は臆する事もない。

 それどころか敵を見る目を注ぐ少女がこちらを手招く。

「いくらでも。来ぃや、自信があるんなら」

 オニゴーリに変身した仲間が少女に向けて猪突する。少女が身を転がしてそれを回避したが、ハブネークになった仲間が牙を軋らせた。

 通常ならばハブネークの毒の牙に少しでも触れればたちどころに腐食するだろう。

 だが少女の取った行動はあまりに意外。掌底でハブネークの腹腔へと一撃を見舞い、次いで突き上げるアッパーでその顎を叩きのめした。

 ダメージを受けたハブネークの仲間がよろめいたのを少女は見逃さない。回し蹴りがその頭部へと叩き込まれ、即座に体躯を震わせる。

 オニゴーリと化した仲間が何度か突撃を見舞うものの、まるで背中に目があるかのように少女は淀みなく避ける。

 これでは消耗戦……否、お縄につくのはこちらのほうであろう。

 カムイは人間態の変位を解いた。

 灼熱に染まった爪で少女へと迫る。少女が後ずさった時には、ゴウカザルへと変身を遂げた自分が対峙していた。

「……人間に見えたけれど、三人ともポケモン? まぁ、珍妙な集団を見るのは初めてじゃないから別にいいけれど」

「……後悔する事になるぜぇ……、オラよ!」

 ハブネークになった仲間の攻撃を少女は肘打ちでいなし、オニゴーリの仲間の追突を紙一重で回避し様にその頭頂部へと拳を打ち込んでいた。

 亀裂が走ったがそれは氷のものではない。紫色の瘴気が棚引き、亀裂から漂っている。

「正体が、オニゴーリじゃ、ない?」

「今さらに気づいたか。だが遅いぞ」

 直後、カムイの変身したゴウカザルの拳が少女の眼前に迫っていた。少女が咄嗟に身を引き、軽やかな身のこなしでこちらの背後を取ろうとする。

 しかしゴウカザルになっているこちらとて反応速度では負けていない。

 瞬時に格闘タイプの習い性で少女を振り解き、地面へとその身を打ちつけさせる。

 力加減を誤ったのか、少女を軽く投げ飛ばすつもりが、その細い身体を思い切り叩きつけてしまった。

 死んだかもしれない、というカムイの胸に過ぎった罪悪感も束の間、即座に身体をひねって反転させた少女がゴウカザルであるはずのこちらの拳を捩り上げる。激痛に身悶えしたカムイに少女はなんと巴投げを決めてみせた。

 ゴウカザルであるはずの自分が投げ飛ばされるなどまるで想定していない。

 ダメージを受けたカムイは偽装の幻影が解けたのを自覚出来なかったほどだ。

 ゴウカザルを纏っていた幻影が弾け飛び、自分の本当の姿が露見する。

 赤と黒のまだら模様。獣の体躯を持つ自分に少女が絶句したのが伝わった。

「……何者なん? あんたら」

「名乗るほどのものでもない」

 年長者がオニゴーリの偽装を解き、同じような姿へと変位する。ハブネークの仲間も同様であった。

「嘘。あんたら、ジョウトの者やないね。何しにコガネまで来たん?」

「言わなければならないかね?」

「少なくとも、ケジメとシャバ代とか、そーいうのを分かっているクチじゃないんだとすれば、ここでうちが制裁しとかへんと示しつかへんからね。それとも、分かっていて、やっとるんやとすれば……」

 こちらの手の打ち方も変わってくる。明らかにまともではない空気を漂わせる少女に、カムイを含め全員が圧倒されていた。

 自分達のような異形を前にしても何の躊躇も浮かべないどころか、対抗意識さえ持ってみせるというのか。

 年長者が笑みを刻む。

「面白い……。ジョウトはコガネシティ。三下の悪党であるキッスとかいう盗っ人の舞う、つまらぬ場所と、伝え聞いていたが……君は何者だ?」

「そう、つまらへん場所って聞いとるん。やったらその認識、ここでその足りひん頭蓋砕いてインプットし直さなあかんね」

 少女がやおら戦闘の気配を醸し出した途端、年長者が人間の姿へと戻り、片手を上げた。

「ここでの発言権は?」

「賢かったらあるよ?」

「悪かったね。君のものだ」

 カムイへと顎がしゃくられる。スリ程度で自分の非を認めろというのは癪であったが、この場では三人がかりでも少女には敵わないだろう。収納用ボールを転がすと少女はそれを拾い上げた。

「……で? 何の目的なん? ポケモン三体が雁首揃えて、何にも知らんとこの街に来たって言うのは迂闊やろ?」

「参ったな。しかし明け透けと何もかもを話すつもりはなくってね」

「そっちはなくっても、こっちには権利くらいはあるんよ。あんたら、もう射程に入ってるん、理解しとる? どこからでもジョウトのネットワークが見張っとるよ。それに、うちに気取られたんやったら、他の連中だってバカやないんやから。この街で悪事したいんやったら、それなりに示しのつく事せんとね」

「諫言痛み入る。……この街で蔓延る悪を代表しての言葉かね?」

「悪? うち、秩序のつもりやけれど?」

「……失礼。そうは見えなかったもので」

 憮然とした少女が年長者を睨む。その双眸だけで常人ならば竦み上がってしまうだろう。先ほど、すれ違い様の時とはまるで違う。研ぎ澄まされた殺意の刃だ。

「おい、ボス。こいつ、消しておいたほうが……」

「なに、急いた結論はいつだって仕損じるもの。むしろこちらにジョウトの秩序、教えてくれた事を感謝したいほどだ」

「でも、このガキ、俺達の正体を知りやがった」

 牙を軋らせる仲間にボスはフッと笑みを浮かべた。

「だから、急くなと、そういう事だ。殺意だけでは勝てんよ。それに、彼女は我々に流儀を示してくれるつもりだろう。この街――コガネシティの流儀を」

 少女は身を翻し、手持ち鞄を肩に担いだ。

「なに言うとるん? うち、ただの女子高生やけれど?」

「あんまり嘘は言うもんじゃない。そこまで裏に精通した女子がこのジョウトの常識だというのならば、我々の認識の甘さが際立つ」

 少女は振り向いて舌を出した。

「どうやろうかね。うち、ただの女子高生やから、こんなところであった事なんてすぐに忘れてまうよ?」

 それは暗に自分達の存在を暗黙の了解にする、という交渉なのか。特異であるはずの三人を見逃す代わりに、目立った行動を抑制する。

 そこまでの権利――と思いかけて少女の身のこなし、立ち振る舞いには一切の隙がない事に絶句する。

 少女はどこまでも流麗に、かつ華麗に自分達を抑制している。それがこの街の流儀。ジョウトはコガネシティの懐の深さ、という事実。

「……礼を言うべきなのかな」

「別にええよ。ただ、次に会ったらどっちかの命はないかもね」

「肝に銘じておこう」

 ボスの言葉を潮に少女が立ち去っていく。そのプレッシャーが消え去るまで自分と仲間は人間の姿に戻る事さえも出来なかったほどだ。

 ようやく息をついた仲間が声にする。

「……何者なんだ、あのガキ」

「番人、とでも言うべきか。ヤマブキシティほどの無法地帯ではないものの、やはりどの場所にも抑止力が存在する。その一端を垣間見た。そういう事だろう」

 カムイも呼吸を整えて人間態に変異する。汗を拭うと、ボスが懐から取り出したのは自分が今しがた少女に返したばかりの収納用ボールだった。

 いつの間に、と瞠目したその時には、ボスは読めない笑みを交わす。

「だが、迂闊だな、彼女は。まだ完全なる殺意の闇には呑まれていない。いや、呑まれるのを拒否している、というべきか。カムイ、君程度の実力でも彼女の物品をすれた事はある種の幸運だ。こちらにはまだ手札がある」

 収納用ボールを開封すると中に入っていたのは肖像画であった。仲間が胡乱そうに注視する。

「何だこれ? 何だって絵なんて……」

 しかし、その絵画を見た瞬間、ボスが息を呑んでいた。まさか、とその声が震える。

「どうしました?」

「いや、まさか……。どうやら我々は虎の尾を踏んだらしい。危うかったな。殺されていても文句は言えない。だが、この手札、物になるぞ」

 その確信の根幹は分からないままであったが、ボスは肖像画をボールに戻し、本来の姿に戻る。

 足先から漆黒の瘴気が棚引き、ガラス細工のように偽りの姿が剥がれ、自分達の本性――ゾロアークという種族のポケモンへと変身を遂げた。

「盗賊団の組織……案外、夢物語ではないかもしれないな」

「まずは人集めからって……」

「それも、だよ。この手札は大きい。人材集めも、資金集めも、思っていたよりかはずっと容易く行くだろう。カムイ。あの少女をマーク、出来るな?」

「そりゃ、一度気配を手繰った相手ならば、見張るくらいは……」

「結構。ならば実行するといい。ゼクと私は、資金と人材を集めにかかる」

 その言葉に、仲間であるゼクは、疑問符を浮かべた。

「でも、そんなのは大きい組織に取り入ってからだって……」

「そういうまどろっこしい真似が要らないかもしれん。まだ私の勘の域を出ていないがな」

 はぁ、とゼクが生返事する。カムイはゾロアークの姿からゴウカザルの姿へと変身し、一足飛びでビルの屋上まで跳躍した。

 先ほどの少女は、と目線を配ると、街頭の中にその背中を見つける。

「……何だって言うんだ、一体」

 ボスの考えは分からない。分からないが、それが悪い方向に転がるのでは、という危惧だけが胸の中を満たしていった。



オンドゥル大使 ( 2017/12/24(日) 11:32 )