16thkiss
暴走したボスがどろどろと溶け出している。
ゼクがこちらへと駆け寄り、ゴウカザルの姿を解いた。
「このままじゃ、ボスは……」
「諦めるしか、ないみたいね」
ボスはもう数人のこの街の抑止力が消そうと目論んでいるのを通信に聞いていた。C地区での激しい争いは一般人も巻き込んでいる。
正式に実戦部隊が動き、虫の息のボスを抹消するだろう。
その前に、とゼクは歩み出ていた。
「別れの挨拶を……してもいいか?」
キッスは静かに首肯していた。
「あなた達の間にも絆はあった。その証明くらいならば」
「助かる。五分だけでいい」
ゼクはゾロアークの姿へと変位する。最早、どのポケモンでもないボスがかつての同朋を目にし、攻撃の照準を向けようとする。
キッスはあえて何もしなかった。ゼクもただ佇むだけだ。
ガブリアスの皮膚が壊死し、骨格が見え隠れする。内側から空気を漏らしつつ、崩壊の一途を辿るボスへとゼクは頭を垂れていた。
「お世話に……なりました」
踵を返す。その言葉に全てが集約されているかのように。
様々なポケモンの声を混じらせたボスが膝を折る。ガブリアスの頭部が変位し、片方の相貌だけ、人間態へと戻っていた。
まさか、正気に返ったのか。
瞠目するキッスに、ゼクは何か言葉を投げようとする。
ボスの唇が声を紡ごうとして、その背筋へと数多の銃撃が打ち込まれた。
いつの間にか機動展開していたのだろう。この街の抑止力――隠密専門の暗殺者達がボスの身体を射抜き、その着弾点から炎を発する。
灼熱に抱かれたボスが声もなく灰塵に帰った。
ともすれば一番に安息の終わりであったのかもしれない。
苦しみもなく、ボスは消え去っていた。
ゼクは人間態に戻り、きつく目を瞑る。
「……行こう」
きっと、何かを言いたいに違いないのに。この街を、世界を呪いたいに違いないのに。彼は言葉少なのまま、こちらへとついた。
もうすぐ警察の正式部隊がC地区を固めるだろう。その前に、キッスは逃走経路を辿っていた。
ゼクもその経路をついてくる。
彼は公式ではないとはいえ、自分のモンスターボールに入った。
流れの中ではもう、自分の所持ポケモンである。
『キッス。また枷を作ったな。いや、今回は因縁か。まさか怪盗キッスの正体を掴まれるなど』
「失態だって、言いたいの?」
『ゾロアークのカムイ、か。覚えておこう。いずれ消さなければいけない相手がまた増えたわけだ』
キッスは静かに奥歯を噛み締める。
どれほどまでに強くなれば、この宿縁を断ち切れるのだろう。
今は、ただただ痛みに呻くしかなかった。
どうして自分がここにいるのか分からない。
そのような感覚がキザキに纏い付いていた。
「ワシは……何の目的でここに……」
A地区の居酒屋の前にどうしてだか座り込んでいた。ともすれば自棄酒でもしたのかもしれない。
警察手帳も、ましてや財布も持っている。継続記憶だけが曖昧だった。
後頭部を掻いていると不意に端末が鳴り響く。
『警部! 現状、C地区の謎の暴走ポケモンに関しての情報ですが……』
ヤマギの悲鳴じみた声に、キザキはそうだ、とコートの襟元を正す。
「そう、だ……。ワシは暴走ポケモンの対処に……」
歩み出しかけて不意にポケットの中から小さなチップが転がり落ちた。
何のチップなのだか、全く見当がつかない。チップの表面には「KIZAKI」と自分の名前が刻印されている。
「何だこれは? どうしてワシの名前のチップが……」
困惑している間も惜しい。
キザキは早速、タクシーを拾ってC地区へと向かった。
「主任。いいのですか?」
尋ねてきた部下にジョークマンはワイングラスを傾ける。芳醇なカロス産の赤ワインは疲れた身体に染み渡る。
「何が、だね?」
「ミスターキザキに、どうしてメモリーチップを持たせたんです? あれを解読されれば我々の危機となる」
そのような瑣末事か、とジョークマンは微笑んだ。
「あまりに自分達の思い通りに事が進み過ぎると面白くはないとは思わないか?」
「面白く……ですか」
「ミスターキザキは真実の喉元まで至った。そこまでの執念は買った結果だよ。なに、まだ運があれば彼はまたしても歯向かってくる。その時は最大戦力で迎え撃とうじゃないか。幸いにして、運命の一手は彼の手にある」
「やはり……危険です。あれは我が社のスキャンダルそのもの」
危惧する部下にジョークマンは頭を振った。
「追いすがってくるからこそ、こちらも走り甲斐があるというもの。個人的にはミスターキザキを認めている。だが、それは企業としては認知出来ないという形だ。ならば折衷案を作ればいい。我々の真の目的を知るのに、彼以外の適任者がいるとは思えない」
「警察内部で告発されれば……!」
「あり得ん話というのならばそちらのほうだろう。ジョウト警察は我が方に下って久しい。彼個人の能力を買っている。だから持たせた。その帰結では不満かね?」
「いえ……主任の判断ならば……」
「認める、か。案外、器量が狭いと足元をすくわれる。本当に大事な時に、ね」
眼下に広がるジョウトの夜景を目にしながら、ジョークマンは赤ワインを呷った。
『次のニュースをお伝えします。先日、怪盗キッスが強奪したホウエンの雪花少女の肖像が、本日未明に発見されました。劣化などはないと言う公式声明が出され、厳重な警備の下、カロス美術館へと移送される見通しです』
ニュースキャスターは淡々と語る。そこまでの道筋に何があったのか、まるで度外視して。
並々と注がれたエネココアは芳しい香りを発している。
「さて……ゼク君、だったかな。君はモナカちゃんに協力してくれる、と思っていいのだろうか」
マスターの言葉にカウンターに寄り付こうともしないゼクは頷いていた。
「ああ。おれはカムイを許せない。あいつを殺すのに、お前らが一番近い。……この街の流儀に、倣うとする」
「それは殊勝な心がけだ。して、モナカちゃん。彼の行動を許せるのかな?」
「許す、許さんちゃうやろ。ゼク、あんたうちの手持ちなんやからあんまり勝手な事せんときや」
「承知している。おれは怪盗キッスの手持ち。その認識でいいんだろう」
ゼクは不機嫌なまま二階へと昇っていく。その様子にマスターは嘆息をついていた。
「……彼も若いな。まだ、どこまでの事情なのか分かり切っていない」
「分かり切らんほうがええんかもね。……この街で、うちの正体を知る人間が、また一人現れた」
「モナカちゃん。でも君は彼の事を……」
「休むわ。マスター。後始末、ごめんやけれど」
皆まで聞かず、モナカは立ち上がる。
エネココアには手もつけていなかった。
「承知しているよ。モナカちゃん……、それでも君は、自由であって欲しい。それはこちらの押し付けなのだろうか」
聞こえていたが、モナカは無視して部屋に入っていた。
これまでのように過ごす事はもう不可能なのかもしれない。かといって「キッス」としての自分と、「モナカ」としての自分を切り離す事は、出来なかった。
ベッドに寝転がり、モナカは枕に顔を埋める。
「……どうしたらええん……。教えてよ、師匠」
首筋のキスマークをさする。消えない傷跡だけが、自分の過去と未来を縛っていた。
実行部隊は全員、白装束であった。
それはこの街が背負っている抑止力の現れであり、何よりも支配者への従属の証。
白装束の者達はコガネシティのビル街の中で不意に湧いた空間に集っていた。
十人程度の集団に過ぎないが、彼らは一様にバクフーンを従えている。
黒い獣達が中心地に向けて炎をくべる。灼熱の吐息に染まる中、白い炎に抱かれているのは骨壷であった。
白装束の者達が連れて来ていたのは三人の研究者である。
彼らを率いるのは一人の女性研究員であった。
歩み出て骨壷の中身を素手で確認する。
「……まだ足りませんね」
「命をどれほど吸わせても、復活の兆しは見えない。……この方法で本当に正解なのか。――カシワギ博士」
その問いに彼女――カシワギ博士は笑みを形作る。
「ええ、もちろん。まだまだ多くの命が必要。それだけは間違いないのだから。あなた達の守護神。――Xの爆誕には」
白亜の炎がゆらゆらと揺らめき、飛び散った火の粉が生き物の様相を呈していた。
『Re:FleXION 序』 破へとつづく