14thkiss
ゼクと名乗ったゾロアークは素直に事の顛末をこちらへと語りかけていた。
「おれ達は……元々カントーで死体の請負人をしていた。幻影に関して……説明は」
「カムイがしただけやね」
「じゃあ、改めて。おれ達の扱う幻影というのは変身とは一味違う。全く、誤差がないんだ。本物と何も変わらない。能力、重量、その速度、熱源、量子、光学センサー……全てを欺く鉄壁の能力。それが幻影だ」
そのようなもの、一度でも使役の方法を誤ればそれこそ身の破滅だろう。こちらの沈黙を悟ったのか、ゼクは頭を振った。
「そうだな……。使う人間次第で良くも悪くも……どちらにも転がる諸刃の剣だ。だからおれ達は従うしかなかった。ゾロアークが人間になれるとは言ってもその頭脳までは模倣出来ない。有り体に言えば、ポケモンである事を超えるのは出来ないんだ。人間の模倣は不完全……、それがおれ達ゾロアーク種の限界だ」
「つまり、あんたらは人間の真似事をしているだけ……、人間のように振舞う事は出来ても成る事は出来ひん、ってわけ?」
「そうなるな。だからボスは別格だったんだ。ポケモンがポケモンを扱う。簡単なようで、そこには倫理観や、あるいはポケモンという種ならではの何かが付き纏う。その隔絶がある限り、おれ達が使役する側には回れない。……その、はずだった」
「ボスはあんたらとは違う……」
「厳密におれとカムイをボスと異なる点を挙げる事は出来ない。だが、あえて言うとすれば、それは人を愛せるかどうかだろうな」
思わぬ推論にモナカは呆然とする。
「人を……愛する」
「そうだな、おれ達はモンスターボールという楔で人間との信頼関係を築いている。だが、モンスターボールなしで、ではおれ達ポケモンと分かり合う術はあるのか、という話になると」
途端に雲行きが怪しくなる。モンスターボールの支配に両者共に慣れて久しい。この支配の構図に亀裂が走るのはあってはならぬ事。
「モンスターボールなしでは、人間はポケモンと分かり合う事は決してない、と言いたいん?」
「完全ではないが、八割はそう言ってもいいだろう。人間は古来よりポケモンを従えるべき存在としてきた。だからおれ達が人間態に成れる、仮初めでも人間の真似事が出来る、というのは革新的だったんだ」
誰にとっては、とは言われないが、それはあらゆる組織にとってだろう。
人間の代わりが出来るポケモン。人間よりも死ぬ確率の低い使い手。
「その死体転がし程度で、カントーの人間は満足しとったん?」
「逆だろうさ。おれ達を死体転がし程度以上に使う事を……恐れていたんだと思う。だがボスは違った。ボスは裏組織での支配力を高めていき、ジョウトへと渡りをつけた。そこから先は、繰り返しになっちまうが」
「ゾロアークのみの、盗賊団の設立。ジョウトにおける支配権の確立、ね……。でも夢物語やん。どれもそれに至る一手が足りてへんよ」
「だからチャンスだったんだよ。お前が落とした獲物が、そのままジョウトPMCとの渡りになったのは」
迂闊であったのは一番に自分か。獲物を掠め取られたばかりか、ジョウトPMCに力を与える結果になった。
「……でも、それでも分からんよ。何で、カムイがボスを殺したがっているって話になるん? だって一番にボスを信用しているように見えたけれど」
「おれ達は化け狐ポケモン、……幻影を操る虚飾の使い手だ」
「うん……それはまぁ」
「誰よりも自分を欺けなくってどうする? カムイはそれがおれ達の中で一番……ダントツだった。自分の自由意志を封じ込め、従順を装った。あいつはポケモンの賢しさと人間のずる賢さを併せ持った稀有な存在だ。だからおれはあいつがボスと仲違いをするのは目に見えていた。でも、それがこんなにも早まったのはやっぱりお前のせいだ」
「うちが、獲物を掠め取られたばっかりに、って言いたいん?」
「ボスが野心を燃やすのはもっと後だっただろうし、それを始末すべくカムイが動くのも、だっただろうな。おれ達の時間を早めたのは、お前なんだよ」
破滅への針を人知れず進めてしまったわけか。それでも、とモナカはカムイのような青年が、ボスを恨み、そしてカシワギ博士を殺すと言うのか。
それだけは理解出来ない。
「ボスを恨む気持ちも、カシワギ博士を殺そうとする理由も見つからんけれど……」
「そうだな、ここまでの話では、だ。おれ達はボスがいなくてはサファリパークの中で飼い殺しにされるだけの存在だった。その点ではボスに感謝している。あの人が全ての始まりだった」
カシワギ博士を愛し、ポケモンである事さえも超えようとしたゾロアーク。だが、カムイはボスを尊敬していたはずだ。
「人間を理解しようとした……」
「しようとした、じゃない。したんだ。あの人は理解した。人間というものの構図とポケモンというものの在り方を。……だが、そこには歪な価値観が纏いつく」
「歪な価値観?」
「カシワギ博士は研究者。ボスは観察される側だった。普通、観察者とそうでない側が入れ替わるなどあり得ない。だから、おかしいんだ。二人が対等になるのは」
今までの話し振りからしてみればボスとカシワギ博士が同一線上に並ぶ事、それそのものが絶対にあり得ない、という構図になる。だがボスは人を愛する事の出来るゾロアークであった。ならば別段、カシワギ博士を愛していてもおかしくはない。
「……分からんなぁ。ボスはカシワギ博士を愛したんやろ? だったら、別に人間と同じものを見ていても……」
「ああ、愛したさ。だがその感情そのものが、もし、偽りだったとすれば?」
これまでの話が急に破綻する。しかし、とモナカは頭を振った。
「偽りやったら……そもそも人間みたいには振る舞えないんちゃうん?」
「振る舞えない……、そう、事実関係を踏まえれば振る舞えないはずだ。そこで偽りの関係を構築するのがもし、一人ではなく二人だとすればどうなる?」
ハッとモナカは息を呑んだ。
「まさか……あんたが言いたいのって……」
ゼクは重々しく頷く。
「そうだ。カシワギ博士を愛したのはボスだけじゃない。カムイも、であった。カムイはボスに化けて何度もカシワギ博士と逢瀬を交わしたはずだ」
だがそのような事、ボスが看過するはずもない。
「じゃああんたらのボスって何やったん? それ許したら、ボスの立場も……」
「ないはずだが、幻影を操る、という点においてずば抜けていたのはカムイだ。幻影には記憶も含まれる。お前ら人間が重視する、記憶だ。ボスに偽の記憶を植え付け、さも自分が支配しているかのように錯覚させるのは難しくはないだろう。カムイならば」
だとすればこれまでの関係性が逆の様相を呈してくる。何もかもが偽りであるのならば、それらの帰結する先は。
「じゃあ、わざとやって言いたいん? ボスをジョウトPMCに引き渡したのも、カシワギ博士の身柄の奪取に手を貸したんも?」
「それらが全てカムイの緻密な計算の上に成り立っているのだとすれば、お前も、だ。女子高生。お前がカムイに決定的なチャンスを与えてしまった。お前さえいなければカムイはまだ行動を起こさなかっただろう」
何という事だ。カムイの背中を押したのが他でもない自分など。
モナカが沈黙していると端末が鳴り響く。
通話先はノエルであった。
「ノエル? 遅いよ、あんた」
『すぐに繋げる状況じゃなくってね。……移動中のようだな』
こちらの位置は常にGPSで監視しているはずだ。モナカはゼクへと視線を流した。
「ちょっと野暮用でね。で? あんた何やってたん? 繋がらんかったけれど」
『事後処理が面倒な案件が急に入ってきてね。単刀直入に言おう。保護対象が死んだのを確認した』
保護対象。その言葉にモナカは真っ先にカシワギ博士が浮かんでいた。
「まさか、博士が?」
『……我々も上手を行かれたというべきか。今、博士の身柄は君に一任されているはずだな?』
カムイに任せたとは言えない。モナカは一度飲み込んでおくべきだと感じた。
「……そうやけれど」
『だとすれば……誤差が生じてくる』
「誤差? 何言うとるん? あんた」
『我々がD地区で博士の身柄の最終確認をした際、既に時刻は22時を回っていた。だが、博士の死亡時刻は、そのさらに二時間ほど前であったと推測されている』
モナカは額に手を当て、頭を振っていた。
あれはカシワギ博士ではなかったとでも言うのか?
「……分からん事言わんといて、ノエル。何がどうなっとるん?」
『分からない。分からないが、危険だ。このままでは、我々の窺い知らぬところで、何もかもが決着する。それだけは阻止しなければならない』
「この街を預かっている以上、……か」
『やれるな?』
全ての処理を、という意味だろう。モナカは一も二もなく頷くしかなかった。
コガネシティの秩序の守り手、怪盗キッスであるのならばここで応じるべき言葉は決まっている。
「馬鹿にせんといて、ノエル。うちを誰やと思っとるん?」
『……そうだったな。位置情報を送る。恐らく偽装されたものだが、先ほどまで君の搭乗していた高級車のIDだ。決着をつけてもらう』
IDと位置情報を確認し、モナカはタクシー運転手に声をかけていた。
「その、ごめんな、タクシーのおっちゃん」
相手がハッとする前に一撃で運転手を昏倒させていた。
タクシーが横滑りしながら道路のど真ん中で停車する。
ゼクが耳を塞いでその様子に唖然としていた。
「何してるんだ! 危ないだろ!」
「こっから先は、危ないなんて言ってられんのよ。ゼク、やったな? あんた、どういう決着を望んどるん?」
「どういうって……」
「あんた次第で、死人の数が変わる」
その言葉の切迫にゼクが息を呑んだのが伝わる。
「……おれの返答だけで」
「十秒以内に答えて。あんたは結局、どうしたいん?」
制限時間を与えられたゼクは目線を伏せた後、応じていた。
「……出来れば、ボスもカムイも、まだ死んで欲しくない。カシワギ博士にも、だ」
その返答にモナカはふんを鼻を鳴らす。
「あんたが一番……お人好しやったわけ」
「ボスは、おれと共にジョウトPMCに捕獲された。多分、辿っている道も……」
戦闘用に変換させられた、という事か。
モナカはタクシーの運転手を路肩に捨て、ハンドルを握る。
「一つ言っておくけれど、あんたの思う通りになるとは限らんよ。最悪の想定もしておいて」
「それでも……最後まで見守らなければならないんだろう。……おれ達の行く末を」
モナカはフッと笑みを浮かべ、タクシーのアクセルを限界まで踏み込む。
エンジンが点火し、夜の街にいななき声を上げた。
「ノエル! 高級車の位置情報、これが最新?」
『そのはずだ。君が本気を出せば、なに、二十分で追いつけるだろう』
「そりゃ結構!」
ハンドルを切り、モナカは対向車線へとタクシーを踊り込ませる。驚愕した対向車からクラクションの波が押し寄せてきた。
それらを車体で受け流しつつ、モナカは首筋のキスマークをなぞる。
収納用のボールに入れられた衣装が棚引き、瞬時に「モナカ」を「キッス」に変換していた。
突然の変身にゼクが言葉をなくす。
「まさか……怪盗キッス?」
「あたしが盗むべきは……あなた達のつまらない諍いの種。そしてこのコガネを任されている以上、静観も出来ない。あたしはジョウトの怪盗キッス!」
ハザードランプの光が線を描き、タクシーが車道を逆走した。