13thkiss
面会を求めてすぐに応じられた事実にキザキは反感を持っていた。
こちらの要求をすぐに呑む姿勢を取るという時点で、一手負けている。それを噛み締めるようで癪であったのだ。
仕立てのいい赤い絨毯と、芳しい紅茶の香りが漂う応接室。そこに訪れたジョークマンは笑みを浮かべた。
「これはこれは、ミスターキザキ。何の御用ですかな」
「御用も何も、問い質しに来たのだがな。お前さん達の悪行を」
ジョークマンは対面のソファに体重を預け、はてと首を傾げる。
「何の事やら」
「……いい。時間はたっぷりとあるはずだからな」
「その通りです。時間だけは有り余っている」
「まず貴様らがこのジョウトで何をしようとしているのか、それを詳らかにしてもらいたいのだが」
「何度も言わせないでください。怪盗キッスの掃討ですよ」
「その掃討という名の抹殺作戦に……一枚でも噛んでおるのが悔しいほどだな。警察上層部との蜜月」
「あまり迂闊な事を発言するべきではない。どこに耳があるか分かりませんよ」
どこまでも余裕ぶったジョークマンの態度にキザキは何度か頷いた。
「そうだな、あまり迂闊な事を言えんのはお互い様……。単刀直入に言おうか。貴様ら、カシワギ博士に何をした?」
「何を、とは?」
「あの人は、何か罪を犯してあの留置所にいたわけではないのだろう? いや、むしろ逆か。あの留置所が一番に安全であった」
「仰っている意味がよく分かりませんな」
「では言い方を改める。カシワギ博士はジョウトPMCにおける兵器開発部門の人間であった。彼女が今日に渡るまでジョウトPMCの資産を作り続けた、その功績は大きい」
「どこから仕入れたのやら。まるで心当たりはありませんね」
「このミアレ産の紅茶と同じく、でしょうな。どこからともなく仕入れられる。情報などはそういうもの」
「どうにも……、疑り深い性質のようだ」
ジョークマンが優雅に紅茶を口に運ぶ。キザキは一切手をつけなかった。
「それが職務でしてね。ではここから先は持論を進めさせてもらう」
「ご自由に」
「まずはカシワギ博士……、彼女はジョウトPMCに所属する兵器開発、及びポケモンの生態調査の第一人者。しかしその彼女が、どうして留置所なんぞにいるのか。その答えは推し量るまでもなく、知ってはいけない事を知ってしまったら。それに尽きるのでは?」
「逆質問ですか? そのような稚拙な手には」
「考えを話しているのみです。知ってはならない事、不都合な事とは、では何か? これは推理するしかないのですが、彼女はジョウトPMCに関わる何が重大な欠陥を見抜いた。いや、見抜いたというよりかは見つけてしまった、と言ったほうが正しい」
「面白い推論だ」
ジョークマンの余裕に内心歯噛みしつつ、キザキは続ける。
「その内情は恐らく……特一級の機密……。これは外しても文句は言えんのですが、兵器開発部門にいた人間が知ってはならぬ事、という風に考えていくと自然とある帰結に導かれる。それは幹部クラスの人間の秘密」
「ミスターキザキ。あなたの想像力は逞しいな。見習いたいほどです」
「そりゃどうも。で、幹部クラスの人間と言えばそりゃ限られてくる。自分達の前にはあんたくらいしか出てこないが、そりゃやんごとなき身分のお方の名前も並んでおるのだろう。そういう秘密を知ってしまった。知ったからには消されなくてはならない。だが、表立って消すのにはカシワギ博士は功績を残し過ぎている。ではどうするか? 罪をでっち上げて留置所にぶち込むのが、安全策だと思われる」
ジョークマンは乾いた拍手を浴びせて笑みを形作った。
「まったくもって、事実無根な話です。それとも……あなたはジョウトPMCトラストにそこまでご興味がおありで?」
「ああ、是非ともご教授願いたいほどにな。その悪辣なやり方を」
「心外ですよ。我々はビジネスでやっている」
何がビジネスなものか。相手は死の商人。どれほどまかり間違った事を行っていてもおかしくはない。
「ではそのビジネスの延長線上で、死人が出たとすれば? それはあなた方の損害となる」
「はて、何の事やら」
「……もっと分かりやすく言いましょうか? ゾロアーク三体」
ぴくり、とジョークマンが眉を跳ねさせたのが一瞬だけだが伝わった。
「何の事だか」
「ゾロアーク三体がカントーで行っておったビジネス。それは死んだ人間を今も生きているように偽装するという、そういう裏稼業。ですがそこにもし、貴社が絡んでおったとすれば? そのビジネスに破綻する話がどこかで持ち上がったのならば、全てをなかった事にするためにカシワギ博士共々、真実をばらけさせた。一人から芋づる式に内情が明らかになったのでは困りますからな。大方、ゾロアーク三体とカシワギ博士を絶対に会えないように仕組んだ」
確信めいた声音にジョークマンは嘆息をつく。
「まさに……誇大妄想ですよ。一度お医者にかかる事をおススメする」
「そうですかな? 自分はこれでも真っ当なほうだと、思っておりますが」
「ではその真っ当な真実だとして……、そこから先をどう繋げます?」
これは試されているのだ。ここで間違った事を一つでも言えばまたしても真実から遠ざけられる。
慎重に言葉を選ばなくては、とキザキは一度紅茶で喉を潤した。
「そうですな。例えば……ゾロアーク三体の行っておったビジネスは先細りであった。所詮は裏稼業の、なおかつ死体を動かすというどこか都市伝説めいた話。立ち行かなくなる事は目に見えていた。ゆえに、最初から手を打っておいた、というべきでしょう。ゾロアークの管理者……カシワギ博士。彼女を幽閉し、ゾロアーク三体のビジネスに一度、待ったをかけた。つまり、高飛びさせたのです、その三体を。カントーの領域ではうまくいかない、と本人達に思わせ、連中をわざと遠ざけた。しかしながら、ここで弊害として立ち塞がってくるのが、あなた達のビジネス方針だ。ここ一ヵ月前後の、ね」
「もったいぶらなくってもいい。それは何ですかな?」
「――キッス抹殺」
ジョークマンはフッと笑みを浮かべる。当たらずとも遠からずの確信があったキザキは捲くし立てた。
「そういう風に、貴社は方向転換をせざる得なかった。キッスを殺すためには、ジョウトに渡らなくてはならない。しかしジョウトには、くしくも追放したゾロアーク三体と、カシワギ博士の身柄がある。どこかで直面せねばならない可能性に、あなた方は気づいていた。ゆえに導き出されるのは……ゾロアーク三体との接触でしょう」
「面白い冗談だ。あなたにはセンスがある」
言葉の表層にもない賛美にキザキはふんと鼻を鳴らす。
「そりゃどうも。で、ゾロアーク三体とうまい事接触出来たあなた方が次に打ったのは、カシワギ博士の身柄の解放」
「それは矛盾しておりませんか? カシワギ博士を留置所から出さないのならばさもありなんですが、出してどうするのです?」
「知れた事。留置所の中で死なれては困る腹の内があったからでしょう。どこまで彼女が知っておるのかを一度問い質さない限り、殺すのにも一苦労する」
ジョークマンは微笑みつつ、またしても紅茶を口に含んだ。キザキもあまりに話し過ぎたためか、紅茶を飲み干す。
「そういう風に、仮に出来ていたとしましょう。ですが、全てが逆の方向を向いていますよ? キッス抹殺、カシワギ博士の生存の危惧、ゾロアーク三体との接触……、これらは全く別ベクトルの話だ。ミスターキザキ、あなたのお話、大変に興味深いですが、それとこれとは別の話。どうしてキッス抹殺を第一に掲げたとして、ゾロアーク達と接触しなければならないのです?」
そこだけはキザキも疑問ではあった。カシワギ博士とゾロアーク。カシワギ博士とジョウトPMCは繋がるのだが、ゾロアーク達とジョウトPMCがどうしても繋がらない。
憶測混じりの話にはどこへでもつけ入る隙がある。相手に一度でも反論を許せば負けるこの局面で、反証材料をくれてやってはいけない。
「……完全な推測になって申し訳ないのですが……ゾロアークはあなた方の企業に操られている事を知らなかったとすれば? 新進気鋭の有数企業であるジョウトPMCに、向こうから接触したとすれば? 好条件をちらつかせて餌に食いつくのを待てばいい」
「それも矛盾ですよ、ミスターキザキ。どうしてゾロアーク達が企業を食い物にしなければならないのです? 彼らはカントーを追放された……という体であなたは進めている。ならば静かに過ごしたいのが人情では?」
確かに一度でも裏稼業を追放されれば復帰するのは難しい。幾度となくキザキはそういう手合いを見てきたクチだ。だからこそ、相手に相当な理由がない限り、もう一度裏で商売をやるというは納得出来ない。
理由――、理由だ。理由が必要である。
一度裏から見限られたゾロアーク達が、またしても裏に手を染める理由。そうでなければ、ゾロアーク達は自分達を操っていた親玉企業にまたしても心を売る道理はない。
分かっていてもジョウトPMCを選んだのか、分かっていなくってジョウトPMCを選んだのかでも異なる。
そこだけは埋めようのない部分だった。
何か、情報が要る。この隔絶を埋める情報――確固たる理由が。
ここで推し負けるか、とキザキは覚悟しつつ、口を開いていた。
「……ゾロアーク達は確かに、当初は静かに余生を過ごすつもりだったのかもしれない。それでも、彼らが裏に再び手を染めた理由は……大きな一歩を手にしたからだ。その一歩を最大限利用するのには、巨大企業のバックが必要。ジョウトで大手を振るう企業は今のところジョウトPMC一社のみ」
「分かりませんな。何を得たというのです? それが分からぬ限り、いつまでも推論の域を出ない」
悔しいがその通りであるのだ。ゾロアーク達が何を理由にして企業をバックにしたのかを明確にしなければこの命題は一生解けない。
得たものと、それを笠に着る理由。その両者を同時に、なおかつ最短距離で相手へと突きつける。でなければ、敗北するのは必定。
「ゾロアーク達が手に入れたのは……」
鼓動が跳ねる。汗を額に酷く掻いていた。一手でも間違えればとんだ愚か者。
この博打、少しでもたじろいだほうが負ける。
口にしかけて端末に着信が来た。
ジョークマンは余裕ぶってどうぞ、と促す。キザキはその眼から視線を外さず、通話を取っていた。
「……何だ?」
『警部? 今、明らかになった事なんですが……落ち着いて聞いてください』
ヤマギの声が妙に反響して聞こえてくる。背後に漏れ聞こえる雑音は無数の無線通信か。
「落ち着くも何も……いいや、言ってくれ」
眼前の敵を前にして少しでも気後れしてはならない。ヤマギは潜めたような声になる。
『……その、これは極秘事項でまだマスコミも嗅ぎつけていない事なんですが……カシワギ博士。留置所から出た足取りが浮き彫りになりました』
「本当か? 博士はどこへ?」
それ次第でこの状況を打破する一手となる。それを期待したキザキに、ヤマギは端的に言ってのける。
『事実のみをお伝えします。……カシワギ博士は留置所から秘密裏に外に出たところを、何者かによって殺害され、つい数分前に……D地区の工業排水に浮かんでいたところを、死体で発見されました』
最初、その言葉の意図するところがまったく読めなかった。分かっていても理解を頭が拒んでいた。
ヤマギの声が遠くに聞こえる。
『死因は射殺と見られ……やはり何者かが手を回した後が……警部? 大丈夫ですか? キザキ警部?』
馬鹿な、あり得ない。その事実は自分が今までのたまってきた言葉を根底から覆す。
「射殺、だと……? まさかそんな……誰が……」
ジョークマンがにやりと笑みを刻む。まさか、とキザキは端末を下ろしていた。
「貴様らか……! 貴様らが博士を……!」
「はて、何の事やら。それよりもいいのですか? 部下の話を聞かなくって」
そうだ。ヤマギに事実情報を確認させなければ。キザキは再三問い返す。
「ヤマギ、それは、本当の事なのか……」
『全て事実です。今現場はしっちゃかめっちゃかで……。何者かがD地区で戦闘行為を行った形跡があります。それに隠れての抹殺でしょうね。D地区にはキッスの搭乗していた高級車の姿も監視カメラに映っており、キッスとの関連も……』
「馬鹿な、キッスが殺しなど……するはずがない」
何らかの意図が作用している。だがその原因がまるで掴めない。
ジョークマンは余裕しゃくしゃくで紅茶のカップを傾ける。
まさかここで足止めを食らっているのは自分のほうなのか。ジョウトPMCを追い詰める情報を見つけ出したつもりが、炙り出されたのは愚かにも自分だったのか?
『とにかく高速道路は無茶苦茶な有り様ですよ。こんなんじゃキッス生存も絶望的かと思われていて……。今、解析班が監視カメラの映像を追っていますが……』
キッスも殺されたのかもしれない。その事実にキザキは目を戦慄かせる。
眼前に佇む死の商人に、キザキは睨む目を向けた。
「貴様ら……どこまでも汚い手を……!」
「ミスターキザキ。先ほどから推論ばかりです。我々は、やっておりません」
「どの口が……! 貴様ら最初から、ワシをここで足止めするために……」
その時、視界が揺らめいた。急な眩惑にキザキは膝を折る。脳内がズキズキと痛み、今にも意識が閉じそうであった。
「これは……まさか、一服盛ったのか?」
「何の事やら。ミスターキザキ。あなたには一度、振り出しに戻っていただく。少しばかり、賢かったようだ。なに、記憶を都合のいいもの悪いもので判別する術は既に確立されて久しい」
「記憶の改ざんなど……、貴様らそれを使って……!」
そのような手段があれば、カシワギ博士を殺す必要も、ましてや留置所に幽閉する必要もなかったはず。
閉じかけた意識がある推論を紡ぎ出した。
「カシワギ博士の見つけた何かは……記憶ではなく、記録……?」
彼女は言っていたではないか。記憶は人間に依拠するものだが、記録はそうではないと。既に鍵はあったのだ。キザキはそれを取りこぼした事に今さら気づく。
「そこまでとは。我々としても貴方を嘗めていた。ミスターキザキ。一度真実の戸口に立ってしまえば、それは消滅するしかないのですが、貴方の存在は警察組織にとって大きい。一つのパズルのピースとは言っても、貴方ほどになればそれは重大な損失となる。ゆえに、我々は貴方を生かしたまま戻っていただく。それが一番にいいはずですからね」
「貴様っ……! やはりジョウトPMCはゾロアークと共謀して……」
「共謀ではない。それだけは、強調しておきましょう。我々はポケモンを理想的なビジネスモデルとしています。兵器として、優れた性能と持っているという評価を。ゆえに、協力関係はあり得ない。我々が一方的に利用するのみです」
キザキは震撼する。ここでこの連中を取り逃がしては駄目だ。自分がここで正義を、鉄槌を下さなければジョウトは暗黒時代に突入する。
「貴様ら……っ、それでも人間か!」
「可笑しな事を仰る。人間であるからこそ、ポケモンを最大限に利用するのでしょう? そして、人間だからこそ、謀には慎重になる。ミスターキザキ。貴方から大切なものを奪う事など造作もない」
真っ先にミサの姿が思い至る。奥歯を噛み締めたキザキはぶれる意識の中、固く拳を握り締めた。
「貴様らはぁっ……!」
振るった拳がジョークマンの頬を捉える。慌てて彼の部下が制そうとしたが、ジョークマンはハンカチで頬の端を拭ったのみであった。
「禊の血です。これくらいは甘んじて受けましょう。そしてミスターキザキ。一度ここまで肉迫せしめた性根、さすがと評しておきます。もう一度我々と対面した時には、それこそ死に物狂いで向かってくるのが正しい」
キザキはその言葉が意識の表層を滑り降りていくのを感じた。
身体が虚脱し、最後の一線が闇に没した。