序『Ki―SS OF LIFE』
12thkiss

 尋ねた声にカシワギ博士はううんと唸る。

「そう、ね……。あると言えばあるし……でもないと言えばない」

「今は、言葉弄している場合でもないんよ。命かかってるし。単刀直入に聞くで。あんた、ゾロアークの研究に携わっていた、カシワギ博士やんな?」

 その問いにカシワギ博士は困惑気味に頷いた。

「そう……私が、ゾロアークの、カントーにおけるレポートを一任されていた……」

「オーケー……じゃあ、狙われるいわれくらいは分かるんちゃうん?」

「……私の管轄だったゾロアーク……。カムイ君が本当にここにいるの?」

「察しがいいんは及第点。で、うちはあんたの身柄を引き渡された、とんだ災難やったわけ」

 カシワギ博士が周囲を探ろうと首を巡らせる。カムイはゆっくりと、その目隠しを取ってやった。

「カムイ君……?」

「カシワギ……博士」

「どうしてこんなところに? だってあなた……ジョウトに逃げたって……」

「そのジョウトなんですよ。まだここは、ジョウト地方のど真ん中です」

「それどころか、コガネシティでドンパチやったって……その博士は信じるんかなぁ?」

 カムイは項垂れ気味に首を振った。

「なんて事を……、俺達はなんて事を……!」

「今さら他人気取るのは勘弁な。あんたも一連托生やから、ここまで来たんやろ?」

 それは、とカムイが言葉を縮こまらせる。カシワギ博士は言葉を次いだ。

「カムイ君……、ゾロアークであるあなたが、どうしてこんな……? この人は……キッスって……?」

「博士、話せば長くなります。とにかく今は落ち着いて……」

「一番落ち着かなあかんのは、あんたやろ。どれだけの修羅場潜ったと思っとるん? ガブリアスに、メガヤンマの包囲網に……。一晩のキャパ越えとるわ……っ」

 額に手をやると、着地すべき道路が見えてきた。モナカは最後まで気を緩めずに着地点を見定める。閑静な住宅街に高級車を横付けしたが、監視カメラには映っているだろう。そこまで逃げ切る事を重視出来ない。高級車は捨て去るべき。

 後部座席のカムイがカシワギ博士へと語りかけている。

 博士は一つ一つ、解きほぐされていく謎に目を見開いていた。

「それで……カムイ君、あなたは」

「俺は、ボスと共に行動していました。でも、あなたの身柄を引き取るなんて思いもしない」

「こっちの台詞やけれどね。カシワギ博士、やっけ? あんた、こっちの流儀は分かってるん?」

 博士は慎重に頷いた。

「あなたが何者であれ、命を救ってもらったようだもの。報いるべき恩義があるわ」

「それが分かってるだけでも上々、か。カシワギ博士、あんた――」

 言葉にしようとして不意に道が断崖に阻まれた。

 住宅地に不意に湧いた異常な空間にキッスは慌てて車を横滑りさせる。

 眼前の絶壁から先の粉塵が舞い散っている。

「何だ、急に止めるなんて」

「……それ、うちが聞きたいわ。住宅地のど真ん中で断崖絶壁? どういう事なん? これ」

 周囲を見渡しても自分達の目の前だけだ。他の景色は正常である。

 仕掛けられている、とモナカは戦闘神経を研ぎ澄ます。

「あんた、もしもの時は車動かすくらいは出来るよな?」

「ちょ、ちょっと待てよ! キッス! 君は――」

「この敵は、うちを追ってきた可能性が高い。カシワギ博士の身柄の確保。そのためには、C地区でも仕掛けざるを得なかった。ここから西に向かえばA地区まで戻れる。A地区の中ではさすがに相手も迂闊な手は取れないはず」

「ここで、打ち止めするって言うのか……。だが、敵の正体は……」

「分からんけれどやるしかないやろ。退路を断たれる前に相手を倒す」

 運転席から歩み出たモナカは眼下の絶壁に石を蹴り入れた。

 この絶壁は本物なのか。それとも認識を操られた結果の偽者なのか。判ずる術はない。

 蹴った石は遥か下方へと落下していく。

 落下音で幻覚かどうかを探る手段もない。

 モナカは息を詰め、首筋のキスマークをなぞる。

 瞬時に衣装が飛び出し、モナカを「キッス」へと変身させていた。

「さぁ、あたしを前にして、何の用かしら?」

 断崖の向こう側に薄っすらとした影が立ち竦んでいる。

 キッスはサクラビスを繰り出し、敵へと照準を注ぐ。

「言っておくけれど、あまり戦っていられる時間はない、のよっ!」

 サクラビスが水の砲弾を撃ち込んだ。敵は呼応して地面を蹴りつけ、あろう事か断崖絶壁へと飛び込む。

 しかし、敵の足元は見えない地面を捉えていた。

 ――やはりこの断崖、虚飾……幻の類か。

 判じても、キッスは迂闊に飛び込む気にはなれなかった。断崖絶壁の底から漏れてくる空気、空いた空間を突き抜ける独特の音、さらに言えば、土くれの臭気でさえも。目の前の幻想が、ただの幻覚ではない事を物語っている。

 自分で自分を欺き、ただのコンクリートが広がっているはずだと、八割方分かっていても踏み出せない。

 生物の根幹部分が現実として受け入れる事を拒否している。

「これほどの幻術を用いられるポケモンは限られている……、何より、その身のこなし。覚えがあるわ。つい一時間前にね!」

 サクラビスの水の砲弾が敵を追い詰めようとする。中空へと舞い上がった相手が炎を発生させた。

 拳の形に固められた炎が充填され、こちらへと突き込まれていく。

 サクラビスの張った水の皮膜が相手を弾きようやくその姿が露になった。

「ゴウカザル……いいえ、ゾロアークか!」

 サクラビスの生じさせた水の皮膜が反射し、ゴウカザルの片腕を引き裂く。

 引き裂かれた皮膜の下で、黒く染まった爪があった。

 相手は幻影を操るゾロアーク。しかもこの相手は一時間前に自分と戦った、カムイの仲間のはずだ。

 しかし何故、自分を先回りし、ここで立ちふさがるというのだろう。

 考えられる理由は少ない。

「……あなた、ジョウトPMCに心を売り渡したわね?」

 こちらの返答を待たず、ゾロアークが跳ね上がる。ゴウカザルへと再度変身し、格闘戦術が叩き込まれた。キッスはサクラビスの水の皮膜を張らせつつ、後退の一手段を取る。

 断崖絶壁、幻影だと分かっていても、人間の認識ではそれを「在る」のだと信じ込んでしまう。

 ゆえに、「在る」ものを否定は出来ない。それこそ脳を騙せでもしない限り。人間であるために弱点を突き詰められた結果になった。

「偽物でも……本物以上にリアルなら、それは本物ってわけ……」

 幻影を打破する方法は今のところ見つからない。

 その時、守っていた高級車が急発進した。

 西方へと逃げていくのを一瞥し、キッスはゴウカザルの封じ込めに入る。

「充分離れてから使うつもりだったんだけれどね……。っていうか、あなたさっきから言葉もないのね。お喋りだった一時間前とは大違い」

 ゴウカザルが吼え、こちらへと一気に拳を見舞う。キッスはルージュラを繰り出していた。

「あのホテルの室内では、本気を出さざるを得なかったけれど、今は少しばかり冷静になれる。あなた達、少しばかり粗雑よ。ジョウトPMCにいいように操られている」

 そこまで諭してやってもゴウカザルの猛攻は止まらない。

 致し方ない、とキッスはルージュラに地面からの放射冷却でゴウカザルの足を絡ませる。

 もつれたゴウカザルが転がり込んだ空間にサクラビスの「なみのり」を浴びせた。

 ゴウカザルに化けていたゾロアークが後ずさる。断崖絶壁が今にも消えそうになっていた。

「体力もレッドゾーン。見たところ長期戦にも向いてないみたいだけれど、どうするの? ここであたしにやられるか、少しばかり冷静になった頭で組織の事を話すか」

 選択肢を与えてやると、ゾロアークは牙を軋らせて吼え立てる。

「……そう。もう、話し合いは通用しないわけ」

 肉迫したゾロアークが爪を差し込もうとする。頭部へと振りかざされた一撃に、キッスは応じたのは少ない。

 ルージュラに防御させ、サクラビスでその腹腔に砲弾を見舞わせる。

 それだけでゾロアークが昏倒した。

 まだ殺してはいない。生きているゾロアークをモナカはブランクのモンスターボールで回収する。

「あなたからしてみれば屈辱だろうけれど、我慢してね。……まぁそれでもジョウトPMCの玩具にされるよりかはマシか」

 独りごちたキッスは端末に高級車の足取りを掴ませる。

 狙い通り西方に向かっているようだが、問題なのはこのゾロアークだけが相手の手駒ではない事だろう。

「あたしを足止めするための戦力か。あるいは、他の手が打たれているのか。いずれにせよ、このままじゃジリ貧ね」

 戦うにしても、相手の幻影は遥かにこちらの想像の上を行く。敵として立ちはだかるであろうと想定されるゾロアークは残り一体。

「……いいえ、カムイ。彼も反抗する可能性はある。問題なのは、現状、ジョウトPMCの読み通りにどこまで進んでいるか」

 とはいえ、足を失った自分ではカムイには追いつけないだろう。「モナカ」へと戻り、タクシーを探すしかなかった。

「よりにもよってC地区の住宅街、か。ノエルに連絡を取ったほうが早いかも」

 通信を繋ごうとするとノエルはなかなか出なかった。おかしい。ノエルへの直通がうまく動作しないのは、余程の事である。

「出ぇへんの……? ノエル、何を時間かけて――」

 そこから先を遮るように、ホルスターに留めたモンスターボールが蠢動した。

 ハッと気づき、咄嗟に投げ捨てる。

 ボールから飛び出したのは先ほどのゾロアークだ。

「ボールの束縛を解く、って……? 地力で?」

 ゾロアークはしかし、戦意は完全に失せているようであった。頭を振り、周囲を見渡す。

「ここは……」

「正気に戻った、ってわけか。あんた、利用されてたんよ」

「お前……あの時の女子高生……? 何だってこんな場所に……? 確かおれは、ボスと共にジョウトPMCの連中に囚われて……」

「やっぱり、ジョウトPMCの尖兵に成り果ててたって事か。ボスも一緒なん?」

「……お前に話す義理はない。どうなっているんだ、一体……」

「困惑する間に、人間の姿に戻れば? タクシー呼んださかい、ゾロアークのままじゃ何にも出来んよ」

「……どうやらその通りらしいな」

 人間態へと相手が変身する。正気になったにしては随分と攻撃的な眼差しであった。

「で? ジョウトPMCに何されたんか知らんけれど、うちの命狙って何がしたかったん?」

「お前の命……? おれは、確かキッスと戦っていたはずだが……」

 その事実は今のところカムイとボスしか知らないのであったか。モナカはすっとぼけた。

「ああ、キッスを追っていたんやったね。キッスなら逃げたよ」

「逃がした……? いや、おれは、どうしてそもそも……?」

 記憶を手繰るゾロアークにモナカは息をついていた。どうしてこう、物分りの悪い連中ばかりなのだろう。

「あんたも……カムイも、どうしてこう、一発で分からんかなぁ」

「おれはボスにのみ忠誠を誓うと決めたからな。カムイ……あいつもおれと同類ではあるが、異なるのは最終目的だろう」

「最終目的?」

 そういえばカムイは何のためにジョウトに来たのかまでは言っていなかったか。それを察したモナカにゾロアークは小首を傾げる。

「……分からんな。何故、お前はあれを信用している。おれは奴こそ一番に信用ならないと思っているのに」

「純粋かどうかやろ。あんたは、そうは見えへんもん」

「純粋……騙されやすい、という言葉に言い換えられるな。お前、まさかカムイの真の目的を知らんのか?」

「真の目的ぃ? あんたら、所詮はカントーの落ち武者連中やろ?」

 その判断に相手は大きく頭を振った。

「何を勘違いしているのか分からないが、おれ達は落ち武者どころか……カントーで真っ当な商売をしていたところをカシワギ博士とボスの思惑に利用された……被害者だ。だからカムイは言っていたはずだろう? いつかボスとカシワギ博士を殺す、と」

 その言葉にモナカは息を詰まらせる。相手のゾロアークの言った事はカムイの説明と正反対であった。

「何で……? あんたらボスに恩情があったんじゃ……」

「確かに恩義はあったさ。サファリパークでおれ達に人間のいろはを教えてくれたのはボスとカシワギ博士だ。だが、彼らはおれとカムイのやり始めた商売が気に食わなかったみたいでな。死体を動かす商売を、おれ達はやっていた」

 呼んでいたタクシーが到着する。モナカは袖の下を渡して、タクシー運転手に口止めさせていた。

「……ちょっと、詳しく聞かせてもらおか」

「ああ、いいとも。おれは敗北した身。どれだけでも話そう。おれ達の真実を」



オンドゥル大使 ( 2018/04/19(木) 21:35 )