11thkiss
「まずは、プロトタイプから試そう」
ジョークマンが指を鳴らすと別室で保管しておいたA個体のゾロアークの部下が連れられてきた。
既にヘッドギアと赤い杭による洗脳措置は受けており、ゾロアークは従順にこちらへと頭を差し出す。
その頭を撫でてやり、ポケマメを食わせた。
ポケマメを投げてやると、ゾロアークは尻尾を振って部屋の隅へと食らいついて行く。
連れて来た白衣の研究者がそのゾロアークの有り様に鼻を鳴らした。
「まるでケダモノだ」
「まさしく、だよ。彼らは人間とは思考体系が異なる、ただの獣。それをわざわざ人間らしくしてやってどうする? 兵器には、兵器としての在り方が似合う」
こちらの言葉に研究者は微笑んだ。
「CEO。既にクチバインダストリアル五十五号を追尾する部隊は整っております。プロトタイプを先導させますか?」
「その発案は素晴らしい。メガヤンマによる掃討部隊と共に一気に蹴散らそうではないか」
ジョークマンがゾロアークの背筋を撫でる。ゾロアークはポケモンの鳴き声で応じていた。
「狗同士が喰らい合う戦場に、人間は必要ないのだから」
その時、不意に通信機が鳴動する。研究者が通話を取った。
「失礼。……CEOに話? キザキ、とかいう刑事か。帰ってもらえ」
「待つといい。ミスターキザキが自ら?」
「ええ、そのようです。コガネ支部に訪れたと」
随分と鼻が利くものだ。ジョークマンはそこまでの執拗さに感心さえしてしまう。
「……礼儀には礼儀でもって対処が必要だ。それに、ミスターキザキには天性の勘がある。クチバインダストリアル五十五号の廃棄に異議を唱えていたのも彼。動き回られれば前回の二の舞だ。あえて、面会を受けよう」
「では御意に。面会を許可する、と伝えろ」
ジョークマンは襟元を整え、タイを締め直す。
その途中、床に落ちたポケマメの欠片を舌で拭っているゾロアークの姿を一瞥した。
――下賎な獣め。
胸中に毒づいてから、ジョークマンは研究室を後にした。
コガネシティは治安の分類順にAからFまでの地区名を与えられている。
通常、人々はA地区からC地区までを行き来するが、郊外になればなるほどに、DからFの廃棄区画が目に入ってくる。
廃棄区画には遺棄されたラブホテルが並び立ち、窓を開けていると据えた臭いが鼻をついた。
「……コガネシティにも、こんな場所があるんだな」
後部座席でふとこぼした様子のカムイに、モナカは言いやる。
「あんた、どういうところで育ったん?」
別段、興味があったわけでもない。ただ、車を転がしている間、話し相手くらいは欲しかっただけだ。
「俺が育ったのは、カントーの多分……、サファリパークだったんだと思う」
「思う、言うんは?」
「確証がないんだ。物心ついた時には、もう檻の中だったから」
既に見世物にされていたわけか。その境遇に何も同情するものもない。さもありなん、という冷淡な感情が浮かぶのみ。
「ゾロアークは、カントーじゃ珍しいんやろ?」
「多分、な。大勢の人間が檻の向こうから、じぃっとこっちを毎日、見つめてくるんだ。恐怖だったよ、あれは」
ポケモンの視点からの言葉にモナカは息をつく。
「その見世物の境遇から、逃げ出したかったんか?」
「……いや、そうも思わなかっただろう。怖いなりに、これが俺の世界だって、そういう認識はあったんだ。これ以上の待遇もないだろう、っていう……諦めかな。飯は日に四回も出てくるし、夜になれば眠ればいい。野性からしてみれば考えられないほどの厚待遇だろうな……。他のポケモンに襲われるだとか、食い扶持に困るって言う、そういう恐怖心は、まるでなかったんだから」
他人の不幸にわざわざ感情移入してやるまでもない。モナカはハンドルを手で滑らせ、高速道路から降りていく。
「でも……逃げたんやろ?」
「ああ……何でだろうな。俺、頭悪いからさ。ボスの言う、外の世界っていうのが、すごい魅力的に感じられたんだ。さすがに飼育員も、俺達が裏で人間の言葉を教えられているなんて思わなかったみたいだからな。ボスは相当入念に計画を進めていたに違いない。自由になるための全てを、俺達は叩き込まれた。一人でも足枷になれば逃げられないからな。馬鹿なりに、頭は使ったわけさ。人間が、当たり前に交わす言葉を分析して、ボスの指示に従って脱出した」
「……その結果が、ジョウトへの高飛び。でも、責任を負わされた人がいる」
「カシワギ博士、だな、さっきの口振りから。……その人はボスとは恋人だと」
「聞かされてた、やっけ? でも、それにしては変やね」
「変、だって?」
「ボスって言うのは、だってカシワギ博士に全部の責任おっ被せて、自分らだけで逃げやんやろ? それって結局、利用してたって事ちゃうん?」
「ボスはそんな……! そんな人じゃない……はずだ」
その言葉尻に力がなかったのは己が利用された境遇があったからか。いずれにせよ、問い質すまでもない。彼らの関係性は所詮、その程度であった。
「人間でもポケモンでも、男言うんは薄情やね」
「君に何が分かるって……! 何が、そこまで言わせるっていうんだ……。そんな、何もかもの地獄を見てきたみたいに……」
「見てきたもん、うちは、地獄」
それなりに見てきたつもりであった。人と人が食い争う地獄。ポケモンを使った人間のための戦場。
どこまで行っても鮮血。血潮が舞う中でただ生きる事のみを追及した。機械のように生きると言う優先順位を自らの中で整えなければ生きていけなかったのだ。
無言が何よりも肯定だと感じたのだろう。カムイは面を伏せた。
「……ゴメン。俺ばっかり人の底を見てきたみたいな言い方だった」
「……ええんちゃうの? うちより、あんたのほうが人間らしいし」
別に褒めたかったわけではない。ただ、人間の真似事をしているのはお互い様に思えた。
自分は人間の身でありながら不格好に常人の真似事をしている。人並みになりたくって、犯罪を働くしかない。それが消えないルージュの刻印であったとしても。
カムイは己の存在自体が罪の象徴だ。彼がゾロアークである以上、人間の真似事という領域から逃れる事は出来ない。
生まれに縛られ、他人のように生きていく。その関係性は自分も彼も変わりない。
違うのは、人間でありながら機械になった自分と、ポケモンでありながら人間を夢見た彼。
どちらが優れているわけでもない。
きっとどちらも愚か者であろう。
「……道、斜面が多くなってきたな。下りているのか、これ」
「話しかけんといて。あんた、ここで降ろしたってええんよ」
「……君はずるい。話しかけないと、どうしようもないじゃないか」
「じゃあどうしようもない事ばっかり言っとけば? うちは違う」
窓の外には明かりが消え去ったホテル街。その中で、いくつかの部屋には蛍火のような明かりを纏う。
夜の光であった。
蛍達が己の存在証明のために今宵も歌う。
それが他人を食い物にする行為であれ、誰かのための贖罪であれ、等価なのは、彼ら彼女らには明日もないという事実。
道すがらの看板にD地区の掠れた文字が視界に入る。
これ以上、深部に行けば戻ってくるのが難しくなるだろう。
案の定、はかったようにノエルの通信が入った。
『キッス。そこまでだ。そこの通路を左折しろ。それ以上は君とて危うい』
「言われんでも」
左に折れたところで、廃棄区画には馴染まない目新しいキャンピングカーが停車していた。
どう考えても寄り道には向かないタイプの車種だ。
車を停車させ、モナカは歩み出る。
どこから闇討ちされてもおかしくはない気配が漂う中、キャンピングカーから二人の黒服が歩み出てきた。
相手は自分がキッスである事を知らないだろう。ノエルの情報操作が正しければ、高級令嬢となっているはず。
「ご苦労さん。いつもの口座に振り込んどくさかい、ブツを」
黒服二人は目隠しをした女を連れていた。拘束具を着せられた女は周囲を見渡そうとする。
耳栓もさせられているのか、不安げに状況把握に努めているようであった。
「その女?」
「あんたがどういう身分か、言及はしないが、その女は今から二十分以内にこの区画から出せ。もう足がついている」
突き飛ばされた女をモナカは受け止める。片方の耳栓を外し囁いた。
「大丈夫……。今から安全な場所に逃がすから」
女は無意味な抵抗はしなかった。こういう荒事には慣れているのかもしれない。
「いいか? きっちり二十分だぞ? それ以上は管轄外だ」
「おおきに。額は弾むように言っておくわ」
黒服二人はキャンピングカーを乗り捨てた。
それさえも足がつくと言う判断だろう。
周囲は草木一本生えない空き地。たとえ爆発させても影響は薄いはず。
後部座席へと女を乗せると、カムイが仰天した。
「まさか……本当にカシワギ博士?」
「その声……、カムイ君なの?」
問いかけたカシワギ博士の返答を待たず、モナカはエンジンをかける。
「しっかり掴まっときぃ。連中はもう、来る言うとるからな」
「連中……、ボスを丸め込んだ、ジョウトPMCか……!」
口走ったカムイにカシワギ博士は困惑した様子であった。
「ジョウトPMC……、何それ……どうなっているの?」
「ええから、口ごたえは後にして。連中が来る、言うとるんは、何も脅しやないんやから」
もう一度高速道路に入ろうとして、モナカは耳馴染みのある羽音が中空で散ったのを確かに聞き届けた。
窓から顔を出すと、高空の雲を裂いて迷彩色のポケモンが舞い降りてくる。
「……二十分どころか、五分やんか!」
慌てて急発進させた途端、先ほどまで自分達のいた空間を爆撃が見舞った。モナカは咄嗟に耳を塞ぐ。
一時的に視界と聴覚を完全に奪い取る炸薬だ。
カムイは無音の世界で呻いた。
「何だこれ……っ! 何だ――!」
「黙っとりぃな! 今はあんたの声だって、相手からしてみればセンサーになるんやのに……!」
歯噛みしたモナカは素人二人が後部座席で暴れるのをバックミラーで窺いながら、ハンドルを切った。
爆撃の雨は止まない。
前後する羽音から考えて相手はメガヤンマ。それも一体や二体ではないだろう。
「……取りにかかっとる言うわけ。でもうちかって……! こんなところで死ぬわけにはいかんのよ!」
アクセルペダルを全開に踏み込み、高速道路へと跳ね返ったようにして入る。一度でもブレーキを踏めばそれは死を意味した。
間断のない攻撃が道路を寸断する。
D地区とは言え、ここまで大掛かりな作戦、民衆に知れないはずもないだろう。
「分かってやっとるん……? 性質悪いわぁ……っ!」
高速道路を逆走する高級車に安っぽい車が慌ててドリフトする。横滑りした軽自動車をメガヤンマから放たれた爆撃が塵芥に還していた。
爆発の光が連鎖し、粉塵が舞い上がる。
黒煙の空を追撃のメガヤンマが突っ切っていく。
当然、そのスピードに遅れてはならない。モナカは踏み込めるだけ、ペダルに力を込めた。
百キロをゆうに超えた車体が軋み始める。爆風で飛んできた破片が後部座席の強化ガラスを激しく叩いた。
カシワギ博士が悲鳴を上げて蹲る。カムイもほとんど何も出来ない様子であった。
「どうなってるんだ、これ!」
「喋らんときぃ! 舌噛むでっ!」
少しでもハンドルを切る速度を緩めれば即座に爆発の虜だろう。お荷物と共に火炎の中に放り込まれるのは御免であった。
「ノエル! 今出来る最短ルート! 早ぉ、割り出しぃ!」
『待て、キッス。相手の攻撃、あまりに激し過ぎる……。まさか、ここで決めるつもりなのか?』
「感心しとる場合? 殺されるんよ!」
ハンドルが言う事を利かなくなってくる。これまであまりに温室育ちの令嬢であった高級車に、男を手玉に取る高飛車な女になれと言っているようなもの。
フレームが軋み、今にも分解寸前であった。
メガヤンマの放つ炸薬がやんだ様子もなし。モナカは高速道路を逆走しつつ、現状の地区をGPSで呼び出す。
C地区まで入ればそれは既にジョウト警察の事件の管轄。
そこまで厚顔無恥ではないだろう。
恐らくC地区に入るぎりぎりまでこちらを攻めるはずだ。
速度は、と速度計を視界に入れつつ、モナカは逆算する。C地区までの距離は軽く見積もっても二十分ほど。
先ほどの黒服達の二十分とはこれであったか、と遅い悔恨を噛み締める。
「どうなってるんだ! キッス! 何も聞こえない!」
「黙っとれ言うとるやろ! 噛み千切ってまえ! その、お喋りな舌ぁっ!」
怒声を飛ばしつつ、モナカは冷静な判断を脳裏に構築する。ここからC地区まで飛ばせば二十分だろう。
それは高速道路を全力で逆走しても恐らくは変わるまい。
『……キッス? 速度を緩めてどうする? メガヤンマの射程に入るぞ?』
「……せやね。確かにどれだけ飛ばしても二十分はかかるわぁ……。道路を行けば、の話やけれど」
『キッス? 何を言って――』
そこから先は耳に入らなかった。
大きく円弧を描き、高級車が道路を横滑りする。その前方には大写しになった道路標識――。
「ぶつかる――!」
モナカは速度を失っていく世界の中、アクセルを踏み込んだ。限界まで引き絞られたエンジンが点火し、車体はいななき声を上げながら標識へと激突した。
当然ながら、あまりの過剰速度のため、車体は浮き上がる。
――それこそが、こちらの狙い。
「ルージュラ! 車体の姿勢くらいは制御出来るわよね? 次にこの車が地面と並行になった時、その時にこそ! サクラビス!」
助手席のルージュラが念力を用いて車体を制動させる。通常ならば逆向きに落下するはずのフレームが地面と並行になった。
その瞬間、サクラビスの放出した「なみのり」の水が新たな道路を構築する。
ルージュラの正確無比な氷の加護が手伝い、水の道が瞬時に凍て付いた。
僅かに火花を散らせながら、高級車はGPSにも、ましてや追跡網にもない、逃走経路を構築する。
無理やり車体を馴染ませ、モナカは氷の道を直進した。メガヤンマは狙い通り、追ってこない。
『恐れ入った……。確かにここはC地区だ。地図上では、ね。高速道路でC地区内に公式に入るのには、二十分かかっただろう。だがこの方法ならば、郊外とは言えC地区には入れる。君にしか出来ない氷の芸当だ、キッス』
「お褒めの言葉は要らんから、水先案内人、頼むわ、ノエル」
『引き受けよう。……して、後ろの二人は大丈夫かな?』
メガヤンマの追跡を逃れた事を確信したのは三分後であった。
迷彩のポケモンは完全に上空へと逃れている。ジョウト警察の監視網の外へと。
カシワギ博士は急なドライブに参っている様子であった。カムイも額を押さえている。
「生きている……? 生きているのか?」
「辛うじて、な。殺されても何もおかしくはなかった」
「ああ……クソッ……! 生きている。ああっ、クソッ!」
何回も悪態をつくカムイの瞳からは涙が溢れ出ていた。過度の緊張から脱したせいだろう。
カシワギ博士は拘束具が逆に功を奏したのか、あまり酔っている風ではない。
何も見えないのがよかったのだろう。むしろ、何が起こったのかを理解していないカシワギ博士のほうが幾分か冷静であった。
「……何が……? キッス、とか言いましたか?」
「その名前は忘れて。……って言いたいところやけれど、もう言い訳出来んやろうしなぁ……。これ、高くつくよ」
『考えておこう』
ノエルの考えておく、は当てにならない。モナカは車が次の道を見つけ出すまでの精密な空中ドライブの中なので落ち着くはずもなかった。
「なぁ、カシワギ博士、やっけ? あんた、ここまでされる言う、心当たりくらいはあるやろ?」