あとがき
あとがき
拙作、『FERMATA』を最後まで読んでくださってありがとうございます。こんにちは、オンドゥル大使です。
このあとがき、作品の終了直後ではなくだいぶ時間が経ってからのものになっていることをまず、ご容赦ください。そもそもこの作品はどうしてこのような結末を迎え、このようにあとがきが二か月も遅れたのか……語らなければならないでしょう。
そもそも本作、かなり胡坐をかいた作品と言いますか、前作『ANNIHILATOR』がちょっとやり過ぎなほどに自分が好きなものを押し通したので、では原点に立ち返り「ポケモンバトルを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか」、「そもそもポケモンバトルの必要性」、「キャラクターの分かりやすい成長譚にしたい」などの考えがあり、説明描写やイメージに依拠する部分を省いて出来るだけ鮮烈に、なおかつ「分かりやすく」伝えよう、というのが先に立ちました。
そのお蔭かどうかは分かりませんが主人公はポッと決まりました。
「Nならみんな知っているし、人気キャラクターだ」という理由でNに相成ったのです。
しかし、Nを出すとは言っても表層をなぞるだけのことはしたくありませんでした。やるのならば根っこから、そもそも彼は決定的なBWにおける「サヨナラ」以降、何をやっているのだろう? 何を生き甲斐にしているのだろう? と考察した(というほどでもないですが)結果、「彼はともすれば己と自分がやってしまった世界への償いとして、悪を狩っているのではないか」という冒頭に行き着きました。
とはいえ悪を狩る悪はHEXA6で既にやっているので、割り切っているタイプには見えないようにしました。
悪を狩るのならば、その悪の術中にはまってしまうのもおかしくはない、という帰結と、さらに言えばNがもし「自分が過去に戻れたのならば」という負い目を背負っているのではないか、と感じた末に「Nが時渡りに巻き込まれてプラズマ団蜂起前のイッシュへとタイムスリップしてしまう」という大筋が出来上がったわけです。
しかし本当に大変だったのはここからで、Nは……語らずとも分かるでしょうがほぼ万能の能力を持っています。
トモダチの声が分かり、彼らを最大限に使役し、最上のカリスマを持つ――これらの神の寵愛を全て「なかったことにする」……いわば「逆神様転生」という設定にしたのはあまりにもNが超越していると過去の人々は彼をまた崇めてしまうのではないか。それは彼にとっても、過去にとってもよくないのではないかと思ったからです。
全ての寵愛を失った結果、彼はたびたび、苦悩するようになりました。
元々、N自身「悩む」キャラではあったと思うのですが過去に渡り「全てを失う」ことで、彼は「一個の人間として」悩む権利を得たという皮肉もあるわけです。
ノア、と偽名を名乗ってプラズマ団に叛意を翻すのも多分、読んでいて皆さんの思う「小気味いい叛逆」ではなかったでしょう。
ノアにカリスマ性はありません。
超越した能力もありません。
所持ポケモンはケルディオのみ。さらに言えば本当の能力をノアさえも知らない。
……並び立てれば「何ていう縛りプレイなんだ」という話になりかねませんが、ここまで能力を縛り、彼の有能さを押し殺さなければ「Nという個人」は簡単に難問を凌駕してしまいます。
BW本編で彼が難問に突き当たったのは「プレイヤーというイレギュラー」が存在したから。彼or彼女がいなければ――もう一人の英雄がいなければNとゲーチスの目論みは達成され(ゲーム的な面白味はないにせよ)、プラズマ団がイッシュを支配していたでしょう。
今回、試みたのは「Nを人間にすること」です。
彼は名無しの森で拾われ、プラズマ団の「おうさま」に君臨した。
生まれた時より「特別」で「特殊」であった彼は「人間」であったのかそれとも「ポケモン」の側に近かったのか……。
彼の幼少期を知るはずの女神二柱――ヘレナとバーベナも断片的に語るのみで彼の過去はにおわされる程度でしかありません。
Nの過去を盛大にねつ造したかったわけではありません。
勝手気ままな解釈をするつもりも、正直ほとんどありませんでした。
ただ彼がもし「人間であった」のなら。
突き当たるべき難題、向き合うべき過去、立ち向かうべき未来は存在していたでしょう。
本作はそれらを仮想的にシミュレートしたものだと言ってもいいかもしれません。
だから彼は何度も負けるのです。
何度負けても、何度地べたを這いずり回っても、あるいは何度屈辱を味わわされても、彼は立ち上がる――そのためには彼は知る必要がありました。
世界の広さと、生きている人間の雄大さを。
ゆえに旅の仲間がいると感じたのです。
アデクの解釈は存外違うかもしれませんが、バンジロウとチェレン、そしてベルにトウコ。チェレンとベル、トウコに関しては随分と独自解釈が入りましたが、それもこれも「Nが人間であったのならば」という仮想を実行するため。
チェレンは原典と同じように妬み、彼に敵対心を持ちます。ベルは……あとがきなので言ってしまいますが彼女は「聖女」に成れた存在でした。
才覚を持ち(少なくともバッジ八つ分)、力を振るうべき時を自ら判断する……よくよく考えればベルのほうがチェレンよりも随分と恵まれていると感じたのです。
ならば彼女が導くという未来もあるのではないか。所々でにおわせた「世界に祝福されているイメージ」はそれを踏襲していました。
チェレンとベルが出れば必然的に、ではトウヤがいるはずだ、とノアが感じて助けを求めるも、トウヤがいないというイレギュラーに見舞われる、というのは作劇的に面白味を加えるための措置でしたが結果として「世界に祝福されていなくとも力でのし上がる」というキャラクターが描けたのが今回の収穫でした。
トウコはどこまでも逆境を乗り越えるイメージで、これは反論的にモブキャラクターから見たプレイヤーという意図もあったのですがそれは別に分かっても分からなくてもいい要素なのであまり語りません。
この作品、何度も何度も「王」という単語が頻出します。
それはかつての玉座であったNの境遇もさておきなのですが、BW2をプレイすれば分かる通り、主要キャラクターは「王」になっていないのです。
前作主人公はNを追って旅に出、アデクは引退し、チェレンはジムリーダー、ベルは研究者……そう、誰も「王」にはなっていない。
それは玉座に魅力がないからか。それとも、そんなこと以上に大切なことが世の中にはあるからなのか。
私はこの仮説に、「成らなかったのではなく成れなかった」という推論をぶつけました。
そう、誰も成れなかったのです。乱れた一国を束ねる王に。建国神話からして、戦いからは逃れられないイッシュという地を治めるのに相応しい玉座の景色に。
相克する龍――ゼクロムとレシラムも今作での活躍は控えめとなりました。
そもそもこの龍たちを描きたいわけではないな、と途中で気付いたのでこの二体はあくまで「王を象徴するポケモン」であって「英雄」そのものではない、と思ったのです。
英雄……この言葉もたくさん出てきます。
イッシュ建国神話に関わる英雄、王になり英雄にもなってみせる、という野心を見え隠れさせるキャラクターたち。
ただ、結局終始、物語は「Nが人間かどうか」という話であったのだと後から思い出せば感じました。
彼の才能は消え去った。ならば彼は必然的に迷うはずだ。
正しいのか、正しくないのか――直感で決められた領域は、誰かにゆだねられた領域はとっくに終わりを告げた。
ならば彼は「ただの一個人」として迷うしかない。
劇中、何度もノアは迷います。自分でも「これはドラマを停滞させている悪い部分だ」と思いながらも迷わせ葛藤させ続けさせました。
それもこれもこの作品は「停滞する物語(FERMATA)」であるからなのです。
これは未来につながる栄光ある物語ではないのです。かといって過去を華々しく変えられる都合のいい物語でもありません。
ただ足踏みをするだけ。ノアは何度も足踏みをして「でもやっぱり」と前に進みます。
その結果が最悪の形として出現したのが『ナイトメア』です。
この存在、実は想定しておりませんでした。
チェレンが完全同調で倒れるまでは話は出来ていたのですが一時的な中だるみ期間というか、「このまま続けても物語は終わるかもしれない。だがそれが幸福なのか?」という疑問に行き着き(まぁ、個人的に他の創作に注力していたのもあります)、完全同調以降の物語は本当に半年くらい、書いていませんでした。
だから四天王が出て来たくだりや、その先の戦いは後付けも後付けで、まさか六年後に行ってしまうなんて考えもしていなかったのです。
ですが「暗黒の未来篇」を挟んだことで、ベルとチェレンの別の思惑を行く道や、ケルディオの真の力の開放など、思いのほかドラマチックになったのでよかった面はあります。
……さて、みなさん気になっているでしょう。
ナイトメア、という存在。
あまり補完的なことは言いたくはないのですが、結構設定が複雑化した気がするので言っておくとナイトメアは「Nという稀代の偉人が何度も同じ過去に送り込まれたことによって生まれた歴史のエラー」そのものです。
Nのコピーに何度か喋らせていますが「偉人の総量」が決まっているとして、ではその時代に何度も同じような能力を持つ偉人を送り込めばどうなるのか……。その果てがナイトメアの存在でした。
だから冒頭のあの人が実は「最初からナイトメアの駆逐を目的としてNを送り込んでいた」というのは方法と結果の逆転ですね。そのためのつもりではなかったのに、途中からそのために送らざるを得なくなった+あの人も「暗黒の未来を経験した○○」であった……というのは後付けも後付け、最後の最後に考えた悪あがきです。
ですがそのお蔭でチェレンの台詞が生きました。
「英雄に成るのは自分の役目。ノアはそうではない」
ノアの役目はそれそのもの、まさしく「神話」になることでした。
イッシュ建国神話――相克する龍を操り、イッシュ全土を焦土に変えたとする最初の神話に登場する兄弟。これを自分色に解釈するのならば、と最後のナイトメアとノアの戦いへと繋がったわけです。
「イッシュ建国神話に登場する双子は実は双子ではなく、同じ存在(N同士)であった。時がまだ始まってすらいないほどの最初の戦いは同じ存在が争い合い、お互いの存在を否定し合う戦いであった」というのは裏設定というか「分かる人だけ分かればいいか」と思った設定です。
難しく書きましたが結局は「イッシュ建国神話の兄弟は兄弟じゃなくってノアとナイトメアの戦いだった」ということです。
因果の逆転めいたことが起こっていますが、これによって未来は僅かに変動し、イッシュには「Nの存在しない世界線」という新たな未来が生まれました。
同時に暗黒の未来では「反英雄Nを駆逐するために戦う黒と白の勢力」というパラレルも存在しえるようになりました。
あと完全な裏設定もいいところなのですがナイトメアの使役するポケモンはマーシャドーです。映画は観ていないのですが、うまいことケルディオと相克するタイプ構成だったので選びました。あとはウィザード形態だとかパワーオーブだとかは単純です。カービィです(暴論)。
色々と書き連ねましたが、畢竟「何も起こらなかった」というのがこの物語の正しい落ち着けどころだと思います。
「未来は変わったか」と言えばノーでしょう。ほとんど変わっていません。
しかし「希望はないのか」と言えばそれもノーです。
きっと未来永劫、この世界線を作り上げた神話のノアはイッシュを見守る風となって存在し続けているはずなのですから。
この物語は「何も起こらない」という当たり前の帰結でありながら、その当たり前を求め続けた話だと思います。
締めくくる前にサブタイトルに関して。
やる前からALIPLOJECTの曲をサブタイにしようと思っていました。
理由は……小難しい話やカッコいい理論を並べてもいいのですが単純に「曲数が多いのでネタ切れしないから」です。
二百曲もあればね……。
あとは実際に曲を聴いてその話に合った曲目を選択しました。
最終楽章「宝ノ在リ処」は言わずもがなボーカルの宝野アリカ様です。
この物語は色々な奇跡を得て終わる事が出来ました。せめて、福音のある、この世界は美しいと思える終りであったことを願って筆を置きます。
次はHEXA9『Re:FleXION』へ。
まだまだもう少しお付き合い願うかと。
それではこれにて。
2018年3月9日 オンドゥル大使より