FERMATA








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終幕 暗黒の未来
第(ー17)楽章「野性双生児」

 ナイトメア討伐隊は組織された直後、ジャイアントホールに向けての実戦部隊が練られていた。

 進軍するのは一握りの実力者のみ。その中にノアはキョウヘイを見つけた。思えば、この時間軸に来て初めて遭遇した人間だ。彼に言っておくべき事があるだろう。駆け寄ったノアにキョウヘイはばつが悪そうに目を伏せた。

「……何だよ。俺がいる事に、何か文句でも?」

「文句だなんて。ただ、ありがとうを言いたくって」

「礼なんて要らない。俺は最初から、お前に灰色の預言者として接触した。最初から計算高かったんだ。だから、礼は必要ない」

「それでも。ソウリュウシティ跡でボクを助けてくれたのはキミだ」

 ハッとして面を上げたキョウヘイはノアの視線を見返していた。

「……あんなの勝手に身体が動いただけだ」

「それだけで充分だよ。キミは、だからこそ、死んで欲しくない」

「ナイトメアに立ち向かう事がイコール死みたいな言い草はやめろよ。俺達は六年間もあれと戦ってきた。お前よりか経験は上のはずだ。……そりゃ、チェレンに託されたお前には負けるかもしれないけれどよ。足手まといになるつもりはないぜ」

「ああ、分かっている。共に勝とう」

 拳を突き出したノアにキョウヘイは返そうとして、不意にノアの背後を見やった。

 振り返るとミヅキが佇んでいる。彼女は確か討伐部隊には編成されなかったはずであった。

「……悪い、時間いいか?」

 その言葉振りにノアは首肯する。

「向こうに行っておこうか?」

「いや、ここでいい」

 ミヅキへと歩み寄ったキョウヘイは一拍置いて口にしていた。

「ナイトメアはウィザード形態に移行した。勝てるのはエリートトレーナー以上の権限持ちだ。お前じゃ、無理だよ」

 ミヅキは何度か口を開きかけては、躊躇って顔を伏せる。キョウヘイは嘆息をついて言いやった。

「……それでも、生きて帰れる保証はない。ミヅキ。いがみ合ってばかりいたが、昔はよく遊んだよな」

「……そんなの、本当に昔の事じゃない」

「でもよ、俺はあの頃があったから、今があるんだと思う。思い出にすがるのは弱い奴だって思っていたが、案外、俺も弱いな。こういう時、思い浮かぶ景色はそんなのだ」

 肩をすくめたキョウヘイにミヅキは目をきつく瞑った。

「……何だって、あんたはいつもそうやって……強い側に回って。あたしを見下して、楽しい? こうやって、今も足踏みしているあたしなんて、あんたからしてみればどうだって――」

 そこから先を遮ったのはキョウヘイの抱擁であった。ミヅキが放心して目を見開く。

「ずるいよな。俺も。だから、これだけはてらいのない気持ちだ。……帰って来る。絶対に帰ってくるから」

 キョウヘイは静かに身を翻す。幼馴染、だと言っていた。大切な存在なのだろう。だからこそ、最後まで強がっていたい。

 彼女に弱気なところは見せられないのだろう。

 キョウヘイの背へとミヅキは声を張り上げる。

「待っているから! ずっと、待っているから!」

 キョウヘイはあえて応じなかった。ウインディに騎乗し、彼は進軍隊に加わる。ノアは思わず尋ねていた。

「……これで、よかったのか?」

「ノア、俺とミヅキの関係は俺達だけのものだ。だから、こういうのは失礼かもしれないが、口を挟まないでくれ」

 分かっているつもりだった。それでも誰かを救いたいと願うのはただの傲慢だろうか。ただの、履き違えた愚者の戯れ言なのだろうか。

 キョウヘイはゴーグルを装着し、進軍隊の前線を司る者の声を聞いていた。

 バンジロウが壇上に上がり、声を張り上げる。

「みんな! オレ達はこれから、六年の因果をそそぎに行く! 最後の戦いだ! 黒の勢力であった者も、白の勢力として戦ってくれた者達も、皆等しく、破滅に抗うだけの資格がある! オレ達はまだ滅びるわけにはいかない。ナイトメアを破壊し、明日を掴み取ろう! そのためなら、何だって……!」

 拳を振り上げた者達が呼応の雄叫びを上げる。ナイトメア討伐隊は三十名前後の実力者達が寄り集まった形となった。

 白の勢力であった事も、黒の勢力であった事も関係はない。今は等しく、悪夢を破壊するためだけに戦う。

 志を同じくした戦士達がジャイアントホールを目指して遂に進撃する。

 六年の雌伏の期間は過ぎた。抗い立ち向かい、全てを終わらせるために、人々は集う。

 最後の決戦の地、ジャイアントホールに。

 砂礫の大地を踏み締めるポケモンの足並みにノアは圧倒されつつ、後から続いてきたヴイツーの声を聞いていた。

「ノア。てめぇは最後の砦だ。間違っても下手に前に出るんじゃねぇぞ。たとえ何が起こっても、だ」

「……ナイトメアはウィザード形態に移行した。あと少しなんじゃ?」

「その油断が命取りってな。おれが思うに、あれにはまだ先がある。この六年間、ただ闇雲に吸収と膨張を繰り返しただけじゃないはずだ。あれを倒すのに三十人程度では心許ないくらいだが、全員が四天王相当の実力者。なら、この決定に異を挟めないだろ」

 ノアは隊列の先陣を切るバンジロウとメラルバを視界に入れていた。

「バンジロウは、まだ分かる。でも肝心の灰色の王の、トウコの配置が極秘っていうのは納得がいかないというか……」

「仕方ねぇさ。おれもあの人の事は読めねぇ。考えあっての事だろう。ナイトメアをぶっ潰すのに、ただ正面切って戦うだけが本懐じゃないって話だろうからな」

 駆け抜けた第一陣が既にカゴメタウンを射程に入れていると通信網を震わせた。広域射程のポケモンが第一射でナイトメアを炙り出そうとする。

「容易く……いくのだろうか。ナイトメアがどこまで潜んでいるのかも分からないのに」

 軽率な攻撃は逆に危険ではないのか。こちらの不安を他所に、白の勢力は爆撃じみた攻撃をジャイアントホール入り口へと叩き込む。

「反応は……? そうか、まだ、か」

 ヴイツーが通信越しに前線と連絡を取った。ナイトメアの動きはまだ見られないらしい。

「でも、ナイトメアがどのような状態になっているのか、誰にも読めないんだ。だから被害を少なくするのには、あまり刺激しないほうが」

「ノアよぉ、勘違いしてんじゃねぇか? ここで倒せなきゃ、どっちにせよ未来なんてねぇんだよ。だから全員、死に物狂いでやってんだ。敵が出てこないのなら関係ねぇ。そのまま、ジャイアントホールの中で圧死してもらう」

 ノアの視界にも立ち昇る噴煙が入ってきた。ジャイアントホールに至るまでの道筋はほとんど焼け焦げており、イッシュ全土がほぼ焦土に近いというのは間違いではないらしい。

 サザナミタウン付近の海上は荒れ果て、渇き切った土くれが晒されていた。

 ここで終わらせる。終わらせなければならない。そう考えているのは自分だけはないらしい。

 白の勢力も、黒の勢力も同じだ。

 最大戦力の火線が開き、ジャイアントホールを赤く染めていく。

 煮え滾ったように岩肌が削れ、最早跡形も残さず、その地形が変質しようとした、その時である。

 不意に発生したのは赤い月が昇る月下であった。

 先ほどまでの空間とはまるで違う重圧。振り仰いだ数名がポケモンを下がらせる。それに間に合わなかった者達が地面から湧いた牙と亀裂にずぶずぶと足を取られた。

 悲鳴が迸る前に亀裂が閉じる。

 まさか、今の一瞬だけでナイトメアはこちらの手を読み、吸収したと言うのか。

 戦慄く視界の中、ナイトメアがこちらの第二射を予測して影の触手を振り翳す。爆風と炎熱が逸れ、奔った触手の先端が飛行ポケモンに触れた。

 接触だけで麻痺した鳥ポケモン達が墜落していく。

 亀裂が再び開き、口腔内部に兵力を呑み込んだ。

「……ここまでの実行戦力なんて」

 思いつきもしない。ナイトメアは逃げおおせた結果、ジャイアントホールに至ったのだと思い込んでいたが、これでは逆だ。

 相手の術中にはまったのはこちらである。

 ジャイアントホールそのものがナイトメアにとって都合のいい陣地だ。

 撤退を指示する前にナイトメアが影の海の中心に現れる。佇む形で立ち竦むナイトメア本体はまさしく自分と同じ姿をしていた。

「本体が現れたぞ! 一斉掃射!」

 強力なポケモン達の遠距離攻撃がナイトメアを叩き潰そうとするが、ナイトメアは軽く手を払っただけで全てを霧散させる。

「一撃? 一撃だって言うのか?」

 問い質す前にナイトメアの影がこちらの陣地へと割り込んだ。刹那、割れた大地の中に先陣を切る者達が呑まれていく。指揮官クラスが声を張り上げた。

「退避、退避ーっ! ナイトメアの射程はこちらより遥かに上だ! 先行班を下がらせろ! 全滅するぞ!」

 その声が響き渡る前に、ナイトメアが空を仰いだ。

 赤く染まった月が眼球のようにこちらを睥睨し、どこからともなく放射された影の手がこちらの戦力を削ぎ落としていく。

 影の手の射程はこちらの広域射程の攻撃よりも随分と強大だ。撃ち損じた「はかいこうせん」の光条が空に吸い込まれていく。

 ずぶずぶと呑まれていく前線部隊に対し、こちらはあまりにも不利であった。手立てがないわけではないが、ジャイアントホールが既にナイトメアの手に落ちている以上、下手な攻撃はこちらの優位を覆すだけ。

 しかし静観していれば、相手はさらに能力と攻撃性能を得て、叩きのめしに来るだろう。今度こそ、逃がすまいと。

 ここで退けぬのは皆、同じであった。

 白の勢力の飛翔班が中空より「りゅうのはどう」による波導爆撃を見舞う。波導は万物の概念。たとえナイトメアであっても通らない道理はないはず。

 そう読んだ手の内など、まるで児戯に等しいとでも言うように、ナイトメアは波導を吸収し、直後に打ち返してきた。

 黒く染まった波導が飛翔ポケモン達を撃ち落としていく。

「野郎……波導を撃ち返せるのか……」

 どう足掻いたところでナイトメアに対して有効な手段はないように思われた。ノアは覚えず声を張る。

「ヴイツー! ボクなら! 今のボクとケルディオなら相手に肉迫出来る! ボクを前に!」

「駄目だ! てめぇはとっておき。こんなところで死なれたら後味悪いんだよ! せめてバンジロウが出るまでは我慢しやがれ!」

「でも! このままじゃジリ貧だ!」

 バンジロウやキョウヘイ達、白の勢力の本隊が出る頃にはほとんど全滅に等しいだろう。そこまで疲弊する必要はないと言っているのだ。

 しかし頑としてヴイツーは聞かない。

「いや、まだ手はある。そうじゃなきゃ、灰色の王だってこの決断は下さなかったはずだ。手は……」

 ナイトメアが影の海を拡張し、雪崩となった影がこちらを覆いつくそうとする。

 後退、を命じる前の人々がそのまま影に没したかに思われた。

 刹那、青い旋風が駆け抜ける。

 稲光がナイトメアを引き裂き、暗黒に染まった空間を劈いた。

 仰ぎ見た光景にノアは息を呑む。

「まさか……!」

「……ようやくお出ましかよ」

 そこにいたのは黒き英雄のポケモン。闇に染まった大気と大地を切り裂き、青き雷撃と共に全てを照らし出す。

「――間に合ったようだ。ゼクロム」

 跨っているのはまさかの己の似姿であった。

 しかしゲシュタルト体ではないのは直感で分かる。あれは間違いなくこの時間軸の――Nだ。

「ボク、が……生きていたのか」

「……あの時の、ライモンシティで出会ったボク、か。ようやく出会えた」

 ゼクロムを操るNは直下のナイトメアを見やり、すっと指先を掲げた。片手が鮮血に染まっている。

「これを解き放つ事、ボクの血をもって命じよう。英雄の血でこそ、この攻撃は完遂される。焼け落ちろ! ――雷撃!」

 青白い稲妻がナイトメアの頭上から叩き落された。その熱量は瞬く間にナイトメアのフィールドを焼き尽くし、暗黒を純粋熱だけで解いたほどだ。

 曇天の空が戻り、こちらの勢力に活気が戻る。

「ナイトメアは弱っている! 今こそ、仕掛けるべき時!」

 オレンジ色の光条が連鎖し、ナイトメアを撃ち抜いていく。雄叫びが相乗してナイトメアの影を踏み抜いた。

 このまま押せるか、と感じたのも束の間、Nは叫ぶ。

「……駄目だ、全員、一度退かないと! これは――!」

 ナイトメアが肉体を反転させ、内奥から解き放ったのは星空であった。

 散りばめられた満天の星の中、人々が踏みしだくべき大地を見失う。

「重力が……」

 消失した直後、ナイトメアが天地を引っくり返して影の牙を放つ。足場を失った者達がナイトメアに呑まれた。

 Nが覚えずと言った様子で目を背ける。

「まさか、雷撃も通用しないなんて……。ゼクロムの通常攻撃では、やはり難しいか」

 降り立ったゼクロムが影の海を前に、両腕を突き出す。その腕を取り巻くように景色が渦巻いた。

 電磁が逆巻き、ゼクロムの肉体そのものを炎熱と電撃に昇華していく。青く染まったゼクロムの姿が直後、景色の中に溶けた。

 電磁の大気が充満し、ノアは思わず後退していた。それはゼクロムの放った攻撃の意味を理解した実力者達ならば当然の判断だっただろう。

 潮が引くように、総員が後ずさっていく。

 ナイトメアを中心軸にして青い大気が満ち満ちた瞬間、その攻撃は放たれていた。

「ゼンリョク技――スパーキングギガボルト!」

 Nの片腕に装着されたZの石が照り輝き、ゼクロムの内奥に眠るゼンリョクの技を解き放つ。

 ゼクロムは肉体そのものを高密度の電撃へと変換し、ナイトメアの肉体が満ちているこの空間自体を爆砕した。

 激震するナイトメアの空間に皹が入る。英雄のポケモンの一撃だ。ナイトメアの半身に亀裂が宿り、その内側から赤い眼球が次々と現れた。

「今ならば!」

 Nの声に応じていたのはバンジロウとキョウヘイである。

 二人の炎のポケモンがナイトメアへと飛びかかった。ウルガモスの絶対延焼領域に飛び込んだウインディが白く燃え滾る。

「命を燃やせ、ウインディ。これが俺達の! 真の力だ!」

 ウインディの渾身の「やきつくす」攻撃がナイトメアの剥き出しの眼球を震えさせる。ナイトメアの身体が折れ曲がり、内側から一際巨大な赤い眼球が飛び出した。

 赤い眼球がまるで風船のように膨れ上がってナイトメアの身体を宙に浮かせる。

 眼球に引っ張られたナイトメアが直後、蠢く無数の眼で空域を狙い澄ました。

 放たれたのは黒い霧の炸薬。

 ウルガモスの炎熱フィールドがなければウインディとゼクロムはもろに攻撃を受けていただろう。

 しかしそれを許すほどバンジロウのウルガモスはやわではない。

「嘗めるな。全ての攻撃をこちらで吸収した。そんでもって、こっちの反撃だ。ベル!」

 空間を捩り、出現したのは無数のエスパータイプだ。

 マフォクシーを先頭にエスパータイプが隊列を成す。それぞれの思念の渦がナイトメアを締め上げた。

 拘束状態にあるナイトメアを突き崩すのには好機である。

「叩き込め! ノア!」

 ケルディオを繰り出し、ノアはナイトメアの射程に押し入る。ナイトメアの影の触手が無数に降り注ぐ中、キョウヘイのウインディが、バンジロウのウルガモスが、ベルのポケモン達が、そして何より、この時間軸のNが、自分の活路を見出させてくれる。

 開いた道をケルディオは軽やかに跳躍した。

 あとは叩き込むだけだ。

 ――通常ならば。

「……行け」

 もう一体を繰り出した事はここにいる全員からしてみればイレギュラーであっただろう。

 誰もがケルディオによる決着を望んでいたはずだ。そう、誰もが。

 だからこそ、不意に現れたそのポケモンを認めるのに時間がかかった。

 Nが目を戦慄かせる。

「セレビィ……だって?」

 遥か未来の自分より譲り受けたセレビィが宙を舞う。

 妖精のように舞い上がったセレビィが回転し、黒に染まった大気を白に染め上げた。

 時針と秒針が出現し、時が捩れる。ヴイツーが声を張り上げた。

「……どういうこった。これは、どういう事なんだ! ノア!」

 誰にも教えていない。だがこれしか、ナイトメアを真に葬り去る手段はない。

「ゴメンよ、みんな。ボクはまた、世界にサヨナラを告げなくってはいけないらしい」

 全てはハワードの――未来の自分の記憶が導いていた。



オンドゥル大使 ( 2018/02/02(金) 20:54 )