FERMATA








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終幕 暗黒の未来
第(ー13)楽章「人生美味礼讃」

「……そう。分かった」

 通話を切ったトウコはベルと向かい合う。フォレストに残された地下洞窟のうち一つに一同に会した幹部と王、そして自分はこれから先どう動くべきかの審議を迫られていた。

 車椅子姿のベルはチェレンの死に心を痛めている様子であった。対立基盤は最初からダミーであったわけではないのだろう。実際に、チェレンはあの瞬間まで自分の手札を明かさなかった。

 英雄に成るために戦い抜いた男の生き様を誰も非難は出来まい。

「ナイトメアウィザードはジャイアントホールに潜伏。相手の内側からテラキオンを回収した、とダークトリニティから」

「テラキオン? どうして、そんな」

 困惑するノアにトウコがじろりと睨みつける。その眼差しに気圧された。

「……この場で事態をよく分かっていない人物はこいつだけ?」

「そのようだな。嬢ちゃんとバンジロウは、もう説明するまでもないんだろ?」

 ヴイツーの了承の声にベルとバンジロウはただ面を伏せるだけであった。

「……ノア。あなたを結果的に利用した事には大きな負い目を感じています」

 ベルの発した悔恨にヴイツーはケッと毒づく。

「どうだかねぇ。白の勢力は随分と賢しく、この状況を作り出したみたいじゃねぇか。座敷で隠居しているアデクを見てきたぜ。大方、アデクに背中を押させてノアにあのまま突っ込ませる手はずだったんだろうが」

「ヴイツー……、そんな言い方……」

「事実だろ? あのまま神秘の剣で特攻していれば、なるほど外殻くらいは破壊出来たかもな。そういう計算ずくでこいつらはお前を利用したんだよ。ケルディオがナイトメアウィザードにとって毒となり得るから、その辺りも織り込み済みか」

 ノアが目線を向けるとベルはただただ沈痛に顔を伏せるばかりであった。

「利用したつもりはない……なんて都合のいい事をこの場で言う気もありません。ノア、あなたを灰色の預言者としてこちらに擁立したのはナイトメア打倒の切り札になり得ると確信していたから」

 だとすれば、と視線を振り向けた先にいたキョウヘイにベルは慌てて取り成す。

「彼は関係ありません。あたし達が勝手に考えたのみ。他の構成員達は純粋に、灰色の預言者こそがナイトメア破壊に役立つ程度にしか考えていないはずです」

「……俺がどう言い繕っても無駄かもしれないが、本当だ。灰色の預言者について、あんたに話した以上の事は知らなかった。まさか、ナイトメア打倒の切り札だなんて……」

 悔恨を滲ませるキョウヘイに嘘の気配はない。だが、自分は幾度となく騙されてきた。今さら一つ二つの言葉を弄されたところで救いはない。

「……結局、みんなでボクを騙していた」

「おれは騙しちゃいねぇぞ? 最初から灰色の王の命令に従っていただけだ」

 ヴイツーが肩をすくめる。当の灰色の王であるトウコは嘆息を漏らす。

「ここに来て、随分と度量の狭い事ね。ナイトメアを倒すと覚悟したんじゃないの? だから、ケルディオは道を示した。この次元に渡って来た事、それそのものがケルディオを操るに足る証明」

「それも……分からない。どうしてナイトメアウィザードに神秘の剣が効くと証明されたんだ? それに、有効ならばなおの事、折られた意味が……」

 自然回復でも、ましてやポケモンセンター相当の医療技術でも折れた剣は直せない。ケルディオは戦闘に必要な要素を奪われたも同義である。

「分かりやすく言うのならば、ケルディオの神秘の剣は不完全。あの状態でナイトメアに突っ込んでも先に言った通り、外殻の破壊にしか留まらなかったでしょうね。まぁ、チェレンが外殻を壊してくれたお陰でウィザード形態に移行したのは大きな進歩だわ。この六年間、敵は無限増殖とその攻撃性能の強靭さを見せ付けるばかりで、今まで隙なんてなかったんだもの」

「……それも、分からない話だ。ナイトメアが人間に感染し、増殖するからイッシュを焼き払った? 人間の棲めない土地にした? ……そんなの、呑み込めって言うほうがどうかしている」

 そうとも。どうかしているのだ。何もかもが。イッシュが焦土と化したのも。ナイトメアという存在そのものも。

 トウコは後頭部を掻いて渋面を作った。

「……ここまで分からず屋だとはね。同じ人間とは思えないわ」

「仕方ねぇさ。もうあれとは別物みたいなもんなんだからよ。ノア。そもそもナイトメアの始まりについて語らなければいけなさそうだな。ナイトメアは因果律の集束が生み出した、この世界そのもののバグだ。因果の収束に関して言えば、てめぇも全くの門外漢じゃないはずだぜ」

 その段になってまさか、とノアは息を呑む。

「ボク、なのか……?」

 首肯したヴイツーはホロキャスター上にデータを呼び出す。

「確認出来るだけでも十人程度は未来世界のNはいたとされている。そのたった十人……されど歴史の偉人と目されるレベルが十人もいたせいで、この次元はゲシュタルト体によって崩壊に至った。同じ顔、同じ経験、同じ能力を持った人間がそれぞれ出会い、殺し合った。その結果、因果の収束する場所、即ちこの次元のNに対して、重大な欠陥が発生した」

「それが……ナイトメア」

「正確に言えば、曲げられ続けた因果がNという一人の影となって生じた新たなる存在、世界そのものに対する結果論ではあるのだけれど、それはここでは避けておくべきね。ともかく、未来世界のNの氾濫によってこの次元は歪の中にあった。歪のしわ寄せはそのままNという存在を歪め、再構築し、新存在として発生したのがナイトメア。この世界そのもののがん細胞」

「それは……ボクがここに来たからだというのか」

 自分が道中で死んでいれば起こり得ない事象だと言うのか。その残酷な問いかけにトウコは頷く。

「そうね。道中で死んでいればともすればナイトメアは発生しなかったかもしれない。でも、そんなの五分五分の可能性。あんたが死んでも他にNのゲシュタルト体がいれば、起こったかもしれない。そう、全ては可能性のるつぼの中でしかないのよ」

「だから水掛け論だって言ってるんだ。ナイトメアが発生しなかったかもしれない、ではなく、ナイトメアが発生したという現実の上で話を進めるべきだと」

 ヴイツーもトウコも思わぬところで冷静だ。チェレンが死んだというのに。英雄としてこの歴史に刻み付けるためだけに命を賭したと言うのにどうして皆が冷たいのだろう。

 骨が浮くほどに拳を握り締めたノアは声を荒らげていた。

「じゃあ、チェレンは……最初から分かっていて憎まれ役に徹していたって言うのか。彼の犠牲を、ボクらは無駄にしちゃいけないんじゃないのか!」

「そうね。チェレンが死んだ事をマイナスにしてはならない、とは思うわ」

 こちらがいきり立っているのに王は冷静沈着。どこまでもその面持ちを崩す事はない。

 旅の道中、どれほどまでに彼女にチェレンが焦がれその結果道を違えたと思っているのだ。何のために彼が旅をしてきたと思っているのだ。

 全てはトウコを超えるため、王者の頂に立つためであった。

 だというのに、その功績を褒め称えるでもなく、冷淡に事実として対処しようとするトウコにノアは苛立ちを募らせた。

「どうして! キミのために、チェレンはここまで来たって言うのに……!」

 トウコは眉一つ動かさず結論だけを述べる。

「頼んでもいない」

 掴みかかろうとしたノアをヴイツーが制する。

「待て、ノア。落ち着けよ。我を忘れている」

「落ち着けって……? だってチェレンは、苦しんでいたんだぞ!」

「んなの、とっくにみんな分かってるだろ。だから落ち着けって言ってるんだ。あいつの事を理解していたのは何もお前だけじゃねぇ。それに、あいつの死に心を痛めているのは、てめぇが一番じゃねぇだろ」

 その言葉にハッとする。先ほどから顔を上げないベルの頬が濡れていた。

 そうだ。彼女はチェレンと共に旅をし、その結果相反する理想と真実を前に対立した。

 ベルが一番に悔しいはずなのに。自分はまた、勝手な事で他人を傷つける。

「……すまない」

「分かればいいってもんでもねぇぞ。ノア。あいつの生き方を侮辱したくねぇのなら、ここは前を向くしかない。ナイトメア討伐にのみ、おれ達は手を取り合えるんだからよ」

 幾分か冷静なのは彼もまた悔恨を噛み締めているからか。ノアはよろめいて後ずさった。

「……話を、続けてもいいかしら?」

 王の言葉にヴイツーが促す。

「ナイトメアは無限に膨張し、感染し、その虚数空間に己を満たす。それがあの存在の理由付け……言ってしまえば存在証明。放っておけばイッシュだけじゃない。この世全ての概念を吸収するでしょうね」

「でも六年も封じ込められたのは何も黒の勢力と白の勢力の努力だけではない。あれには雌伏の期間が必要だった」

 ここに来て口を挟んだバンジロウにトウコが首肯する。

「そう、ね。何よりも自身の統合。それがナイトメアの目的だから」

「統合……でも、この次元のNから剥離した存在なのに、また同一になろうって言うのはおかしいんじゃ……」

「Nから始まったものとは言え、その事象の理由付けには無数の未来世界のN……つまりゲシュタルト体の存在が不可欠。奴が統合しようとしているのは他でもない、てめぇだよ、ノア」

「ボクが?」

 思わず問い返す。ヴイツーは言葉を継いだ。

「未来世界のNにして、さらに言えば事象を完全予測出来る可能性を持つてめぇを取り込んだ時、ナイトメアは完全体となる。そうなった場合、一番に危ぶまれるのが世界の崩壊……次元の断絶」

「世界の……崩壊? そんな事……」

 自分一人の肩に世界の行方があるというのか。だが、ノアは実感が湧かない。そもそも、ナイトメアの発生も、自分が過去に渡ったのも全て、あの男のせいだ。

 ハワードと名乗る時渡りのセレビィを操る男。あの男さえいなければこのような時間の闇の中に放り込まれずに済んだのに。

 その段に至って、まさか、とノアは息を呑む。

「ハワードは、それを狙って……」

「ハワード? 何なんだ、そいつは?」

「ボクをこの時間に送った張本人だ、それに思考実験だって。同じ時間軸に偉人を数人送り込めばその時間はどうなるのか、っていう……。でもまさか、最初から、仕組まれていた? ナイトメアっていう危険因子を作り出すために」

 だとすれば、自分の旅はまだ終わっていない。終わってなるものか。

 悪の芽を摘み、人々を救う浄罪の旅路の果てだ。この場所と時間こそが終着点なのだ。

「ボクは、このためにあった……」

「何を納得しているのか知らないけれどよ、いずれにしたってゲシュタルト体によって発生したナイトメアを破壊するのに、てめぇ本体をぶつけて対消滅させるって言う手は一応は有効なんだ」

「でも、ボクは責められない。キミ達を」

 その言葉にヴイツーがため息を漏らす。

「お人好しだな。嬢ちゃんとバンジロウ、てめぇら、どれほどまでにあくどいのか教えたって、このノアって言う馬鹿は信じている。人の善性がその程度で揺るぐはずがないってな。……そろそろ、理解したか? おれらはこういう馬鹿に世界を任せるしかないって」

 ベルは車椅子の肘掛けを握り締め、悔恨に顔を歪ませる。

「……どうにかして、被害を最小に留め、全てを終わらせるつもりでした。ですが、それは驕りだった。だってチェレン君はずっと前から、英雄になるためだけに、その一生を全うしようとしていた。だって言うのに、あたし……自分勝手にもほどがある」

「ベルのせいじゃない。オレにも責任はある。分かっていて、灰色の預言者って担ぎ上げたんだ。ベルを白の勢力の頭に据えたのもオレの判断。ベルも兄ちゃんも責められるもんじゃない」

「全ての泥を被るか、バンジロウ。男になったじゃねぇか。だが、何もかも手遅れだ。滑り落ちていく石を前にして何も手立てがないように、ここまで追い込まれちまった以上、人類にさほど手段は残されていない。ナイトメアウィザードを破壊するのに、方法が随分と減っちまった」

 ノアは拳をぎゅっと握り締める。あの時、ヴイツーがケルディオの剣を折らなければ、自分はナイトメアと対消滅していたのだろうか。あるいは彼らの言う通り、外殻の破壊にのみ留まり、本体には届かなかったのだろうか。

 どれも仮定の話だ。その域を出ない推測で物事を語るべきではない。だが、神秘の剣にはそれほどの力が秘められている。

 ナイトメアを浄化するのに足る力だというのならば自分は喜んで人柱に……、そう言いかけた矢先であった。

「言っておくけれど、Nから派生したものだからって同じようにNをぶつければ破壊出来るというのは短絡的よ。対消滅の運命を相手も背負っているかもしれない。でももし、相手は完全に別種に成り果てているとすれば。ナイトメア相手にノア一人ではただの犬死に。ここで間違えてはならないのは、計算よ。相手はほとんど無限の軍勢。比してこちらはレシラムを取られ、英雄の座にあるポケモンは封じ込めてある」

 トウコの言葉振りにノアは、そういえばと思い返す。

「もう一つの英雄……黒の英雄ゼクロム、それをキミは持っているはず。そうでなければ……」

「そうでなければ、何? 玉座に登り詰められなかった、とでも?」

 試す物言いにノアは覚えず視線を逸らす。トウコは肩をすくめてその話題に触れた。

「ゼクロムは封じ込めてある。Nと二人の女神でしか知らない、封印の呪文みたいなものがあったみたい。今はダークストーンの中よ。言っておくけれど、最大戦力で迎え撃つにしても、アタシはゼクロムの使用は避けたい。どうしてだか、は言わなくても分かるわよね?」

「ナイトメアにゼクロムまで吸収されれば本当に打つ手がなくなる。それこそ、イッシュ英雄伝説における最大の要を両方手に入れたとなれば、相手は王以上の存在だ」

 模範解答にトウコは乾いた拍手を送る。

「よく出来ました。……そこまで向こう見ずじゃないわけ。でも、アタシは直感だけれど、ゼクロムが鍵じゃないような気がしている」

 トウコの予測にノアは面食らっていた。

「ゼクロムじゃ、ない?」

 それは不思議な話だ。白き英雄、レシラムを吸収し、もう一方の英雄のポケモンまで取り込まれればそれこそお終いに思えるのに、トウコの眼には闘志が宿ったままである。

「ゼクロムを手に入れれば確かに驚異的な能力にはなると思うわ。でも、だからと言ってナイトメアウィザードが今以上に厄介になる、というのはちょっと単純が過ぎる。ともするとアタシ達はもっと大事な事を取りこぼしているのかもしれない」

「もっと、大事な事……」

 繰り返しても答えは出ない。ベルは全員に目配せした。

「今日は両陣営共に疲弊しているはずです。生き残った勢力の構成員を集め、ナイトメア打倒のために休息を取らせましょう。相手がジャイアントホールに位置取っているのならば、こちらが攻め込むのに何の支障もありません。白も黒も……無論プラズマ団も、今は手を取り合うべきです」

「皮肉な事に、その言い草に文句は挟めないわね。どの陣営も兵力が足りていない。まぁ物量戦でナイトメアが倒せるのか、と言えば微妙なところだけれど、今は一度兵士を休ませるべきって言うのは賛成。今戦いに行ってもやられるだけよ」

 トウコが踵を返そうとする。なびいたマントにノアは覚えず身を乗り出していた。

「そのマントは……」

 一瞥を向けたトウコが、ああと理解する。

「そっか。あんたもNだったわね。そうよ、これはゲーチスを殺して得たマント。王の称号に相応しいでしょう?」

「殺した……でも殺す事なんてなかった」

 途端、トウコの眼差しが鋭くなる。猛禽類のような射抜く光にノアはたじろいだ。

「……分からず屋なのは両方のようね。あそこで殺さなければ、じゃあNであるあんたは幸福だったってわけ? あのNにも同じ問いばかり重ねているけれど、意味なんてないんでしょう? あんた達には。愛していた、愛されていなかった、憎んでいた、憎んでいなかった、そういうフラットな目線が欠けている。感情論で物を言えない人間って言うのは人形と同じなのよ。あんた達はそれを美徳のように感じているみたいだけれど」

「そんな事は……! だって必要な殺人じゃないはずだ」

「いい? 生きていても仕方のない悪がこの世には存在する。それがどのようなレベルであったとしても。同じような事を、同じ立場ならばあなたもしていたんじゃないの?」

 脳裏に描いたのは悪の芽を摘んだ日々だ。まるで枯れていくような日々であったが、自分の最終判断が畢竟、悪だと判断した相手を潰す事に集約されていたという点から鑑みれば、何も不自然な帰結ではない。

 トウコは理論も、ましてや感情もひっくるめて、何もかもを「王だから」という一事で抱いている。

 王だから、悪の芽を摘んだ。王であるから、対抗組織の頭目を迷いなく殺せた。

 全ては王であるから、王になれるから。

 だがその生き方はあまりにも眩しい。チェレンが歪むわけだ。生き様と呼ぶには、誰も真似出来ない領域であった。

 席を外したトウコを見やり、ヴイツーが呟く。

「……あれでも、気を遣っているんだぜ? 本人は多分、兵力の蓄えも何もかも関係がなく、今にもナイトメア駆逐に乗り出したいはずだからな」

 どうしてヴイツーはトウコの側についているのだろう。バンジロウの理由は聞いたがヴイツーの理由は聞いていなかった。

「どうして、キミは彼女に……」

「プラズマ団が結果的に崩壊した事で、おれには居場所がなくなっちまったんだよ。お前らと旅をしていた頃は、その決断を保留に出来た。プラズマ団と矛を交えるかどうかっていうのはな。だが、当のプラズマ団が消滅して、気づいたんだ。ああ、おれには足場がないってな」

「そんな事……! だってキミは誰より強かった」

「強いだけじゃ、身の証明には薄いって事だ。おれはおれであるために、プラズマ団を支配したトウコに遣える事に決めた。ちょうど、プラズマ団を追い出されかけていたダークエコーズもう一人とも会えたからな、結果的にはよかったんだよ」

 ダークエコーズのもう一人。ヴァルキュリアシリーズに彼は会えたというのか。

 だが彼にとってのそれは憎むべき敵のはずだ。どうしていくら王の前だからと言って因縁までは清算出来まい。

「……平気な顔で会えるわけないって感じの眼だな。ああ、おれも会うまでは、殺し合うかもしれねぇって思っていた。でも案外、会っちまうとなんて事はねぇ。おれ達はただただ欠落を埋めあうだけの存在だったって話だ。元々はN様のクローニング計画だからよ。ヴィオがプラズマ団を放逐された時点でお取り潰しになった部門だ。いずれ死ぬなら前向きにってな。おれは、死が目前にあっても前のめりに行くつもりだぜ。ノア、てめぇはどうする?」

「どう、って……」

「脅威は去っていない。ナイトメアは依然、倒すべき敵だ。だがてめぇは、ともすれば一番に関係がないかもしれない」

 それは未来世界から来たからか。あるいは、やり直しを求めて彷徨った挙句だからか。

 自分にはこれ以上の責め苦は必要ないという彼なりの気遣いだったのかもしれない。今までこの世の地獄を味わってきた。地獄は過ぎればただの憎悪の塊となる。

 憎しみで戦うなという警句だったのかもしれない。

「……でも、駄目だ、ヴイツー。ボクにはやっぱり、ここでキミ達を、未来でも過去でも放っておけない」

 眼差しを見返したノアにヴイツーは口角を緩めた。

「……言うと思ったよ。お互いに馬鹿だよな。逃げる事だって出来た」

「でも、逃げちゃお終いなんだ、多分。ここで逃れられる運命なら最初から前に立っていない」

「同意だぜ、ノア。行こうか。過去も未来もどれもこれも握り締めて、その果てに待つ戦いを」

 拳を突き合わせる。コツン、という誓いの音が漏れた。

 ベルが咳払いをする。まだ話は終わってない様子であった。

「灰色の王は退室されましたが、あたしの提言はまだ終わっていません」

「嬢ちゃん、あんまし肩肘張るなよ。もう手は割れているぜ?」

「……それでも、です。あたしは白の勢力の頭目。最後まで毅然としていなければ」

「黒は総崩れ。連中の行く末はチェレンが予め言付けておいた様子だし、心配は要らないんじゃねえか?」

「それでも、過去を清算は出来ないのですよ」

 白と黒は争い合っていた。その溝だけは埋められないのだ。

「じゃあよ、どうするって言うんだ? まさか黒の勢力と白の勢力でまた潰し合いかよ? それも意味はないだろ」

「意味はあります。バンジロウ君、あたしを外に」

 バンジロウが静かにベルの車椅子を押し出す。ノアはうろたえつつもその背中に続いた。

 煤けた空気の中、白の勢力と黒の勢力が睨み合っている。それぞれの定位置から動かないのはやはり埋めようのない隔絶か。

 そう思った矢先、ベルは声高に叫んだ。

「黒の勢力に告ぎます! あたしは白の勢力の頭目、ベル! もし、これから先の戦い、禍根があるというのならばあたしが引き受けましょう! 殺すのならば今ですよ! 殺しなさい!」

 ヴイツーもノアも絶句する。バンジロウだけがその言葉の意味を理解したように言葉を継いだ。

「オレはベルを守る騎士だ。だが今だけは彼女の意思を尊重しよう。この決定に一切異を挟まないと! オレも無抵抗だ。殺したければ殺せ!」

 なんという無茶無策。言葉を挟もうとしたノアよりも素早く、黒の勢力の一部が動いていた。

 瞬時に距離を詰めた黒の勢力の数人にキョウヘイが前に出て制する。ウインディが数体の虫ポケモンと打ち合った。

「……殺させない」

「キョウヘイ君、あなたも下がって。これはあたしの決定」

「でも! そんなみすみす殺させるなんて、出来ませんよ!」

「下がりなさい! あたしがそう言っているのよ!」

 ベルとは思えない気迫にキョウヘイが覚えずといった様子でウインディを後退させる。黒の勢力の数人はポケモンを携えて歩み寄ってきた。

「……私達は全員、白の勢力に仲間を殺された」

「存じています」

「ここで首を預けるというのならば、その怨首、貰い受ける」

「駄目だ、ベル!」

 ケルディオを繰り出そうとしたノアをキョウヘイが止めた。ノアは眼を戦慄かせる。

「キョウヘイ……!」

「ここは、ベルさんとバンジロウ師匠の決定に口を挟んではいけない」

「でも! こんなのは無意味な争いだ!」

「その無意味を! 俺達は六年も続けてきた! 無意味だとは思いたくないんだ!」

 ハッとノアは目を見開く。そうだ、自分からしてみれば一瞬でも彼らからしてみれば六年以上の争い。そう容易くそそげる因縁でもないはずだ。

 だが、それはただただ悲しいだけの事。お互いに喰い合って、その挙句が殺し合うだけなど。

 ノアの肩をヴイツーが叩いた。

「今は、おれらの出る幕じゃねぇ。分かるよな、ノア」

「……でも、こんなのって……」

 ベルが瞑目し、終わりを受け容れようとする。黒の勢力の者達がすっと手を掲げた。

 瞬間、放たれた辻風がベルの車椅子の車輪の片方の軸を切り離す。腰掛けていたベルがよろめいた。黒の者達が身を翻す。

「我々の因果、そう簡単にそそげぬ。だがだからと言って意趣返しだけが我々の存在理由ではあまりにも報われない。ゆえに、これは精一杯の抵抗だ。今、貴様を地に這い蹲らせた。それだけで救われる魂もあると知れ」

 倒れ込んだベルをバンジロウが抱き起こす。黒の勢力は声を張り上げた。ナイトメアに対抗すべく、この場で誓われるのは戦士としての誇りだ。

「ここに告ぐ! 我ら黒の勢力は頭目、チェレン様の意志を受け継ぎ、ナイトメアを完全排除する! そのためには白の勢力との意思の合意も含まれる。拒否権は皆にある。ここで拒むのならば止めはしない。ブラックシティに戻り、皆で安寧を過ごす事くらいは」

 しかし黒の勢力の者達は一歩も退かなかった。ここまで来たのだ。今さらブラックシティにおめおめと帰れないのだろう。戦士達の双眸を確かめた黒の者達は首肯する。

「ナイトメアを破壊する。この決定はチェレン様のものだ。異存はない」

 一瞥を振り向けた黒の勢力にベルは起き上がりつつ、口にしていた。

「……ありがとう」

「白のためではない。我々が胸に抱く矜持のためだ」

 彼らからしてみれば、チェレンの存在で救われた者もいる。一面から見た修羅が彼の全てではなかったと言うべきだ。

 抱きかかえたバンジロウの力の篭り方一つにも、この六年の月日が垣間見える。

 きっと彼にとってもベルの存在は六年前とは違う意味を持っているはず。

「……そうか。人は、変われるんだ」

 当たり前の事であったのかもしれない。だがそれは意識しなければ見えない事実。黒の勢力も白の勢力も、ただ平和を願っていたという点においては同じ。

 些細なボタンのかけ違いで争っていただけなのだろう。


オンドゥル大使 ( 2018/01/17(水) 21:49 )