第(ー12)楽章「地獄の門」
「了解。ナイトメア追撃部隊はこのまま目標との距離を一定に保ち、攻撃の準備に入る」
無線機に吹き込んだダークトリニティの片割れは焦土の土を蹴って逃げおおせようとするナイトメアを追っていた。敵の速度は決して遅くはない。だが、あまりに焦り過ぎれば勘付かれてしまう。
今は、息を殺し、出来るだけ射程制空権に入らないように慎重を期すべきであった。お互いに呼吸を合わせ、ダークトリニティは先行部隊の一人に伝令する。
「そのまま直進している。敵の動きを封じたい。出来るな? ……ヴァルキュリアスリー」
『無論の事』
返された言葉の直後、周囲を新緑の刃が埋め尽くした。ナイトメアウィザードが影の泥を拡張させ、瞬時に視界を奪った「リーフストーム」を吸収する。
ジャローダと共にナイトメアの足止めにかかろうとしていたヴァルキュリアスリーはなるほどと得心する。
「ウィザード形態、泥の中には虚数空間か。全ての攻撃を打ち崩し、全ての攻撃を吸引する。絶対の防御と鋭い攻撃が約束されている」
「分析の暇はないぞ」
発した声にヴァルキュリアスリーへと影の刃が差し込んでくる。その一閃をジャローダが弾き返した。
「ナイトメアウィザード。勘違いをしているようだから言っておく。わたし達は足止めや時間稼ぎのために、貴様の前に立っているんじゃない。倒してもいいと、灰色の王より勅命があった。ゆえに、ここで操るは小手先に非ず。全てを灰塵の向こう側に葬り去る剣なり」
地面が捲り上がり、極太の蔦がナイトメアウィザードを締め上げる。ナイトメアウィザードの虚数空間が蔦の物理攻撃を透かさせた。攻撃が次々と無力化されていく中、背後からダークトリニティ二人がポケモンを繰り出す。
「コバルオン!」
「ビリジオン! 一気に決める!」
濃紺の獣と新緑の獣がそれぞれに宿した輝きを放出し、ナイトメアウィザードへとその身を焦がす最大の剣を打ち下ろした。
「聖なる――」
「剣!」
二体の「せいなるつるぎ」が相乗し、ナイトメアウィザードの躯体を焼き尽くそうとする。
しかし、ナイトメアウィザードは逃げるでもなく、己の内側から新たに影を生成した。影が形を成し、よろよろと前に出る。
人の姿を取った影から皮膜が剥がれ落ちる。
露になったその姿にダークトリニティ二人が苦々しく口にした。
「やはり……こちらへと跳ぶ時にナイトメアに取り込まれていたか。我らが同朋」
「これも運命、己の半身を葬り去るのに、自分達で決着がつけられる事、まだ誉れと思うべきか」
呻く影の実体はダークトリニティ二人の生き写しであった。影に徹する覚悟を持った男は今、悪夢に取り込まれている。
影の手足が分解され、紡ぎ出したのは圧倒的存在感を放つ巨体であった。
ナイトメアの放った策にダークトリニティは歯噛みする。
「テラキオン……いや、既にその成れの果てか。もうポケモンですらない」
テラキオンの形状を取った影が吼え立てる。金剛石の輝きを持つ角がナイトメアの助けを借りて拡張し、稲光を放った。
「来るな。聖なる剣か」
「皮肉なものだ。相手への毒が、このような形で使われるなど」
コバルオンとビリジオンが己の聖剣を携え、テラキオンと向かい合う。彼らからしてみてもお互いは兄弟のようなもの。合い争う形になった事、残念だと思っているに違いなかった。
「コバルオン、まずはテラキオンの足を潰す。相手の弱点は嫌というほど分かっている」
駆け抜けたコバルオンはナイトメアウィザードの影の虚数空間に触れぬように跳躍した。一足飛びでテラキオンの直上へと至り、中空で身体を翻す。
「頭上からの……聖なる剣!」
雷撃のように放たれた銀の輝きはテラキオンの足場を突き崩す。よろけたテラキオンへとビリジオンが頭部にある刃を瞬かせる。
即座にテラキオンの首が狩られた。
射程を飛び越えた「せいなるつるぎ」の一閃にナイトメアウィザードは策がないかに思われた。
前はジャローダが塞いでいる。後ろは自分達ダークトリニティの領分だ。
ここで逃がすわけもあるまい。一気呵成に決める、と心に誓った三人へと、差し込むようにテラキオンの身体が内側から爆ぜた。
まさか、と全員が瞠目する。
「その肉体の形状に寄らない攻撃……最早テラキオンでさえも、虚数の虜だというのか……」
内奥から放出されたのは見間違えようもなく「せいなるつるぎ」そのもの。だが、通常は攻撃モーションが存在するそれを己の肉体という楔を犠牲にして相手へと発振させる。
常態のポケモンとトレーナーならば及びもつかないほどの攻撃であった。
ナイトメアウィザードという、虚数を支配する存在だからこそ、考えつく戦略。ポケモンという楔から解き放たれたからこそ、可能な技である。
コバルオンへと至ろうとしたその攻撃の矛先をジャローダの草の刃が絨毯のように構築され阻んだ。コバルオンは草の足場を踏み締めテラキオンの攻撃射程を逃れる。
しかし、着地したところで安心は出来ない。
ナイトメアウィザードは接地戦ではほぼ無敵。
影が侵食し、コバルオンを蝕もうとする。踵を打ち鳴らしてコバルオンは闇の侵食を阻もうとするが相手のほうが遥かに素早い。侵食速度に負けるかに思われた刹那、十字の刃が闇を引き裂いた。
「ジャローダ。リーフブレード」
ジャローダの刃が闇を断ち切る。
難を逃れたコバルオンはジャローダの助けを受け、その角先に黒白の電磁を漂わせた。ナイトメアウィザードが片手を払う。
闇が霧となって押し寄せるのをコバルオンは真正面から剣で打ち砕く。
ナイトメアウィザードの侵食が遅れを取った刹那、その背後をビリジオンが斜線に入れていた。
「聖なる、剣!」
ナイトメアウィザードの本体へと斜に攻撃が奔る。分断された肉体から影の血潮を撒き散らし、ナイトメアウィザードが生き別れになった上半身と下半身を硬直させた。
「取った……か?」
ヴァルキュリアスリーの声にダークトリニティは眉をひそめる。
「いや、まだだ」
硬直したのも一瞬に過ぎない。切断面から新たに闇の血が撒かれ雨のように降りしきる。黒い雨に触れた箇所から侵食が始まったのをダークトリニティ二人は目にしていた。
「……まったく、油断出来ない相手だ。身体を両断しても、まだ生き永らえるか。分断し、寸断し、両断してもなお、これを殺す術はないというわけか」
「しかしデータ試算上、聖なる剣は限りなく相手の再生速度を落とす事が出来るはず」
ヴァルキュリアスリーの言葉に頭を振る。
「データの上での話だ。実際には、ウィザードとなった相手に聖なる剣はさほど有効ではない様子。やはり、あのポケモンの力が必要になるか」
「これでも外殻を破壊してくれただけでも助かる。六年にも及ぶ吸収と能力併合によって強化され続けたナイトメアの影の鎧を砕いてくれたお陰で我々は本体に肉迫出来る。その心の臓に刃を突きつける事が、な」
ビリジオンが後退しつつ新緑の皮膜で闇の侵食を抑える。コバルオンは地面を踏みしだき刃と化した岩で闇の散弾を阻んでいた。
「しかし、どう打ち崩す? あまりに相手の手がこちらを上回っている。これでは消耗戦だ」
「言われるまでもない。灰色の王は時間を稼げ、と言った。理由は明白だ。ここでナイトメアウィザードを完全に破壊する手がこちらにはない。聖なる剣を持っていても、相手へと届かぬのでは意味のない事」
「必要最小限の被害で、最大の効果を期待するしかないな」
お互いに了承の頷きを交わしたダークトリニティはコバルオンとビリジオンを駆け抜けさせた。
テラキオンとそれを操る半身を完全に打ち砕く。今出来るのはそれが精一杯だ。
テラキオンが地面を打ち鳴らし、影と虚数の小波を発生させる。押し寄せてくる影の侵食領域にビリジオンとコバルオンは同じタイミングで跳躍する。
それぞれが中空で交差した刹那、お互いの角を突き合わせた。
それは相手を屠るサイン。騎士のポケモンが二身一体となって、正義の名の下に敵を葬り去る攻撃が角先に充填される。
黒白の輝きをそれぞれに引き受けた。コバルオンは白を。ビリジオンは黒の刃を電磁と共に棚引かせる。
元々、聖剣は二つの属性を借り受けたものであった。英雄伝説に刻まれた白と黒。相克する属性を併せ持つ事によって敵を圧倒的攻撃力でもって吹き飛ばす事が可能となる。
相反する属性をこの時、一体ずつ掌握する意味は、それぞれの攻撃力を百パーセントまで引き出す条件を揃えさせていた。
本来、それは三体の闘者のポケモンが引き受けるはずの最大攻撃である。
白と黒だけではない。どちらにも分けられぬ灰色の領域をもう一体が補填する。そうする事で真の「せいなるつるぎ」が完成するのであったが、最後の一体はナイトメアウィザードの手に落ち、今やその眼窩を赤くぎらつかせている。
「せめて我々の手で、終わらせてやろう。テラキオン、それに――」
失われたはずの名を紡ぐ。ダークトリニティとなってから、名を捨て、ゲーチスのために生きた。その束縛された生涯を終わらせてやるのは自分達こそが相応しい。幕引きは、同じ穴のムジナがやるべきなのだ。
テラキオンが咆哮し、金剛石の刃を撃とうと姿勢を沈める。だがそれよりも素早く、コバルオンとビリジオンは攻撃を放った。
白と黒の刃。
相反する属性が渦を巻き、螺旋を描き、テラキオンへと叩き込まれる。テラキオンの堅牢な肉体が震え、それを操る似姿が霧散した。
既にその自由意志はないとは言え、自分達を殺すのに等しい所業にダークトリニティ二人は静かに瞑目する。
膨れ上がった剣閃の瀑布でテラキオンが膨張し、内側から弾け飛んだ。黒い血を撒き散らして、影のテラキオンが完全に砕け散る。その死骸は虚数の波の中に埋もれていった。
ナイトメアウィザードがテラキオンの亡骸を吸収しようとする。コバルオンとビリジオンが刃を閃かせナイトメアウィザードの影を薙ぎ払った。
テラキオンの骸をビリジオンの蔓の鞭が絡め取り、吸収の前にこちら側へと引き寄せる。
「これで、貴様の手は封じた。ナイトメアウィザード……!」
ナイトメアウィザードは影の虚数空間を揺らめかせながら逃げる機会を窺っているようであったが、そう容易く逃げ場がないのは相手も了承済みのはず。
――さぁ、どう出る?
ダークトリニティの浮かべた疑念にナイトメアウィザードはすぐさま答えを提示した。影の刃を一射しこちらとの距離を取ろうとする。コバルオンが聖剣で受け止めた時にはナイトメアウィザードは影の中に没していた。
かつてカゴメタウンと呼ばれていたこの場所にはところどころ自然発生した洞窟がある。
そのうちの一つに潜り込んだのだ。
闇の中ではナイトメアウィザードは無敵を誇る。ここで追うのは得策ではなかった。
「……辛うじて、目的であったテラキオンは回収完了。操り手であったダークトリニティの一人は既に影に取り込まれていた。彼だけをナイトメアに取られたのはこちらの失態だ」
ヴァルキュリアスリーが新緑の皮膜を張り、ナイトメアウィザードからの攻撃を阻む。影の中に隠れていく相手からしてみれば、攻撃し続ける必要はない。可能な限り距離を取ればいいだけだ。
歯噛みしたヴァルキュリアスリーにコバルオンを操るダークトリニティは言いやる。
「もう充分だ。ここまで引き離しが可能な事自体が、恵まれているのだろう」
攻撃網を減殺させたヴァルキュリアスリーはこちらに匿ったテラキオンの骸を見やる。
「……死体で何か出来るとでも?」
「死体でも、三騎士の一角であるテラキオンはこれからの戦いに必要なのだ。本来はその聖剣だけを取り出せればよかったんだが、相手も必死。こちらも決死の覚悟で向かわなければならなかった」
「……ナイトメアウィザードが隠れ潜むのは、カゴメタウンの奥、か。ジャイアントホール……」
魔獣が棲むと言われ原住民に恐れられてきた場所である。よもやそのような場所に相手が陣取るとは思ってもみない。
「厄介な土地だな。ジャイアントホール付近では地殻変動が頻繁に発生すると言われている。ここで相手が出てくるまでの我慢比べはあまり意味がない」
「では、一度」
「ああ。フォレストに帰還する。黒の勢力も総崩れのはずだ。無論。白も。これから先の戦いを鑑みるに灰色の王の意見を全く聞かない、というのはあまりにも馬鹿げている。彼らは否が応でも聞かざるを得ないだろう」
「しかし、それが万人にとっての幸福か……」
声に翳りを滲ませたヴァルキュリアスリーに今さらだろう、と返す。
「最早このイッシュという地において、万人の幸福など存在しないのだから」