第(−8)楽章「凶夢伝染」
言い返せない、とノアは拳をぎゅっと握り締める。キョウヘイは突き放す眼差しを送った。
「……強さは積んだつもりだ、俺だって。でも、てんで足りやしない。どれだけ足掻いたって、求めたって、全然! ……生きている限り、選別され続けるんだ。その領分を侵されても、何も言えない。それが、ここに! イッシュに生きるって事なんだよ!」
そこまで追い詰められている生き方に容易い救いは挟めなかった。差し出した手はどこまでも打算に満ちているのだと思い知っているからだ。
悲劇と愚かさの帰結する先を、Nである自分はよく知っている。
あの森の日々を壊された時点で、もうただの純粋無垢には戻れない。
「ボクは……」
選ぼうとした、その時である。
激震が洞窟を揺さぶった。まさか、と目を合わせたノアとキョウヘイは出口に向けて駆け出す。
飛び込んできた光景はウツロイド相手に抵抗する白の勢力の人々であった。残像を引いてこちらを翻弄するウツロイド数体に統率を取った白の部隊が対抗する。
「恐れるな! 相手はウツロイド! つまり、まだ敵の本丸でも何でもない! 相手は探りを入れている最中だ。ここで打ち崩す!」
先ほどまで温厚に日々を過ごしていた人々が一気に闘争本能に火を点け、ウツロイドを一体、また一体と狩っていく。その慣れた手腕にノアは空いた口が塞がらなかった。
「あんなに手こずったウツロイドを、みんな、ほとんど一撃で……」
「弱点タイプさえ見えれば、ウルトラビーストだって怖い相手じゃない。ただ、白の本陣にウツロイドを送り込んでくるのは初めてだな。……この感触、上だ!」
ウインディが放たれ中空に向けて牙を軋らせる。刹那、空が歪んだ。否、今まで不可視の外殻が覆っていた空がじわじわと融かされていく。
ウインディはその大元へと「かみくだく」を使用した様子であったが、相手の融解速度のほうが上であった。
白い残像をたなびかせて、陽炎のポケモンが空間に現出する。
「眼はいいようだな。白の雑兵」
レシラムに騎乗したチェレンが冷ややかな眼差しを注ぐ。中空で交錯した視線にノアは言葉をなくしていた。
どうして、チェレンが? そのような問いかけ今さら馬鹿馬鹿しいと分かっていても、尋ねざるを得ない。
「チェレン……まさか、キミ達は、黒の勢力として」
ノアの言葉を待たず、チェレンは通信機に声を吹き込む。
「こちら、ポイント04。雑兵と灰色の預言者……Nの存在を確認。パッケージを確保し、ウツロイドの斥候を下がらせろ。このフォレストを焼き尽くせ。レシラム」
「させるかよ! ウインディ!」
ウインディとレシラムがもつれ合い、激しく身体を振るう。だがその接触は一秒も持たない。
レシラムが体内で発生させた灼熱にウインディは同じ炎タイプでありながら、後退を選択していた。
「雑兵にしては吼える。ウツロイドの対抗策も練られているな。まぁ、次手など存在しない今となっては、最早意味を持たないが」
「強がってんじゃないぞ、黒の親玉。お前一人じゃこのフォレストを攻め落とすなんて不可能だ。それよりも自前の英雄のポケモンの心配でも、したらどうだ!」
レシラムの翼に残った噛み痕から白い炎が発生する。「かみくだく」を触媒にした遠隔操作での「やきつくす」。平凡なトレーナーではまず思いつかない戦術だ。恐らくレシラム本体に触れるのは最初から危険だと判断していたのだろう。
だからこそ、接触は最小限に。なおかつ枝をつけた形だ。
「……噛み砕いて内側から焼く。確かに有効な手立てかもな。――それが通常のポケモンの場合ならば」
レシラムが行った事は少ない。ただ両翼を羽ばたかせたのみ。それだけで炎は失せ、新たに塗り替えられたレシラムの炎が噛み痕を完全に消し去った。
まさか、と息を呑んだキョウヘイにチェレンは冷淡に言いやる。
「レベルが違う。英雄のポケモンと、そこいらで一端を気取っているトレーナーでは、その見ている視点が、な」
ウインディを下がらせようとして、レシラムの自然発火がその身を焼いた。粘性を持った炎がウインディの満身を砕いていく。
「こんな……こんな結果って……!」
「這い蹲れ弱者。さて、本丸に行かせてもら――」
その言葉尻を裂いたのは踊り上がった水の砲弾であった。レシラムが着弾前に気化させるも、操るチェレンの双眸は鋭い。
「……何のつもりだ。ノア」
覚えずケルディオを繰り出していた。キョウヘイが茫然自失のまま、こちらへと振り返る。
「灰色の、預言者……」
「チェレン。キミがどう言おうと、ボクは納得しない。納得しない事にした」
「それは物分りが悪いのだと、自ら宣言しているようなものだが?」
「……かもしれない。ボクは、ただ単に諦めが悪くって、物分りも悪いだけなのかも」
「で、あるのならばここはただ静観しろ。それが正しい選択肢だ」
「……選択肢なんて、そう多いもんじゃないんだ」
レシラムの進行方向を阻むようにケルディオの水の砲弾が螺旋を描く。レシラムは確実に全てを撃墜していくがチェレンの怜悧な瞳はより鋭くノアを睨んだ。
「選択肢が多くない? それは自分をかわいそうがりたいだけの、ただの言い訳だ。選択肢は無限にある。それを選び取るか選び取らないかは、ただの弱者と強者の差に集約される」
「それでも! ボクは希望があるんだと言いたい! 有限の選択肢でも、無限だと嘯かれても! それでもボクは選んだ! なら、選んだ自分を誇りに持てなくって、何がいけないんだ!」
チェレンがまるでごみ屑でも眺めるかのようにその眼を細めた。
「……白の勢力につくか。状況に流され、情にほだされて」
「違う。ボクはどちらの味方でもない」
言い放った声音にキョウヘイは目を見開いていた。チェレンは静かに問い質す。
「……今、何と」
「どちらでもない、と言ったんだ。白でも、黒でもない。灰色の道を、ボクは行く」
「それは選ばない、という勇気とでも口にするつもりか? 選ばない、という事はただの怠慢だ。選択を放棄した人間は何も得られない」
「英雄になった、歴史に名を刻んだ。……だからって、何も白か黒かじゃない。どちらにも染まらず、ボクは決める。己の意地で」
「……そう、か。今も昔も、貴様は愚か者のままだった、という事だな」
レシラムが挙動し空気中の水分を奪い去っていく。ケルディオが恐れに震えたが、その背中を押すのは覚悟だ。あの時、紡いだ覚悟が今も続いているのならば、歩みは止めない。
ここで、終わらせてなるものか。
「ボクらはボクらだ! そうだろう、ケルディオ!」
刹那、光が弾け、ケルディオの体毛が逆立った。角が藍色に染まり補強されていく。その姿は、既に覚悟の域。迎撃準備は整った。
「……覚悟は完了した、というわけか。だが、その覚悟も虚しいだけだ。レシラムに、英雄に踏み砕かれる覚悟など、砂より脆い!」
レシラムが片翼を振るってケルディオへと灼熱の圧力を生み出そうとする。その前にケルディオは跳ね上がっていた。
その跳躍だけでレシラムの上を取る。遥か高みに至ったケルディオの角先に黒白の輝きが宿った。
「聖なる――」
「レシラム、蒼い――」
お互いの声が相乗し、次の一撃への布石を取る。その行動に迷いはなく、ただ信念のぶつかり合いがあるのみ。分かたれたそれぞれの道筋を辿るように、レシラムの放った炎熱と、ケルディオの放射した光の連鎖が弾かれた。
「剣!」
「焔!」
放出された力量は拮抗の帰結へと導かれたかに思われたが、その一瞬の衝突もすぐさま霧散する。当然だ。相手は英雄のポケモン。その使い手となれば、如何にケルディオとて劣る。
弾き返された「せいなるつるぎ」の一閃が青く塗り替えられたその時には、ケルディオはくるりと一回転して着地していた。
すぐさまその頭上へと炎の塊が迫るが、覚悟の姿へと変貌を遂げたケルディオの速度は並大抵ではない。
地を蹴ったケルディオは出力を絞った「せいなるつるぎ」を乱射する。あまりの眩さにレシラムが攻撃の勢いを弱まらせた直後、ノアは手を払っていた。
「ケルディオ! レシラムには穴がある。その弱点、分かるな?」
心得たようにケルディオが吼え、レシラムへと水の砲弾を逆巻かせた。気化した水流の靄を突っ切り、ケルディオの刃がレシラムの額を割ろうとする。
咄嗟に翼を払ったレシラムはその一撃を逃れたが、一瞬のうちにケルディオの姿は掻き消えていた。
どこへ、と首を巡らせるチェレンはハッと気づく。
「そうか……。反対側だ! 背後に炎熱を放射しろ!」
トレーナーの判断力は賢明だ。そうでなければ、背後に迫ったケルディオの一撃は間違いなくレシラムの背筋を破っていただろう。
退いたケルディオにチェレンは歯噛みする。
「レシラムは、その巨躯から前から後ろへの反応速度が鈍い……。なるほど、矮躯ながらに素早いケルディオは何度でもその隙をつく事が出来る。考えたな、ノア……」
「言っている場合か? ボクは今、証明したはずだ。レシラムには穴がある。つまり、この戦い勝てる代物ではない、と」
確実に自分とケルディオのほうが上を取れる。そう確信しての言葉であったが、チェレンは超越者の面持ちを崩す事はない。
「通常ならば、ここではレシラムを仕舞い、別のポケモンで応戦するべきだ。……だが、僕がそのような愚を冒す必要もない。もう、時間は稼げた」
その言葉を解する前に、強烈なプレッシャーの波が肌を粟立たせた。まずい、という直感がケルディオを下がらせる。
先ほどまでケルディオの頭があった地点を穿ったのは強烈な水流であった。
サメハダーを伴わせ、最強の一角が白の大地に降り立つ。
「おい、チェレン。言ったはずだな? 雑魚は散らしておけ、と。だというのに、目の前に羽虫が残っているじゃないか」
「すまない、ギーマ。僕は本丸を落としにかかる。後は任せても」
「英雄の頼みだ。無下には出来ないさ」
サメハダーが紫色のエネルギー外殻を身に纏う。烈風が吹き荒れ、その姿を変えていた。鋭角的なフォルムを持つサメハダーのメガシンカ態はケルディオを睨み据える。
レシラムが飛翔し、別行動を取った。狙う先は恐らくベル。ノアはケルディオを奔らせようとして横合いから放たれた一撃に反応する。
「……いけない! ケルディオ!」
咄嗟に蹄を鳴らして回避したケルディオは肉迫した格闘ポケモンの張り手をすぐ傍に感じていた。
ノアは舌打ちする。
「……四天王が、二人も」
「俺達だけじゃない。シキミとカトレアのカードも切った。この意味するところ、分からないわけじゃあるまい」
まさか、とノアは息を呑む。
「ここで、終わらせる気か」
「それ以外にない。行くぞ、灰色の預言者」
切り詰めたギーマの声音にノアは身構える。ここでレシラムを止めなければ恐らくは悲劇が繰り返される。自分が居ながらにして、幼馴染を自ら手にかける悲劇。そのような不幸を許すわけにはいかない。
「させない……! ケルディオ、レシラムを足止めするぞ」
「まさか、俺達を眼中にない、とでも?」
「……ええ。あなた方の相手をしている時間さえも惜しい。ケルディオ! 飛び越えろ!」
瞬間、ケルディオが四肢に力を込め、レシラムへと飛び込もうとする。だが、その行く手を阻んだのは水流と共に浮き上がったメガサメハダーであった。その攻撃力に弾き返された形のケルディオの背筋へとハリテヤマの姿が迫る。
掌の中に凝縮されていく金色のエネルギー球にノアは慌てて命令を飛ばした。
「ケルディオ! 水壁で攻撃をいなせ!」
「その程度の壁、ハリテヤマ、気合い……魂ッ!」
発射された「きあいだま」の一撃が水の壁を打ち崩し、ケルディオの満身へと攻撃が注がれる。
格闘タイプであったためか、ケルディオはそれほど深刻なダメージを負わなかったものの、離れたレシラムとの距離を埋める事は不可能になってしまった。
逃れた相手にノアは歯噛みする。
「どうして……どうしてあなた方ほどの強者が、こんな……!」
「解せないのはお互い様だろう、ノア。お前がここにいたところで、何も成せやしない。半面、あいつは英雄だ。その違いを身に刻んで、死ぬがいい」
メガサメハダーが「アクアジェット」を噴出してケルディオへと瞬時に接近する。しかし、ケルディオはうろたえるでもない。真正面に立ち現れた相手へと、黒白の閃光を打ち下ろした。
ほとんど頭突きに等しい力任せの攻撃にギーマが感嘆の息をつく。
「……無駄に戦ってきたわけでもない、か」
「解せないのはお互い様、だって……? そんなはずはない。キミ達はどうして、チェレンにつく? ここには! アデクさんがいるんだぞ!」
言い放った声音にギーマは涼しげに首をひねる。
「だから?」
「だから……って、あなた達が信じた王だぞ」
ギーマはレンブへと目線をやる。弟子であったはずのレンブでさえも冷たい眼差しを湛えていた。
「貴君、勘違いをしているようだから言っておこう。最早、王だとは思ってもいない」
「何を……、どういう意味だ」
「そのままだ、ノア。王は変わった。時代は変化したんだ。もう、アデク翁が支配していた時代とは違う。新しい息吹の誕生だ。それを祝福するのが四天王の役目。俺達はチェレンに王の光を見た。それだけの、ただのシンプルな答えだ」
「……チェレンは王じゃない」
「だが英雄には違いないだろう。あいつは超えてみせる。それこそ、今までの王という概念を」
「それでもっ! 裏切っちゃいけない絆くらいはあったはずだ! そうだろう!」
張り上げた声にギーマは心底理解出来ないとでも言うように頭を振る。
「……もっとクールに、物事を俯瞰出来る人間だと思っていたよ。裏切っただの、絆だの、薄っぺらな言葉だ。そんな言葉を振り翳す奴は一番に信用出来ない。いいか? よく聞いておけ。この世で一番に嘘くさいのは絆という張りぼてじみた観念だ。絆があるから裏切らない? 絆があるから恩義を忘れない? ……前時代的、いや、もっと言えば古く、黴臭い。そのような縛りに頭を支配されているから、本質が見えてこない。本質の見えない人間に、この世の強者を語るのは不可能だ」
メガサメハダーがにわかに動き出し、全身から紫色の辻風を生み出す。瞬間的な「つじぎり」によって距離を取ったメガサメハダーにケルディオは敵を見る目を向けた。
「でも、ボクは……」
「信じたい、か? だが信じたところでどうなる? 信じれば、アデク翁はいつまでも輝かしく、王でいられるとでも? 理想論も甚だしい。王は有限だ。人間は死という概念から逃れる事は出来ない。死が差し迫った王になど、誰が希望を見出すものか。分かっていないのは貴様のほうだ。王が希望を作れないのならば、民草が切り拓くしかない。時代を作るのはいつだって王の特権ではあるが、時代に生きるのは民の特権だ」
「……それが、黒の勢力の答えか」
「不満か? だが真理だ」
「それでも。ボクは言いたい。そこには心がない。それは、真実じゃないと!」
ギーマはふんと鼻を鳴らし、静かに手を翳した。
「度し難い、とはこの事を言うのかな。別に理解してもらおうなどと、思ってはいない。灰色の預言者、お前は鍵だ。ナイトメアを破壊する鍵。それを俺達だけが知っている。……いや、お前の言う真実というのが正しいのならば、それは俺達だけじゃない。お前達も知っているはずだ」
キョウヘイがばつが悪そうに面を伏せる。ノアはその行動の真偽を確かめていた。
「キョウヘイ……? キミは、ボクに……」
「嘘をついたつもりはない。だが、四天王の言っている事は――」
その口が言葉を紡ぐ前にホワイトフォレストの中心地に位置する巨木が黒く染まった。天が裂け、黒い稲光が巨木を内側から侵食していく。現実離れした事象にノアは絶句していた。
四天王二人は心得たように口にする。
「やはり、な。フォレストを覆っている念動皮膜を破れば、来るのだと思っていた。我らが敵――ナイトメア」
まさか、とノアは目を瞠る。巨木から溢れ出た影が人々へと侵食し、ウツロイドを迎撃していた人々がすぐさま呑まれていく。
断末魔が上がる中、ギーマが冷静に顎をしゃくった。
「見ておけ。あれがナイトメアの、その恐ろしい特性の一つだ」
何を、と返そうとした声は直後の現象に塗り替えられる。ナイトメアに呑まれた者達が影から立ち上がった。
しかし、その額には赤い眼球が覗いており、全身は黒く染まっている。
「感染。それがナイトメアの持ち得る、最大にして最悪の能力だ。あの悪夢は人から人へと感染する。だから、イッシュを焼き払うしかなかった。人の棲めない土地にする事でしか、あれの被害を食い止める事は出来なかった」
信じられない心地で目にしていると、巨木が黒い炎で焼け落ち、その跡地に小さな影を刻み込む。
自分の似姿の漆黒は、亀裂を走らせ、内側からおびただしい赤い眼球の視線を注いだ。
「……ここまで、だな」
告げたギーマが身を翻す。レンブもこちらに背中を向けていた。どういう事なのか、ノアがうろたえているとレンブとギーマが身構える。
「行けるか? レンブ」
「無論」
直後、疾走したメガサメハダーとハリテヤマが一人、また一人と取り込まれた白の勢力の者達を叩き潰していく。その光景にノアは悲鳴を上げていた。
「やめるんだ! だって彼らは――!」
「もう間に合わん。取り込まれれば殺すしかない。まさか、それも教えられていなかったのか? 白は随分と悠長であったと見える」
問い質す視線にキョウヘイは目を背けた。
「……教えたってどうしようもならない」
自分は意図的に真相から遠ざけられていた。その衝撃によろめくノアへとギーマが声を振りかける。
「ショックを受けている場合じゃない。来るぞ」
潰された敵が影の支配領域を拡大させ、メガサメハダーの直下へと迫る。メガサメハダーが全身から烈風を生み出して影の一撃を退けた。まさか、とノアは言葉を詰まらせる。
「感染した影からも……攻撃出来るのか」
「だからこそ、貴様を一人確保すればよかった。そうすれば餌にしてナイトメアを誘き寄せられたんだが……白とは方針が食い違った。それが俺達のチェレンについた理由だ。チェレンは的確に必要な犠牲とそうでない犠牲とを分別出来る。しかし、アデク翁とそちらの頭目はそうではない。むしろ俺達よりも計算高く、このフォレストにお前を連れて来た。ナイトメアを倒す役目を帯びさせるために、な。全てをお前一人に背負わせて、戦わせる算段であったのだろう。しかし、最小の犠牲で済むとは思えない。だからこそ、全てを白と黒に分ける必要性があった」
「……人を、死なせないために、か?」
「勘違いをするな。面倒を最小限に済ませるために、だ」
メガサメハダーとハリテヤマが次々に感染者を打ち崩していく。その後の影の支配領域への対処も手馴れたものだ。ナイトメア本体へと少しずつではあったが、着実に近づきつつあった。
「……勝てる」
「それはどうかな。勝てていれば六年も逃がしてはくれないだろうさ。それを最短距離で詰めるために、俺達はいる」
ナイトメアが影に没しようとする。感染者を引きずってこの場から逃れようとするナイトメアに直後、中空から無数の黒い待ち針が打たれた。待ち針を放ったのは新緑のポケモンである。弓矢を番えており、そこから新たに漆黒の球体が練られた。
「遅いぞ、シキミ」
「仕方ないでしょう。あたし達はフォレストに張られていた結界の破壊が最優先だったんですから」
ぶよぶよに膨れ上がったピンクのポケモンに飛び乗ったシキミが原稿からペンを離さずに文句を垂れる。そのポケモンから無数の黒い球体が生成された。発生した黒が放出され、地面を穿つ。影ごと引っぺがされたナイトメアがうろたえ気味に反撃する。
その迎撃網を全て中空で静止させたのは思念の渦であった。
波紋が空間に浮かび上がり、ナイトメアの構築した黒き刃を止めている。
「やれやれ、ね。ここまで手こずらせる、なんて。白の勢力も大概、だけれど、あなたも。ギーマ。倒すのに」
「ああ、躊躇は要らない。叩き込め」
言葉尻を引き継いだギーマに、四天王全員が疾駆した。レンブの有する格闘タイプ達が一斉に影へと飛び込んでいく。ナイトメアの侵食攻撃を格闘ポケモンは全て、裏拳一つで受け流し、それぞれの放った「きあいだま」の軌跡が本丸へと道を作った。
ギーマがメガサメハダーに続いて新たなポケモンを二体、射出する。立ち現れた全身刃のポケモンとオレンジ色の鶏冠のついたポケモンが発生した道が閉じようとするのを無理やりこじ開けた。侵食を物ともせず、二体とメガサメハダーがナイトメア打倒の道を固定化する。
ナイトメアが後退しようとするのをシキミの操る新緑の鳥ポケモンが邪魔をした。放たれた呪符の矢が淡い炎を発し、ナイトメアの表皮を剥離させていく。
「ここまでお膳立てしたんですから。最後くらいは決めてくださいよ」
「論外、ね、シキミ。ここで決められなければ、何のために、でしょう」
「その通りだ。第一の手はずは整えた。ナイトメアは動きを止め、侵食もこれ以上広がらない。――ノア。今しかないぞ」
振りかけられた声に圧倒されていたノアは我に帰った。
「ボク、が……」
「そうだ。お前が倒せ。それが最も相応しい帰結だろう」
活路は作られた。これを全うするのには充分な実力が必要だ。困惑したノアにギーマは静かに叱責する。
「ここで決めなければ、俺達はお前を死んでも恨むからな」
四天王の作った針の穴ほどしかない好機。それでも、今、倒せるのならば。
ノアは額に弾けた神経のイメージをケルディオと共有する。逆立った体毛と共にケルディオが光に包まれた。
水色の淡い光が角先に集まっていく。
敵だろうが味方だろうが、ここでナイトメアを看過出来ないのは同じ、という事か。あるいは最初から、ナイトメアを倒す場所を模索してここに辿り着いたのか。
いずれにせよ、どうでもいい。
ナイトメアは倒さなければならない災厄。アデクにも誓った。
「ボクが、倒す」
紡いだ決意が一条の光となってケルディオに降り注いだ。淡い輝きを帯びたケルディオは疾走しようと、身を沈める。
「神秘の――」
ナイトメアは動けない。足掻いてももがいても、四天王の最大戦力がそれを阻む。
ここで、――討つ。
誓いは覚悟と渾然一体となって、ノアの喉を震わせようとした。
その時である。
「……悪ぃ。そのやり方は下策だ」
不意に漏れ聞こえた声と共に打ち下ろされたのは灼熱の拳であった。どこから立ち現れたのかも分からないまま、エンブオーの巨躯がケルディオの道を塞ぎ、その角を渾身の拳で――叩き折っていた。
絶句したのはノアだけではない。
四天王は全員、ナイトメアの足止めに必死であった。だから誰が裏切ったわけでもない。
その男の存在を、誰も見抜けなかった。その落ち度一つで、この状況は瓦解した。よろめくケルディオと共にエンブオーの後ろに佇む彼は笑みを刻む。
「てめぇら、雁首揃えてそのザマかよ。笑えねぇな」
「どうして……ヴイツー」
ニッと笑みを浮かべたヴイツーは周囲へと視線を配る。レンブの格闘タイプが殺到しかけた刹那、ナイトメアの活動に足を取られた。
レンブが誇る格闘ポケモン達が次々と飲み込まれていく。それもたった一瞬の心の隙をつかれた形で。
「馬鹿な……馬鹿な!」
「レンブ! 今は戻せ! ナイトメアに力を与える形に……」
「手遅れですよ……、こんなの」
口元に手をやったシキミは空中で縫い止めていた影の刃に腹腔を貫かれていた。カトレアの思念の防御壁が崩れ去り、寝巻きが赤く染まる。
「うそ、でしょう、こんな……」
「悪いが、嘘じゃねぇ。実力者共が、勘違いをした結果ってわけだ。さて、残るは一人か、ギーマ」
「貴様ッ! ここで打ち滅ぼすべきはナイトメアだ! 仮初めの関係性など捨て去って、共闘を――」
その言葉尻を肉迫したエンブオーが引き裂く。メガサメハダーと打ち合ったエンブオーの戦力は明らかに四天王相当にまで登り詰めていた。
「だから、それが甘ちゃんの思考回路だって言ってんだ。そんな簡単に六年もイッシュを苦しめた元凶を倒せるって? ちゃんちゃらおかしいね、四天王ともあろう頭脳が、まさか最後の最後に情にほだされたか? 英雄なくして、このイッシュは再生しない。自分達でやってきた事のツケはきっちり払わなくちゃぁな」
「何が……貴様に、何が分かる! 王に下った分際で!」
その一語にノアは硬直する。エンブオーでメガサメハダーの「つじぎり」を押し返した形のヴイツーにノアは目線だけで尋ねていた。
「……嘘だと思いたいんなら思え。ただよ、てめぇ、今飛び込んでいたらそれこそ格好のナイトメアの餌だったぜ。信じるべきものを、違えるな」
「どういう……」
「話は後にしろ。ナイトメアが四天王全員で押し込まれたせいで活性化してやがる。レンブのポケモンも喰らった。それに、四天王二人も、な」
シキミとカトレアがナイトメアに侵食を受け、蝕まれた彼女らが悲鳴を上げる。
「助けて! ギーマ……!」
「いやっ! いやです、こんなの! こんな終わり……」
ずぶずぶと影の中に呑まれていった彼女らの悲鳴を他所に、ナイトメア本体が感じ入ったかのように空を仰ぐ。
直後、轟音と共に空が割れ、赤黒い亡霊が無数に棚引いた。
電磁が逆巻き、ナイトメアの身体が宙に浮かんでいく。舌打ちをしたヴイツーは声にしていた。
「来るぜ。奴さん、マジになった様子だ。四天王の残り二人! 逃げとけ。封じ込めは出来ねぇ」
「……そんなはずは。灰色の預言者こそが、ナイトメア破壊の鍵であったはず。それは我々が何度も試行した結果導き出された最適解で……」
「それが間違っていたってこった。ナイトメア。あの存在がまさか、嘘の情報を流すくらいわけないって事、まさか理解出来ないはずはないよな?」
「だが! それはチェレンが……!」
そこまで口にしたギーマはふと疑問点に突き当たったかのように目を見開いていた。青ざめていく中で、何度もその名前を諳んじる。
「そうだ、チェレンが……、あいつが全ての根拠だった。どうして、あいつは英雄のポケモンを引き出せた? だからこそ、俺達は従うべき力の対象だと感じていたのに」
「そっからかよ、疑問は。ま、てめぇらなまじ強いからよ。自分より強い相手の口実や理由付けには疑問も持たないんだろ? ある種洗練された戦闘機械であるところの四天王からしてみれば、自分達の上に立つ英雄の判断力に間違いを差し挟む間なんざ」
後頭部を掻くヴイツーに、ギーマがへたり込んだ。まさか、と目を戦慄かせる。
「裏切っていたのはお前だったのか……、チェレン!」