第(−3)楽章「海賊皇女」
ホワイトフォレスト、と呼ばれる前線基地は巨木と自然が爽やかな風をそよがせる平地であった。
まるでイッシュの焦土などどこ吹く風とでも言うように、この場所だけは安寧に包まれているようだ。
「ここだけは、焦土じゃないのか」
「白の勢力の最後の砦だからな。まぁ、それにはボスの人格も現れているんだが」
前を先導するキョウヘイにノアは問いかける。
「白の勢力……、キミ達は何なんだ?」
歩みを止めたバンジロウが振り返って言いやる。
「難しく考える事はねーぜ。イッシュの希望の星だよ」
しかし、その言葉を鵜呑みにするのには黒の勢力、ひいてはレシラムを操るチェレンの存在が浮き彫りになってくる。こちらの沈黙を悟ったのか、キョウヘイがフォローした。
「でも、俺達からしてみれば、白の勢力ほどいいところはないって。だってイッシュは一帯が焦土だ。人の棲める場所も、もちろんポケモンの生息地だって随分と絞られてしまった」
そうなった原因は、と振った視線にバンジロウが手を払う。
「その辺りはおいおい、聞くといいぜ。ボスが待ってる」
「ボス……アデクさん、がいるのか」
自然と導かれた帰結にキョウヘイが顔を翳らせる。
「あの人は、もう……」
「そこから先は、オレの部門だな」
引き継いだ声音のバンジロウにキョウヘイが謝っていた。
「スイマセン、バンジロウさん。俺、勝手な事を……」
「いいっていいって。じぃちゃんはな、トレーナーとしてはもう、無理なんだよ」
その言葉に全てが集約されていた。トレーナーとして再起不能となったアデク。その姿はもう、以前の未来で目にしている。
この時間軸でも、そうなってしまった事だけが残念でならない。
「そう、か……。申し訳ない。勝手な事を聞いて」
「いや、いずれ話す事だ。それに、別段、悪いニュースでもないんだぜ? じィちゃんのスパルタ教育のお陰で白の勢力のトレーナーの平均レベルは上がっている。オレやキョウヘイみたいな前線に行く人間が教育しなくっても後進が育つってのは悪い気がしない」
キョウヘイはその行く先で自分と出会ったのか。黒の勢力との戦いの矢先に。
「……でも、一体どうしてしまったんだ。何で、チェレンがレシラムを」
バンジロウは驚くでもない。どこか予感出来たように目を伏せた。
「そう、か。やっぱりノアは知っていたのか。白い英雄のポケモン」
「戦ったから、あれが簡単に他人のものになるとは思えない。それに、もう一人の、ボクは……」
以前、レシラムを所有していたもう一人の自分はどこへ行ってしまったのだろう。何もかも分からぬまま、自分の飛ばされた時間軸を探る事さえも出来ない。
「ボスに会えば、少しは気持ちも和らぐかもな」
ホワイトフォレストの複雑に絡み合った巨木がツリーハウスを構成しており、並トレーナー達はそこで居住しているようであった。
バンジロウとキョウヘイが目指したのは、一番の巨木にくり抜かれた横穴である。
「……すごいな。樹の中に階段があるのか」
地下へと進む階段から風が吹き抜けてくる。相当深くまで繋がっているのが窺えた。
「もしもの時の地下シェルターの役割も果たしていてな。ボスは常にここから戦端を俯瞰している」
まさか、とノアは息を呑んだ。
「さっきのムシャーナは、ボスの?」
「ああ、遠隔操作だ」
驚愕にノアはバンジロウの回収したムシャーナのボールへと自然と視線が吸い込まれる。
あの距離でエスパータイプを遠隔操作しようとすれば修練は並大抵ではあるまい。才覚も王に至るまでと評してもいいだろう。
「でも、どうして遠くから? チェレンは前に出ていた」
「まだ、こっちは英雄のポケモンを得ていないんだよ。だからあまり強攻策に出られない」
「……ゼクロムか」
黒き英雄のポケモンの名前を紡ぐとバンジロウは重々しく頷いた。
「ダークストーンの場所までは掴んでいるんだが、そこは黒の勢力の支配地。簡単に切り込めないって話だ」
そこまで英雄のポケモンへの理解が及んでいるとは思いもしない。自分とトウヤ以外、英雄のポケモンの所在など知るはずもないと思っていたのに。
「……時間が、経ったんだな」
ただそれだけに尽きた。自分一人では埋めようもないほどの時間が経ってしまったのだろう。それがケルディオによるものなのか、それともウツロイドを倒した際に発生したものなのかまでは判じかねたが。
「なに、そこまで分かってくれていたら話は難しくないぜ。ほら、この部屋だ」
洞の奥地、木彫りの扉の前には手だれと思しきトレーナーが二人ついている。バンジロウを目にするなり、彼らは挙手敬礼した。返礼したバンジロウが尋ねる。
「ボスは?」
「眠っていらっしゃるかと。……敵地でのエスパータイプの力の行使には集中力を要するので」
「時間はあまりないんだ。灰色の預言者を連れて来た」
紹介されたノアに二人のトレーナーが絶句する。
「これが、あの……」
「ナイトメアを倒す、鍵……」
どうして自分があの影の存在を倒すと思われているのかは疑問であったが、バンジロウが手早く済ませる。
「どうしても、今日のうちに会っておきたい。駄目か?」
片方のトレーナーが通信機を持ち出す。
「ボス……バンジロウ様がご帰還されました。……灰色の預言者を連れて来た、と」
しばらくの沈黙の末、答えが返ってきた。
『……入ってもらって』
憔悴し切った声音にノアは愕然とする。その声の主に心当たりがあったからだ。
「まさか、そんな……。白の勢力のボスって言うのは……」
「入れ」
遮られる形で扉が開かれる。ノアは部屋の奥に位置するベッドから身を起こした人影を見据えていた。
あの日々と同じ。帽子を目深に被った彼女は、どこか物憂げな眼差しをノアに注いだ。赤い眼鏡がその視線を偏向している。
ブリッジを上げた彼女の名をノアは静かに紡いでいた。
「まさか、キミなんて……。ベル」
名前を呼ばれたベルは姿勢を立て直し、こちらに正面を向ける。純白の衣装を身に纏ったベルはふふ、と雅に笑った。
「久しぶりですね、ノアさん」
彼女も変わってしまった。どうしようもない時のうねりだったのかもしれない。それでも、眼前にいる女性はかつての少女の面影を残しながらも最早、別人であった。
バンジロウが歩み寄り、ムシャーナを手渡す。あの時のムンナが進化したのか、とノアは今さらに理解した。
「よかった……あたしのムシャーナ。役に立てたんだね」
「ベル。ノアを……灰色の預言者を連れて来た」
その通称にノアは困惑する。
「その……どういう事なんだ。だってあの時、キミは……」
「タワーオブへヴンでの戦い。あの時何が起こったのか。あなたはまだ、分かっていないのですね」
気後れ気味にノアが頷くと、バンジロウが口火を切った。
「あの時……ウツロイドとか言うツエーポケモン相手にオレ達は一歩も及ばなかった。だが、ノア。お前だけは立ち向かい、そしてケルディオの新しい姿を顕現させ、ウツロイドへととどめを差した。そこまでは理解出来るか?」
そこまではまだ記憶の中にある。首肯したノアにバンジロウが言葉を継ぐ。
「あの後、だ。ウツロイドを倒した途端、空間が歪んだ。別の世界への扉、だとか回廊が開いただとか言われているが定かじゃない。確かなのは、ノア。あの時、お前はどこかへ行ってしまったんだ。オレ達を置いて」
まさかとノアは目を戦慄かせる。仲間を置いてどこかに行くはずがない、と抗弁を発しかけて、ケルディオの巻き起こした現象を思い返す。
「神秘の剣……あの技がまさか時空に穴を開けた?」
頭を振ったバンジロウは静かに語る。
「詳しい事は分からないが、結果として、ウツロイドとそれを操るトレーナーは消滅。それに巻き込まれてノア。お前も死んだんだと、一時は思われていた」
死んだ、と掌に視線を落とす。だが、変わりなく脈動はある。あの時と今は地続きのはずだ。
「ボクは、でも死んでいない」
「そう、結果として、お前が死んでいないと分かったのは、あの一ヵ月後だったか。ポケモンリーグ、最後の戦いが巻き起こった」
「最後の、戦い……」
思い当たる節はある。ノアの顔色から窺ったのだろう、ベルは静かに口にする。
「プラズマ団とリーグチャレンジャー、トウコが一騎討ちに持ち込まれたのです」
それは自分の知っているNであった頃の歴史の再現だ。プラズマ団の城がせり上がり、ポケモンリーグを覆う。――だが、疑問であったのはその城による支配はたった一日のうちに崩れるはずであった事。
今もまだ、ポケモンリーグをプラズマ団の城が覆い、あまつさえその支配に及ぼうとしたプラズマ団を従えているなど誰が予測出来ようか。
「……だけれど、傍受した通信では、トウコが王になっていた」
ベルはノアの面持ちを真っ直ぐに見返してそこから先の真実を語る。
「あの時、レシラムも、ましてやゼクロムも存在しませんでした。これがあなたの知る本当の歴史と重なっているのか、それとも異なっているのかの判定は出来ませんが、トウコと敵対したのはプラズマ団の王、Nです。……しかし、Nはトウコの前に敗北。その時、このイッシュを分断する出来事が発生したのです」
「分断……それは白と黒に、という意味、なのか?」
バンジロウがホロキャスターを手にし、記録映像を映写する。
「見てもらったほうが早いな。これが、その時、報道陣が記録した、イッシュ最大の敵の出現だ」
敗北したのであろう、Nが膝を落としている。そうだ、決定的な敗北の瞬間。この後、ゲーチスによって自分の存在は張子の虎だと言われ、全てを否定される。
だが、それが巻き起こる前に、Nが苦悶した。彼の全身から黒い瘴気が棚引き、真っ二つにNが引き剥がされる。
現れたのは影のNであった。彼の姿そのものの生き写しはトウコを前に佇み、すっと片腕を上げる。
刹那、伸長した影から発生した何かがトウコと、その所持ポケモンを打ち据えようとした。
自分が行き会ったものと同じだ。影から不可視のポケモンが出現し、目にも留まらぬ速度で攻撃が放たれる。
しかし、トウコはその攻撃を受け切った。Nは自分より分かたれた存在である影のNを睨む。
影のNの相貌に亀裂が発生し、禍々しい赤い眼球が見開かれる。影のNはそのまま闇の中へと消え失せた。Nは項垂れていたが、呆然としていたゲーチスへとトウコが一撃を加える。迷いのない殺意はそのままゲーチスの心臓をくり抜いた。血染めの玉座を踏み締め、トウコはゲーチスの外套を身に纏う。
それは支配の象徴が生まれた日の記録であった。マントを纏ったトウコは手を払う。
『ここに! アタシこそがイッシュの王になった! そしてここに存在するプラズマ団全ての命、アタシにお預けなさい! あんた達の命は今! この時より、王のためにあるのよ』
映像に砂嵐が走り、不鮮明になっていく。投射映像の向こう側にいたベルが顔を伏せていた。
「これが……これが結末だって? これが、トウコの目的だったって言うのか」