FERMATA








小説トップ
終幕 暗黒の未来
第(−2)楽章「暗黒サイケデリック」

『えー、アタシからしてみればこれは二度手間、三度手間で一番に面倒なんだけれど、降伏も、ましてやこちらの勧告にも一切応じないのがあんた達、白と黒の勢力なんだから言っておくわ。――アタシのやり方が気に食わないのなら実力で行使なさい。それ以外でアタシを納得させる手段なんてあると思わない事ね。だってあんた達、とっても惨めなんだもの。六年前に分からなかった? この玉座で、アタシが目の前の羽虫を殺し、このマントとプラズマ団と言う組織を引き継いだその時、もう支配は始まっていたんだって。そんな事も理解出来ない、哀れにもまだここイッシュで住まう事を黙認されている連中に言ってあげる。弱い人間も、ポケモンも必要ない。アタシの支配の前には全て崩れ去るの。滑稽なのはあんた達が、身の程も弁えずナイトメアと交戦を繰り広げている事だけれど、まぁ、弱いなりにあれと戦うがいいわ。でも、間違わないで。ナイトメアを殺すのはこのアタシ。チャンピオンであり、このイッシュの統治者、トウコ・キリシマなのだから!』

 悠然と言い放つモニター画面を睨みつけ、チェレンは嘆息をついた。

 忘れようとしても忘れられない因縁の少女はカメラを足蹴にして背後に聳える城壁へと手を伸ばす。支配の証。プラズマ団の城砦はポケモンリーグを包囲し、今も完全なるその支配域を主張している。

 シティに帰還した直後、部下がわざわざ大幹部であるところの自分と四天王を呼び出しての視聴であった。

 ギーマはふふんと読めない不敵な笑みを浮かべている。レンブは腕を組んで、静かな眼差しを注いでいた。

 カトレアは眠気を押し殺して映像を眺めた後、感想を漏らす。

「つまらないわ、ね……」

「全くもってその通りですよっ。あたし達を止めたいわけでもなし、軍門に下れって言っているんですから……。あっ、このネタ、メモメモ……」

 シキミは変わらぬ調子で原稿を書き上げていた。どうやら彼女にとってしてみれば、眼前の脅威よりも一週間前に迫った〆切らしい。

 部下は五人の実力者の反応に面食らいつつも、報告を続ける。

「……一週間前にイッシュ全土に向けて放たれた広域通信です。我々、黒の勢力の察知が遅れたのは、その……」

「パラポラアンテナの大改修のせいだろう? 別に責めちゃいない。それに、この勧告を受けたところで、僕らのスタンスは変わらないんだから」

「そ、それは、つまり……」

 呼気を詰まらせた部下へとチェレンは手を払う。

「トウコ……、王になったからと言って驕るなよ、というだけの話だ。僕らの手には英雄のポケモンがある。それに、ナイトメアに関しても、だ。今のイッシュにまともな民間戦力がないとはいえ、こうして公にしているのはいただけないな。僕らが追いかけているのを笑い者にされている気分だ」

 チェレンの凄味に部下は激しく汗を掻く。額を拭いつつ、彼は言葉を次いだ。

「ち、チャンピオントウコに関しての情報は錯綜しており……現在、黒の勢力は急ピッチで情報集めをしておりますが……」

「そんな小手先の事じゃない。トウコがどう動こうとも、我々はナイトメアを追い、そして灰色の預言者を手にするべきだった。そうする……べきだったんだ」

 拳を握り締めて強く言い放つ。あの時、ノアを物に出来なかったのは痛いが、今は取り逃がした獲物よりも次の敵であった。

「白の勢力は? フォレストに居城を張って久しい。東側は完全に押さえられた形だな」

 ギーマの分析にレンブが首をコキリと鳴らす。

「だが戦力としては分散している。上に力が集まり過ぎだ。あれでは組織とは呼ばん」

「あたし達も充分にその条件、満たしていますけれどね。……あっ、これおいしい。どこのー?」

「フエンせんべいです……。シキミ様」

「ジョウトのかぁ。あそこのお土産おいしいもんねー。期待してるよー」

 片手でペンを走らせつつ、もう片方の手で器用にせんべいを頬張るシキミにギーマが頭を振る。

「こんなだから、部下に心労をかけさせる」

「なに? あたしのせいって言いたいんですか?」

 言葉の上では一触即発のようだが、彼ら四天王は決して仲違いはしない。それは六年も共にすれば嫌でも分かる。彼らにとって利害の一致と共通の敵こそが、睨むべきものなのだ。他の出来事で目くじらを立てる事などあり得ない。

「……それで? 王からの直々の命令だが、一週間遅れ。それを今しがた、ナイトメアを殺しに行った僕らに言って何とする?」

「えっ……いえ、その、これからの決定に差し障りがあるかと――」

「差し障りなど、ない」

 断言した自分の口調に部下が硬直する。眼鏡の奥の眼差しを送ってやると中てられた部下はすぐさま萎縮した。

「……失礼、しました」

「あんまり怒ってやるな、チェレン。英雄の名が泣くぞ」

 ギーマの忠言にチェレンは殺気を仕舞う。

「……下がれ」

 部下が声もなく退室する。四天王と自分を残して、モニタールームの画面に映るトウコが挑発的な眼差しを投げていた。

 それを睨み返し、チェレンはサムズダウンを寄越す。

「……吼えていろ。弱者が。僕はこの六年で変わった」

「それは、誰の目にも明らかだろうな。レシラムを持っている時点で、勝ちは確定したも同然」

「しかし我らの道を阻むのは、王者トウコのみに非ず」

 ギーマとレンブの同調に声が差し挟まれる。

「――左様。どうすると言うのだ、黒の者達」

 こちらへと歩み出た老躯に対面に座った四天王達が反応する。

「あんたほど、生き意地のしつこい奴も居まいて。プラズマ団七賢人、ヴィオ」

 ギーマの下した言葉にヴィオは頬を引きつらせる。

「七賢人も……自分以外は死に絶えた。あの王は、皆殺しにしたのだ。プラズマ団を構成するのは今や、ただの覇者だけ。覇道だけなのだ。強さだけであの勢力が成り立っている。チャンピオントウコの力のみが、絶対の求心力となっている」

「間違いではあるまいな。あの王者は強い。だからこそ、六年もの間、誰にも玉座を狙われなかった。狙われても、それは些事だと受け流せた」

 いつもは堅物なレンブでもトウコを評するとなるとどこか声が弾む。それほどまでに、この六年は別格であった。

 四天王を率いても勝てない。その事実に歯噛みする前に、さらなる研鑽を目指せたのはひとえに強者達が周りにいたからだ。冷静さを欠く事はなく、ただ純粋に強くあれた。

 レシラムが応えたのもその部分が大きい。

「トウコ・キリシマの即時なる抹殺を……! でなければ、この命……」

 杖を激しく地面に突きつけたヴィオの動向に四天王を含め、冷ややかに見下す。

 この男はただの妄執の老人だ。ゲーチスというカリスマの右腕であったのは事実であろう。だが、いない人間を頼ってどうするというのだ。死者は決して蘇らないのだから。

「落ち着かれるとよろしいかと。その命、こちらに預けてもらっている手前、ね」

 シキミの声にヴィオは杖で再三地面を叩く。半身の痺れを隠すためのせめてもの咆哮だろう。

「落ち着いていられるか……! 今もトウコが……彼奴がこちらを狙っている。降伏勧告に応じない我々を、一気呵成に潰す好機を……!」

「だから、それは訪れないと何度説明すれば分かる」

 ギーマの呆れ返った語調にヴィオが眉を跳ねさせた。

「あれは英雄なのだぞ……! イッシュ建国神話を再現する、確かなる英雄だ! その証拠に六年前、ゲーチス様は玉座で殺され、N様は――」

「ヴィオ。それ以上を口にするのはこの場では憚られたほうがいい。分は、弁えている事のほうが賢いはず」

 チェレンの諌める言葉にヴィオは顔を真っ赤にして身を翻した。

「勝手に……勝手にするといい! 今に、殺されるぞ!」

 一番にそれを恐れているのは誰なのだか。全員の呆れた目線を背中に受けながらヴィオが退室する。

「……しかし、どっちつかずってのはストレスを溜め込むものだ。チェレン、そろそろ決めないか。ヴィオの言い草ではあるまいが、そろそろ、な。白を潰すのか、それとも王を攻めるのか」

 ギーマは自分の戦いの師範。よって彼の発言はほとんど四天王の総意であった。チェレンは一拍呼吸を置き、冷静な声を振る。

「四天王諸氏に告ぐ。――まだ、王は陥落出来ないであろう。よって、ナイトメア討伐を我々黒の勢力は念頭に置く」

 チェレンの決定にシキミが手を挙げる。

「相違なし。じゃ、退室してもいいですかね? 〆切やばいんで」

 原稿を抱きつつシキミが部屋を出て行く。カトレアは欠伸をかみ殺して言いやった。

「私も、相違ない、わ。……もう少し眠気の醒める相手じゃないと、何事も過ぎ行く夢のよう、ね……」

 カトレアが枕を手に部屋を出て行く。残ったのはレンブとギーマのみとなった。彼らは慎重であろう。自分と共に矢面に立ち、真っ直ぐに相手を射抜く役割を買って出ているのはこの二人だからだ。

 だからこそ、その発言には全幅の信頼を置く。

 レンブは腕を組んだまま、暫し呻った。

「王を叩く……それが現状、遠い手段であるのは理解出来る。だがな、チェレン。いつまで経っても方針を曲げない、というのは組織の緩みを示すものだ」

「その通りだ。レンブの言う通りってわけでもないが、チェレン。それを一週間、っていうのは分かるぜ。でも、それを三年も貫き通すってのは組織からしてみれば大きな停滞期だ。黒の勢力を立ち上げて六年……もう六年も経つのか。行動の意味を誰しも理解し、咀嚼し、そして呑み込めるかと言えばそうではない。何故ならば……」

「王と凡俗では見ているものが違う」

 先んじて放った言葉にギーマは満足気に首肯する。

「……残念ながら、この世を構成する八割以上は凡人だ。だから彼らの目線で考える必要がある。チェレン、お前は英雄だろうさ。だが、英雄が一人いれば、では時代を、世界全てをいいほうに持っていけるわけではないのは、お前自身、身に沁みているはず。何よりもそれは旧プラズマ団のやり方、方針としては終わっているやり方だ。なぞってもいいことは一つもない」

 ギーマの物言いに異論を挟む気はない。その通りであると自負しているからだ。

 だが、だからと言って民草の尺度でのみはかっていれば、それは人の上に立つ英雄として、何よりも長として腐る。

 長には長の目線があるからだ。

「だがあの組織の寿命は長かった。それは行いとしては間違っていても、大筋では間違っていなかったという証明だ。逸れば事を仕損じる。……嫌になるほどあなた方に教え込まれた事実ですよ。レンブ、ギーマ」

 フッとギーマが笑みを浮かべる。レンブも悪くない、とでも言うように口元を綻ばせた。

「チェレン、優先順位を間違えるなよ。黒の勢力がここまで大きくなったのは、英雄の求心力だけではない。お前の先見の明を誰もが信じているからだ。妄執というのは得てして下々が抱くもの。劣っているからこそ、自分より優れた者に焦がれる。憧れるんだ。その憧れが今はプラス方向に転化しているからいい。しかしな、一度マイナスに下方修正された評価を覆すのは難しいぞ。それは今までやってきた事が一瞬で瓦解する時だ。積み上げるのに苦労したとて、崩すのに何の苦労も要らないのだから」

 よく理解しているつもりであった。黒の勢力内部も磐石ではない。一枚岩でなくなり始めているのはもう察知している。

 レシラム一騎による圧倒的なカリスマに頼るのは下策だ。その方針だからこそ、プラズマ団は組織としては及第点だが、支配者としては失格であった。

 驚異的な「一」に頼るより、散漫ながらも信用出来る「十」に重きを置く。それこそが組織を回す上での鉄則である。

 だからこそ、チェレンは冷静に事の次第を観察していた。

「レシラムによる民衆の扇動は最早、不可能と言ってもいい。その程度で人は動かない。ポケモンも、だ。英雄のポケモン、神話級と言っても、それは過去の遺物。過去の価値観だ。人は、現在の価値観に寄る。だから現状、賢い選択肢を取らせる事こそが、人を活かす上で必要なのだと」

「考える機能を奪うのは簡単だ。だが、考えを放棄した人間の帰結する先を、お前はよく知っているだろう?」

 そういう性質を幾度となく目にしてきた。チェレンは一呼吸し、黒の勢力としての決定を声にする。

「今は白の勢力との交戦も惜しい。ナイトメアの解析と討伐、それに尽きる」

「人間は一つの目標を達成する時にのみ、団結力を露にする。ナイトメアはその格好の的というわけだ。だが、チェレン。問題があるとすれば、あれの正体を、我々も未だに掴みかねているという事実」

 それだけは歴然としている。チェレンは机を指で叩く。映写された報告映像にはナイトメアの現状把握されている性能が羅列されていた。しかし、どの欄もほとんど黒塗りである。こちらが理解したと思えば、ナイトメアは当然の如くその先を行く。ならばさらに先の先を読むしか、こちらには打つ手がないのだ。

 映像の中のナイトメアは影から何らかの攻撃手段を用いてこちらの戦力であるトレーナーとポケモン達を呑み込み、駆逐していった。目の前を飛び回る羽虫になど関心がないかのように、ナイトメアを足止めするために編成された部隊は次々とロストしていく。チェレンは拳を固く握り締め、怨敵を睨んだ。

「倒さなければならない。それだけは確かなものの、僕らに残されたのは、小さな希望の灯火のみ」

 その先端を白き英雄として立てるのならばそれに勝る幸福はない、とチェレンは感じていたが、事はそう容易くはないであろう。

 自分に思い通りになった事など、今までの人生で片手で数えるほどしかない。英雄の名が万能を意味するわけではないのだ。

「加えて、こちらの報告に上がる白の勢力……、フォレストに爆撃でも仕掛けるか?」

 無論、冗談であるのはその語り口からも明らかであったが、ギーマは自分を試しているのが窺えた。

 ――もしもの時、幼馴染を斬れるのか、と。

 チェレンはホルスターに留めたゲッコウガのモンスターボールを掴む。

「すぐに終わってしまってはつまらない。それは、生存戦争と呼べるものであったとしても、だ。黒の勢力がイッシュの王を打倒するのに、まだ支持者は少ない。むしろ、白の勢力からの裏切りさえも加味してこれから先動いていく必要がある」

「敵はナイトメアばかりに非ず、か。そういえばチェレン、あの男の処遇をどうする?」

 あの男、と呼称された存在にチェレンは静かに怜悧な視線を向けた。灰色の預言者。そして――ナイトメア討伐の鍵とも言われている。

 ノアはその名の通り箱舟の導き手となるか、あるいは……立ちはだかる敵となるか。

「いずれにせよ、僕らは戦う運命だろう」

 それだけは遠からず迫っているのが理解出来た。



オンドゥル大使 ( 2017/12/22(金) 14:19 )