第97楽章「狩猟令嬢ジビエ日誌」
「接触を確認した」
通信機に吹き込んだダークトリニティは本部からの返事を待っていた。
テラキオンに騎乗し、今は別のエスパータイプポケモンの力を使って、彼は姿を消していたが、その実、タワーオブヘブン頂上付近まで近づいていた。
それもこれも、ニーアと名乗る団員の底知れなさを危惧したゲーチスの采配である。
『ウルトラビーストなるポケモンの能力、ここで把握しておかねば敵に回った場合不利に転がるのは明白。しっかり見ておけ』
自分の分身であるもう二人のダークトリニティは本部待機である。それもこれも、ニーアが独断で動いているとも思えないからだ。
何者かの示唆か、あるいは組織立った動きがあると考え、自分のみが反逆者ノアとアデクの始末。その上、ニーアへのカウンターを任されていた。
「こちらに残った戦力は三人。ダークエコーズの一人、ヴァルキュリアツーだったか。それとアデクの孫。……もう一人いるが、こいつは戦力にも値しないな。小娘が一人。四天王は離脱した。アデクも四天王に同行している。そちらの追撃部隊に一任する」
『了解。お前はウルトラビーストの戦力分析と、ノアの排除を第一に掲げろ。もしもの時には聖剣の使用を躊躇うな』
テラキオンの「せいなるつるぎ」を発現させればさしものウルトラビーストでも欠片も残るまい。奇襲を加味した配置にダークトリニティは疑問を呈していた。
「しかし……奇縁な。あのニーアという構成員、何者なんだ。あの姿はまるで……」
まるでではない、まさしくその相貌は自分達の王である、Nそのもの。生き写しかと疑うほどであった。
『他の組織の造り上げたコピーかもしれないな。いずれにせよ、N様のコピーは多数いてはいいはずもない。始末するのに』
「分かっている。こちらに一切の慈悲はない」
たとえNの生き写しであろうとも、抹殺に対しての困惑はなかった。
テラキオンが唸る。ここで因縁をつけようというのだろう。
「反逆者ノア。その命、最早長くはないと思え」
「で? アタシにこれ以上、何をしろって?」
ジムの裏手で待ち合わせしている、とシャガが言付けた相手は傲岸不遜に言ってのける。当たり前かもしれない。彼女からしてみればジムリーダーはただの障壁。越えるしかない敵でしかないのだ。
ヘレナはあまりの出来事に絶句していた。シャガが自分とバーベナ、それにアイリスを同席させてまさかトウコと会う約束を取り付けていたなど思いも寄らない。
「シャガ市長……どういうつもりで」
「御挨拶だな。アタシは、もうこのソウリュウシティに用はないの。一刻も早くチャンピオンロードを超えて、四天王に挑戦する。だって言うのに、わざわざこんなところで道草を食っている場合じゃないって」
既にチラーミィの回復も終えた彼女には一ところに留まる理由など皆無なのだろう。シャガは咳払いし、まずはと口火を切った。
「敗北した上でここに来てくれる約束を果たしてくれた事、感謝する」
「別に顔を立てたってわけでもないんだけれどね。その二人でしょう?」
顎でしゃくられてヘレナは困惑する。シャガは沈痛に顔を伏せた。
「わたしの一存であなた方を守るつもりだったが、現に証明されてしまった。わたしでは実力不足だと」
どういう意味なのか。ヘレナが言葉を差し挟めないでいるとトウコは鼻を鳴らす。
「要は、お役御免状態になった自分の尻拭いをして欲しいっていうわがまま。そんなの付き合うと思っているの?」
「用向きには足る交渉材料のつもりだ。……お二方、縁があってわたしは保護を頼まれていたが、知っての通り敗北した。この状態でソウリュウシティにお二人を繋ぐよりも、もっと正しい方法が存在するのではないかと、わたしは思った次第だ」
「それは……シャガ市長、私達の保護を取り止める、と……?」
慎重に発した声にシャガは頷く。
「ソウリュウシティであなた方が終わるのは正しくはない。彼女が王になると言うのならばなおさらだろう。ご理解していただきたい」
「つまり、アタシに足枷作れってわけ」
言ってのけたトウコにヘレナはただただ絶句するのみであった。まさか自分達をトウコの旅に同行させるとでも言うのか。
当然、トウコから反発があるかに思われた。しかし、彼女はどこか得心がいったように首肯する。
「このままじゃ、ジム戦でさえ負けた身で、非合法の組織から身を隠すのは危険だって判断でしょ? 間違ってはいないんじゃない? だってあんた市長だものね。もしもの時に市民の命を盾にされれば、二人の身柄を明け渡しかねない。その点、旅がらすのアタシにつければまだ安全っていう魂胆なのよ」
開いた口が塞がらないヘレナにシャガは言葉を濁らせる。
「わたしの力の至らなさを証明させられた。しかも大勢の前で、ね。この状態であなた方を追っているであろう組織がこの街に辿り着いた場合、わたしは冷静な判断が出来るとは思えない」
「それはつまり……、ソウリュウシティでの保護の約束を守りかねる、という事でしょうか」
シャガはきつく瞼を閉じる。苦渋の決定であるのは疑いようもないだろう。
確かにプラズマ団の追っ手が来た場合、弱点の割れているシャガが守り通せるかどうかはかなり微妙になった。加えて彼は人格者だ。市長という手前、市民を人質に取られれば冷静な判断は下せないかもしれない、という考えも頷ける。
ただ、ヘレナの胸中にあったのは漫然とした不安であった。
自分達が逃げ延びてようやく辿り着いた場所でさえも安寧はないのか。認める認めない以前に、自分達にはもう、逃げおおせるだけの資格がないのかもしれないと考える。
どこまで行っても追いついてくる影。それを振り払う術などないのだと。
「……分かりました。ですがトウコさんと同行する必要はないのでは? 彼女だって迷惑のはずです」
足枷にはなるまい、と思って放った言葉にシャガは頭を振る。
「あなた方はイッシュの未来に必要な存在。ここで潰えてはならないのは分かります。ですが、ソウリュウシティでは守りに乏しい。その点、彼女ならば守ってくださるはずです。それだけの力がある」
「買い被り過ぎよ。ま、力があるのは認めるけれど」
どうあっても、ここでトウコの旅に同行するしかないのだろうか。ヘレナは先ほどから無口な自分の半身へと視線を振る。バーベナは唖然としたまま、現実を飲み込めていないようであった。
「……せっかくの申し出ですが、お断りしたほうが双方のためかと。トウコさんはだって、旅するトレーナー。その道筋に私達のような人間が同行すれば、それこそ弊害が生じます」
「……アタシもそうは思うけれど、それだけじゃないんでしょ?」
見透かしたような声音にシャガはアイリスへと視線を向けた。
「アイリス。龍の心を知る旅路に出る時が近づいている、と言っていたな? 今がその時だ」
突きつけられた現実に考えが及ばなかった。アイリスまで自分達の事情に巻き込もうというのか。さすがにその考えには反感が勝った。
「……お言葉ですがシャガ市長。それは私達ならばまだしも、アイリスちゃんに失礼なんじゃ……」
「ううん。あたし、やるよ。おじーちゃん、今までありがとね」
放たれた言葉の意外さにヘレナは硬直する。反感を持つでも、ましてぐずるでもなく、アイリスは己の運命を受け入れた。
送り出すシャガのほうがこの事実を受け入れられていないようであった。
「強いトレーナーが現れればすぐにでも旅に出す準備は整っている。どうかアイリスの事を、頼めないだろうか」
トウコといえども、三人もの同行者を許すはずがない、と思っていたが、彼女は何でもない事のように頷いた。
「……ま、食費やら何やらの雑費さえ出してもらえればアタシは構わないけれど。それよりもここで足踏みしているほうが時間の無駄よ」
言ってのけたトウコにアイリスが歩み出て頭を下げる。
「よろしくね、おねーちゃん」
「……奇縁ね。アタシの事をお姉ちゃんって呼んでくれるのは、あの子以来よ」
まさかその要求を呑むというのか。トウコからしてみればデメリットしかないというのに。
「でも、私達の目的は……!」
「重々承知している。トウコ、君は知っているか。プラズマ団なる組織を」
「ポケモン解放とか言う似非宗教組織でしょ? 胡散臭いったらありゃしない」
「彼女らはその組織の重要ポストだ。ゆえに、君にも危害が及ぶかもしれない。それを承知で受け入れてくれるのならば……」
「どうせ肩慣らしにはちょうどいいわよ。あんた達、さっさと旅支度を整えて。夜のうちに出発する」
きっぱりと口にしたトウコにヘレナは何も言えなくなっていた。どうして自分達の身柄が彼女に一任されなければならないのか。
宿へと戻る道筋を辿った彼女を見送ってから、ヘレナは尋ねていた。
「どうして……シャガ市長。貴方がそれほどまでに弱いはずがない」
「客観的に見れば、わたしがあなた達を保護するのに、何の不都合もないだろう。それは分かっている」
「だったらどうして……!」
「勘、だよ。トレーナーとしての、敗北者としての第六感とでも言うのか、君達の身の安全を一番に保障出来るのは、彼女しかいないと思えた」
だが、トウコは一匹狼だ。自分達のような不都合を背負い込む事はない。
「彼女はトレーナーですよ」
「そうだ。だがトレーナーだからこそ信頼出来る。王になる、と吹く少女に、実際に王を見たわけではないが、それでもあの気概、侮れん。それは分かっているはずだ」
それは、と言葉が尻すぼみになっていく。畢竟、トウコについていくのが不安なだけだ。自分達の身の安全が完全に保障されていないのもある。
「なに、君達の目的はプラズマ団に対する時間稼ぎ。その一点で言えば、彼女ほどの適任者はいない。わたしのオノノクスでさえも退けてみせた。実力は本物だろう」
試合を直に見たのだ。その現実だけは覆せない。
「でも、アイリスちゃんまで……」
「アイリスはもうじきに旅に出す予定であった。その予定が早まっただけの話だ」
ジムに戻る道筋でアイリスが忙しなく行ったり来たりを繰り返しているのを目にした。どうやら旅支度を整えているらしい。
それに比して、自分達はどこまで、とヘレナは嫌になる。
頼れる人物にコネクションを取ったと思えば別の誰かに明け渡される。こんな事ばかりが一生付き纏ってくるのだろうか。
こんな、自分達で決められない事ばかりが……。
「シャガ市長。バーベナも私も、半端な気持ちでプラズマ団から離れたわけではありません。私達には成すべき大義があるのです」
「それは存じているつもりだが」
「だというのならば、今ここで、私と戦ってもらいたい」
思わぬ言葉だったのだろう。シャガは目を見開いている。バーベナが自分の袖を摘んだ。
「ヘレナ、何を言って――」
「これから先、トウコさんに何でもかんでも面倒を見てもらうわけにはいかないんです。そのためには、私達自身の力、見極めていただきたい」
困惑するバーベナを他所にアイリスが歩み出る。
「いいんじゃない? おじーちゃん、戦ってあげて」
「アイリス……しかしわたしのポケモンは……」
「あのオノノクスでも結構です。一度戦ってもらわなければ納得出来ません」
己を承服させるのにはバトルしかない。そう構えたヘレナにシャガは、なるほどと頷く。
「女神の名は伊達ではないというわけか。……よかろう。今はちょうどバトルフィールドは空だ。観衆もいない。わたしとて純粋に勝負出来るというわけだ」
シャガが先導し、観衆の失せたバトルフィールドの照明をつける。
照らし出された円形のフィールドにはまだ朝方の激戦の痕跡が居残っている。
「一日に、二度も実力者と戦わねばならぬとは」
龍の頭部へと、両者行き着く。バーベナが不安げな面持ちでこちらを眺めていた。
「ヘレナ……」
「大丈夫。私は、だってこんなところで、ただ易々と差し出されるほど、弱く育った覚えはないもの」
「こちらが使用するのはオノノクスではない。さすがに一日に何度も無理はさせられないからな。このポケモンで応じよう」
繰り出されたのはオノノクスをスケールダウンしたようなポケモンであった。赤いまだら模様を腹に持ち、オノノクスよりも随分と未発達な牙を有している。
「一進化、オノンドだ。言っておくが、これでも一応は挑戦者用にきっちり調整してある。決して軽んじたわけではない」
「そう、なら安心しました。私だって、容易い育てをしているわけではありませんから」
投擲したボールから光が迸り、バトルフィールドに己の手持ちが降り立つ。
ヘレナのヒヒダルマは闘争本能を剥き出しにして拳を大きく引いた。
「先手必勝! 炎のパンチ!」
駆け抜けた一撃をオノンドは軽いステップでかわす。
「少しばかり遅いぞ! ドラゴンクロー!」
その背筋へと叩き込まれかけた一閃をヒヒダルマは片腕で受け止めた。もう片方の腕を掌底の形に固定し、オノンドの腹腔へと放つ。
掌底から炎が血のように迸り、フィールドを焼き焦がした。
「フレア、ドライブ!」
吹き飛ばされたオノンドがバトルフィールドの縁のギリギリで踏み止まる。こちらとてのうのうと戦うつもりはない。やるのならば短期決戦。自分達の覚悟を問い質すつもりであった。
今の一撃の交差でこちらの意図は伝わったのだろう。シャガは深く頷き、手を払った。
「オノンド! ダブルチョップで接近しろ!」
両腕にドラゴンの居合いを込めたオノンドがヒヒダルマへと猪突する。あまりにも愚直な動きであった。
ヒヒダルマの渾身の拳がオノンドの頭部を割るべく疾走する。
確実に取った、かに思われた刹那、オノンドの姿が掻き消えた。
炎が何もない空を突き破る。まさかの回避にヘレナは困惑した。
「まさか、消えられるはず……」
そこから先の言葉を遮るようにオノンドが吼え立て、中空より手刀を見舞う。
――今の一瞬で飛翔した? まさか。オノンドに翼はない。
混乱の只中にあるヘレナへと追撃が放たれる。ヒヒダルマは腕を交差させて防御するも、ドラゴンの膂力はそれだけで凄まじい。
こちらの防御を容易く貫通する一撃に徐々に疲弊しているのが窺えた。
「今、どうやって……」
それが破れない限り、この戦いに勝機はない。オノンドの手刀がヒヒダルマの横腹に食い込む。
蹴鞠のように吹き飛ばされたヒヒダルマは腕で制動をかけて何とか踏み止まるが、オノンドの攻防に打つ手を躊躇わせているのが伝わる。
如何にして、今の拳を回避したのか。
その命題が解けなければ同じ過ちを繰り返すだけだ。オノンドが両腕にドラゴンの力を込める。その腕に青いオーラが纏いついた。
そうだ。先ほども「ダブルチョップ」の行使時に、ドラゴンの能力が付与されたのを自分は確かに目にしていた。
掻き消えたのはその直後。つまり、オノンドは「ドラゴンクロー」「ダブルチョップ」の他にも技を覚えているという事実に繋がる。
だがどうやって翼も持たぬポケモンが一瞬のうちに中空に移動出来るのか。
接近してくるオノンドにヒヒダルマが対抗の攻撃を返しかけて、ヘレナは脳裏に閃くものを感じた。
「待って! ヒヒダルマ、攻撃を中断! 炎を使わず、ただの拳で応戦!」
その命令にヒヒダルマは戸惑っただろう。しかし長年の相棒は主君の命令を忠実に実行した。
炎を消し、ただの拳がオノンドの手刀と交差する。瞬間、オノンドの手刀に発生したのは波打つ波導であった。
間違いようがない。これは「りゅうのはどう」だ。
「波導攻撃には応用が利く。波導を纏わせたオノンドの手刀にはもう一つの技の特性がついていた。相手の技エネルギーを吸収し、その技が強力であればあるほどに、そちらのエネルギーに転化する技。さしずめ、その技、カウンターとでも呼ぶべきでしょうね」
ほう、とシャガの面持ちが変わる。今まで侮っていた小娘とは違う。戦士を相手にした眼差しへと変化していた。
「波導からのカウンター攻撃にここまで早く気づけるとは。少しばかり嘗めていた、という事か」
「その侮りが、命取りになる。ヒヒダルマ! 相手は物理攻撃に付与される属性をエネルギーに変える。つまり! ただの拳ならばエネルギーに変えようがない!」
ヒヒダルマが纏いつく炎を掻き消し、猛攻をオノンドへと叩き込もうとする。オノンドは拳の応酬から逃れ、姿勢を沈めて手刀に全神経を込めた。
「次の一撃で決めよう。オノンド、波導を片腕に凝縮!」
青い波導がオノンドの片腕に込められ、その刃を何倍にも研ぎ澄ます。拡張した間合いはオノンドに必殺の一撃を約束させた。
「小手先の戦いはしない、って言う事。ならばこちらも! ヒヒダルマ! 相手を打ち破る! フレアドライブを点火!」
ヒヒダルマの全身が煮え滾ったように燃え盛る。己の身でさえも焼き尽くしかねないその一打は相手を打ち抜くという意思を具現したもの。お互いに一歩も退く気はなかった。ここで退くくらいならば何故、ここまで来た、何故、ここまで抵抗した。
終わりたくないからだろう。幕引きをするのは簡単だ。それが他者によるものだとしても。
だが、Nも自分達も終わるためにあの森から出てきたわけではない。あの森から出たのは、自由を追い求めたからだ。その先にある、幸福のためであったはずだ。
ならば、ここで抗う手を止めるな。伸ばした手を躊躇わせるな。
相手へと届く一撃があるのならば、届かせてみせる。
内側から点火したヒヒダルマがまさしく業火の塊となってオノンドへと猪突する。オノンドは鋭利な刃と化した片腕を大きく引いた。
激突は同時。
避けられない己の激情同士の衝突にフィールドが塵芥で満たされる。灰色の闇の中、ヘレナはぐっと息を詰めた。シャガは静かな面持ちで戦場を見守っている。
粉塵の晴れた場所でヒヒダルマの拳がオノンドの腹腔に突き刺さっていた。しかし、相手の手刀もヒヒダルマの額へと深く食い込んでいる。
――どちらが倒れるのか。
どちらにも読めなかったのはほんの一瞬。
傾いだのはオノンドのほうであった。手刀から力が凪ぎ、よろめいて後退する。
「ここまで」
シャガがボールに戻した。ヘレナもヒヒダルマをボールに戻す。これで互いの感情はハッキリしたはずだ。
「健闘でした」
「それはそちらも。いい育てをしている。しかし、負けたからと言ってわたしの意見は変わらない。あなたがたの安全のために、トウコ・キリシマと同行する事を推奨する」
「ええ、私も、ここまで凝り固まった考えを持つに至ったのは結局、私自身、どうしようもないと今まで行き詰っていたから。それが突破口になるのならば」
トウコとの旅路も受け入れよう。
首肯するシャガに、バーベナがこちらへと駆け寄ってくる。その小さな手がヘレナの手を確かな力で掴んだ。
「無茶して……! ヘレナに何かあったら、私……」
「それは私も同じ。貴女に何かあったら生きていけないわ」
ああ、と涙する半身にヘレナは言いやる。
「バーベナ。私達は見定めなくてはならない。それこそ、王の座する時を。それが女神と呼ばれた人間の行く末ならば」
「でも、それはN様なんじゃ……」
「分からない。分からなく……なってしまった。今までならば迷いなく玉座にはN様がつくと言えたわ。でも、もう何もかも、見えない……」
「あたし、わかるよ。おねーちゃん達も、つよいんだね」
龍の心を知るアイリスも一緒ならばきっと何かが待っているはずだ。それが吉報であれ凶報であれ、自分達を変える何かが。
「すまなかった。わたしも意固地になっていた部分もある」
「いえ、シャガ市長。貴方は最大限の便宜を図ってくださいました。ここで別れるのは心苦しいですが、私達は先に進みます」
自分達の歩みは、まだ止めるわけにはいかないのだ。ここで足を止めれば何もかもが潰える。
Nを疑った事も、もう一人のNの事も、このイッシュを覆いかねない、闇に関しても。
それでも進むしかない。仰ぎ見たジムの天蓋は真っ二つに割れ、月が見え隠れしていた。
夜が来る。