FERMATA








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七章 影の黙示録
第95楽章「贋作師」

 目的は果たした、と最初に切り出したのはギーマであった。

 既に中天に日が昇った頃、再三の果し合いを申し込もうとしていたチェレンに彼はそう切り捨てる。

 息を呑んだチェレンは、でも、と食い下がった。

「昨日は戦ってくれた……」

「リハビリがてら、だろ? 俺達だって暇じゃないってのは散々聞かせたよな? このイッシュの国防が危うい。プラズマ団、だったか? まだ悪の芽とは言え、早くに摘んでおくのに越した事はない。アデク翁にも理解はある」

 その意見に対立したのはノアであった。ここで事を起こす前のプラズマ団倒壊はまた違う未来を引き起こしかねない。

「もう少し……待てませんか? だってまだ何もしていない……」

「罪人がいて、そいつが何もしていないからってじゃあ次に何もしない、平穏無事に暮らしてくれるとは限らない。俺達四天王が集まった意味って言うのはそんなに容易くはないんだよ。四天王が集うって言うのは非常時だ。ただ単にガキを蘇らせるためだけにこの力、持っているわけじゃない」

 その皮肉にチェレンが拳を握り締める。彼が一番に悔しいはずだ。自分が強くなれる可能性を前にして、ここでお別れなんて。

 それに、とノアは四天王を見据える。彼らほどの実力者。恐らく二度も三度も集まるまい。プラズマ団の思想とその危険性に関しては熟知していると考えても、ここで仕掛けるのは時期尚早だと言う他ない。

「ボクは……まだ仕掛けるのには早いと思います」

 その言葉にギーマが睨み上げる。

「……話と違うな、アデク翁。プラズマ団というのが危険だって、一番に言っていたのはこのノアとか言う奴じゃなかったのか?」

「そのはずなんじゃがな。彼奴も迷いの只中におる。まだ何もしていない、という言い訳が通用する相手に、圧倒的な力で物を言わせるのはあまりにも、と言いたいんじゃろう」

 アデクは理解している。もうろくしたわけでも、ましてや過激な思想に走ったわけでもない。自分の言いたい事を分かり切っていて、プラズマ団を潰す事に強行的なのか。

「でも、そんな……。罪もない団員もいる」

「……さっきから聞いていれば、貴様は一体何なんだ? まるでプラズマ団の総意のような言葉振りをするくせに、現実味を帯びていない事ばかり言う。どっちに転ばせたいんだ? プラズマ団を潰したいのか、それとも、守りたいのか」

 二択を突きつけられればノアは困惑するしかない。戦ってきた。今まで、抗うために、未来を変えるために戦い抜いてきたはずだ。だというのに、いざその古巣が危うくなると意見を二転三転させる。

 結局、踏ん切りがついていない。プラズマ団崩壊のシナリオに、誰の救いもないのは不条理だと思っている。

「……憎しみで戦っているわけじゃない」

「言い訳甚だしいぞ。戦士ならば然るべき時に決めろ。そうでないのならば口を閉ざせ。半端な意見が一番に苛立つ」

 ギーマの物言いももっともだ。自分はどっちつかずに過ぎない。プラズマ団を止めたい、その思惑を何とかして変えたいと言う意思はあっても、実効力がないのだ。

 その実効力が間近に迫れば、そこで足を止めて躊躇する。

 恐らくは怖いのだろう。

 自分の居た場所が誰かによって蹂躙されるのが。自分自身の因果応報ならばまだ納得出来た。しかし、もうそれでは済まない域まで物事は来ている。

 イッシュ四天王が動けばプラズマ団など路傍の石ころにも満たない戦力でしかない。倒壊するかつての居場所が恋しいのか、と胸中に問えばそうでもなく、ただただ物事が進んでいくのに恐怖心を覚えているのみだ。

 ――どっちつかずにもいい加減にしろ。

 己に叱責しても答えは出ない。変えたくって戦い抜いてきたはずだ。だが、変えたいだけだ。

 壊したいわけではない。

 優しさと取り違えたその決定力のなさが、また悲劇を生む。プラズマ団崩壊を二度も三度も見たいわけではない。

 ただ誰も傷つかない方法はないのだろうか。自分と、この時間軸のNのみで決着がつけばどれほど楽だろう。

 もう、そのような生易しさではケリもつくまい。Nを倒せば全てが決するというのならば自分一人で特攻すればいい。

 それも出来ず、ただ漫然と襲ってくる敵を対処しているのではきりがない、と判ぜられるのも当然。

 イッシュ四天王は自分の時間軸ならばポケモンリーグを包囲され、その実力を発揮する術を完全に奪われる。その上で全面降伏を余儀なくされ、アデクとNとの一騎打ちが始まる。

 結果は知っての通りだ。

 自分が勝ち、アデクは敗北する。イッシュという国家の敗北は英雄伝説の塗り替えを意味していたが、それらの陰謀はトウヤ、というもう一人の英雄によって阻まれるはずなのだ。

 しかし、この時間軸にトウヤはいない。

 当てにするべき相手がどこにもいないとなれば、決断すべきは自分一人だ。ここで結論を先延ばしにすれば、また歴史が歪む。

 そうなってしまえば悲しみを生むだけだというのに。

 握り締めた拳はただただ痛むだけで、結論を出してはくれなかった。

 ギーマは呆れたようにこちらを見やる。

「貴様らのスパーリング相手に来たわけじゃないんだ。ジムバッジが欲しければ旅を続ければいい。だが、アデク翁はプラズマ団を第一級以上の脅威と判断し、我々による排除を提言してきた。この時点で、民草に意見できる範疇を超えている」

 王の一存だ。そこに異議を挟む事など出来るはずもない。

 しかし、ヴイツーは反論していた。

「でもよ! 一方的にプラズマ団を強襲して、だったらそれで平和になるのかよ! まだどうなるのか分からない物事にケチつけたってしょうがねぇだろうが」

「まだどうなるのか分からない? 嘘をつくな。そこにいる無力な男が知っているはずだ。我々が何もしなければどう転がるのか。ケチをつけているわけではない。平和への最短距離を知っているのならば、それを推進すべきだ。何を迷う事がある?」

 そうだ。自分は知っている。ここで何もしなければプラズマ団によって国家は転覆寸前まで追い込まれる。そうなってからでは全てが手遅れ。

 今のうちに、プラズマ団を介錯するのが手っ取り早い。

 それでもヴイツーは承服出来ないのだろう。抗弁を発し、ノアへと一瞥を投げる。

「そんな傲慢な……、大体、てめぇら急に現れて……。チェレンを蘇らせてくれたところまでは礼を言うぜ。そこは筋が通っている。でもよ! それとこれとは別だろうが! イッシュ四天王によるカルト教団の排斥なんて誰も望んじゃいねぇはずだ」

「そのカルト教団の尖兵であったせいか? よく舌が回る」

「てめぇ……!」

 歩み出ようとしたヴイツーの足を止めたのは手で制したチェレンであった。

 彼は怜悧な瞳のまま、イッシュ四天王を見据える。

「聞きたい事が二、三」

「おい、チェレン、何やって――」

「言ってみろ」

 ギーマの許諾にチェレンは口を開く。

「あなた達に助力すれば、それは正義になるのか。正義の道こそが、イッシュ四天王の本懐なのか」

 その問いかけにギーマは顎に手を添える。だがわざとらしい仕草とは裏腹に結論は既に決まっているようであった。

「正義、というものの定義は流動的だ。だからこそ、俺達は正義を振り翳すつもりはない。ただ、国防を預かる身としての判断だ。政の領域には口を出さないのが四天王のルールでね」

「正義じゃなくっても、あなた達は動くんだな?」

「おい、何の確認だよ、そりゃあ。四天王相当が動くんだ。それは国の意思ってことになるだろうが」

 困惑するヴイツーに対し、チェレンは眼鏡のブリッジを上げる。

「僕は強くありたい。二度と、この力に呑まれぬように。そのためにジムを制し、玉座につく事が最短距離だと思っていた。……だが愚かにも僕は力に取り込まれ、生死を彷徨った。君達にも迷惑はかけただろう。だから、僕は禊が必要だと感じた」

「禊、だぁ?」

 チェレンが歩み出る。その足を誰も止めようとはしない。

「正義になるにせよ、ならないにせよ、これは僕の考え得る最短距離だ。王になる、というね」

 まさか、とヴイツーが言葉を詰まらせる。

「てめぇ……四天王の考えを呑むってのか」

「考えを呑む、というのは正しくない。彼らは僕達、イッシュ国民を代表する存在だ。彼らに意見する事は即ち、国家に意見する事。僕は大局的に考えてこの場合、四天王の考えを棄却するのも馬鹿馬鹿しいと感じた」

 その言葉にギーマが乾いた拍手を送る。

「一朝一夕で身につかない考えではあるが、なるほど、完全同調の域に達しただけはある。強さを求め、それまでの道筋にある些事は出来るだけ排したい、か。その考えの帰結する先にあるものを予測すれば、自ずと浮かび上がる発想だ」

「おい、チェレン! どういう事だよ!」

 バンジロウの怒声にチェレンは冷静な声音を崩さずに応じる。

「プラズマ団を止める。それが君達の旅の目的であったはずだ。比して、僕の旅は真の強者に成る事。それが旅の目的であった。利害の一致があるのならば同調すべきだ」

「おい、チェレン……。その考えで行くと、てめぇ……」

 チェレンはギーマを見やり、その場で片膝をつく。傅くチェレンを四天王が見下ろしていた。

「僕は強くある。そのために君達と敵対はしない。だが、そちらの旅の目的の最短距離と四天王の提案する距離はほとんど同じだと思う。ゆえに、僕は四天王に協力する」

 思わぬ言葉であったわけではない。チェレンならば考えつくであろう思考の帰結だ。ただ今までは自分以上の強さに対する執念が強かった。その重石から逃れた彼が次に考え得るのは、強さを身につけるための方法論だ。

 四天王に同行し、プラズマ団を潰す。その方法に彼は強さを追い求めるのに最も近い距離を見出したのだろう。

 だとすれば、何も不自然ではない。自分達と敵対はしない、という条件にも、何も。

 ただバンジロウとヴイツーは納得いかないようであった。

「そんなの……! そんなのってあるかよ! 確かにプラズマ団をこのままにはしておけねぇ。だが、四天王相当に任せればこの戦い、大きな戦火になる。それこそ、民草を巻き込みかねねぇ、大きな火種にな!」

「オレも、あんちゃんと同じ考えだ。でかい戦いは嫌いじゃない。でもよ、ここまで来るとそれは違う。じィちゃんからも何か言ってくれよ!」

 アデクは座したまま先ほどから瞑目している。全ては流れのままに収まるとでも言うように。

「痴れ者め。王者に易々と意見を乞うな。俺達の総意だ。やると決めればとことんやる。プラズマ団を潰したいのは同じはずだろう?」

 そう、その通りなのだ。この時間軸の自分とプラズマ団の愚行を止めたくってここまで来た。

 しかし、四天王による介入となればそれは自然と出さなくてもいい犠牲を出す事になる。その一事に関していえば、ノアは反対であった。

「……犠牲は、ボクと頭目だけで充分だ。彼らには彼らの旅をさせればいいだろう」

「吹くな。では、彼らの旅とは何だ?」

 逆に問い質されてノアは返答に窮する。ギーマの瞳はチェレンと、先ほどから圧倒されているベルに注がれていた。

「チェレン、貴様はよく分かる。強くなりたい、誰よりも強く。そのための方法論をケチっていない。だからこそ単純明快だ。その術がジム戦にこだわる必要もないのだと、すぐに理解するところも。比して、お嬢ちゃん。そちらに大義はあるか?」

 ベルはカバンをぎゅっと握り締めて顔を伏せる。

「あたしは……」

「ジムリーダーとの戦いはいつでも出来る。俺達はそのような夢を追う事を決して非難しているわけではない。ただ、状況が状況だ。プラズマ団の脅威が去ってからでも、夢は追える。貴様らとてプラズマ団に対し一家言ある人間ばかりだろう? 邪魔な羽虫を一掃してから、いつでもリスタート出来るんだと提言しているんだ。別に不都合じゃないはず」

 ベルは答えを彷徨わせる。四天王を前にすればベルは蛇に睨まれた蛙も同然。チェレンは最短距離を決めた。

 あとは自分達だけ。

 ヴイツーは自分の味方をしてくれると言ってくれた。バンジロウはまだ幼い。これから先、もっと夢を追いやすい環境に恵まれる事だろう。ここでの結論を一番に急がれているのは、自分のみだ。

 プラズマ団との因縁を清算したいのか、それともここで動かずして、四天王に全てを投げるのか。

 二つに一つであった。

 四天王の助力を乞えば、確かにすぐさま答えは出るだろう。だが、昨夜彼らと戦ってみてよく分かったはずだ。

 四天王の矛先に迷いはない。倒すべきと判じた相手には全くの躊躇はないだろう。だからこそ、怖い。

 ここで彼らに全面協力を仰げば、死ぬはずのない人間まで死ぬ事になるかもしれない。

 かといって自分達で出来る範囲はもう頭打ちに来ている。ダークトリニティの出現がその際たるものだ。

 プラズマ団に肉迫しようとしても、これ以上の力量を手に入れるのには生半可な努力では不可能だ。

 それこそチェレンのように恥も外聞もなく力を求めるだけのシンプルさがなければ。

 ――自分はどうしたい?

 ノアは拳を固く握り締める。自分とNの決着だけでどうにかなる領域は既に過ぎた。最早、イッシュという国家の命運に関わる状態まで悪化しているのだ。

 ならば、ここで四天王を突っぱねても意味はない。自分が与り知らぬところで人が死ぬか、自分の既知の範囲で死ぬかだけの違い。

 ギーマは結論を先延ばしにするノアにほとほと呆れ果てたように頭を振る。

「……割と答えは出ていると思うがな。プラズマ団を許せないのならば、俺達の力を断る理由もない。それとも、ノア。貴様、ただ旅を楽しみたいがためという、楽観的な理由で王者を振り回したとでも?」

 アデクはこの地を収める王。当然の事ながら、イッシュが危機に瀕しているとなれば真っ先に動くのが定石。

 四天王を呼び出した時点で、戻れぬ道に立たされているのだ。アデクは自分達の旅の道中で出来る範囲を超えたのだと判断した。だから目の前に最強の四人が来ている。

 簡単な事だ。ただ一言、懇願すればいい。

 このイッシュの命運を任せたいと。

 しかし、ならばどうして自分はここまで無理を通してでも一人で戦い抜こうとしてきた?

 抗い、求め、その先にある未来を勝ち取ろうとしたのは何も自らの過ちを悔いただけではない。

 責任感以上に、この胸を占めていたのは罪悪感だ。イッシュの人々を巻き込んでしまった、ただただ己の運命のためだけに。

 英雄伝説など、人々は知らなくともよかった。ポケモン解放などという謳い文句で人々をいたずらに駆り立てる必要などなかった。

 ――ワタシだけが、ポケモンを使えればいいのです!

 あの日のゲーチスの言葉が残響する。

 それを止めたくって、否、止められる自分を探して旅を続けてきたのだ。戦い続ければ答えは自ずと出るであろうと。

 しかし、ここに至るまで答えは眼前に差し出されていても戸惑う心が勝った。
――何を迷う? 共に手を取り、プラズマ団を……ゲーチスを討つ。

 それでいいはずだ。そこに迷いなどを挟む余地はない。ゲーチスは、悪は誰かが止めねばならない。誰かが断罪すべきなのだ。

 それは自分でなくとも、誰かでもいいはずなのに。

 ここでその全権を預けるという判断が出来ない。無責任になるからではない。これはエゴだ。

 自分のわがままなのだ。

 誰かに預けていい運命ならば最初からやり直しなど求めなかった。抗おうなど思わなかっただろう。アリスと共に、この過去世界で平穏に暮らしていればよかった。

 それを消し去ってでも旅に出たのは何のためだ。

 許せないからだろう。

 ただ答えを保留にし続ける自分自身が。変えられる立場にあって、踏み込まない自分の弱さが。

 だから、ここで四天王に頼ったところで間違いではないと分かっていても、それは甘えなのではないかと思ってしまう。

 自分で解決すべき命題だ。誰かに預けていいはずがない。

「……せっかくの申し出だけれど、ボクは断らせてもらう」

 その言葉に驚愕したのは四天王だけではない。チェレンとベルも、であった。

「……理解出来ない。どうして、遠回りを選ぶ?」

 チェレンの問いかけにノアは己の胸中を吐露する。

「ボクは、この運命はボクだけのものだと信じたい。ゆえに、やり直しもボクだけだと」

 それだけで承認が取れたのだろう。チェレンは侮蔑の眼差しを注いだ。

「……呆れたな。もうそういう領域は過ぎた、と四天王自ら言ってくれているんだ。アデクさんもそうだろう。ノア、君一人だけで戦う事は、もう出来ない。いや、してくれては困る、と言ったほうが正しい。ここで四天王に投げるのは、何も怠慢ではない。そこを取り違えるな、と言っているのに」

 ほとほと理解に苦しむのだろう。自分でもこの感情の行方は不明だ。それでも、譲れない一線ではあった。

「……なるほどな。ノア、おれは乗るぜ」

 思わぬヴイツーの同意にチェレンがうろたえる。

「ヴイツー……、どうしてそんな愚策を取る?」

「愚策かどうかは分かんねぇだろ? 四天王がプラズマ団を潰すのが正しいっていうわけでもあるまいし。おれは信じるものがこっちにあるってだけだ。それだけの差だよ」

「……オレも、兄ちゃんを信じたいと思う」

 バンジロウの声音にギーマが眉を跳ねさせた。

「ほう、アデク翁、いいのか?」

「若者の意見にいちいち老人が口を挟むもんじゃないわい」

 アデクは依然として瞑目していながらもその存在感は圧倒的であった。この只中にあって血縁者であるバンジロウがこちらにつくとはノアも思わなかった。

「オレ、もっとツエー奴と戦ってみたいんだ。それに、もっとスゲー戦いも。……多分、四天王と一緒に行くのは近道だろうけれど、オレは、遠回りででこぼこ道でも、自分が選んだ道がいいんだ。……じィちゃん、悪い」

「よい。バンジロウ、お主の選んだ道よ」

「さて、こっちは三人だぜ? どうするよ、四天王さんよ」

 ギーマは全員に目配せする。四天王の決定は覆らないのだろう。

「我々はイッシュ四天王。国防を預かる手前、一人の意見に流される事はない。プラズマ団を完全に駆逐する。その意志に迷いはないのだからな」

 チェレンは四天王側につく。断絶は明らかとなった。

「ベル。君はどうする?」

 振り向けた幼馴染への声音に、ベルは困惑した。

 面を伏せ、決定を渋る。

「あたしは……だってみんなみたいな大きな目標もないし……」

 ベルはただただチェレンに蘇って欲しくってここまで来た。もう次の目的を見据えたチェレンに対して言える事はないのだろう。

 彼女自身の願望は大きくはない。ただ、目の前の人間を放っておけないだけ。ゆえに、地方を救うという大儀にはついていけないのも道理だと思えた。

 チェレンは全てを理解したのか、嘆息をつく。

「ベル……旅を続けたければ、どこかのポケモンセンターでほとぼりが醒めるまで保護してもらえばいい。僕は行く」

 戦いに。全てを決するための戦に。

 ベルがこちらへと一瞥を投げる。自分達の側とてプラズマ団との戦闘になれば戦う。どっちについてもベルには辛い決断だ。

「ベル。ボクだって強制は出来ない。キミの好きにするといい」

「あたしの、好きに……」

 当惑するベルは板ばさみ状態のまま、目をきつく瞑った。決心するのにあまりに時間はない。ただ、ここでの隔絶は何も一生の断絶ではない。目的は同じだが手段が違うだけの事。それを諭してもよかったが、ここで決められなければ彼女は一生、どっちつかずだろう。

 口を開きかけたベルは、この場での決定を言うしかなかった。

「あたしは……」

 刹那、ギーマが目を見開き、緊急射出ボタンを押し込んでサメハダーを繰り出す。何が、と首を巡らせたノア達を水のベールが包み込んだ。

 視界を覆う皮膜に突き刺さったのは紫色の石の刃である。

 それぞれ幾何学の軌道を描きつつ、岩石の刃が瞬間的な皮膜を引き裂いていく。ギーマが手を払い次の命令を下した。

「サメハダー! アクアジェット!」

 凝縮された水が一挙に逆立ち岩石を押し返す。さらにその水が逆巻いて砲弾を形作った。

 連携として放たれた「ハイドロポンプ」の砲撃はこのタワーオブへヴンの頂上に不意に現れた影に吸収される。

 半透明の何かであった。ポケモンなのか、あるいはそれ以外の何かであるのか判断出来ない。浮遊する「それ」は触手を揺らめかせ、陽炎のように残像をなびかせる。

「こちらの岩石による射出攻撃を瞬時に理解……いや、察知して皮膜によって防御、然る後に反撃……。なるほど、四天王のその力、甘く見ていたか」

 操るのはトレーナーか、あるいはそれ以外の何者なのか。少なくともハッキリしていたのは、その人物が水色の僧衣を纏っている事――即ちプラズマ団である事実のみであった。

「何者だ。面妖なポケモンを使う。それに見た事もないタイプ構成だな。岩・毒か」

 瞬時に見抜いたギーマへと団員は指を鳴らす。

「さすが、この地を収めるだけの実力を持つだけはある。見た事のないポケモンでも動じないその精神力、感嘆に値する」

「言っていられるのか? 襲撃してきたという事は、撃たれても文句は言えんぞ」

 サメハダーの作り出す水流が逆巻いて一直線に団員を襲う。彼は手を突き出し、半透明の「それ」で攻撃を相殺させた。

 触手を揺らめかせる謎の存在に全員が固唾を呑む。

「何だ、あれは……。ポケモン、なのか」

 ヴイツーの驚嘆に対し団員は冷笑を浴びせた。

「同一存在……いや、コピーか。まだ生きていたとはな」

「何を……何を言っている」

 団員がフードに手をかけ、顔を晒した。

 その途端、ノアは硬直する。

「ボク、だって……」

 新緑の髪にその相貌は間違いようもなく、自分自身であった。相手は手を掲げる。同一存在が接近した事の危険性を表すように、黒い瘴気が棚引いていた。

「この時間軸のN、その一人だ。個人的にはニーアと名乗っているがね」


オンドゥル大使 ( 2017/12/07(木) 22:18 )