第91楽章「月光夜」
乱舞する、とはこのような事を言うのであろう。
跳ね上がったゲッコウガの放った水手裏剣に対応するのは、児戯か、あるいはそれ以上に経験の部分が大きい。波を逆巻かせるサメハダーの鉄壁を突き崩せず、病み上がりのチェレンは歯噛みした。
蘇生措置を受けた事、そして、愚かにも蘇った末にここに相対する実力者達との果し合いを望んだ我が身を呪うわけではないが、一生のうち、何度も経験出来るものではないと判断したまでだ。
それがたとえ自分一人ではどうしようもない実力差であったとしても、戦えるだけでも僥倖。
イッシュ四天王のうちの一角。ギーマは不敵に微笑んだまま、サメハダーに水流の壁を展開させたまま後退する。その手はポケットに入れられていた。
水手裏剣を一閃させたゲッコウガを相手取ってもその余裕と手が見える事はない。
「嘗めて、いるのかっ!」
思わず吼えかかったチェレンにギーマは首を横に振る。
「嘗めちゃ、いないさ。同調まで行ったトレーナーだ。それなりだと思うのは当然の事。それに、礼儀は尽くしている。本来ならば歯牙にもかけないのだが、王がいるからな」
それが気に食わないと言っているのだ。
王者アデク。改めて四天王の中にあっても、その面持ちはいささかも衰えていない。それどころはより洗練された刃物を見るように、若々しささえも浮かび上がってくる。
その事実が、どうしようもなく堪え難い。
今まで自分達の前では猫を被ってきたのだ。所詮、最初のトレーナーになど本気を出すまでもなかった。
かつて見せた悪鬼羅刹の面持ちでさえも、あれは一時の気の迷いでさえもなかったのだと実感させられる。
平時で、なおかつ冷静を保ちつつ、狂気に走った。
矛盾する言葉だが王を形容するのには合っている。チェレンは怒りを滲ませた。拳に伝わった鼓動がゲッコウガを伝導し、刃に磨きがかかる。
この一撃で、相手の水の壁を崩した、と思われたが、その淡い考えは次に出現した新たなる水壁に阻まれた。
「戦えっ! それでもあんた、四天王か!」
「戦えって言っても、一発でカタはつく。それに、お前は生かしてやったんだ。ここで捨てる命でもあるまい」
「だから、そういうのが……! メンドーなんだよっ!」
ゲッコウガが片手に手裏剣を拡大させ、水の血潮を凝縮させた。赤く、照り輝いた水の手裏剣と共に黒い表皮へと血が滾っていく。
意識と肉体が混在化する。波の中でビートを刻む双方が交差し、直後、刃となって弾けた。
結実した水の刃にギーマは口笛を吹く。
「いつだっていいもんだ。トレーナーが成長する機会を見るってのは。そうだろ? アデク翁」
「そうじゃのう。酒も旨い! いいものを見分けるようになったな、レンブ」
その声にレンブと呼ばれた男が平伏する。
「いえ、まだまだでございます。我はまだ、あなたの足元にも及ばぬ……」
「謝辞はいい。来るぞ、後方だ」
アデクの指し示した方向から襲いかかったのはノアの操るケルディオであった。角を突き出し、水の皮膜と共にとどめを差しにかかったケルディオの渾身の一撃を巨体のポケモンが受け止める。
その身の丈、肩幅、共に人間の域を超えているポケモンは紅葉の如く展開した掌を拳に変えていた。
「是非もなし。暫しの戦いをお許しください。我が師範」
「よい。存分にやるといい」
赤い酒樽を担いだアデクはまさしくうわばみのように酒を飲み干していく。冷水を浴びせるべく操ったノアとケルディオに対し、レンブは静かに闘志を燃やした。
「師範の手を煩わせるまでもない。このレンブ、しかとその拳で受け止めよう」
「そこを、通せっ!」
ノアの放った声音と共に背後に隠れていた二体のポケモンが跳躍する。
エンブオーとメラルバ。炎の二体が水の加護を受けて格闘術のポケモンへと肉迫した。
「オレ達の炎は!」
「並みじゃ、ねぇぞ!」
二人分の放射熱線。当然、レンブの操る一体では防ぎようもないかに映る。だが、レンブは落ち着き払って声にした。
「師範の孫、であったか。その実力、まだまだ伸びる。しかし、ここは鉄火場。命あるものは命を燃やし、闘志あるものはその闘志、魂の根幹尽きるまで焼き尽くすのみ! 貴様らに一時の戦いに燃やすその志はあるか!」
湧き上がったのは炎でも何でもない。
――ただの殺気。だがそれは尋常ではない。
殺気の塊は膨れ上がり、ポケモンの腕と一体になって、掌の中にエネルギーの光球を形作らせる。
メラルバとエンブオーが対応の炎を散らせた。
「嘗めるな! メラルバ、熱線で攻撃を中断させる!」
「エンブオー! ヒートスタンプで叩き潰せ!」
渾然一体となった炎の一撃はまるで隕石のようだ。しかし、その一撃、受ける事、ましてや避けるなど考えもしていない。レンブの瞳は研ぎ澄まされていた。
「気合い――魂!」
その拳から放たれたのはまさしく気合いをエネルギーと成し、技の域まで昇華させたもの。
ただの気迫と言い替えれば易いように思われるかもしれないが、それは四天王、レンブの尽きない闘争心の炎の具現。
炎熱の属性を持つ二体のポケモンが吹き飛ばされる。まさか、とチェレンは目を疑った。
ここに来るまで幾度となくその実力を発揮してきたバンジロウとヴイツーが一撃の下にやられるなど思いもしない。
その僅かに開いた隙を、ギーマは逃さなかった。
「遅いぜ。辻斬り」
瞬間的に間合いに入ってきたサメハダーの放った「つじぎり」によって全身に裂傷を作る。
しかし、ここで倒れるものか、とチェレンは同調に浸った身体を引き起こす。
痛みは糧となる。次の戦いで勝利する糧だ。
奥歯を噛み締め、チェレンはゲッコウガへと倒れる刹那の攻撃を命じる。
声ではなく思惟。最早、ポケモンと我が身を隔てる壁は存在しない。混ざり合った思考の中、ゲッコウガの手の中に手裏剣が形成された。
「亜空……切――」
あの時、紡げたであろう技の名前を再び紡ごうとして、意識を闇の中へと引っ張り込まれる。
これはゲッコウガそのものだ。ポケモンの持つ強大な意識圏が人間の矮小な意識を呑み込もうとしている。
一度呑まれた身となれば、そのかわし方くらいは心得ていてもいいはずだが、まだチェレンはその戸口に立ったばかり。
覆いつくそうとしてきた闇に没する間に、サメハダーの構築した水の砲弾が腹腔を打ち据えた。ゲッコウガに伝わった激痛と共に痛覚で意識が回復する。
「未熟者、だな。痛みで我を取り戻すか。その恥辱、次はないと知れ」
突っ伏したチェレンは集中力の波が逆流してくるのを感覚し、直後、胃の中のものを吐き出していた。
胃液が喉を焼く中で、涙のしよっぱさが口中に混ざる。
ようやく面を上げた時、強者は強者のまま佇んでいた。
サメハダーも健在ならばその主も然り。超越者の面持ちを崩さぬまま、ギーマはこちらを見下ろしている。
その瞳が「立て」と言っているように思われて四肢に力を込めようとするも、痙攣した手足は醜く空を掻く。
やはり勝てない。四天王は今までの敵とは別格であった。一回や二回の奇跡が起こったところでその喉笛には届かないであろう。
どこまでも高潔な立ち振る舞いに憎々しささえ覚える。
「ここまで、だな。アデク翁、この少年はここまで、だ。休ませる事を進言する」
「おお、そうか。チェレン坊、休め、休め。ギーマ相手に健闘じゃぞ」
休め、だと。それがどれほどまでの屈辱か、この二人は知っているだろうに。一度、強者の前で地べたを這い蹲れば、それは一生勝てぬと自分から宣告しているようなもの。
チェレンは萎えかけた手足に熱を通した。
まだやれる。まだ戦える、と獣のように吼えて食らいつく。そうでなけばその背中、一生追いかけるのみで終わるであろう。
――自分は追われる側でありたい。
その野心が脂汗となって顎を伝う。勝ちたい。勝つために、ここで再びの挑戦権を得た。今一度この世界に舞い戻った。
ならば、あとは勝つしかない。勝って相手の中に己を刻み込む事だけが男の証明だ。ここまで生き意地汚く耐え抜いた、真の戦士の誉れであるはずだ。
チェレンは全身を貫く痛みに、これも生きている証、と誤魔化す。錯覚した神経は全て戦闘へと回せ。少しでも集中力を切らせば、この戦いは長引かない。恐らく、一瞬で終わる。
終わらせてなるものか、という意地がチェレンを後押ししていた。ここで終わって、何がトレーナーか、何が王者か。何が、――男か。
「その諦めの悪さ……賞賛に値する。だが、届かぬ刃がこの世にあるように、届かぬ一歩もまた存在する。ここがそうだ。俺への一歩はお前らでは一生、いや、三度生まれ変わってもなお、色濃く立ちはだかるであろう」
「なら、三回死んでみせるさ……」
言ってのけたチェレンの気迫にギーマは口笛を吹く。バンジロウとヴイツーは既に息が上がっていた。ノアはレンブと激しく打ち合っている。
ケルディオが格闘タイプのポケモンのためか、レンブの操るハリテヤマが掌を拡張させて応戦する。その応酬に迷いはない。相手の手をここで潰してしまってもそれは止むなしと考えている節がある。
つまり、お互いに真剣勝負。ならばここで自分が吼えなくてどうする。力に飢えた。戦いを焦がれた。そして、死んでまでこの舞台に帰ってきたのならば成すべき事は一つだ。
「僕は、王者になる」
放った威勢にアデクが笑みを浮かべる。ギーマもポケットに手を入れたままアデクへと振り返った。
「だと言っているが。アデク翁」
「なに、前途ある若者の希望の灯火は見ていて気持ちがいい。酒も進むというもの」
「だとよ。だがな、少年。王になるというのは簡単ではない……などと陳腐な言葉で片づけるつもりはないが、お前は王になって何がしたい?」
何が。初めて突きつけられた質問にチェレンは困惑する。
「何がって……最上のトレーナーになる。それが目的じゃ、駄目だって言うのか」
「駄目なんて言っていないさ。むしろ上々だ。しかし、手段と目的を取り違えると、また闇に呑まれるぞ」
「……忠告どうも。でも僕は、ここで止まれない。止まらないと己に誓った」
「誓い、ねぇ。面白い事を言うじゃないか。自分の魂に誓った事だから曲げられない、ね。なるほど、その覚悟に免じて、このハンディを一時的に解いてやろう」
ギーマがポケットから手を出す。それだけだ。ただそれだけの動作のはずなのに、チェレンは鼓動が高鳴ったのを覚えた。額から汗が伝い落ちる。
何だ、このプレッシャーは、と思う前に状況は動いていた。
サメハダーが水壁を展開しつつ接近してくる。これは先ほどまでと同じだ。対応も同じでいいはず。
しかし、何かが致命的に変化していた。
それに気づけたのはサメハダーが瞬間的な出力を得てゲッコウガへと追突してからであった。
ゲッコウガが敵の体重をもろに腹部に受ける。肺が潰れるかと思うほどの衝撃。
当然、半分程度であっても同調の域にあるチェレンは膝を折った。その頭上から挑発の声が降る。
「おいおい、これで膝を折るのか? 言っておくが、前哨戦も前哨戦。ここからだぜ。サメハダー、辻斬り、連鎖」
サメハダーの全身が逆立ち、舞い遊んだ辻風がゲッコウガを掻っ切ろうと四方八方から迫る。
チェレンは面を上げてゲッコウガへと思惟を飛ばした。直感的な部分で刃の位相を感知、然る後に迎撃するしかない。
回避などという生易しい領域が通用する相手ではなかった。
水手裏剣を両手に展開させたゲッコウガが「つじぎり」の紫色の烈風へと応戦する。一閃、また一閃と研ぎ澄まされていくのは戦闘神経。
一つ叩き落す度に、不意打ち気味の攻撃が再発する。つまりは無間地獄。ここでの刃を止めるのには大元を絶つしかない。
決意したチェレンは元凶へと睨む眼を寄越した。サメハダーとギーマは涼しげに立ちはだかっている。
自分の倒すべき相手、超えるべき敵。
ここで立ち止まるは男に非ず。ここで退くは戦士に非ず。ゆえに、――ここで敗北するは、それ即ち王者に非ず。
チェレンが一度瞼を閉じ、次に見開いた時、景色は塗り替わっていた。
ゲッコウガと同期した視野の中に包囲陣の刃が大写しになる。一発でも及び腰になりかねないほどの威力であるのは疑いようもない。それがどこから、という制限でもなく、どこからでも襲いかかってくる。
恐怖はないか。それは嘘だ。
現実味はないか。それは事実だ。
だが、昂っているか。それもまた、事実だ。
「そして、ここで撤退するか。それは嘘だ!」
水手裏剣に赤い血潮が宿り、辻風を一つ、また一つと吹き飛ばしていく。その速度だけでもまさしく神風。
瞬間的な速度ならばサメハダーの装甲を貫通せしめるだろう。だがそれを許さないのは鉄壁の水の壁。
水手裏剣を飲み込み、封じ、さらにその上で力に変換している。水の属性ならば破るのは容易くはない。
ならば水の属性を超えればいい。
今一度だ。チェレンは額で弾ける集中のイメージを持つ。脳細胞のニューロンの速度を超え、人の感覚域を超過し、その速度は光を凌駕する。
イメージするのは放ちかけた至高の技。研ぎ澄ました感覚のみが許す最高位の戦術。
チェレンは右手に力を込めた。呼応するゲッコウガが右手を握り締める。内側から溢れ出したのは水の瀑布。
光と共に水が放出され、激しく脈打つ。構築されていく水の双刃が一つの技の完成形を見始めていた。
アデクが腰を浮かし、その光景を凝視する。
「これは……なるほど、これがチェレン坊の」
「本気、いや、それを放っている事も無意識か。恐れ入るよ。本当に、これだから前途ある若者って言うのは面白い。ビギナーズラックに、命を賭けられるのだから」
「黙っていろ。今は僕が勝つ」
集中の糸を切らすな。あくまでもリズムはゲッコウガに身を任せ、肉体と魂の楔を曖昧にさせたまま、溶け合った精神の声を聞け。
次の瞬間、チェレンの脳に閃いたのはある一つの武器であった。
流動していた水が一気にその武器の形状を取る。
ギーマが感嘆の声を上げた。
「ほう……カントー産のカタナ、という奴だな。しかも両刃じゃない。片刃の珍しい刃だ」
カタナを作り上げたのは理性ではなく本能。見知っていたからこの形に結実したのではない。
戦闘を追い求める剥き出しの野性が生み出した最適解。それがカタナという姿を取る。
「ならば俺も応えようか。辻斬りの射程距離で応戦してもいいが、サメハダーの本懐はそれじゃなくってね。一度距離を。サメハダー、後退し、水を溜めろ」
サメハダーが後退し、ここに来て初めて水の壁面を崩した。代わりにサメハダーのヒレの部分に推進剤のようなノズル形状の水が構築される。鋭角的なサメハダーのフォルムと相まって戦闘機の様相を呈していた。
「サメハダーの真骨頂。それは敵への追突速度だ。岩石を割り、鉄を削り、人の叡智を砕く。それこそがサメハダーの本来の用途。さぁ、ここに! 野性のままの戦いを繰り広げようじゃないか。少年!」
「望むところ……」
ゲッコウガがカタナを正眼に構えサメハダーの次の一撃へと備える。サメハダーのジェットノズルは収縮され、凝縮され、その密度を増していく。
倍にもさらにその倍にもなり得る水のジェットエンジンに息を呑まないわけではない。
しかし、瞬き一つでも、ここでは命取り。
チェレンは瞳を静かに閉じた。ここで頼るべきは視覚に非ず。聴覚でもない。第六感と呼ばれる代物であった。
ゲッコウガと繋がれた神経と思考が編み出すのは戦闘の極地。刃一つで全てを叩き崩すその一撃を破る方法を。ただそれだけを脳裏に留める。
水のジェット噴射が成された。
爆音に近いその放出に、まずは一呼吸。
次いで呼気を詰め、刃を振るう右手に全神経を与える。振るう構え自体は物珍しいものでもない。振るい落としただけだ。
だがその一閃は今までとはまるで違う。
ギーマの声に初めて、焦燥が浮かんだ。
「サメハダー! 一時メガシンカ!」
サメハダーの身体が紫色のエネルギー波に包まれ、直後に鋭く尖った先端がロケットのように成型される。
刹那、勢いが十倍近くにまで跳ね上がった。その閾値を越える速度と能力値にまさしく付け焼刃のカタナでは対応出来ない。
刃が接触点から折れ曲がる。イッシュの天地を繋ぐ塔の頂上で、遥か高くまで破砕した刃が跳ね上がった。
回転しながら、エネルギーの刃は地面に突き刺さる。
振るった姿勢のまま、ゲッコウガは固まっていた。
サメハダーのメガシンカが程なくして解ける。まさしく一瞬のみの、防御に振っただけのメガシンカ。そのような境地を実行出来るほどの相手の実力なのだ。
刃を折られたチェレンは、その場に突っ伏すしかなかった。
ゲッコウガも同じのようで疲弊し切った身体を立ち晦ませる。
「少年。悪い事は言わない。ゲッコウガを戻せ」
それにはさすがに応じていた。赤い粒子となってゲッコウガがボールへと戻っていく。その段になってようやく、ギーマが息をついた。
「嘗めていた、というわけでもないが、成長速度ってのは恐ろしいな。同調状態からの、擬似ゼンリョク攻撃……いや、別の何かか。いずれにせよ、これ以上戦えばまた元の木阿弥だ。俺は蘇生するって話だから乗ったまで。また殺すなんて御免だね」
その言葉にチェレンはハッとする。また、死にかけたとでも言うのか。その自覚のないチェレンに、ギーマはふんと鼻を鳴らす。
「少しでも過ぎた力は自滅をもたらす。覚えておくといい」
「それは……四天王としての言葉か」
「いんや。大人としての言葉だ」
そう言われてしまえば立つ瀬もない。まだ自分は子供なのだ。それだけは覆せない事実。
一際強いハリテヤマの鳴き声が響いた。平手打ちを受けてケルディオが吹き飛ばされる。あちらも限界のようだな、と他人事のように感じていた。
「さて、中天に月が昇り、もう夜半。どうする? まだやるか」
ギーマの問いかけはナンセンスであった。これ以上やったところで浮き彫りになるのは未熟さのみ。
「……僕達はこんなに弱くって旅をしていた」
「こんなに弱くても、だろう。なに、弱さを糧にすればいい。それは子供でも大人でもない。旅人の特権だ」
やはりギーマは四天王としての器が違う。四人を背負って立つのはギーマのような気がしていた。
その後ろで酒を無尽蔵に飲み干すアデクよりも。
「アデク翁。飲み過ぎると後が辛いぞ」
「なに、久しぶりの四人じゃ。酔わんでどうする」
差し出された赤い器に仕方ないな、とギーマは一息にそれを飲み干した。ふっと熱い吐息が漏れて宵闇に溶けていく。
それをどこか夢見心地で眺めていたチェレンは次の言葉で現実に引き戻された。
「おい、チェレン。これ、お前がやったのか……」
ヴイツーが顎をしゃくった先でタワーオブへヴンの一部が欠け落ちている。それも並大抵の威力ではない。メガシンカしたサメハダーが軌道をずらしたからいいものの、倒壊に繋がりかねないほどの断面であった。
「これを、僕が……」
「自覚ねぇのか。だったら、覚えとけ。これくらい力持ってんだ。あり余る力は暴走するだの、そんな定型句じみた警鐘を鳴らすのはあれだが、その力、振るう先を見誤れば、だという事をな」
ヴイツーも腐っても実力者。四天王相手に歯が立たなかったとは言え、彼のアドバイスを、今は親身に受ける機になっていた。
不思議な感情の変化だ。
今まで反発心しか覚えなかった連中の言葉を聞き入れるなど。
それだけ眼前の四天王が驚異的であったのか。あるいは死んで初めて知ったのかもしれない。
己の未熟さ、至らなさを。
だからこそ、この命、ただでは潰えさせるつもりはなかった。
「ヴイツー、バンジロウ。それにアデクさん、ノア。今さらかもしれない。僕なんかが分かった風になってはいけないのかもしれないが」
この旅の意味を。そして、ここまで連れて来てくれた旅の同行者達に感謝の情が浮かばないわけではない。そこまで冷徹に出来ているわけではなかった。
「ん? どうした?」
「――同行してもいいだろうか。この、何が終着点なのか分からないけれど、君達の旅に」
面食らっているノアに比して、ヴイツーとバンジロウは得心したように笑みを浮かべていた。
「この、今になって正直になったな」
「……うるさい。だからメンドーなんだ」
「チェレン、いいのか……。だってボクは」
「プラズマ団をどうにかする、だろう? メンドーだけれど、王者になるのにはただ闇雲に戦えばいいってものじゃないってハッキリ分かった。それに、今の自分では、いずれにせよ未熟者だ。この戦いの決着を、出来るだけ早くつけたい。そのためには、間違った相手にはノーを突きつける必要がある。この力、自分のものにするためにも……」
プラズマ団と戦えば見えてくるかもしれない。本当の強さというものが。ノアはその強さの一面に属している。だからこそ、彼の背中を追ってみたいと思えた。
呆然とするノアにヴイツーが言葉を放る。
「よかったじゃねぇか。今まで反目していた者同士、ようやく利害が一致したって言うのはよ」
「でも、ボクの旅は……」
「でもとか、だけれどとか、そういう言葉をいちいち吐くんじゃねぇ。静かに頷いて受け入れる時だってあるんだよ」
ヴイツーの言葉にノアは頭を下げていた。どうして、と思う間に彼は言葉を継ぐ。
「これは、ボクの引き起こした勝手な戦いの一部だ。それを、まかり間違ってもキミらに背負わせる事は出来ない」
「なっ……だから共闘するって――」
「それでも! それでも……ボクのわがままに付き合ってくれるというのなら、こちらこそ、よろしく頼む」
手を差し出したノアにチェレンは双眸を確かめていた。
間違いようもなく、戦いの先を見据えている瞳。これが嫌いで仕方がなかった。しかし今は。お互いに一歩進むために、どちらが譲るでもなく歩み寄るべきであった。
その手をチェレンは強く握り返す。
「ああ。僕のほうこそよろしく頼む」
「嬢ちゃんが見たら大泣きしそうだ」
茶化すヴイツーに抗弁を上げる気にもなれなかった。ベルは、再起不能に陥った自分をここまで連れて来てくれた。感謝してもし切れない。
「僕は王になる。その目的自体は変わらない。ただ、同行者を許しただけだ。それを忘れないでくれよ。まったく、メンドーなんだから」
言い置いたその言葉に気安い笑みが返ってくる事を、旅に出てから初めて心地いいと思えた。