第85楽章「KING KNIGHT」
バスで一時間もない距離。
すぐに天を衝く摩天楼は消え失せ、次いで視界に入ってきたのはこのイッシュで最も天に近い位置にある建築物であった。
一説にはイッシュ英雄伝説の際にも焼け落ちなかったとされている伝統ある建築物――タワーオブへヴン。天国に最も近い場所。同時に魂を慰撫する塔であった。
バスに揺られながら、一行の中に大した会話があったわけではない。ノアも無言であったし、他の者達はもっとだ。
ベルはタワーオブへヴンの持つ威容にたじろいでいる様子であった。アデクはどこか望郷の光をその眼差しに宿している。
バンジロウとヴイツーが頂点を仰いでいた。
「でっかいなぁ、この塔」
「イッシュじゃ一番かもな。おれ達みたいなのが頂上まで上っていいもんかね」
目線で尋ねたヴイツーにアデクは首肯する。
「ワシの権限は既に得てある。さて、あとはチェレンの坊主だが」
車椅子に乗せられたチェレンは見ているだけで痛々しい。死人のように視線は虚ろであった。
彼を蘇生するための唯一の術として頼った場所なのだが、所詮はオカルト。タワーオブへヴンにしっかりとした論拠があるわけではない。
同調状態のままポケモンに引っ張り込まれた事例など片手で数えるほどしかないという。そんな曖昧なまま、どうやってチェレンを救うというのだろう。ノアには分からなかった。
現状、最も可能性の高い賭けに出ているだけだ。これが最良なのかも分からない。ただ、一行は諦めるつもりはないようであった。チェレンの再起不能にも、これ以上の旅の継続不能という事実にも。ノアもそれは同じである。このまま諦めの道を行くよりかは踏み越えてでも、チェレンを蘇らせるべきなのだろう。
「具体的な……方法については」
アデクは片手を振るう。その時、タワーオブヘブンの頂上より何かが降り立ってきた。鳥ポケモンの一体であるそれは茶褐色の翼を羽ばたかせる。
「バルジーナ。この塔に住処を構えておる昔馴染みのポケモンでな。ワシが来る事を事前に伝えておいたお陰で、こうして迎えを寄越してくれたわけだ」
迎え、とノアはバルジーナを窺う。悪・飛行の鳥ポケモンは誰にもなびかない敵意を滲ませていた。
Nであった頃ならば、このポケモンとも心を通わせられたのだろうかと詮無い思考に身を浸す。
「バルジーナの案内に従って上るぞ。なに、それほど荒廃していないのはその昔馴染みのお陰でもあってな」
ノアが伝説を得るために来訪した時には、既にこの塔はどこか荒み切っていた事を思い返す。ともすれば、前の時間軸にはいなかった人物なのかもしれない。
だとすれば敵にも味方にもなる。ここで慎重を期すべきなのは、相手の機嫌を損ねてチェレンの蘇生をお釈迦にしてはいけないという事実。
「その……どんな人物だって言うんだ? だってよ、こんな場所人が棲むようには出来てねぇだろ」
ヴイツーの感想もさもありなん。至るところに野性が潜む塔はほとんど草むらと大差ない。
「まぁ、会えば分かるじゃろうがなかなかのう……、他人というものにあんまり関心のない奴であって、ワシでも説得出来るかは怪しい」
「えっ、じィちゃん、説得したから案内してもらってるんじゃないのかよ」
バンジロウの追及にアデクは所在なさげに首を横に振った。
「サンプルとして珍しいから連れて来い、という……まぁ人格者の発言とは言えんな」
何という事だ。そのような怪人物にチェレンを任せていいものなのだろうか。ベルが同意しないかに思われたが、車椅子を押す彼女は少しでも希望にすがりたい様子であった。
鞄をぎゅっと握り締め、それでもと口にする。
「この状況を、少しでも変えてくれる方なら……!」
今さらの事ながらベルは強いとノアは感じていた。決して絶望しないのだ。
あの時間軸でもそうであった。トウヤが英雄として成り立ち、自分を止めるために最後の戦いへと挑んだ最中――この二人は英雄にはなれなくとも勇士にはなれるとプラズマ団との戦いを買って出た。
他のジムリーダー共々、彼らは確かに勇気ある人々であったのは確かである。
「でもサンプルって……。それって研究者の方、と受け取っていいですかね」
あまりに酷い言い草である、という自分の言葉にアデクは顎鬚をさする。
「そうかもしれんなぁ……彼奴の専門分野にはワシも疎い。だが、ここイッシュにおいて、彼奴以上に、今のチェレン坊をどうこう出来る奴がおるとも思えんのだ」
それほどまでに信頼を勝ち得ている人間などいたであろうか。ノアが思案を浮かべている間にも、アデクはその老躯を物ともせず塔を上っていく。
正直、自分達のほうが辛いほどであった。どこか慣れたような足並みにバンジロウが悲鳴を漏らす。
「じィちゃん、ペース速いって」
「おお、すまんな。久しぶりに会うものだからワシも浮き足立っておる。なにぶん、連中と顔を合わせる機会はそうそうない」
「連中……? 集団だってのか?」
尋ねたヴイツーにアデクは笑みを浮かべる。
「なかなか会えん奴らであるのは確かよのう。ワシとて四人揃い踏みしたのは公の場では三回……いや、もっと少ないか」
四人。その言葉にノアは、まさかと息を呑んでいた。
あり得ない、と頭を振ったノアにヴイツーが怪訝そうにする。
「何だよ、ノア。当てがあるのか?」
「いや、まさか……。でも、四人に、それにこの場所……。条件が揃い過ぎている」
「ワケわかんねー納得するなって。オレらがバカみたいだろー」
バンジロウの声音にやはり思い過ごしか、とノアは高鳴る鼓動を鎮めようとする。刹那、声が残響した。
『あら、珍しいお客様なのですね。チャンピオン、アデク様』
どこから声が発せられたのか一切不明。しかしながら全員の鼓膜を震わせた声の主は少女のものであった。
「応よ。お主らを呼び寄せようとすると大事じゃからな。こうして慣れ親しんだこの塔を選んだわけじゃ」
『まったくもって、王は勝手と見える。いつも我々の用件など無視だ』
また別の声。今度は男の声であった。周囲へと目線を配る中、またしても声が弾ける。
『あれ? でもその子……魂が抜けていますね。そんな状態のトレーナーを連れて来て、どうするんです? ……取材のネタにもなりませんよ? 本当の大病人なんて』
漏れ聞こえてくるのは鉛筆を激しく紙に書き付ける音であった。次いで発せられたのは重々しい戦士の声音である。
『……然り。だが我が師範がわざわざこの場所を指定し、我々を呼びつけた。その理由は推し量るべきだ、貴様ら』
『わたくし達が分かっていないような言い草……ね』
『えー、あたしは分かっているつもりだけれどなぁ』
それでも何かを書き付ける音は止まない。やれやれと、別の声が対応した。
『アデク翁。バルジーナで一気に上がってもらっていいですよ。我々は準備出来ているので』
視界に大写しになったのはバルジーナの群れであった。数十匹のバルジーナはそれぞれノア達を取り囲む。
ヴイツーがにわかに戦闘姿勢に入った。
「こいつら……! 張っていたのか」
『張っていた、なんて言い草はやめて欲しいな。アデク翁の言う通りに、ただただ待っていたのみ』
『そう、ね……。貴方達風に言うのならば、わざわざ時間を取って。……わたくしは、まだ眠いのだけれど』
『師範の言う事に間違いはあるまい』
『えーっと、ちょっと待って。今思いついたネタがあるから。メモメモ……』
間違いなかった。ノアはその確信に全身から血の気が失せる。
――この四人は。
よろめいたノアの様子を悟ってか、ヴイツーが声を張り上げる。
「おい、アデクの爺さん。こいつら戦闘用のポケモンを持ってやがるのか。研究者なんて嘘っぱちじゃ……」
『嘘ではない。ここイッシュで我々よりポケモンにおいて秀でた存在はあり得ない』
『実地研究がポケモンにおける先端分野を切り拓いて来たのは事実だからねー。おっと、いけない。この伏線はここで張っておかないと』
色めき立った仲間達へとアデクは手を振り翳す。
「よさぬか、皆の衆。冒険者達が怯えておる」
諌める響きを伴った言葉にクスッと一人の声が応じた。
『イタズラも出来ないの、ね』
『からかっただけさ。年中暇なんでな』
『相手が戦士と来れば、こちらも闘争心で迎えるもの。貴君ら、戦士と見えるが』
「ワシの連れじゃよ。今は他にない。全員、バルジーナに掴まって塔の頂上へと行くぞ」
アデクの言葉一つで先ほどまでのからかいの気配が雲散霧消する。それほどまでの相手にヴイツーが食ってかかった。
「おい、爺さん。本当に大丈夫なのかよ、連中。やばそうな気配がプンプンするぜ」
「やばいかやばくないかで言えば、やばいほうに分類されるかのう。なにせ、連中は強い」
「強い、だ? ポケモントレーナーだってのか?」
「そういう分類で言えば、のう。しかし、その域に留まっているとワシから断言する事も出来ん。常に連中は先を目指している」
先って、とヴイツーの言葉が先細りになっていく。恐らく彼はこの段になってもその四人の正体に関しては分からず仕舞いだったのだろう。
あるいはこうであろうか。
会った事があるのは自分とアデクのみ。バンジロウとてあの四人に会っているとは思えない。
否、自分もプラズマ団が本拠地を支配してからのアデクとの一騎討ち。つまりは彼らとの戦闘をすっ飛ばした場外試合であったのだ。
だからこそ、彼らの実力は伝聞でのみ語られる。
故に、最弱とも。
故に、最強とも。
正体の見えぬ四人は他地方の四人よりもなお色濃い闇の中にいる。
承服しかねていたヴイツーを含め、全員がバルジーナに掴まり、頂上へと一気に飛翔した。
ベルがあまりの飛翔距離に青ざめる。しかし、それも一瞬。頂上へと辿り着いたバルジーナはよく躾けられているお陰だろう。誰一人として怪我人を出さず、全員を安全圏へと運んだ。
その挙動にバルジーナの主が口笛を鳴らす。
「ナイス、バルジーナ。さて、俺達を呼んだ理由、聞かせてもらおうか。アデク翁」
頬杖をついた男を中心に構成されたるは四人の男女。
鋭い眼差しをぎらつかせる青髪の男はバルジーナ使いであったのだろう。彼を中心にしてバルジーナが飛び立ち、円弧を描く。
もう一人の男は煉瓦の作り出す陰影に腰を下ろしていた。筋骨隆々のその姿、立ち振る舞いには一切の隙がない。
ある意味では対極にある二人に挟まれる形で、二人の少女がこちらを見据える。
一人は寝間着を着込んだ、今にも眠りこけそうな少女であった。欠伸をかみ殺し、少女は問いかける。
「わたくし……普段ならば眠っているところ、よ。だっていうのに」
「あたしは締め切り前ですからっ。アデク様の直々の用事じゃなければ飛んでくる事も許されなかったですし、都合はいいですけれどね。……と、ここでこのキャラにこの台詞。ふーっ、決まった」
会心の笑みを浮かべるのはおかっぱ頭に眼鏡の少女であった。必死に原稿と向かい合っており、その一瞥をこちらにくれては筆を休める事がない。
その四人が揃っている意味を理解出来るのは、この場において二人のみ。
ノアは絶句していた。アデクは、というと読めない笑みを浮かべている。
「久しいな、お主ら。どこぞ、怠っておる事はあるまいか」
「怠っている? アデク翁、笑わせてくれるな、あんたは。俺達が怠れば、それこそイッシュは壊滅だ」
「左様。師範ともあろう方が、少しばかり冗談が過ぎると見える」
二人の男は対照的な反応であった。青髪の男はトランプを手にシャッフルしている。力の塊のようなもう一人は拳を固めて鋭い眼差しを注いでいた。
その目つきにヴイツーがたじろぐ。
「……おい、爺さん。連中、何者だよ? 隙ってもんが一切ねぇぞ。話し方は、……言っちゃ悪いが馬鹿みたいに間抜けなのに、仕掛ければ首を取られる。それがこうも体感で分かるってのは……」
ヴイツーの評にアデクは顎を撫でた。
「やはり、実力者となれば分かるか。そう。彼奴らこそ、このイッシュにおいて最強の四人。決して欠けず、折れず、倒れず、ましてその力、一瞬にして緩む事なし。約束するは、この地の安寧」
「それも、破られつつある。我々だけの仕事ではあるまい。師範」
「アデク翁。あんたも込みで、だろう?」
口角を吊り上げた男にアデクも笑って見せた。こちらへと振り返り、アデクは言ってのける。
「名乗りが遅れたな。我々は――イッシュ四天王。このイッシュにおいて最強の名を授かった者達である」
ヴイツーが唖然とする。バンジロウも開いた口が塞がらないようであった。ベルは、というと息を詰めている。
ノアだけが拳を握り締めていた。
自分が戦うはずであった相手。イッシュ最強の四人。それが全員、揃い踏みとなれば、警戒しないほうがおかしい。
「……あなた方が、イッシュ最強の……」
次ぎかけたノアの言葉をヴイツーが遮った。
「なるほどな。アデクの爺さんが呼べる、最強の駒ってわけかよ。そりゃ、理解も出来るぜ」
「理解? おいおい、可笑しな事を言うな、君は」
度し難い、とでも言うように頭を振ったのは青髪の男であった。すっと掲げられた指先一つでヴイツーが硬直する。
額から顎先に伝った汗がそのプレッシャーを予感させていた。
一歩も動けないのか、唐突な全身の筋肉の軋みに彼は呻く。
「こいつぁ……」
「よく出来ている。実力者だな、それなりの。出来ていないのならば、ここで俺に猪突している」
そうさせないように仕向けられているのは明らか。上空に展開したバルジーナの群れは愚鈍な人間を抹殺出来るようにこちらを睥睨する。
「……あんたらが強いのは、分かった。じィちゃんがこうも言ったんだからな。でもよ、それとチェレンを助けられるかどうかは、別じゃないのか?」
バンジロウはやはり恐れ知らずと言うべきか、このプレッシャーの只中であっても己の言うべき事を曲げない。さすがは王の血筋か。
ノアは、というと圧倒されっ放しであった。一歩たりとも動けない。考えなしに動けばすぐにでも蹂躙の攻撃が殺到するであろう。
陰の王と、表の王では、やはり格が違うのだ。その格を理解せぬまま、アデクを倒した己はやはり、一線級であったのだろう。
青髪の男がノアを目にして眉をひそめる。
「……その青年」
「同行者じゃよ。トレーナー初心者の」
制したアデクの声音に彼は納得したようであった。
「ああ、そうか。てっきり……」
てっきり、何なのだろう。プラズマ団の指導者として自分はマークされているのだろうか。だとすればここで殺されるべきは自分のみだ。
アデクはしかし、四天王の勝手を許すような眼をしていなかった。平時の好々爺のアデクが嘘のようにここでは研ぎ澄まされた刃が顕現している。
これが王。
これが地方を統べる、という事。
単純な支配に留まらない。民草を守り、反逆を抑圧する。そのための力の誇示。彼ら四人はそれが充分なほど出来ていた。
一人でも恐らくはプラズマ団、第一級構成員よりも数倍上の領域。それが四人集まっているとなればヴイツーほどの人間でも矛を収めざるを得ない。
「……で、こんな弩級の連中捕まえて、何をするって言うんだ。アデクの爺さ……いや、チャンピオン」
訂正せねばならぬほどに、この者達は別次元であった。通常のトレーナーならば眼前に立つだけで足が竦み上がる。
この場で口が開けているだけでも立派、と青髪の男が乾いた拍手をした。
「聞いているはずだけれどね。アデク翁。蘇生だって? しかも同調の域に達した、ポケモン側に意識を引っ張られた人間の?」
アデクの隣へと降り立った男の声音にふんと鼻を鳴らす。
「間違いないの」
「無理だ」
簡潔な一言はその場にいた人間達をざわつかせた。
「おい、無理って……! 何言ってるんだよ! ここまで来たら出来るってじィちゃんは――」
「バンジロウ、だったな。アデク翁の孫とは言え、ここではタメ口を利かせてもらおう。何だ? 一言では足りなかったか? 無理なものは、無理、だ」
二の句を継ごうとしてバンジロウは言葉に窮しているようであった。それを救ったのはヴイツーである。
「あんたらがどんだけ強いのかは、分かっているつもりだ。おれも、バンジロウもな。だからこそ解せねぇ。てめぇら、何で出来もしないのに、こんなところに雁首揃えた?」
その語調に、ほう、と青髪の男が感嘆する。
「言える奴もいるじゃないか。アデク翁、無駄な旅路ではなかった様子」
「そうともな。言えなくては困る」
「我が師範は我らを呼びつけた。その一事が、よもや死に体の子供を救う、そのためだけだと思ったか?」
射る光を伴わせた言葉にヴイツーもたじろいだ。
「だ、だってよ……そうじゃなきゃおかしいだろうが! 暇だってだけで四天王が集まるってのかよ!」
「逆に聞こう。俺達四天王が、そのためだけに、集まるほどのお人好しとでも?」
それは、と返事を彷徨わせたヴイツーに眠りこけそうな少女が言葉を継ぐ。
「わたくし達は、イッシュの守りを司る者達。平時に召集がかかるのは、あまりに危険なほどに研ぎ澄まされたトレーナー。でも、チャンピオンからの釈明は、あるのよね?」
「なきゃ困りますよ。あたし、担当編集から早目に原稿上げるのを人質に取られているんですからねっ。はい、これは昨日の〆切だったエッセイ。バルジーナで輸送してください」
「おいおい、シキミ嬢。俺のバルジーナは郵便屋じゃないぞ」
気安い笑みを浮かべたシキミというらしい眼鏡少女は、くいっと手招く。それだけで他人のポケモンのはずのバルジーナが引き寄せられた。
否、今の一動作だけで他者のポケモンが言う事を聞いたのだ。それだけで相当な実力の拮抗であったのだと窺わせる。
バルジーナの足に原稿を引っ掴ませ、シキミは一匹のバルジーナを見送らせた。
青髪の男は舌打ちする。
「……これじゃ形無しだろうに」
その言葉にシキミはペン先で抗議した。
「怖がらせてどうするんですかっ! あたし達はあくまでも友好的にっ、チャンピオンの頼み事を聞くはずでしょう? だって言うのにイジワルですねっ、ギーマ殿は」
ギーマと呼ばれた青髪の男は前髪をかき上げて長く息をつく。
「形式上、俺達が何の見返りもなく、彼らに加担するのは美しくなくってね。それに、国防を司る四人だ。それなりの非常時、と思ってもらわなければ示しがつかないだろう?」
「わたくしは、国防なんてむずかしい事……」
欠伸を噛み殺し、今にも眠りこけそうな少女に、先ほどからのプレッシャーは無意味と判じたのか、ギーマが指を鳴らす。
それだけで緊張状態が解かれた。あまりの突拍子もなさにヴイツーはよろめく。
「何だって……」
「プライドってのが一応はあるんでね。アデク翁直々の命令とは言え、癪だっただけさ。子供一人を救うのに、四天王の面々が顔を突き合わせる。その異常さくらいは分かってもらいたくってね」
「我は、最初からこのやり方はスマートではなかったと言っている」
ため息をついたもう一人の男にギーマはやれやれと額に手をやる。
「カタブツだな……。まぁ、アデク翁の一番弟子。その辺りは折り紙つきか」
「いずれにせよ、あたし達のやるべき事って決まっているんじゃないですかねっ。はい、これは明後日の原稿っ」
〆切前の修羅場を駆け抜けるシキミにギーマは頭を振った。
「格好もつかないな。アデク翁、その少年を救えばいいのだったな」
一転した論調にヴイツーが反論する。
「今しがた、無理って……」
「それは通常の話だ。俺達は医者じゃないし、医者もさじを投げたって言う。だったら、荒療治しかない。俺達流の、言ってしまえばポケモンのエキスパートが編み出す、最良の道筋を」
「荒療治……。おい、下手な真似は」
「しないですよ、アブナイ事なんて。あたし達、そうじゃなくても警戒されていますよ、ギーマ殿」
シキミの指摘にギーマは哄笑を上げた。仰いだ曇天を茶褐色の翼が引き裂く。
「こりゃ、無理だな。四天王の面子、ってもんは保てそうにない。まぁ、この一癖も二癖もある連中を纏め上げるのがあんただって言えば、大概のトレーナーは縮み上がるかな?」
覗き込んだギーマにアデクはフッと笑みを浮かべる。
「怖がらせるな、ギーマ。貴様ら、何もただの慈善事業で集まったわけではない。それはワシが保証する」
「分かっているじゃないか。そうだとも。俺達は慈善事業で他人を助けない。……助かるとすれば、助かった、という結果があるだけの事。周知のはず。プラズマ団だ」
放たれたその語句に固まったのはノアとヴイツーであった。先ほどから一言も発せられていないノアはやはりという感触に拳を握り締める。
ここで四天王が動くのは自分の時間軸の愚を冒さぬため。つまるところ、アデクは自分の話を信じ、プラズマ団を特一級の対象と断じた。その結果が四天王の非常召集。それも国家に気取られぬよう、このような場所を見繕って。
アデクは思ったよりもずっと計画的だ。自分の話を信じ、チェレン達が実際に危ない目に遭えば自らの責任を問い質してでもこのような形を作り出す。四天王によるプラズマ団の排斥。その前準備。
だが、それにしては、彼らの面持ちに漂っているのはどこか一枚岩ではない思想であった。
「プラズマ団がどうかしたかよ! まさか、天下のツエー連中が恐れを成したってのか!」
ここで声を張り上げられるバンジロウの豪胆さもさる事ながら、その指摘に笑みを浮かべてみせた四天王の懐の深さも恐るべきだ。
「強い奴だと、改めて言われると喜びが勝る。特にアデク翁の孫となれば。将来が楽しみだな」
「現状でも充分に強い。だがその強さ、その強靭さ、脆さと紙一重なり」
そう断じた男の目線の鋭さにバンジロウがたじろぐ。その眼差しを遮るようにヴイツーが前に出た。
「……ガキに使っていい眼じゃねぇな」
「強者とやれるのならば、年齢など。瑣末なものよ」
「戦闘狂が……! つーか、てめぇら! マジにチェレンを救うつもりはねぇってのか! 本当に、プラズマ団をぶちのめすついでだって言うのか!」
問い質したヴイツーに対し、ギーマの声音はあまりに冷徹であった。
「他に何がある。子供一人の命と国家の存亡。秤にかけるまでもない。アデク翁、もうろくしたわけではないのならば彼に言ってやるといい。この集いは何も、伊達や酔狂で行ったわけではないのだと。我々が集まるという事は、それ即ち国防の危機。まさかそれが分からぬほどの愚者を立てて、仲間だと擁護するか?」
ギーマの論調にアデクはヴイツーへと視線を投げる。その眼差しは今までのものとは一線を画していた。王者の持つ怜悧さと刃の鋭さにヴイツーが言葉を区切らせる。
「爺さん……あんた……」
「無論。我々四天王が集う意味、忘れるほどワシはおめでたくもない。ギーマ、お主の言う通りだとも。タワーオブへヴンならば時間を立てられる。ワシの領域じゃからな。だからこそ、ここに宣言せねばなるまい。イッシュを闇で覆おうとする一味、プラズマ団。その集団との全面戦争を」
待っていました、とばかりにギーマが笑みを形作る。もう一人の男が拳を固めて視線を落とした。
少女が欠伸をし、シキミは先ほどから書き上げている原稿に余念がない。全員がてんでバラバラのようでいて、王であるアデクの決定には誰も異を挟まない。
全てが御意、というように全員が沈黙する。
「しかし、馬鹿な集団もいたもんだな。俺達とやろうっていうのか。戦争を」
「然り。連中、命がよほど要らぬと見える」
この二人だけでもプラズマ団を壊滅させかねない。さらに加えるのならば、二人の少女もであった。
「あたし、これ以上原稿ペースアップしたら死んじゃうかも……。やるのならすぐに取りかかりたいんですけれど。四天王兼、ライターなんて暇がないったら」
「わたくしも、よ。ギーマ……やるのならすぐにやりましょう。……後々放っておくのは面倒だから、ね」
「急かすなよ、シキミ嬢、それにカトレア。どうせ俺達がやるんだ。結論はすべからく、そう、何もかも分かり切っている事」
ギーマの言い草にヴイツーが思わずと言った様子で反論した。
「ちょっ、ちょっと待てよ、あんたら! 戦争、だって? そんなもん起こしたら、イッシュが!」
「イッシュが崩壊する、とでも? それこそ愚考というものだよ。もう崩壊しているも同然。我々四天王、下界の事とは言え、今世間がどうなっているのか、知らぬわけがあるまい」
威容を持って言い返した男にヴイツーは言葉を彷徨わせた。あまりにもその男、纏っている空気が段違いだ。アデクの事を師範と呼ぶ辺り、その強さの片鱗を窺わせる。
「し、知っているって言うんならなおさらだ。てめぇら、まさか下々の民の事は関係なしに、戦争をおっ始めようって言うのか?」
「いけないかな? 俺達が国防の矢面に立つ、と自ら言ってのけた。これは糾弾されるような事とでも?」
うろたえるヴイツーに比してバンジロウが声を張り上げた。
「おかしいじゃんか! だって戦争だぜ、戦争! んなもん起こして、誰が得をするって言うんだ!」
「おや、アデク翁。お孫さんの教育がなっていないのかな。それとも、これは生来の性か? 戦争イコール悪とでも? いや、悪で済むのならば我々は喜んでその汚名を被るが」
ギーマの試すような物言いにバンジロウは歯噛みする。
「全部、大人の都合だって言いたいんだよ! 何で、チェレンを蘇らせるためにここに来たって言うのに、戦争って話になるんだ!」
バンジロウは真っ直ぐだ。真っ直ぐがゆえに、これが事態を好転させるための大きなうねりである事を容認出来ない。
「……アデク翁。少しいいか? どういう教育方針をしたのかは知らないが、放逐し過ぎだな。まさかポケモントレーナー同士、目と目が合ったらポケモンバトル、という図式しか知らぬ、そういうおめでたい脳をしているのか?」
いつの間に繰り出されていたのか、メラルバの熱線がギーマへと襲いかかる。ギーマはしかし、少し身体を逸らせただけでそれを回避した。
まさか、視えているのか、と震撼する前に彼は言葉を継ぐ。
「……今一度、問おう。王者、アデク。もっと分かりやすい言葉でな。こんな人間では、いざという時、何も守れやしない。どういう育てをしたんだ、と」
「じィちゃんをバカにすんな!」
メラルバが飛びかかりギーマの操るバルジーナともつれ合う。今までのメラルバの戦歴を知っていれば、タイプ相性などほとんど意味を成さないと感じていたが、眼前で展開されたのはもっと一方的な戦闘であった。
バルジーナがメラルバを鉤爪で引き剥がし、距離を取った刹那、その白い体躯へと翼による一撃が見舞われた。
メラルバが昏倒する。
脳震とう、否、今の一撃のみで全身を強く打撃された。
メラルバは頭蓋のみならず、節足の末端まで麻痺した状態にあった。たったの一撃でそこまで持ってきた相手にノアは驚愕する。
――これがイッシュ四天王。これがいずれ戦うべき、敵。