第83楽章「月夜のピエレット」
査問会には本来、自分達のような身分が召喚されるはずがない。
そう思い込んでいるかのような面持ちの三人がヴィオの前で沈黙を貫いていた。
ヴィオは忌々しげにその外套姿を張り倒したくなる衝動に駆られる。
プラズマ団の陰の部分を支配する三人、ダークトリニティ。その彼らを模して作ったのが所詮は自分の児戯。ダークエコーズなのだと否が応でも思い知らされるからだ。
「ダークトリニティよ。貴君らを呼んだのは何も詰問のためではない」
彼らは余計な言葉を発しない。ゲーチスのために生き、プラズマ団のためならば喜んで汚名を着る連中だ。
その忠義心を利用し、細胞サンプルを得たヴィオはNのサンプルと合成し、自らの手駒、ダークエコーズを得た。
しかし、その三人がどれほどの失敗作であったのかを、今、本物を目にしてまざまざと見せ付けられる。
ダークトリニティの実力など、マユツバに過ぎない。組織は彼らに過剰に期待しているだけだ。
そう判断した過去の己を恥じ入るばかりである。
ダークトリニティが七賢人の前に出るに当たって一番に命じられたのは手持ちポケモンの提示である。
手持ちが知れぬままでは不利だと思っているノミの心臓が自分以外にもいるらしい。
彼らのお陰でダークトリニティの実力が知れたものの、その手持ちに全員が慄き、剣を呑んだかのように沈黙する。
ここイッシュに住まう人間が知らぬわけがない。
加えて七賢人は高次の身分に相当する。伝承であれ、彼らの耳には三体の剣士のポケモンと言えば理解出来るはずだ。
かつて、人がポケモンの住まう領域を冒し、その結果として逃げ惑うポケモン達を救ったとされる陰の英雄の物語がある。
それぞれ、コバルオン、テラキオン、ビリジオン――。
一般には知られていないものの、古来の伝説に詳しい者ならば、誰もがそらんじている。
この三体はポケモンに味方し、仇なす人間を裁いた。
イッシュにおいて英雄伝説の次に重要度が高いとされる説話のポケモン達を所持する三人を、七賢人達は歓迎する事は出来なかった。
ポケモンに味方し、人を裁く権利を持つポケモン。
それは自分達、権限に寄りかかる七賢人という存在において最大の毒だ。
当然、誰しも理解していた上での静寂であったが、それを破ったのはヴィオであった。
ダークトリニティの召喚をここで提言したのは自分。立場が危ういからと言って何も言わないわけにはいかない。
「さ、三銃士のポケモンとは。恐れ入りましたな」
上ずった声に数人は同調の失笑を上げた。
「さ、左様。まさかそれほどまでのポケモンの所有者とは」
「さすがはゲーチス様の直属。物が違う」
ここで褒め称えたところで誰が得をするわけでもない。ゲーチスがいるわけでもないのに、その顔色を窺う三下達の演技を彼らは黙って見ているわけでもなかった。
「七賢人の皆さま、ご覧の通り、我らの所持ポケモンはこの三体。何か異論でも?」
あるはずがない。視線を配ったヴィオに一人だけ、抗弁を発した人間がいた。
七賢人の代表者は重々しく口を開く。
「して、どこでそのポケモンを手に入れた」
誰もが聞き出したい秘密であった。ゲーチスの守りを崩そうと思えば当たり前の質問であったが、それは同時にゲーチスへの叛意を意味している。
「……我々の行いに不満でも?」
顔色には出さないが、ダークトリニティは各々、ゲーチスの騎士という矜持を持っている。それを穢されれば面白いはずもない。
「否、我々は七賢人。七人にして、一人の総体なり。その上で詰問させてもらう。そのようなポケモンの所持は過剰防衛に当たるのでは?」
――馬鹿な、取り消せ。
代表者以外の七賢人は戦々恐々であるのに対し、当人であるところのダークトリニティと代表者だけはどこか冷静であった。
「ゲーチス様の護りがこれでは駄目でしょうか」
「よく存じている。三銃士のポケモン。あまりに強力なため、その出自を完全に抹消されている三体だ。それをどこで、如何にして手に入れたのか」
首筋に嫌な汗が伝う。代表者の質問は七賢人全体の首を絞めているに等しい。
だが、誰もやめろとは言えないのは、やはり保身からか。
ここで口を開く事を許されているのは、権力などどこ吹く風のダークトリニティと、全ての権限を持つのと同じ、代表者のみ。
自分達はただ、飛び火が恐ろしくて口を挟む事すら出来ない。
鉛を呑んだように黙りこくる七賢人はここで空気を変えてみせる生贄を欲していた。
誰でもいい。誰かこの議論をやめさせろ。そうでなければ――。
ゲーチスへの反逆は即ち、断罪へと繋がる。
弾劾裁判の再現はうんざりであった。
ヴィオが渇いた喉から言葉を発しようとした、その時である。
「美しい森がありました。とても美しい、森が」
語り始めたのはダークトリニティの一人である。テラキオンを所持する彼はどこか歌うように、その言葉を紡ぐ。
「美しい森には清らかな水が流れ、ポケモンは安らかに過ごし、何人たりとも、その聖域を侵す事は出来なかった。そこは、ポケモンが護るポケモンのための最後の楽園。古より続く最大のパンドラの箱であったのです」
「しかし、パンドラの箱は開かれた」
どこか得心したような代表者の声音にダークトリニティは首肯する。
「あなた方がN様という求心力を得たように、我々もまた役割を得た。ゲーチス様を護り、N様と女神を護る。その役割が。人は皆、生まれながらに役割に生きているのです。それが無自覚にせよ、自覚的にせよ。それを知らぬ者に、明日は訪れない」
まるで自分達を断罪するような口調であった。七賢人は黙りこくるしかない。
「我らの役割は闇に生き、闇に死ぬ事。プラズマ団の明日のために、闇を纏う事に何ら躊躇いはない。血で贖われた道ならば進む覚悟も」
「質問がある。その森は美しいのであったな。では、今は? その森はどうなった?」
代表者の命知らずな言葉繰りにヴィオは今にもやめてくれと叫び出したくなった。
ここで死ぬ事はあるまい。ここで、要らぬ事を追及して命を縮める必要も。
誰かが言い出そうとしたその一言は、結局誰の喉を震わせる事もなかった。
ダークトリニティはただただ、寂しげに呟く。
「もう、その森はこの世には……」
それだけが、ただ一つの真実のようであった。美しい森は、もうこの世にはない。同時に、この世界に守るに値するものなど、最早存在しない、とでも言うように。
濁した先を代表者は慮った。
「……分かった。貴君らを緊急招集した無礼を詫びたい」
ゲーチスへの叛意はない、という証明の一言であった。ダークトリニティは気にしたわけでもない。恭しく頭を垂れ、膝さえも折る。
「我らはプラズマ団の影。心得ております」
「しかし、疑問は。一つだけ」
踵を返そうとしたダークトリニティを代表者が呼びとめる。まだ何かあるのか、と戦々恐々の六人に対し、放たれた言葉はあまりに意想外であった。
「もう、森は戻ってこないのか」
質問とも、独白とも取れぬ語調。その一言に込められたものを、全員がはかりかねていたが、三人の影だけは了承を得たかのように応じていた。
「森は、我らの心の中に。プラズマ団の理想が体現された時こそ、その森は復活するのです。今は、心の中だけで。それでいい」
ヴィオにはその答えが理解出来なかったが、代表者はそれで満足したようだ。
「つまらない用事で引き止めて悪かった」
「我々も、情報開示があまりにも乏しかったのもあります。納得をいただけたようで何より」
この場を後にしかけたダークトリニティに、ヴィオは声を振り絞っていた。
「待て! お前ら、何も決していないぞ! ゲーチス様の護りをする理由は何だ? そこまで七賢人を軽視しておいて、何故、ゲーチス様には仕える?」
それだけがどうしても解せない。しかしダークトリニティは当たり前のように振り返り、その眼差しに殺気を篭らせた。
ヴィオが覚えず硬直する。
「……言葉には、お気をつけになったほうがよろしいかと。我々はゲーチス様に助けられた。ゲーチス様に救われ、今がある。それでは不満ですか?」
及び腰になりながらも、ヴィオは詰問する。
「だ、だが、それがどうして、七賢人に対する態度と、ゲーチス様に対する態度の違いになるのだ! 手持ちも隠し、知った風な口を利く。その理由を聞かせてもらうまで、ここを退く事は許さんぞ」
「ヴィオ候、その辺にしておいたほうがよろしい。彼らに我々の思惑など通用しない」
代表者の言葉にヴィオは声を張り上げていた。
「何故です! 馬鹿にされているのですよ? 七賢人にまるで意義がないかのように。これでは我々のほうが張りぼての扱いです!」
Nに押し付けようとしていた役割が、その実自分達のような人間であった、と言われれば腹立たしくもなる。しかし、代表者は追及をよしとしなかった。
「もういいと言っている。ヴィオ候、誰しも知られたくない事はある。一つや二つは、そうであろう」
代表者の眼光にヴィオはたじろいだ。どうして、と声を振り向けようとしてダークトリニティの一人がこちらに言いやる。
「もう、いいですか?」
その一言がヴィオにとっては屈辱であった。代表者とは対等に話すくせに、自分とは対等以下だというのか。
「貴様……! わたしは七賢人のヴィオだぞ! 口の利き方が……」
「その程度、今さら詳らかにするまでもない事。あなたは何を求めているのです? 我々を召集し、手持ちを明らかにさせ、七賢人内で弾劾しようとでも? その目論見、全くの見当違いと言うほかない」
「見当違い、だと」
「我々がここにいるのは、ゲーチス様とN様、それに二人の女神のため。それだけです。七賢人のあなた方に義理立てするためではない」
こうもはっきりと、七賢人に意味がないと言われればヴィオは怒りを通り越して唖然とした。
発しかけた怒声を、代表者が遮る。
「すまないな。このような些事に」
「いえ、誤解を解く事は必要な事。七賢人の皆さま、決して、我々はあなた方を軽んじているわけではない。ただ、優先度が違うのです。ゲーチス様には恩義がある。一生かかっても返し切れないほどの恩義が。それを果たすまで死ねないのです。どうかご理解のほどを」
自分達の命令では死ねないが、ゲーチスの前では死ねるというのか。その意味するところに他の七賢人からも反発が上がった。
「聞き分けられないな、ダークトリニティ。貴君ら、ここまでの働き、自分達だけのものだと思っているのではないか」
「七賢人はゲーチス様と肩を並べられる権限の持ち主。それを軽視する発言はいただけない。貴君らに問う。どこまで、馬鹿にすれば気が済むのか」
自分の味方になる発言にヴィオは口角を吊り上げる。ここでイカれているのは連中であって、自分達ではない。
浮き彫りになった差にダークトリニティの一人が嘆息をついた。
「……ここまで、理想の差があったとは思いもしない」
歩み出たのはテラキオンを使用するダークトリニティだ。照明に照らし出されたその影に、控えろ、と声が飛んだ。
「七賢人の御前であるぞ!」
「貴君、弁えんか!」
「弁える? 御前? 何を言っている。貴様らは所詮、傀儡よ。ゲーチス様にとっては無論、N様にも劣る衆愚が。ここでハッキリさせてやろうか。プラズマ団に必要なものが何なのか。白と黒を、この場で、浮き彫りにしてやろうか」
ダークトリニティがテラキオンのボールを掲げる。その行動に七賢人から非難の声が上がった。
「ここでテラキオンは出せまい! ボールは許可がない限り開閉出来ない磁場が働いている!」
「いくら強いポケモンを持っていても、許可の下りないポケモンは使えない寸法よ!」
いくらでもこちらに分がある。そう信じ込んでいた六人に、ダークトリニティは今までの比ではない冷たい声音を発していた。
「許可、だと? そのようなものが発動すると、思っているのか?」
途端、机上にあった磁場コントロールのコンソールがエラーに塗り変わった。赤色の表示に全員が色めき立つ。
「……何をした? まさか、ハッキング……」
「そのような事をするまでもなく、これは事象の改変のみ。いや、貴様らにはこの言葉を聞かせてやる事さえも惜しい。テラキオン、この命知らず共を全員、踏み潰――」
その声が上がる前に二人のダークトリニティがテラキオン使いを取り押さえていた。あまりの速度に全員がついて来られなかったほどだ。
コバルオンとビリジオンの使い手がテラキオン使いを完全に封殺している。その動作の一端でさえも迷いは感じられない。
「……ご無礼を」
コバルオン使いの言葉でようやく殺意が凪いで行った。しかし、七賢人は全員が鉛を呑んだように黙りこくるのみである。
――今、ともすれば殺されていた?
首筋をさすったヴィオはテラキオン使いを見下ろしたまま、暫し動けなかったほどだ。
コバルオン使いとビリジオン使いがテラキオン使いを刹那の間に気絶させ、その身を肩に担ぐ。
「我らの落ち度です。あまりに軽率が過ぎました。しかしながら、ゲーチス様、翻って我らへの妙な興味は感心しません。我らは所詮、影。影を普段、見る事はないはずです。意識する事はないでしょう。あなた方には」
つかつかと足音を立ててこの場を後にするコバルオン使いに、その気配が完全に消えてからも発言するのには勇気が言った。
「……ヴィオ候。誰しも看過出来ない、心の波、というものがある。それに触れれば、たちまち牙を剥かれてもおかしくはない」
代表者の諌める声でようやく、ヴィオは我に帰る事が出来た。
「し、しかし七賢人を軽んじる発言は……」
「ヴィオ候、間違えるな、と言っている。優先順位だ。彼らの言うように、我々は所詮、ゲーチス様の一強にならぬよう、配置されたスポンサーの頭。プラズマ団を実質的に支配していると言っても、力があるわけではないのだ。テラキオンを使うダークトリニティ。彼に迷いはあったか?」
ヴィオは思い出すなり怖気が走った。彼の眼には殺意以外なかった。
「あれ、は……」
「そういう存在なのだ。彼らは必要悪。それをわざわざ問い質すというのは命知らず、と言われても何ら言い返せまい。命を賭してきた者達に言える事などたかが知れているのだ。しかもヴィオ候、貴君は彼らのコピーを生み出した。恐らくは許せない大罪人であろう。それを紙一重とは言え、許しているこの状況でさえも、異常なのだ」
自分達は彼らの領分を侵した侵犯者。それをわざわざ目の前にして噛み付かないのは彼らの理性が保たれているからだ。
その理性のたがが外れれば、いつとて殺されてもおかしくはない。
「し、しかしわたしは……」
「女神の件、一端は預けよう。ただ、彼らの手にかかれば、そのようなものは意味がない。そう感じたが」
間違いではないのだろう。ダークトリニティに命令すれば、彼らはすぐにでも自分の立場を脅かす。女神の一件とて虚偽だと見抜かれれば、危ういのは自分のほうだ。
ダークトリニティには手を出せない。畢竟、それが明らかになる形となった。
「……しかしながら、まさか三銃士のポケモンだとは。彼らは一体、何者なのですか」
他の賢人の発言に代表者は一拍置いてから応じる。
「そうだな……必要悪であり、なおかつ、彼らはプラズマ団を護る騎士だ。真に誇り高いとは彼らの事を言うのだろう。名声を求めず、見返りもなく、ただただ汚名を着せられるのみであっても、決して表舞台には出ようとはしない。恐ろしいほどの理性でプラズマ団の未来を見据える。監視しているのはその実、彼らのほうであるのかもしれないな」
答えになってはいなかったが、誰も追求はしなかった。誰もが首の皮一枚で繋がった命にただただ安堵するしかなかった。