FERMATA








小説トップ
七章 影の黙示録
第99楽章「天体瑠璃星万華鏡」

 圧倒的であった。

 ここまでの旅路が全て、無駄であったとさえ思えるほどに。

 倒れ伏したバンジロウが立ち上がろうとして、転移してきたウツロイドが擬似重力を生み出し、その小さな身体を叩き潰そうとする。

 飛び込んできたのはヴイツーであった。重力の投網にかけられたヴイツーの腕がひしゃげ、血が迸る。

 彼ら二人も、その相棒であるポケモンも、この場において発言権などないに等しかった。

 当然だ。

 既に瀕死を超え、二体は極限状態の中、息を切らしつつもウツロイドへと攻撃を見舞う。

 ニーアが指を鳴らした。

 ウツロイドがメラルバとエンブオーの間を行き交う。それだけで裂傷が巻き起こり、二体が血の海に沈んだ。

 ベルが眼前の現実に言葉を失っている。

 自分も、何一つ余計な事に気は割けない。内側から咆哮し、ケルディオが呼応して跳ね上がる。

 何度目か分からない抵抗。蹄が割れ、角には亀裂が走っていた。

 ふんと鼻を鳴らし、ニーアは心底呆れ返ったように口にする。

「そんなに死にたいのか。ここまで来たんだから、もう少しマシかと思っていたが、見込み違いだったな」

 弾き返されたケルディオの聖剣から黒白の煌きが失せていく。最早、技を放つような余裕も存在しない。

 悪足掻きに等しいこちらを他所に、ニーアは肩を竦める。

「ウツロイドには勝てない。当然だろう? そちらはポケットモンスター、こちらは超獣だ。相手が違う」

 ノアは歯噛みしつつ、身体に突き立った破片を引き抜く。ウツロイドが発生させる辻風に混じって細かい岩石の散弾が撒き散らかされた。

 そこまでは意識がはっきりした戦いであった。

 だがそこからは地獄の様相を呈している。

 ベル以外の三人は手傷を負い、ポケモン達は無様なほどに痛めつけられた。

 ケルディオ、エンブオー、メラルバはもう戦えるような状態ではない。それでも立ち向かわなければ、ここまでやってきた意味がない。

 四天王の助力を乞わず、ここで踏み止まった意地も消え失せる。最後の最後まで、と奥歯を噛み締めたノアは、不意に接近していたウツロイドの触手を打ち込まれた。

 腹腔へと瞬時の打撃。

 呼吸さえも儘ならなくなる。血反吐を吐きつつ、ノアはその場に倒れる。

 ――立たなければ、と感情だけが先走って身体がついてこない。ケルディオに意識を飛ばそうとしても、まるで集中力が持たなかった。

「詰み、だ。ここまでしてやって、まぁ、凌いだほうか、そこの二人は。だが
お前に関しては拍子抜けだったぞ。ボク」

 侮蔑の視線を振り向けられて、ノアは抗弁を発しようとする。それも喉から出る前に霧散してしまった。

 力が入らない。ウツロイドの一撃に神経毒でも含まれていたのか、全身が麻痺していた。

「最初は、思考実験であった。だが、それが大いなる意味を見出すのだと、それを知った時、人はどう行動する? 些細な、ほんの些細なままごとが、後々意味を成すのだと知った時、お前はどう生きようとする?」

「何の……話だ、てめぇ……」

 立ち上がりかけたヴイツーの背筋へと岩石の刃が突き刺さった。断末魔の声が響き渡る中、バンジロウが慟哭する。

「あんちゃん! お前、プラズマ団! 許さないぞ! こんなところで、オレ達は――!」

「喧しいんだよ」

 迸りかけた叫びをニーアは一瞥と共に投げつけた岩の刃で封じていた。バンジロウの額へと刃が突き刺さる。

 ベルが泣き叫んだ。バンジロウの額からは止め処なく血が溢れ出す。

 獣のように咆哮しようとしたが、やはりというべきか力が入らない。ケルディオに命令しようとしても、その声さえも自由ではない。

「鬱陶しいだけで、弱者というのはよく吼える。それも最悪の形で。バンジロウ、それにボクを真似たデッドコピー。それと……ベル、か。役者は揃っているとは言えないな。チェレンは賢明な判断をした。ここでボクと戦うなど、それこそ命のすり減らしでしかない。強くなる事に迷いを持たなくなったのならば、四天王と共に次の戦場を目指したほうが意味のある事だろう」

 ノアは歯噛みして、ケルディオへと思惟を飛ばそうとする。だがどれだけ足掻いても、ケルディオへの攻撃命令は成されなかった。

 ポケモンも限界、トレーナーも限界。このような状態で何が出来るというのだろう。

 ウツロイドには傷一つない。半透明の躯体は戦いを繰り広げてなお、艶めいてさえ映る。

「この時間軸でウツロイドに勝てるポケモンは存在しない。ボクはキミよりも後の時代から来たNだ。だから、この世界ではウツロイドを物理的に消し去る手段は全く、一つとしてないだろう。……あるとすればメガシンカか。だがメガシンカはこれから先の概念。四天王相当でもない限り、使用は控えられているはず」

 ニーアがゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。死の足音に、ノアは必死に身を立ち上がらせようともがいた。

 相手の靴先がノアの横っ面を蹴りつける。砂利と血が口中で入り混じった。

 咳き込むノアへとニーアは落胆の眼差しを向ける。

「……ここまで弱っているなんて。この時間軸に来た時点で、ボクらは奪われる。例えば、それは片目の視力であったり、断片的な身体能力であったりする。だがキミは一番のようだ。全ての能力を失った! プラズマ団の張りぼての王!」

 哄笑が漏れ聞こえる。聴覚にも異常が達したのか、切れ切れにしか声が拾えなくなっていた。

 ベルが目を戦慄かせる。

「ノアさんが……プラズマ団の……」

「ああ、この時間軸なら知らないか。そうだ! こいつこそが! プラズマ団を率い、ポケモン解放などという世迷言を謳い文句に人々を混迷の渦に巻き込んだ、その元凶だ!」

 ベルの瞳が見開かれ、涙が頬を伝い落ちる。

「うそ、ですよね……。だって、あたし達……プラズマ団の好きにはさせないって……」

「信じたか? だが、現実はこの通りだ。ウツロイド一体にも勝てず、こうして地を這い蹲る。いい事を教えてやろう。ボクは何も奪われていない。いや、ボクのいた時期に関して言えば、もうその必要はなくなった」

 その物言いにノアは言葉を振り絞ろうとする。ニーアはこちらの聞きたい事を先回りした。

「どういう意味か、って事だろうね。だって、今までキミと対峙してきたNは全員、何かを奪われていた。それこそがNという稀代の偉人を何人も保有出来ないこの次元の抑止力なのだと。器には総量がある。その総量に合わないものは零れ落ちる。当然の摂理だ。……しかし、もしその器に穴が空いてしまったとすれば? 本来、世界という基盤を支えるはずの器が損傷し、別の問題点を発生させたとするのならば、どれほど水を注いでも、それは決して満たされない。ボクはそうなってから送り込まれた」

 ニーアの言葉が一つも理解出来ないまま、ノアは懸命に立ち上がろうとする。ここで倒れて堪るか。ヴイツーとバンジロウを助け、ベルを救い、この場所から生きて脱出する。

 四天王とアデク、チェレンに追いつき、この時間軸の自分を矯正するのだ。そうする事でしか、自分の生きる意味は問い質せない。

 自分が生きていくのに、それ以上の理由は要らない。

 だが、精神論で身体は動いてくれなかった。ウツロイドが触手の末端をノアの剥き出しの傷口に添えさせる。

 刹那、雷撃のような痛みと共に何かが腕へと侵入した。ノアは傷口を目にして驚愕する。

 ウツロイドの末端神経か、皮膚の下へとそれが潜り込んでいるのだ。手を伸ばして引き剥がしかけて、ウツロイドの触手に弾き返される。

「ウツロイドはポケモン、人間問わず宿主の生体エネルギーを吸い上げ、そして養分とする。養分を吸われた後には骨すらも残らない。これが、超獣! ウルトラビーストの力!」

「いやっ! やめて! やめたげてよぉっ!」

 頭を振って悲鳴を上げるベルに、ニーアは口角を吊り上げた。

「安心するといい。全員ウツロイドのエネルギーにする。待っていれば、痛みもなく殺してあげるからさ」

 ベルの表情が恐怖で歪み、ホルスターからボールを引き抜いていた。それを目にしてニーアは、おいおいと尋ねる。

「まさか戦う気か? 戦うのならば容赦はしないよ? この三人のように無様に、さらに言えば存分に! この世の生き地獄を味わう事になる。ベル、キミ、怖いのも痛いのも嫌だろう? 嫌ならばそこで大人しく待っているといい。どうせ、キミでは何も出来ない」

 ベルが放りかけたボールを持つ手を握り締める。怖いのだろう。嗚咽と共に、ベルは面を伏せる。

 彼女が戦う必要はない。それでも、ここで自分が消滅していく運命が酷く浮いて思えた。

 何のために、ここまで来たのだろう。

 やり直せるのだと思い、実際に幾つもその道筋は見えていたような気がする。しかし、それ以上に、自分は全てに頼り切っていた。任せ切っていたのだ。

 運命が分かる、未来が分かると嘯いて、何もかもを諦めの境地に置いていた事にさえも気づかずに、それが王なのだと。高をくくっていた。

 傲慢であった。卑怯であった。そして、酷く諦めのいい、――愚者であった。

 そのままでいたくはないから、もう誰にも「サヨナラ」を言いたくないから、抗った。運命に、未来に、この世界に、何よりも今もこうして諦めようとしている自分自身に。

 しかし、結局はこの様だ。ノアはもう瞼を閉じようとする。
この世界は美しい数式のように完璧ではなかった。未来は極色彩のように綺麗ではなかった。過去は、セピアに染まったように過ぎ去りし美麗さもなかった。

 朝靄の中に僅かな水滴。白く染まる息。

 夕刻は沈んでいく西日に永遠と死の輪廻を見た。

 夜は落ちてきそうなほどの星屑を内包した空。草木もポケモンも眠りに落ちた静寂。沈黙と寝息。明日へと繋がる鼓動。

 東の空からの黎明。関節が温まり、夜が明ける。

 ――そんな、当たり前の事。

 だが、この過去へと戻らなければ決して理解出来なかった、当然の事実。誰もが享受するこの世界の恩恵。優しく包み込む慈愛の側面。

 世界は、残酷なだけではないのだ。

 それをこの旅で少しでも学んだつもりであったのに。この先出会うであろう、自分自身と、父親、ゲーチスに教えてやるつもりであったのに。

 触手から伸びた末端神経が肘まで至る。

 ほとんど腕が支配されたも同然であった。ケルディオの呼吸、吐息、鼓動が分からない。

 トモダチが何を考えているのか分からない。何と言っているのか、何を教えてくれているのかも。

 だが、それがトレーナーの当たり前であったのだ。

 誰も皆、完璧にポケモンの事を理解し切って相棒同士になっているわけではない。バンジロウは強者への憧れと純粋さ。ヴイツーは穢れた道であっても、己の信念を貫く事の誠実さ。

 この時間軸のベルとチェレンには、驚かされっ放しであった。自分の想像を遥かに超えてくる。目にする度に、これが、と実感させられた。

 これがポケモントレーナー。これが生きるという事、旅をするという事。

 ――なら、ボクのする事は決まっているだろう?

 ウツロイドの支配に沈んだ片腕を握り締める。ニーアが怪訝そうにこちらを窺った瞬間、皮膚ごとウツロイドの神経組織を引っぺがした。

 ニーアが思わず、と言った様子でうろたえる。ノアは網膜の裏で弾けた激痛を糧にして立ち上がっていた。

 痛みが唯一の感覚だ。

 先ほどから聴覚には砂を食んだような音が混じっている上に、視覚も薄ぼんやりとしている。自分以外の全てが溶けたかのように現実味がない。

 それでも、否、それだからこそ――。

 ノアは吼えていた。

 心の奥底から、勝たなければならない。この相手だけには負けてはならないのだと雄々しく奮い立てる。

 久しく声の感触を忘れていたかのように、掠れた喉から叫びが漏れた。

「……そうだろう、ケルディオ!」

 ケルディオの眼差しに光が宿る。割れた蹄を立てて跳躍したケルディオが一閃をウツロイドへと叩き込んでいた。

 ニーアと共にウツロイドが激しく後退する。

「……火事場の馬鹿力……いや、虫の息の人間の、最後の足掻きか。ケルディオの角はもう限界に達している。今の聖なる剣も打ち損じだ! 本来の威力の十分の一も発揮していない!」

「それ、でも……」

 そう、それでもここで膝を折るわけにはいかない。相手の主張を、呑んではいけない。運命も、未来も、過去も、何もかもが自分を敵に回しているとしても。

 最後の最後まで、抗うのだと決めたのだから。ならば、その双眸に迷いなどあるはずがなかった。

「覚悟……する」

「……何だと?」

「もう、逃げ、ない。ここで、死んだって、いい……。この一撃に、ボクと、ケルディオは、覚悟する」

 ニーアが哄笑を上げた。ウツロイドの操る岩石の刃が四方八方より迫る。

「論外だ! 覚悟など! ここでウツロイドを倒す手立てはない!」

 毒を纏った岩石。何発来るのかもよく見えていない。それでも、ノアは指差した。倒すべき敵を。共に見据えた。覚悟すべきは、己の心そのもの。

 刹那、ケルディオの体表を水流が逆巻いた。発生した水のつぶてが毒の岩を粉砕する。割れた蹄に血潮が宿っていた。亀裂の入った角に、水の加護が篭る。ケルディオを覆う水流が一際強く輝いた。金剛石よりも眩く、全てを癒す陽の光よりもなお柔らかい。光の渦の中で、ケルディオの表皮が逆立っていた。

 オレンジ色の鬣が水流と共にピンと上を向く。双眸に宿った覚悟の光が討つべき敵を見据えていた。

 ――覚悟は完了した。

 角が今までにない光を伴わせて磨き上げられた刀剣の輝きを誇る。ニーアはうろたえたのも一瞬。こけおどしが、と手を払う。

「ウツロイド相手に、その程度の強化など脆弱! ウツロイド、見せてやろう、その力の真髄、ビーストオーラを!」

 触手がニーアの手に絡みつく。瞬間、血潮を吸い上げたウツロイドが赤く輝きを放った。

 ヒトの血を糧に能力を向上させるウツロイドに対し、ノアはしかし恐怖も、それ以上に恐れもなかった。

 今のケルディオと自分には覚悟がある。

 もう逃げない、ここで潰えてもいい。ここで退くくらいならば最初からこの旅に何の当てもない。

 自分達は変える、変わると信じた。ならば信じた心は報われるべきだ。

 その心の赴き先を。その信念の貫く未来を。

 ケルディオが角先に輝きを凝縮させる。

「聖なる剣か! だが無力だ!」

 ウツロイドの放った毒の岩石が幾何学の軌道を描いてケルディオへと突き刺さりかける。ノアはすっと指先を掲げた。

 刹那、水の波紋が押し広がり、圧力で岩石を打ち崩す。その光景にニーアが目を見開いた。

「……何だ、お前は」

「ボクは、ノアだ。ケルディオ、覚悟したのなら」

 流転する光の連鎖がケルディオの剣を倍以上に拡大させた。その角が誇るのは水色の光の刃。

 悪を断ち、正義の心を示す最果ての剣。

 ケルディオが蹄を鳴らして駆け出す。ウツロイドがいくつも岩の散弾を射出するも、その足を止めるには至らなかった。それどころか、岩を砕き、その塵芥を分散させて、ケルディオは加速する。

 空気を打ち破り、世界を変える一撃をケルディオは振りかぶった。

 ウツロイドとニーアが防御の姿勢に入る。

「不可能だ! ウツロイドの防御力は現状のポケモンの攻撃など!」

 重力そのものを浴びせかけたように、地面が鳴動した。空間が震え、その存在を示す微粒子が次々と切り裂かれていく。

 ウツロイドを構築する分子結合が阻害され、オーラが霧散していった。

「馬鹿な……ビーストオーラが」

「この刃は、全ての理を断つ剣……その名は」

 脳内で閃いた名前を、ノアは紡ぐ。ケルディオの覚悟が己へと伝わり、その鼓動を震わせた。

 聖なるものを超え、世界を裂く激震の刃。何もかもを染め上げる一条の閃光。純真の剣は今、血の赤に染まった邪悪を切断する。

「――神秘の、剣!」

 名が紡がれた瞬間、ウツロイドの身体が吹き飛ばされた。操るニーアも溢れ出す光の瀑布に目を眩ませる。

「こんな……こんな攻撃が! ウツロイド、ホールを開け! 離脱するぞ!」

 ウツロイドの頭上に暗雲が垂れ込め、磁場が発生する。途端、空間に穴が開いた。ウツロイドとニーアはその穴へと逃げ込もうとする。

 ノアは逆巻く風圧の中、手を払った。

「……逃がさない」

 ケルディオの剣は健在だ。ウツロイドの発生させた空間の穴を貫通し、そのまま相手を引き裂かんと迫る。

 次元の扉が鳴動し、磁場が四方八方に放たれる。

「これでは……ウルトラホールの位相空間が安定しない……!」

 ノアは咆哮と共にケルディオにその一撃を振るい落とさせていた。放たれた一閃がウツロイドの形状を分解させる。

 両断された形のウツロイドが穴へと逃げ帰ろうとする。ここで逃がすまい、とケルディオと共にノアは手を伸ばした。

 ニーアが叫ぶ。

「来るな! ここで同一存在であるお前が来れば、それこそ時空が……」

 暗黒色に垂れ込めた雲が分散し、タワーオブへヴンの瓦礫を飲み込んでいく。視界の片隅でヴイツーとバンジロウが声にしたのが見えた。

 だが、ノアはニーアを逃すつもりはない。ケルディオの一撃は確実にウツロイドを砕いた。ここで逃がせば同じ事の繰り返しだ。

 足掻きを見せるケルディオとノアに、ニーアが歯噛みする。

「消え去れ! 諸刃の――」

 その攻撃へと差し込まれたのは黒白の刃であった。ウツロイドとニーアを引き裂いたのは見知ったポケモンの陰だ。

「キミは……ダークトリニティ……」

「テラキオン。聖なる剣」

 激震を浴びせかけつつ、テラキオンの一対の角が輝いてウツロイドを破砕する。

 消滅の運命にあるウツロイドの一欠けらが中空に開いた穴へと吸い込まれていった。

「逃がすものか!」

 テラキオンとダークトリニティ、それに自分とケルディオが諸共暗雲の向こう側へと飲み込まれていく。

 遥かなる光の果てに、暗黒が全てを支配した。















「ウルトラホール。この世界と僅かに違う、別の理が支配する世界への扉。それを開いたか」

 鳥ポケモンに騎乗したチェレンはタワーオブへヴンを満たす闇を目にしていた。

 暗雲が垂れ込み、発生した磁場が空を染め上げている。

「時空回廊が繋がった。あの場にいる誰かが、時空さえも歪ませかねない一撃を撃ったな。それが誰なのかまでは分からないが」

 拡大した穴が急速に閉じていく。チェレンは冷笑を浴びせていた。

「いずれにせよ、知る事になるだろう。この世界の果てに何が待っているのかを。イッシュを待ち受ける、――暗黒の未来を」

 飛行タイプが身を翻し、黒く染まった空を羽ばたいていく。

 天命は既に下された。














「あれは……何だって言うんだ」

 暗雲が観測されたのはタワーオブへヴン直上だけではない。イッシュの至るところで、同じ現象が観測されていた。

 それを見据えるのはNも同じである。

 ざわめく群集を他所にNは何かとてつもない事が巻き起こっているという事実を噛み締めた。

「ボクの知らない場所で何かが……イッシュという国家を覆しかねない事が起こっている。でも、ボクには何も出来ない……何も出来ない事しか、今は分からない」

 たとえ未来を見通す瞳があっても、闇の先に何があるのかは不明であった。













「急に曇って……これは何?」

 窓から身を乗り出したヘレナはソウリュウシティの空を埋め尽くす謎の黒雲を目にしていた。アイリスが指差し、一言だけ告げる。

「あれは、こわいよ」

 焦燥が胸を締め付けそうであった。何かが起こっている。だがその何かを明言する術はない。

 バーベナが暗雲の方角を見つめ、ヘレナの手を握り締める。

「ヘレナ、あれは……」

「私にも分からない。分からないけれど、でも」

 それでも、怖い。

 その一言に集約するしかない己の弱さをただただ恥じ入るばかりであった。

 シャガが歩み出て、静かに声にする。

「相克する空の輝き。裂空の先に見出すのは……暗礁の未来」

 彼にはどこか掴めているようであった。しかし自分達には一切が不明だ。

 この先何が待ちうけているのか。この先、何が変わっていくのか。

 全てが暗闇の中、ただただその時を待ちわびているのみ――。



オンドゥル大使 ( 2017/12/12(火) 15:45 )