第74楽章「上海繚乱ロマンチカ」
最終段階を迎えた、と報告が上がった。
Nは巨大な実験場へと招かれていた。プラズマ団研究部門。それは極秘裏に開発責任を務めている者達が集う異端の場だ。
七賢人とも違う命令系統を持っており、ゲーチスの目を掻い潜る事の出来る数少ない部署であった。
Nは旅の途中であったが、一度実験場に立ち寄るように、と話が来ていた。
実験場とは言っても、大型のカーゴを持ち出した簡易実験室である。
Nの旅を妨害するものではない。そのため、Nも好意的に立ち寄ったのだが、興奮気味に話す研究員に先ほどから気圧されっ放しであった。
「すごいですよ、これは! 画期的です! これをN様がご使用になされば、きっと、ゲーチス様だって……!」
実験部門はゲーチスの台頭を面白く思っていない人間の集まりであった。そもそも、カリスマや一点特化型のリーダーの擁立を間違えていると声高に発する奇異な部門である。
しかし、Nはその存在に異を唱えた事はない。組織において違う発言が黙殺されるのはあってはならない事だ。
異なるものもお互いの主張だとして、好意的に受け取る。それがN、ひいてはプラズマ団のスタンスであった。
研究員はガラス張りの実験室にNを招いていた。ガラスの内側は暗くなっており、中は窺えない。
しかし、Nは感じ取っていた。
この先にいるのはポケモンだ。ただ、通常のポケモンとはどこか違う。
感じ取れる気配が野生のそれではない。かといって捕獲されたポケモンとも思えない。
手懐けられているのは伝わるものの、どこかで違和感が生じている。
「中は……?」
「お待ちください。今、照明を」
コンソールにとり付いた研究員がボタンを押すと、内部照明がNの眼を眩惑する。
Nはガラス張りの研究室の中で数多くの機械部品に繋がれたそれを凝視する。
紫色の光沢であった。
眼窩は横広で今は生命反応がないのか、暗く沈んでいる。手足は細く、しなやかな四肢の末端は鋭く尖っていた。
一番に目を引くのは背筋から伸びた巨大な砲台である。
瞬時に、これがただのポケモンではないのだとNは見抜いた。
「これは……?」
「プラズマ団がポケモンの化石から改造を施した奇跡の逸品ですよ。化石から量産され、鋼の属性を得た最新鋭の装備。コードネームをゲノセクト」
「ゲノ、セクト……」
Nの胡乱そうな瞳に気づいたのか、研究員が指を鳴らす。
「死んではいません。電気系統を起こせ。内部電源直結」
復誦の声が響く中、研究室内のゲノセクトに電流が通った。途端、ゲノセクトの瞳が赤く照り輝く。
今しがたまで死んだように眠っていたポケモンが動き出そうとしている。その感触にNは目を奪われていた。
瀕死、という状態とも違う。
先ほどまでは生命反応が限りなくゼロであった。ないに等しい存在が急に現実味を帯びてきて、Nは面食らう。
「これは、生き返った?」
そう表現する他ない。このポケモンは「生き返った」のだ。
研究員は声高に口にする。
「どうです! これが最強のポケモンですよ、N様!」
「最強? 何だって最強のポケモンなんて……。そもそも、これはどういう事なんだ?」
事態を掌握し切れていないNへと研究員が言葉を投げる。
「研究部門は常に、ゲーチス派、つまり七賢人へのカウンターを用意してきました。それは行き過ぎた高次権限によってプラズマ団が空中分解しないためです。組織を安定させるのには、反発する部門が必要。それが我々だと自負しています。憎まれ役、ともね」
自嘲した研究員はコンソールに表示されたゲノセクトのステータスを指差す。
「ゲノセクトは、ゲーチス様の本気の手持ち、サザンドラを素早さで僅かに凌駕出来るように設計してあります。つまり、これをN様に持っていただく事こそが、権力へのカウンターとなるのですよ」
自分に、親への切り札を持て、というのか。Nはしかし、研究員の言葉以上にガラス越しのゲノセクトに注目していた。
「彼は、生きているのか?」
「生きています。N様だってご存知でしょう? 化石ポケモンの復元くらいは」
化石ポケモンはかつて滅んだポケモン達だ。様々な地方で有識者達がその復元活動に勤しんでいるのは分かり切っている。
――だが、これは。
目の前のこれは、とNは何度も胸中に毒づく。
「……ゲノセクト。キミはそれを、望んでいるのかい?」
答えが返ってきた。
造られたとは言え、このポケモンも同じなのだ。
「そう、か……」
Nの憔悴し切った様子に研究員がうろたえる。
「N様?」
「すまない。彼は持ち歩けない」
研究員達が一斉にNを見やった。信じられない、とでも言うようにNへとすがりつく。
「ま、待ってください、N様。受け取れない、って事ですか?」
「そうだ。彼は……自由にしてあげたほうがいい」
「何故です! 必要なのですよ、カウンターは、常に! そうでなければパワーバランスを失った組織はおかしくなってしまう。ゲーチス派がどれだけ策を弄しているのか、ご存知でないとは言わせません。七賢人の暗躍、こちらにも耳に入っているのですよ」
いつ裏切るとも知れない、という話だろう。あるいは、自分という存在には価値を見出していない、という話か。
だがNはその両方がどうでもよかった。
ただ目の前のポケモンにだけ、彼は心を通わせていた。
――ああ、なんて。強く脆く、美しく残酷な……。
Nは頭を振った。これ以上ゲノセクトを直視出来なかった。
「すまない。ボク以外の人間に預けてくれ。彼は……逃がすか、それも無理なら、死なせてやったほうがいい」
「どうしてです! 遺伝子研究など、今さらタブー視するまでもないでしょう? プラズマ団が及び腰になればそれだけ発展が遅れるのですよ! カントーにも融通が利きますし、何よりも組織の面子として! 遺伝子研究と開発分野は絶対なんです! それを切り離せば、イッシュは発展途上に逆戻りになって――」
「やめてくれ。これ以上、人間のエゴで彼を汚してあげないで欲しい」
ゲノセクトからはこちらが見えていないのか。その弱々しい声が誰を頼っているのかも分からない。ただ、聞こえるのはすすり泣く声。
ここから出して欲しい。狭いところは嫌だ、という懇願。
小さく何もない常闇が彼を覆い尽している。闇の中から引き上げられる感覚に何度も晒されているせいで、光が眩しくて見えないようだ。
この世界も、人の世も、何もかもが歪んで見えている。屈折して剥がれていく世界の中、彼は自分の命一つでさえも自由ではない。
何て、惨めで、おぞましい怪物。
Nは踵を返していた。ゲノセクトは受け取れない。その言葉だけで充分である、というように。しかし研究員は引き止めようとする。
「N様……! お気に召さないのですか? あれもポケモンですよ」
「あんなものは、ポケモンじゃない」
突き放すつもりはなかった。彼を解放してあげて欲しい。それだけの気持ちであったが、研究員からしてみれば絶望的な宣告であったのだろう。その眼差しから光が消え失せた。好奇心も、昂揚も、何もかも消えた暗く乏しい瞳がゲノセクトを見やる。
「……そこまで、お嫌いでいらっしゃるのですか」
返答せずに通り抜けようとしたNへと、研究員が声を張り上げる。
「あなたはそんなにも! この醜い世界がお好きなのですか! この醜い世界を、愛していらっしゃるのですか!」
糾弾の声音であった。ゲノセクト一つ愛せない自分に、世界など救えるものか、という。
Nの返答はシンプルだ。自分の志は既に決まっている。
「ああ。ボクはトモダチを愛している。ボクの心の奥底からトモダチへのラヴはあるんだ。愛だけは切れない、裏切れないよ。だからこそ、ボクは彼を手持ちに加える事は出来ない」
「美しく……ないというのですか」
美醜の問題ではない。しかし、Nはそれ以上言葉を重ねようとは思わなかった。
造り出されたポケモン。玉座に担ぎ上げられた人。
何が違おう。何が、異なっていよう。
自分もゲノセクトも、狭い箱庭の中で生きているだけなのだ。
彼を手持ちに加えれば、それこそ鏡を見ているようで、耐えられないだろう。
「分かってくれ。ボクの気持ちだ」
ラボを出たNは背を止めようとした研究員の言葉を振り切り、垂れ込める曇天を眺めた。
「雨が降るな」
「やーっ、あんたらツイてるよ」
トラック運転手の声にノアが怪訝そうにする。
「何でです?」
すし詰め状態のアデク達は高速道路に至っていた。ヒッチハイクが一番早い、とアデクが提言し、荷台に乗せてもらっているのだ。
「交通規制が入りかけていてね。今、道路状況を見ているんだが、数時間遅ければヒウンへの交通はストップしていた」
その情報にノアは眉をひそめた。
「何で? だって、特に何も……」
「プラズマ団、とかいう過激派組織が封鎖線を張っているんだと。そいつらと警官隊が小競り合い。それの影響みたいだな」
プラズマ団の影響。ノアはその事実が重く沈殿していくのを感じた。自分の罪でもある。
「そう、ですか……。それは、その」
「まぁ、運がいいのはお互い様かな。積荷を何とかせにゃならん、ってこっちは躍起だよ」
運送業者は一分一秒の遅れでもあってはならないだろう。交通網のストップは仕事の遅延に繋がる。
「プラズマ団の、その、心象はどうなんですかね」
思えばここに至るまで民草の言葉を聞いた事はなかった。思い切って切り出した声に、運転手は渋い顔をする。
「どうって……はた迷惑、って言えばそこまでかな。だってポケモン解放とか、どでかい思想を掲げているようで、実際には迷惑千万な行いが多いらしいじゃないか。そりゃ、人々に考えを巡らせるきっかけくらいにはなると思うが、そんなの人次第だろ」
人次第。そうだったのか。民草は、思っていたよりもドライにプラズマ団を見ていたらしい。
「そう、ですよね……。人次第、ですよね」
「……何で、兄ちゃんが残念そうなんだ?」
「いえ、別に」
荷台側に取って返したノアは胡坐を組んでいるアデクを見やった。
アデクは揺れる車体の中、黙して瞑想している。
「もうすぐ着くそうです」
「うむ、そうか。ヒウンは文明都市と聞く。ワシも何回か呼ばれたのう」
「ヒウンシティってのは動きづらい。プラズマ団もなかなか手が出せない街だって聞いたぜ」
ヴイツーの弁にバンジロウが首を傾げた。
「何でだ?」
「大都市ってのは既に裏組織が張っているもんなんだよ。そいつらに断りなく介入すればそれだけ手痛いしっぺ返しが待っている。それを恐れて、プラズマ団の広報活動は地方都市に限られる」
そういえば、ノアは都市圏でのプラズマ団の演説はなかった事に気づいた。あれはそういう戦術であったのか。
「ボクは、そんな事すら、知らなかった……」
「後悔する事もねぇだろ。それなりにもう思い知ったはずだ。だから、てめぇが後悔したって仕方がねぇ」
ヴイツーの言葉を受け、ノアは首肯する。今は、少しでも前に進む事だ。
目線だけで窺ったチェレンは荷台の隅で座り込んでいた。ベルとは距離が離れている。
何かあったのだろうか、と勘繰ろうにも自分にはその言葉はない。
仕方なく、ベルを呼びつけた。
「その、ベル」
「なに?」
「次のヒウンでも、やっぱりジムバッジ制覇を目指すのかな、って」
「それは、その通りだと思うけれど……」
濁したのはチェレンも同じ気持ちなのかは分からないからか。黙り込んだその横顔にかける言葉は見つからない。
「どちらにせよ、強くなった証明は必要じゃな」
「オレはもういいかな。負けるの悔しいし、それにまだまだヨエーって分かっただけでもいいと思うし。バッジ制覇はそっちに任せるよ」
バンジロウは既に実力者だ。一回の黒星で自分の至らなさを理解する。それだけでも充分に出来たトレーナーであった。
「ノアタロー。お主、全バッジを制覇する気か?」
改めて問い返されると、自分でも自信がない。さらに言えば、そのような事にうつつを抜かしている場合なのか、と。
この時間軸での己を止める。プラズマ団の蜂起を事前に防ぐ。
それが目的であったはずだ。しかし、そのためには強さが要る。必然的に己を高めるのにはジムバッジによる客観的な強さの証明が必要であっただけ。
どこまで強くなれるのかの試金石だ。チェレンとベルほど必死ではない。
「……出来得る限り、ボクは強くなりたい」
その口調にアデクが頷いた。
「強さを求めるのは立派じゃ。しかしながら、足元をすくわれるなよ。目的と手段を取り違えれば、それだけで瓦解する」
心に強く残る言葉であった。目的と手段を取り違えたから、かつての自分は英雄の座から引き摺り下ろされた。
所詮、傀儡であった事にも気づけず、ゲーチスの野心を止める事も出来なかった。
今は違う。
あれらが起こる全ての前なのだ。今ならば間に合う。今ならばやり直せる。
その確信があるのに、どこかで胸を占める焦燥は何だ?
ここで足踏みしている場合か、と己に怒りをぶつけたくなる。
今すぐにでもプラズマ団の本拠地に向かい、ゲーチスと自分自身を倒さなければ。そう逸る気持ちと裏腹に、落ち着け、と自分を鎮めさせた。
急いては事を仕損じる。
今は一歩一歩でも強くなる事だ。
その強さだけが自分の証明になる。
「なぁ、兄ちゃん。そういや、ケルディオってどれくらいのレベルなんだ?」
不意にバンジロウが問いかけてきたので、ノアはまごついた。
「レベル……? そういえばはかっていなかったな」
「レベルが強さの絶対指標ってわけじゃないけれどよ、レベルによってジムに挑むかどうかも変わってくるだろ?」
ジムリーダーは挑戦者に合わせたレベルのポケモンを用意する。今までの傾向から弱くはないのだと思っていたが、いざ尋ねられると困惑する。
「ポケモンセンターみたいな公的機関をおれ達は利用出来ないからな。必然的に手持ちのレベルも分からなくなる」
「ボクも……以前までは周囲にいるポケモンで手持ちを固めていたから、レベルなんて気にした事もなかった」
その言葉振りにバンジロウがため息をつく。
「よくないぜ? 自分のレベルも分からずに闇雲に、ってのはよ。とりあえずヒウンのジムリーダーのレベルの標準値を参考にするか」
ジムリーダーの実力は平均化され、数値として現れている。バンジロウはその証である端末を所持していた。
表示されたのはヒウンシティジムリーダー、アーティの実力平均であった。
星でランク付けされており、平均値は三つ。
「五段階評価の三つだから、それなりに、ってところか。所持ポケモンは草……そこまで分かっていても、いざ戦わないと分からない部分もあるからな。前のアロエ戦で思い知った」
バンジロウからしてみれば苦い記憶なのだろう。だが、彼は敗北を強さに出来る人間だ。
問題なのはチェレン。彼は先ほどから黙したまま、言葉を差し挟もうともしない。
「戦わなければ分からない、か。ある種、真理みたいなものだけれど、ケルディオは相性上、不利か」
「オレは加勢しないからな。水タイプじゃやりにくいのは分かり切ってるだろ」
バンジロウの援護は期待出来そうにもない。
運転手が声を振り向けた。
「あと数分でつくぞ。準備をしておきな」
降りる準備をする中、チェレンが呟いた。
「……どれだけの敵でも関係ない。倒すだけだ」
それを聞きとめたのは、この中ではノアだけだった。
「わーっ、おっきいビル!」
天を衝く摩天楼を見やると眩惑されるようであった。
ベルは初めての大都会に胸がときめく。
「ヒウンシティジムは?」
早速ジム戦のために尋ねたチェレンは、バンジロウと視線を交わし合った。
「脇道にあるみたいだな。オレは宿を取ってくるぜ。ノアはどうする?」
「ボクも、宿のほうに行こうかな。ベルは?」
ビルに見とれていたベルは突然に話を振られてまごついた。
「あっ、あたしはその……」
「宿のほうに行けばいい。僕一人でジムには行く」
その背中を、放っておけるわけもなかった。ベルは慌てて声にする。
「あっ、あたしもジムのほうに、下見に行くよ」
アデクが全員の意見をまとめ、ジムの下見に行くのは結果的に自分とチェレンのみになった。
「宿屋はせいぜい、いい場所を見繕っておくぜ。なにせ、一番の都会だ。全員、それぞれの部屋くらいは充てられるかも知れねぇし」
ヴイツーが手を振る中、チェレンが言葉も発せずに歩き出す。その背中に、ベルは黙ってついていく事しか出来ない。
道が複雑に折れ曲がっており、一度迷い込めば二度と出られないような感覚にさえ陥る。
「広いねー」
チェレンは返答しない。ベルは背の高いビルを眺めてよろめいた。
「こうやってビルを見ていると、あたし達、本当に田舎にいたんだねー」
それでもチェレンは何も言わなかった。ベルは少しばかりむくれてしまう。
「……あのさ、チェレン君。そんなに強くなるのって大事?」
「当たり前だろ。強くなる事でしか、何も証明出来ないんだ」
本当に、そうであろうか。そのような狭い生き方を、アララギ博士も望んだわけではあるまい。
「でもあたし達、そんな事を望まれたわけじゃ……」
「他人の理想の押し付けなんて関係がない。僕は強くなる。そうでしか、多分前に進めない」
思い詰めなくとも、と言おうとしたが、チェレンは思い詰めてこの結論に至ったわけではない。
自分がトウコに近づくための手段を、それしか知らないのだ。
理想へ辿り着く階段を昇るのに、その足しか持ち合わせていない。
「……そっか。あたし、じゃあまだ弱いのかな」
「ベルはその足並みでもいい。僕はただ、その足並みじゃ、どこにも行けないって思うだけだ」
どこまでも切り詰めた考え方であった。自分の生き方一つでさえも自由ではない。
だが、それくらい追い込まなくては、玉座には登れないのかもしれない。
アデクの座する場所。トウコの追い求めた場所。チェレンが追いつこうとしている場所。
あまりに苛烈で、自分には眩しい。
だから、その眩しさに耐え切れない。眩く輝く王の座が、自分に値するのかも分からない。
ただ、前に進む事でしか、その結果を示せないのならば。自分も戦うしかないのだろうか。
「チェレン君。あたし、ジム戦なんてしなくっていい、って言っていたよね」
チェレンは応じない。ベルは言葉を継いだ。
「でも、あたし、戦うよ。だって、チェレン君やトウコお姉ちゃんが頑張っているんだもん。あたしも、頑張りたい。その場所に行きたい」
チェレンが足を止める。また怒鳴り返されるか、と身を縮こまらせたベルに、チェレンは静かな語調を投げる。
「王の座に辿り着けるのは一人だ。蹴落とし、蹴飛ばされ、それでもしがみついた人間だけが王になれる。……ベルには向いていないよ」
やはりあの時の結論のままなのだろう。しかし、ベルは言い返す。
「でもあたしも、戦える。戦って、目指す事は出来る」
「考えるのは自由だ。止めるつもりもない。ただ、僕の判断じゃ、君は向いていない」
平行線のままか。そう結論付けようとしたその時、喧騒が目に入った。
ヒウンシティジムの前で人々が群がっている。チェレンが足早にジムの前に到達した。
その時、人々の声が耳に入る。
「急に廃業だってよ……どうしたんだろ、アーティさん」
「廃業? ジムリーダーを?」
問い返したチェレンにベルは遅れて追いつく。
ヒウンジムの前には張り紙がされており「ジムはお休みしています」という但し書きと共にアーティの直筆の言葉があった。
「一身上の都合により、ヒウンジムを廃業します≠セって?」
信じられない言葉にチェレンが戦慄く。ジムの前にはジムトレーナーが集まった全員にバッジを手渡していた。
「どうぞ。ヒウンジムは廃業しましたので、ここのバッジは無料で受け取ってください」
挑戦者達は渋々、と言った様子ではあったが、ジムバッジを受け取らない理由もない。
受け取っていった人々を掻き分け、チェレンが声を張り上げた。
「どういう事なんだ! どうしてジムリーダーがいない?」
「そのような事を仰られましても……。一身上の都合としか」
「じゃあ、その都合ってのは何なんだ!」
怒鳴り散らすチェレンにジムトレーナーが困り果てる。
「我々も、急に職を失って困っているんですよ。……アーティさんもたった一人に負けたからって廃業までしなくってもいいのにな」
そのぼやきに、チェレンはもしや、と声を発する。
「それは、トウコ、というトレーナーじゃないのか?」
「ああ、そうそう。王になるって息巻いたトレーナーで、チラーミィ一体に全員が負けちゃったんだよ。なに? 知り合い?」
硬直するチェレンを他所に、ベルは詰問していた。
「その、アーティさんはどこに……?」
「こっちも分からず仕舞いでさ。ジムトレーナーに明かさずにどこかに行ったらしい。あ、でも心当たりなら一箇所だけ」
「どこなんだ! どこにいる!」
チェレンがジムトレーナーの肩を引っ掴む。その形相にジムトレーナーが恐れを成した。
「お、落ち着けって。多分、アーティさんはヒウンシティの……」