第59楽章「メガロポリス・アリス」
ライモンシティを取り仕切るのは何もジムリーダーだけではない。
それぞれの施設に割り振られたバトルコートの統治者がおり、リーダー格の彼らを倒して始めて、ライモンでは認められるのだ。
バトルコートを跳ね上がるのは金色の鶏冠を持つポケモンであった。
格闘攻撃が地面を捲り上がらせる。その攻撃の矛先にいたポケモンが軽いステップで回避した。
拳が空気を引き裂くも、一撃さえも当たらない。その事実にバトルコートの一つ、ラグビーのバトルコートのリーダーが腕を組んで憮然とした。
全身にプロテクターを纏っており、マスクから覗く視線は物々しい。
彼の操るポケモンも全く無駄のない、キレのある攻撃を纏っているにもかかわらず、その小型ポケモンには一切命中しないどころか、反撃を許してしまう。
「チラーミィ! アクアテール!」
水の属性を纏った尻尾が推進剤のように輝き、鶏冠のポケモンに攻撃を見舞った。
だが、射程ではこちらのほうが優位だ。
近接戦闘を得意とする鶏冠のポケモンが「アクアテール」をその身で受け止めた。
「悪いが、これ以上遊んでもいられないのでね」
「遊んでたの? アタシには本気に見えたけれど」
ぴくりと眉を跳ねさせる。
茶髪をポニーテールにした少女から漂うのは王者の風格であった。
たった一体のポケモン、チラーミィで三つあるバトルコートそれぞれを攻略し、最後の砦であるラグビーのバトルコートにおいても、その常勝の女神は揺るがなかった。
自分以外、全員が一方的に敗北した。
その事実に歯噛みする。
「何者なんだ……」
「言ったでしょ? このイッシュの王になる人間だって」
王の名前をみだりに呼ぶ事は公の場では禁じられているわけではない。だが、それは弱い人間が吼えたところでみっともないだけの話。
殊に、ライモンシティのバトルコート三種に属するトレーナーは実のところ、ジムリーダーとジムトレーナーよりも高次のレベルを有するポケモンを所持している。
ジムは破れても三つのバトルコートでは敗北する、などざらの事。
だが、眼前の少女はジム前の暇潰し、と称してここにやってきた。
訪れて、全てを白星で飾っている。
しかも使っているのは特別なポケモンでも何でもない。ただのチラーミィ一体。
チラーミィが鶏冠のポケモンを蹴って距離を取る。
その挙動に全く迷いが見られない。
指示している様子でもなければ、特別な繋がりがあるようでもない。
見直す必要があるな、とバトルコートを仕切る彼は感じていた。
「一応、名乗っておくか。おれはこのバトルコート、ラグビーのコートを任せられたベテラントレーナー。ライクだ」
「何で今さら名乗るの?」
「ここまでやっておいた相手に対して、名乗らずに終わらせるのは失礼だと感じたまでさ」
その言葉に少女は鼻を鳴らし、声を張って言い放つ。
「いいわ! アタシも名乗りましょう。トウコ・キリシマ! 覚えておきなさい。この地の王になる人間の名前よ!」
トウコの声音にチラーミィが手を払う。
小さなポケモンの小さな手であるにもかかわらず、空気を引き裂く勢いがあった。
「そのポケモン、チラーミィのはずだな? どうしてそこまで強い?」
「どうして? 教える義理、あるのかしら?」
「いや、ないな。どっちにせよ、おれが勝つ」
「それ、全部アタシの台詞だから。こんなところで足踏みしてたんじゃ、何にも始まらない。ヒウンシティでトレーナー全員と戦った時も、まだまだだと感じた。一個上に行けばそれは面白いバトルが見られるんだと思ったけれど、当てが外れたかしら?」
「そんな事はない。このライモンのバトルコートは! ジムリーダーさえも突破の難しい難攻不落の要塞! おれ達は常に研鑽し、その実力はイッシュで一二を争うと言っても過言ではない」
「じゃあここで勝てば、アタシは一気に一二を争うレベルになれるわけだ」
「……ポジティブなのはいいが、分を弁えない発言はトレーナー人生を縮める事になる! おれのポケモンの名はズルズキン! タイプは格闘・悪! それぞれの弱点を補完するタイプ構築である!」
「いいの? それ、言って」
「構わんさ。お前は、ノーマルタイプの小型ポケモン、チラーミィだと割れている。こっちの手くらいは明かさないと」
「フェアじゃないって? でもアタシ、フェアプレイしに来たわけじゃないから。アタシは勝利するためだけに来た。そのためなら、何だってアタシはするわ!」
言い放ったトウコの言葉には何一つてらいはない。本気で勝ちに来ているつもりだ。その声音にライクは口元を綻ばせた。
「そういう、命知らずは嫌いじゃない。だが、ズルズキン、分からせてやれ! ドレインパンチ!」
ズルズキンの身体が瞬間的に空間を跳び越えた。
恐らく通常のトレーナーの動体視力では瞬間移動したようにしか見えないだろう。
それほどの速度を可能にするズルズキンがすぐさまチラーミィの射程に入り込む。
「ドレインパンチ」は格闘戦術の中でも群を抜く拳技。加えて、相手の防御を突き崩して勝ちに行くと確定した時のみに使用する技でもある。
一撃吸収。ズルズキンの拳が暴風のようにチラーミィへと襲いかかった。
当然、その射程にかかったかに思われたチラーミィであったが、その姿はズルズキンの拳の直上にあった。
トン、と何の重量も感じさせないチラーミィの踵が拳の上にかかる。
まさか、とライクが瞠目した瞬間、チラーミィの拳が激しく輝いた。
「破壊光線!」
この距離で? とライクはその判断を疑ったほどだ。
チラーミィの拳からエネルギーの瀑布が凝縮され、直後に紫色の光線がバトルコートを一直線に貫いた。
ズルズキンはひとたまりもない、と思われたが、その格闘・悪のタイプ構築は伊達ではない。
すぐさま射線から逃れ、寸前のところで回避していた。
ズルズキンの頬に鋭く一筋の切れ目が走る。
ゼロ距離での「はかいこうせん」。当然の事ながら、反動ダメージでチラーミィは硬直していた。
完全に決めるつもりだったのだろう。ライクは笑い飛ばす。
「残念だったな。あの距離の破壊光線、肝は冷えたが、避けられた時のことは考えていまい。おれのズルズキンの素早さなら避けられる。そこから攻勢に転じる事も」
ズルズキンが拳を固め、チラーミィへと肉迫した。
トウコがここに来て初めて声を張る。
「チラーミィ! 反動を殺す!」
チラーミィの拳が掲げられ次の瞬間、腹腔へと突き刺さった。自らに鉄拳を? と目を見開いたライクに対し、ズルズキンの拳が空間を引き裂く。
確実に命中したかに思われたズルズキンの渾身の一撃は虚しく空を切った。
チラーミィが挙動し、ズルズキンの拳をかわしたのである。
――あり得ない。反動無視だと……。
息を呑んだライクにトウコは言いやった。
「この程度でビックリしないでね! アタシとチラーミィはさらに先を行く!」
推進剤のように尻尾から水が迸り「アクアテール」がズルズキンへと突き刺さった。
一撃が入ったのを嚆矢として、二つ目の攻撃が遂行されようとする。
チラーミィの手から電磁が走ったのを目にしたライクは咄嗟にズルズキンを下がらせた。
「後退しろ!」
その指示は結果的に功を奏した。浴びせかけられたのは電気による攻撃であったからである。
もし、ズルズキンがそのまま受けていれば先の水攻撃と相まって大ダメージを食らっていたに違いなかった。
「……解せんな」
「何が? もしかして今の連携、読めなかった?」
ライクはその恥を掻き捨て、フッと笑みを浮かべる。
「ああ、読めなかったとも。だがそれ以上に、ここまで実戦向けのポケモンは初めて見た。それを、伝説級でも、ましてや高能力のポケモンに搭載するのでもなく、チラーミィだというのが、おれが解せんと思った事だ」
近距離から中距離、果ては長距離戦までを想定したポケモンである。それをカイリューやメタグロスならば分かる。だが、チラーミィだという一線だけは分からない。
トウコはその疑問に対して、何を言っているのか、という態度で応じていた。
「あのね、強いポケモンで強い技を使って勝つ。そんなの当たり前。勝って当然の試合じゃない。そういう人間はね、どこへ行っても勝つわ。でも、どこへ行っても勝てる人間って言うのは所詮、その程度なのよ。どこへ行っても同じ結果、どこにいても同じ、それって意味がない。王者って言うのはね、場所も選ばなければ戦局も、ましてや駒だって選ばないの。弘法筆を選らばず、って言葉を知らない? アタシはチラーミィ一体で、この地を制してみせる。全てのトレーナーを倒し、そのプライドを粉々に砕いてから、その上で勝ちに行く。それ以外に何も考えられない。アタシは勝つ事しか、考えていないわ」
トウコの言葉はまるで天啓のようであった。
王ならば勝てて当然のポケモンを使うのではなく、最も困難な道でも勝利を掴む。
それこそが王者の証。
ライクはここに来て、ガラにもなく燃えてきているのを感じていた。
胸の中に燻る炎に薪がくべられた。
闘志の炎が巻き起こり、ライクとズルズキンにこの勝負を投げる、という選択肢をなくさせた。
ここで勝つも負けるも、恐らく自分達にとって大きな資産となるであろう。
「……なるほど。それは確かに王者の考えだ。ズルズキン。龍の舞」
ズルズキンの体表に宿った龍の波紋をその拳と脚でなぞり、体表に刺青のような龍が宿る。
「攻撃力を上げた、って事は勝負に出るって事?」
「ああ、おれも、勝ちに来ているのでね。バトルコートのリーダーを預かっている手前、こんな場所で負けていられない。ズルズキン、龍の舞からの攻撃手順は訓練通りだ。ミスるなよ」
構えたズルズキンにトウコはフッと笑みを浮かべた。
「じゃあ、アタシもそれに乗るわ。チラーミィ、次の一撃で確実にズルズキンを葬り去る」
「いいのか? 宣言すると逆に戦い難くなるぞ?」
「戦い難い、ですって? 教えてあげる。アタシは! 戦い難いなんて事を一度だって考えた事はないわ! だって勝つ事しか考えていないから!」
常勝の女神はいつだって勝利の後の事しか考えていない、という事か。ライクは苦笑し、ズルズキンへと次の攻撃への布石を打たせた。
「ズルズキン。両手を固めて、一気に肉迫する」
拳の形にした両手を突き出したズルズキンに対し、チラーミィの行った事は少ない。
推進剤に用いられる尻尾を垂らし、こちらと相対するように拳を構えさせたのである。
「チラーミィ。相手の動きは読めるわね?」
チラーミィが鋭く鳴いた。だがライクは不敵に笑う。
「果たして、そう簡単に読めるかな? おれのズルズキンは次の瞬間、きっとチラーミィの射線を超えるぞ」
「やれるものなら」
ライクが手を払う。直後にズルズキンは両拳を突き出していた。
直後、空間を跳び越えてチラーミィの眼前に至っていた。
周りで固唾を呑んで見守っているトレーナー達にも何が起こったのか理解出来なかったのだろう。
「ズルズキンが、瞬間移動を……」
無論、そのような余分な技を使っているわけではない。だが、これを看破出来なければトウコのチラーミィは終わりであった。
鋭く爪を立てたズルズキンが大きく両手を引く。
その一瞬の隙をついてチラーミィが離脱挙動を取った。
「破壊光線を撃つ!」
右手にエネルギーが充填されていく。ズルズキンはしかし、その攻撃の発動を待たずしてチラーミィを引き裂いていた。
青い爪痕の残滓が空間に居残る。
「遅い。ドラゴンクロー」
交差した龍の爪にトウコが目を瞠る。
「ドラゴンクロー、ですって?」
「特別な技を覚えるのが自分の特権だとは思わない事だな。ズルズキンのタマゴグループはドラゴン。その影響か、龍の技をある程度は体得する。舞から繋げた爪にはさしものチラーミィでも対応し切れなかったようだな」
中空に浮かび上がったチラーミィへとズルズキンが前に出した足に力を込めた。
反転して蹴りが来ると判じたトウコが指示を飛ばす。
「撃ちなさい! チラーミィ!」
一射したエネルギーの光線が天井をぶち抜いた。高密度の技の影響でチラーミィの身体が硬直に晒される。
当然の如く反動無視の拳が放たれるかに思われたが、チラーミィは固まったままであった。
「一戦闘で反動を無視出来るのは一度だけ、か。特別なチラーミィとは言え、あまりに自然の摂理から放れた事は出来ないらしい」
ズルズキンが爪を立て、再度「ドラゴンクロー」をその矮躯へと叩き込もうとする。
トウコはチラーミィへと指示を飛ばしていた。
「一撃はもらっても構わないわ! でも、その次は、チラーミィ!」
爪弾かれた龍の爪痕の一撃がチラーミィの灰色の躯体に突き刺さる。そのまま二の太刀を放とうとしたズルズキンの腕をチラーミィが掴んでいた。
「ゼロ距離なら、ドラゴンクローが撃てないという判断か。だが、嘗めるなよ、トウコ・キリシマ。おれとてこのバトルコートを制した男。そういう手合いの対処法は!」
ズルズキンがその膂力を発揮しチラーミィの軽い体重を振るい上げる。
「既に練られている!」
きりもみ回転したズルズキンの勢いにチラーミィが突き飛ばされた。
すぐさま水を噴射し、制動をかけようとするチラーミィへとズルズキンが駆け抜ける。
両手を拳に変え、またしても突き出した形から一気に距離を詰めた。
トウコがハッと気づく。
「さっきと同じ……。何かをエネルギー変換し、空間を捻じ曲げている……」
「半分正解だ。だが、それでは及第点もあげられないなぁ、王者よ!」
肉迫したズルズキンの格闘技を制する術はさすがにノーマルタイプには存在しないのだろう。
たたみかけるかのような攻撃網に耐え切れず、チラーミィの動きに迷いが生じた。
「まずは一撃!」
下段から振るい上げられた爪による一閃がチラーミィの身体を裂く。さらに、追撃を放とうとしてライクはチラーミィの片手が電磁を帯びている事に気づいた。
「距離を取れ! 自分ごとやる気だ!」
「遅い! 十万ボルト!」
発生した雷撃がチラーミィの肉体ごとズルズキンへと突き刺さる。しかし、ズルズキンは拳を固め、その電流をあろう事か吸収した。
その一回でトウコは見切る。
「なるほどね。さっきと今も使ったのはドレインパンチ一発。ただし、ドレインパンチは相手の体力を吸収する技。それを応用したのね。吸収される際、どこから吸収するのか。無から有は生み出せない。つまり、ドレインパンチ使用時に発生する吸引エネルギーを利用し、空間に存在する距離そのものを吸収させた」
ライクは覚えず拍手喝采を送っていた。この戦法を見破った人間は数えるほどしかいない。
「ようやく正解だ。だが、もうチラーミィはどうだ? 満身創痍に違いない!」
その言葉通り、チラーミィに余分な技を使うエネルギーなど既に残っていないかに見えた。
よろめくチラーミィは先ほどの捨て身の「じゅうまんボルト」でさえも、惜しい一手に違いない。
「……ここまで追い込まれるとはね」
「王者を語るとは、そういう事だと言っておこう。さらに強い人間の前にひれ伏す。ちょうどイッシュでも真ん中の街だ。諦めるのならば今だぞ?」
王になるなど分不相応だと田舎に帰るのならば、今だとライクは諭したのであった。
だが、その言葉をトウコは吐き捨てる。
「冗談。反吐が出るわ、田舎に帰れ、なんて。アタシは、一度だって振り向いた事なんてない。あの町に帰るくらいなら、とことん負けて負けて、負け切って、敗者の気分を一生分味わったほうがマシよ」
そこまで言わせるとは、この娘、単純な動機だけでここに立っているのではない。
何もかもを捨て去って王者の道を選ぼうとしているのだ。
ライクはその覚悟と風格に、敬意さえも払った。
「……訂正しよう。ならば王者を行く者らしく負け切るか、あるいは勝利して見せろ!」
「当たり前の事を言わないで。アタシは勝利しか描いていない」