FERMATA








小説トップ
四章 凱歌の子供達
第51楽章「快恠奇奇」

 バーベナの所在を掴んだNとヘレナの出張命令に異を唱えたのは七賢人であった。

 元々、N一人に対してもあまり出歩くな、が厳命である。それを平和の女神を伴ってなど尋常ではない。

 彼らの判断は一様にその一言であった。

「王と女神が出向くなど、前例のない事。何を隠しているのか」

 彼らの目線にヘレナは面を伏せる。一度煮え湯を呑まされた相手だ。当然の事ながら警戒もしている。

 だが、Nはそのような自分の浅慮さえも窺い知った上で、彼らに宣言した。

「今、のっぴきならない状況に陥っている。それは七賢人も同じじゃないのか」

 そう切り出して一番に苦味を噛み潰したのはヴィオである。彼の下から裏切り者が出ているのは最早、公然の事実となっていた。

 当然、指揮者としての器を疑うものも出てくる。

 それを考慮に入れてのNの采配。七賢人達はお互いに疑心暗鬼に囚われているようだった。

「それは……一部の事でしょう」

「何を言いたいのか、さっぱりですな」

 ヴィオの言葉の嘘くささが目立つ。六人の賢人がヴィオ一人を糾弾する場が整ったところで、Nは進言した。

「ボクは王だ。その王が出向くのに、何の許しがいるのか」

「王だからこそ、ですよ。あまりに浅薄な考えはよしてもらいたい」

 だが、Nが動かなければバーベナを取り戻す事は不可能だろう。それをヘレナが口にしようとして、Nがそっと制した。

「キミじゃこの連中は首を縦に振らない」

「でも……バーベナを一番に思っているのは私のはずです」

「そうだ。だからこそ、ここで承服させるのには一工夫いる」

 Nが片手を掲げて、どうだろうか、と言葉にした。

「ボクのポケモンとその実力が見合っていないのが不満ならば、ここで勝負してもいい」

 その提案に誰もが瞠目していた。

 だが、それは同時に七賢人の間に流れる疑念をはっきりさせる事でもあったのだ。

 ――王は本当に強いのか?

 それはまことしやかに囁かれるものであった。

 王の強さの真偽。それを確かめるのにNは一度として無駄な戦いを見せようとしない。それが余計に疑念に拍車をかけていたのだ。

 ここでその疑惑を払拭出来ればそれに越した事はない。

 七賢人はしかし、渋った。

「誰が相手取ると言うのです。王のポケモンと言えばそれはお強いはず」

 欠片にも感じていない声音でおべっかを使うのが七賢人の得意技であった。

 誰もがその保証を得たいと思いながらも、誰が生贄になる、と言えば誰も言い出さない。

 ここで時間を取られても困る。

 やきもきしたヘレナを察したのか、Nが指差した。

「七賢人、ヴィオ。キミは確か、私兵を使っていると聞いた。ダークエコーズ。ここでボクと一戦交えるのに、一番適しているんじゃないかな」

 その言葉は他の六人を納得させる材料にもなる。 

 Nはそれさえも見越しているのだ。

 七賢人の間に流れているヴィオへの疑惑。

 ダークエコーズの実在とその強さの証明。

 それを、王自ら買って出た。

 この場合、王の実力とヴィオの保有戦力、どちらも明らかになる。これに乗らない手はないはずだった。

「それは、とてもいい考えですな。ヴィオ殿、ダークエコーズ、使えるのでしょう?」

 当然、ヴィオは反発する。

「影の部隊です。それを、プラズマ団の前を照らし出す王の御前に出すわけには……」

「ボクの命令でも、かい?」

 ここで出し渋るのは賢明ではない。Nを敵に回しているようなものだ。

 七賢人間でのパワーバランスとNからの不審。どちらを得てもこの先、ヴィオに旨味はない。

 苦々しげにヴィオは首肯した。

「……いいでしょう。ただし、今戦えるのは一名のみでしてね」

「それでも構わない。一戦くらいは」

「請け負いましょう」

 七賢人達が揃って会議室から出てプラズマ団の保有するバトルコートへと移動した。

 元々、ポケモン同士のバトルはあまりプラズマ団内部では大っぴらに行われない。

 それはプラズマ団の思想がポケモンの解放であるからだ。

 そのためか、団員同士のバトルもご法度。その帰結する先はそもそも下っ端団員の弱体化なのであったが、ゲーチスはそれを改めもしない。

 考えがあっての事だ、とヘレナは睨んでいたが、それを七賢人も黙殺している辺り、組織内部の離反者を一番に恐れているのが窺える。

 バトルコートは簡素なもので、敷地面積も大きく取られていない。

 観覧席に座り込んだ七賢人とは距離を置いて、ヘレナはその戦いを目にする事になった。

 Nが片側のトレーナーコートに入ると、もう一方のトレーナーコートに入った人影があった。

 自分に意味深な言葉を投げつけてきたダークエコーズの一人――ヴァルキュリアスリーである。

 その存在をNは初めて目にしたはずであった。元々ダークエコーズ自体が秘密主義の部隊。ヴィオの私兵である。

 それを伝聞させたのは他ならぬ自分。

 Nはその時、少しばかり悲しげな顔をしたものの、やはりと納得もしていた。

 己一人でプラズマ団が回っているわけではない事をどこかで悟っていたのだろう。

「さて、ポケモンは一対一で大丈夫かな」

「構いません。ワタシも、一体しか持ち合わせていませんので」

「ボクも、常に使うポケモンは変えるようにしている。いや、違うな。使う、なんて言葉を用いるべきじゃない。トモダチは、常に現地で探している。ボクのフィーリングにあった子だけに手伝ってもらっているんだ」

「それでは、N様には手持ちがない、と?」

「いや、一人だけ、ボクの最初期からの同朋がいる。見せていなかったね。彼だ」

 Nが手を払うとその部分の空間が歪んだ。

 不意に現れたのは赤と黒の体毛をした獣であった。

 いつからそこにいたのか。そもそも今、どうやって現れたのか、一切が不明のポケモンに七賢人がどよめく。

「あれは……」

「何というポケモンだね?」

「データベースを参照しましょう」

 七賢人達が慌ててポケモンのデータを探している間にも戦士達は動く。

 ヴァルキュリアスリーがボールを投擲し、繰り出したのは新緑の蛇。

 赤く煮え滾ったような瞳を持つジャローダは一睨みでそのポケモンを射竦めたのが分かった。

「蛇睨み。残念でしたね、N様。ワタシは一応、勝てと言われてきたので」

 先制を取られた。その苦味をヘレナが感じ取る前に、状況は変移する。

 ジャローダの巻き起こした緑の暴風が空間を満たしたのだ。その旋風が一つ一つ、刃となってNのポケモンへと突き刺さりかける。

「へびにらみ」で麻痺状態に陥っているそのポケモンへと「リーフストーム」が叩き込まれたかに思われた。

 その時、七賢人が声にする。

「出た……、これだ。名前は――」

 データベースから絞り出されたそのポケモンの姿が露になる前に、Nが軽く片手を払う。

「――ゾロアーク。その幻影を崩せ」

 名前を紡がれたポケモンが姿勢を沈める。刃がゾロアークと呼ばれたポケモンを掻っ切っていった。

 瞬時の烈風に掻き消されたかに思われたゾロアークの影であったが、直後にヘレナが息を呑む。

「……跡形もない」

 そこにいた証明さえも消し去られたかのように、ゾロアークの姿がなかった。まさか、一撃で沈んだのか。

 だが、それにしては血も一滴も零れておらず、ましてや死体もない。

 次の瞬間、ヴァルキュリアスリーが声を張り上げた。

「ジャローダ! リーフストームの防御壁を張れ! 敵は近いぞ!」

 何を言っているのだ、と七賢人が瞠目した途端、その眼前の空間から赤い爪の一閃が弾き出された。

 空間を跳び越えたとしか思えない。

 ゾロアークの爪に黒い瘴気が纏いつき、ジャローダの防御壁と打ち合った。

「勘がいいね」

 Nの評にヴァルキュリアスリーがすかさず指示を飛ばす。

「リーフブレードで斬りつけろ!」

「ナイトバーストで弾き返す!」

 漆黒の爪が空間を奔り、ジャローダの新緑の刃と鍔迫り合いを繰り広げた。

 超接近戦だ。

 ジャローダから放たれる間断のない刃の応酬を同じくらいの速度で受け止めている。それはつまり、それ相応のレベルである事を示していた。

「まさか、ゾロアークとは。このポケモンの能力ならば、なるほど、今までN様が一度も暗殺の危機に立たされなかったのも頷ける」

 ヘレナは従者を呼びつけていた。ゾロアークのデータの参照を頼もうとしたのだが、既に従者はそれを予見して端末に情報を挙げていた。

「ゾロアーク。幻影を操るポケモンと呼ばれています。詳細情報は不明な部分が多いのですが、その卓越した能力から、隠密向きのポケモンとされています」

「隠密……私でさえ、ゾロアークというポケモンの所有は知らなかった」

「恐らくは、N様とずっと一緒であったのはゾロアークなのだと思われます。ただ、ヘレナ様にも開示していなかった事を見るに、あのゾロアークはN様と一心同体。出現する時は相手を狩る時、なのであると思われます」

 相手を狩る。

 それはNには似合わぬ言葉に思われたが、どこから出現したのかも分からないゾロアークの能力を鑑みるに、切り札なのであろうという予測はついた。

 Nの鬼札。

 王として立つ青年の、一番に重宝する手持ち。

 ゾロアークが飛び退り、ジャローダの一閃を回避する。

 どこまでもジャローダの射程を読み切った動きだ。一分の迷いもない。

「同調か?」

 七賢人の疑問にヘレナは口にしていた。

「違う……N様は一度だって、同調なんてお使いにならない……」

 あれはそのような域を超えている。

 同調をせずとも、ポケモンの能力を引き出し、最大限に使用する。

 それがNという王なのだ。

 圧倒的なプラズマ団のカリスマが一度戦闘になればその先鋭された強さが際立つ。

 ゾロアークへと直截的な命令が成されるのは少ない。むしろゾロアークが独自に考えているように映るのでトレーナーとしての格が低ければ、それは同調にも見えるのだろう。

 だが、ヘレナには分かる。

 あれは同調などという生易しい領域ではない。

 ゾロアークはNの声を聞く前に既に動いており、NもNで、ゾロアークの次の命令を継ぐ前にはその動きを理解している。

 お互いに確実な信頼がなければ出来ない戦い方だ。

 ゾロアークが再びジャローダへと肉迫する。その射線を遮ったのはジャローダの剣のような尻尾による打突であった。

「ドラゴンテール。強制的に下がってもらいましょうか」

 龍の属性を持つ尻尾の一撃は相手の距離を強制的に下がらせるほどの効力を誇る。

 だが、この時、ゾロアークは特別な事をしたわけでも何でもない。だというのに、その爪でまず「ドラゴンテール」発生までの出力を絞ったように攻撃が叩き込まれた。

 龍の尾が剣の威容を持つ前、即ち攻撃発動前後――。

 それを見計らったようにゾロアークの正確無比な攻撃が「ドラゴンテール」の勢いを霧散させた。

 発動前に消失した攻撃にヴァルキュリアスリーの能面が僅かに変化する。

 ポケモンの攻撃の無効化。

 それは同じ実力か、あるいはそれ以上のものではないと達成されない。

 この時、Nは一切、口を開いていなかった。

 全てをゾロアークに任せているにもかかわらず、ゾロアークは「ドラゴンテール」を無効化する最短の手を打ち、さらにもう一方の爪がジャローダの二の太刀を読んでいた。

 ダメ押しに詰めておいた「リーフブレード」の太刀筋を読み切り、ゾロアークの爪が弾き返したのだ。

 この時、結果として発動したのは両者、弾かれたように引き下がる、というもの。

「何だ、同じ威力だったのか」

 七賢人の声にヘレナは拳をぎゅっと握り締めていた。

 ――違う。

 同じ威力などでは断じてない。戦わない人間には分からないのだろうが、今の結果は精密な計算の上に成り立つ事象だ。

 格上の相手に対して、同じ威力、などというものは存在し得ない。それはどの部門でも同じ事である。

 殊にポケモンバトルとなれば、それは顕著となり、格上に対して格下は敗北するか、あるいは悪足掻きを続けるしかない。

 だが、そうではなく、同じ威力を同じタイミングでぶつける。

 その意味を解する人間が戦えば帰結する先は自ずと限られてくるのだ。

 ヴァルキュリアスリーがジャローダを後退させた。

「……これ以上の戦闘、意味があるとお思いですか?」

 七賢人に向けて尋ねられた声音に、ヴィオが立ち上がる。

「何を言っている? ダークエコーズは戦い、その上で結果を勝ち取れ。所詮は貴様らの価値など、そこに集約されるのだ」

 馬鹿な真似を、と判じたのはこの場において三人のみ。

 ヘレナはその姿に言いようのない醜さを。ヴァルキュリアスリーは諦観に目を伏せたようであった。

 Nは帽子の鍔を目深に被り直し首を横に振る。

「……すまないね。なっていなくって」

「いえ、N様のせいではありません」

 交わされる言葉の意味も分からないのだろう。ヴィオが硬直していた。
自分が侮蔑されているのだと知れば、猛り狂うのだろうが、それさえも分からないほど愚鈍らしい。

 改めて、Nの底知れなさをヘレナは痛感していた。

 敵対する相手でさえも包み込む慈悲深さ。

 まるで聖人のようだ。

 その聖人君主に楯突く七賢人は、己がどれほどまでに愚かしいのかさえも理解していない衆愚。

 聖人と合間見える戦士には、それが既に感じ取れているというのに。

「一つ、聞きます。この場で、ワタシが……いいえ、七賢人側が勝てば、あなたはどうなさるのです?」

「収まるべき鞘に収まるだけさ。ボクはそうやって生きてきた」

 いつだってそうなのだ。Nがその刃を振り乱す事などあり得ない。あり得るとすれば、それは必要最低限。

 己の力の十分の一さえも出していない。

 そのNに対し、七賢人は全力で叩き潰すべきだと感じている。

 それそのものが驕りだとも気づかずに。

「……分かりました。ワタシも、役割を全うするまでです。その覚悟に、敬意を表しましょう。ジャローダ。第四の技を解放する」

 ジャローダが甲高く鳴いた。その瞬間、地表が鳴動する。

 うねりさえも漂わせたバトルコートに真っ先に声を張り上げたのはヴィオであった。

「ヴァルキュリアスリー! お前、ここでその大技を使うつもりか! 施設が半壊するぞ!」

 その警句にヴァルキュリアスリーは涼しげに返す。

「ではここで負けるのを是としますか? そうなってしまえば、困るのは誰なのでしょうか」

 ぐっと声を詰まらせる。ヴィオや七賢人からしてみれば、Nを縛り付ける好機。だが、勝敗は戦う前から既に決していた。

 ここでヴァルキュリアスリーを持ってくるしかない七賢人と、この期に及んでもまだ、相手を慈しむNとでは雲泥の差だ。

「ゾロアーク。本命が来るようだ。暫く眠らせていた戦闘本能を叩き起こさなくっては、これを対処出来そうにない」

 判じたNの声にゾロアークが飛び退り、Nの眼前で両腕を交差させた。

 その眼光に宿るのは必殺の構え。

 相手の懐へと肉迫し、一気に決めるつもりであった。

 だが、それをヴァルキュリアスリーとジャローダは許さない。

 許すわけがない。

 これから放たれるであろう技は、プラズマ団の施設を半壊せしめるとヴィオの口から言わせた。

 専門家でも、ましてやまともなトレーナーでもないヴィオが言うのだから、その威力は推し量るべきだ。

 ヘレナは息を呑む。

 ――恐らく本気に近いNが見られる。

 今まで、あの森の日々からNは隠し通してきた。

 己の実力を。真の力を。



オンドゥル大使 ( 2017/09/15(金) 22:03 )