FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第49楽章「君の名を」

 ここ数日の自分の行動を怪しんでいる一派は存在する。

 それは分かっていたものの、彼女を放逐も出来ない。

 Nの判断はそれに集約された。

 プラズマ団の戴冠式の日程はすぐ傍に迫っている。そんな中でやるべき事はではないのだろう。

 愛の女神、平和の女神を引き剥がした犯人探しなど。

 だが、当のヘレナの鬼気迫った様子にNは放っておけなかった。プラズマ団の誰かが困っていても自分はそうしたであろう。

 手を差し伸べずにはいられない。それが自分の性なのだ。

「資料は、これだけかい?」

 尋ねると憔悴したヘレナが首肯した。

 三日三晩休まず、彼女はバーベナの捜索に当たっている。擦り切れそうな精神を持たせているのはたった一つの執念であろう。

 自分の半身を、彼女は手離したくないのだ。

 分かっている。ヘレナがバーベナを置いていけるほどの冷血人間ではない事くらいは身に沁みている。

 あの日々、あの森で過ごした時間を共にしたのならば絶対に離れてはいけないのだ。

 だが、プラズマ団は無情にも愛の女神と平和の女神を同席させる事を拒んできた。

 それは彼女達同士が持つ特殊な能力にも起因するのだろう。

 二人は知らないが、Nは知らされていた。

 愛の女神と平和の女神が持つ、真の価値を。

 狙われるとすれば両方だと思っていただけに、片方の不在など考えもしなかった。

「休んでくれ。ヘレナ。もう持たないだろう?」

「いえ、N様。もう少しなんです。……もう少しで」

 追い詰められる、と言わんばかりの気迫。バーベナを攫った犯人を探し出したとして、もし彼女が殺されでもしていたらどうするのだろう。

 最悪の想定だったが、二人の特殊性を知っているのならば容易に想像出来る帰結だ。

 だが、組織はヘレナを放逐している。

 狂気に走っていると思われているのだろうか。戴冠式を先延ばしにしたのは何も組織の面子のためではない。

 ヘレナ自身、落ち着いて自分を祝って欲しいと思ったからだ。

 こんな状態で戴冠式を迎えれば確実にヘレナは壊れる。

 だから今、先延ばし、停滞状態を作り出している。

 しかし、だからと言って相手側からの要求が来るわけでもない。

 手遅れなのではないか、とNは半ば感じていた。

「ヘレナ。こんな事を言うのは酷かもしれないが、相手からの要求がまるでない。こんな中で闇雲に探しても消耗するだけだ」

「でしたら、私だけでも大丈夫です。N様は、公務に戻ってくださいまし」

「そうはいかない。キミも女神だ。プラズマ団を照らし出す象徴だよ」

「……私達には象徴でしかないのですね」

 失言だった、と気づいた時にはヘレナは額に手をやっていた。

「どうして……バーベナ。どうしてあの時も、今度もあの子なの……?」

 磨耗し切った声音は聞いていられないほどだ。Nはかけるべき言葉を探しあぐねていた。

 どうすれば彼女を癒せる? そう感じた矢先、ホロキャスターが鳴り響いた。

 急な着信は自分の乳母からである。

「ちょっと出る」

 部屋を後にして通話口に立つと乳母が早口に言いやった。

『N様? 今お一人ですか?』

 一瞬だけヘレナを見やってから、Nは応じる。

「ああ、一人だが」

『バーベナ様の足取りが掴めました。しかし、お静かに。どうか騒ぎ立てせぬよう』

 そう言い含められなければ問い質していた事だろう。Nは深呼吸してから尋ねていた。

「どこだ?」

『相手の要求はN様だけではございません。ヘレナ様も同席せよ、との事です』

「どういう事だ? どうしてキミがそこまで相手の要求を飲む?」

 乳母にしてはあまりに出過ぎた真似だ。それを感じ取ったのか、乳母は息を詰めた。

『……バーベナ様の命を、いつでも摘める、と言っているのです』

 命がかかっているのか。しかし何故、乳母のほうに接触した?

「キミの番号は極秘のはずだろう?」

『分かりません。どうしてだか相手は知っていました。しかもこれは奇妙な事なのですが……』

 濁した先をノアは急かす。

「何だ、言ってくれ」

『では……。N様、最近端末を盗まれた事はありませんか?』

 奇妙な質問であった。Nは当然否定する。

「ボクの端末を盗むなんて出来るわけがない。それはキミが」

『ええ、一番よく知っています。N様のホロキャスターには生態認証がかかっていて、N様以外が手にしても何の価値もない、と』

「分かっているんなら意味ないだろう。それに、盗まれてもいないし、なくした事もない」

『では繰り返しますが……本当に、誰かに盗み取られた事はないのですね?』

 くどいくらいであった。Nは呆れ返って口にする。

「ボクはそこまで迂闊じゃないよ」

『では改めまして……。N様、こちらにかかってきたのは、N様ご本人からの端末番号でした。だから、疑わずに取ったのです』

 何を言っているのか、まるで分からなかった。

 自分の番号? 当然、リダイヤル機能を見返しても乳母にかけた記録はない。

「何を……、キミは何を言っている?」

『これが夢ならばどれほどにいいか……。相手はプラズマ団を掌握しているのかもしれません。N様の端末番号が知れているとなると』

「待て。待ってくれ。ボクの端末は壊れてもいないし、何も……」

 そこで一瞬、脳裏に過ぎったのはライモンで目にした自分の似姿であった。だがすぐに像を払い落とす。あり得ない、と。

「何もない。そのはずだ」

『ですが要求はありました。読み上げます。バーベナを返して欲しくば、ヘレナと共に指定した場所に来い。来なければバーベナがどうなっても知らない、と』

「脅迫だな……。しかし、どうしてそうも強硬的なんだ? プラズマ団のネットワークを使えば炙り出しくらいは」

 そこまで言ってから自分の番号が使われた事を思い返す。ならば炙り出されるのはむしろ自分のほうだ。

 だが王である自分をどうやって偽る事など出来るのだろうか。ホロキャスターは肌身離さず持っている。

 偽造は不可能。複製も無論、無理に等しい。

 だが、もう一人、自分がこの世に存在するのならば。

 もう一人が同じものを持っているのならば、それは容易く可能であるだろう。

「……もう一人の、ボクか」

 苦々しく口にしたNに乳母が怪訝そうにする。

『N様? どういう事なのです?』

「いい。その要求を呑もう」

 その言葉に乳母が通話越しに息を呑んだのが伝わった。

『ですが……反逆者ですよ』

「それでも、バーベナの身の安全と引き換えならば仕方ないだろう。ボクはどうやら戦わなければならないらしい。それがたとえ、ボク自身であったとしても」

 意味深長な言葉を乳母は飲み込み、言葉尻を継いだ。

『……駄目です。承服出来ません』

「だろうね。だがボクの決定だ。それを覆さないで欲しい。出来る事ならば」

 乳母は喉の奥からくぐもったような声を出す。

『……あなたのためを思って』

「知っているよ。キミはいつだって、ボクのためを思ってくれている。よく分かっている。もう何年の付き合いだと思っているんだ? プラズマ団に来てから、いや、それが設立される前から、キミはボクの最初の理解者だった」

 乳母は心苦しそうに言葉を詰まらせた。

『あなたを、苦しめる……』

「いい。もう、ボクは王になるんだ。独り立ちはするべきだろう」

 その決意に遂に乳母も負けたらしい。諦めたように要求を語り始めた。

『……取引場所はチャンピオンロード前。そこならばそちらの警戒網も甘いだろう、と……。どうしてそこまで読めるのか、こちらには見当も……』

 恐らくもう一人の自分ならばプラズマ団の甘い部分さえも見抜けるに違いない。

 直感的であったが、Nはそう信じられた。

「なるほど。分かった。ヘレナを伴って向かう。ただし、ボクの不在はプラズマ団に亀裂をもたらしかねない。そこにヘレナ、バーベナと来れば余計に、だ。根回しは」

『分かっております。……お気をつけて』

 乳母の心得た声を受けて、Nは面を上げる。

「もう一人のボク……また会えるかもしれないのか」

 ライモンで一瞬だけ合間見えた相手。灰色の髪の自分。

 ――きっとあの時よりかは強くなっているに違いない。

 その予感だけが胸を打ち、Nは鼓動が不安のためなのか、またはこれから来る戦闘への昂揚で高鳴っているのか、判別はつけかねた。



オンドゥル大使 ( 2017/09/10(日) 20:22 )