FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第48楽章「堕ちて候」
「実際のところ、勝利者と敗北者なんて、紙一重だと思うんです」

 そう口火を切ったノアにアデクは首肯していた。今宵の宿は野営だ。火にくべた薪を見据えつつ、アデクは口にする。

「そうさなぁ。それこそ、灰色の領域よ。ワシは、この世がハッキリと、黒と白に分かれるとは思っておらん。皆が皆、割り切れるわけではないのだ。勝利者と敗北者も然り。そのように簡単に黒と白が分かれるのならば、この世は簡単に出来ておる」

「わっかんねーなぁ。勝ちは勝ち、負けは負け、じゃねーの?」

 バンジロウの意見も然り、だ。彼は勝負の中に生きている生粋の勝負師。だからこそ、勝ちと負け以外の明暗のつけ方をまだ理解していない。

「でも、ヴァルキュリアワンに感じたものは、違いました」

 その名前を出すと自然と沈黙が降り立った。

 ヴァルキュリアワン本人の希望により、彼の身柄は警察には渡さず、荒野に埋めて全員が後にした。

 胸の中にちくりと湧いた痛みは、悔恨のものであるのか、それとも、一生を共に出来たかもしれない兵を失った事への痛みか。

 もう一度、戦いたかった。今度は正面を切った戦いで。

 そればかりが、ノアの思考に浮き沈みする。

 何故、このように残酷な運命ばかりが自分を待っているのだろうか。

 世界から拒絶されたと思い込み、今度はその世界に反逆するために戦っているというのに、その道先には後悔ばかりがある。

 もう二度と、自身の道を悔やむまいと考えているのに、過去であってもノアを束縛するのはこの道が正しいのかという問答であった。

 無為である事は分かっていても、問わずにはいられない。

 戦わない事は出来たのではないか。もっと違う道があったのではないか。

 そう考えては益のない考えだと切り捨てざる得ない。

「世界は残酷じゃて」

 アデクの不意に発した声にノアは面を上げた。彼は薪を手にしつつ、その手に刻まれた皺を凝視していた。

 恐らく幾度となく死線を超えてきた強者の手。死の瀬戸際で踊ってきた者の手には自然と説得力がある。

「残酷、ですか……」

「応よ。そうでなければ、四十年前のあの争いも、今起こっておる争いも説明がつかん。ワシは、説明をつけたいわけではないが、全てが理不尽に回っているだけだとは思いとうない」

 世界は理不尽で残酷。

 そう断じる事が出来ればどれほど楽な事か。

 だが、ノアは知っている。知ってしまっている。

 あの日、あの森で過ごした日々は世界の残酷さとは隔絶されていた。美しかったのだ。それを壊したのが己であったとしても。

 美しさは案外世界の隣に位置しているのかもしれない。

 そう思えるからこそ、理想を振り翳した。

 ポケモン解放という無知蒙昧に命をかけられた。

 その結果が何もない虚無だとしても――。

「オレは、わかんねー」

 バンジロウの言葉にノアは声を振り向けようとして、彼の頬を涙が伝っているのを目にした。

 当然か。彼の慕うヴイツーの生き写しがヴァルキュリアワンであったのだ。その死を見たとなればショックは大きいのかもしれない。

「バンジロウ……」

「見んなよ! 今は、オレの顔見んな……!」

 決して同情するな、という事なのだろう。ノアはそれこそが冒涜に値すると感じ取り、目を逸らした。

「バンジロウ。お主が感じておる事は全員同じじゃ。誰しも思っておる。理不尽と残酷さ。この二つが世界を占めておるのじゃと、考えてしまいたくなる時もある。強さこそが全てだと、そううそぶいて何もかもをなかった事にしたい、その気持ちも大いに分かる。……じゃがな、生きるという事はそんなに簡単じゃない。容易く答えが分かるのならば神は何故、人に人生という艱難辛苦を与えた? それに意味があるからじゃろうて。答えが出ぬのもまた、人生じゃと、教えたかったのかも知れぬ」

 答えが出ないのも人生。

 その言葉はノアの中に強く波紋を打った。

 自分は明確な答えを求めていた。世界がどれほどに残酷なのか。正義と悪を分けるものは何なのか。

 自分は正義の側につきたい。だが、それがいつ悪に転がるのかも分からない。その傲慢の果てが、この時間軸へと放り込まれた遠因でもあるのだ。

「……人生そのものが、旅なのかもしれませんね」

 こぼした言葉にアデクが腕を組んだ。

「じゃとすれば、ワシらは旅の戸口に立ったばかりじゃな。死ぬ時が旅の終わりなのか、あるいはその先が始まりなのか、それは分からんが」

「戦い続ける事もまた、答えなんだと思います」

 抗え。運命に抗えと、内奥から声がする。

 その抗いの刃こそが、ケルディオの発生させた技となって結実した。

 聖なる剣はしかしまだ、不完全だ。

 それは使う自分が痛いほどに分かっている。

 ケルディオの力を制御出来ないのではプラズマ団の野望を阻む事も叶わないだろう。

「わかんねーな。マジに」

 バンジロウはまだその問いの戸口にすら立っていない。だがそれでいいのだ。彼もまた、いずれは問わずにはいられなくなるだろう。

 その時が来るのが遅いか早いかだけの違い。

「アデクさん。ボクはトレーナーです」

「うん? それは言わずとも分かっておるが」

「だからこそ、自分の純粋な価値を問いたい。それこそが、ケルディオを扱うのに足るかどうかの証明にもなる」

 その言葉の行きつく先を予見したのだろう。アデクは険しい顔になった。

「……それは、お主としてもいいのか?」

「遠回りだとは思いません。むしろ初心者であるボクが、大きな顔をしているのが不自然なんです」

 アデクが中空を睨んで呻る。そのやり取りが分からなかったのか、バンジロウが首を傾げた。

「何なんだ?」

「ボクは、今さらかもしれないけれどバッジを集めたいと思っている」

 その宣告にバンジロウが困惑した。

「えっ、だってお前……未来から来たんだろ? それにプラズマ団の王だって」

「でもボクは正規の手順で強くなったわけじゃない。その証明が欲しいんだ。そのために、バッジを集めたい。対外的にもそれが証明になると思うし」

「……反対はしねーけれどよ、それってお前の、プラズマ団を止めたいって言う気持ちとは裏腹じゃないのか?」

 焦る気持ちはある。今すぐにでも旅立ちたい。だが、その前に自分の足場を補強しなければ、いつまでも犠牲を出す一方だ。

「全部、って言うのは言い過ぎかもしれませんが、ボクはボクなりに強さを客観視したいんです」

 アデクが頷き、ノアを見据える。

「その志は見事。じゃが、ノアタロー。お主、それでいいのか? 本来ならばすぐにでもこの時間軸の自分を止めたいんじゃろう?」

 その通りだ。今も自分の意志に反して動いているであろう状況は止めたい。だが、それ以上に今の自分は弱い。

 弱い者に、その権利はない。

 喚く権利があるのは強者だけ。

 そのために強くならなければならない。

 強くあれば、少しでも救えるものが生まれるはずであるのだから。

 アデクを悪鬼羅刹の道から救ったのも昔の自分では持ち得なかった強さであろう。

「今のままじゃ、ケルディオだってまともに扱えていない。ボクは、ボクを手懐けるだけの強さが欲しい。そうじゃないと、全てが滑り落ちてしまいそうで……」

 傲慢だったのかもしれない。

 プラズマ団を止め、自分を止め、さらに強さを欲するなど。

 しかしアデクは反対するでもなく、快活に笑ってみせた。

「吼えるのならばより強く、か……。いいじゃろう。バッジ集め、反対はせん」

「じィちゃん? でもそれだとオレの修行はどうなるんだよ?」

「お主はジムバッジレベルならばもう六つ目相当じゃからのう。如何にする、バンジロウ。ノアタローの道をワシは応援したい。それは嫌か?」

「嫌じゃないけれど……でも、ノアは負い目とか感じないのか?」

「そりゃ、ボクだって思うところはある。でも、進むのにはバッジ集めが適切だって思ったんだ。自分で自分の強さをはかるのに」

「けれどよ、見た感じプラズマ団ってのは水面下でも結構動いている。そいつらを止める方向性に行くとは限らないんだぜ?」

 バッジ集めにうつつを抜かしていれば、それこそ本当の逃せない局面で動けなくなる、と言いたいのだろう。

 ノアはその点に関しては楽観的ではなかった。むしろ慎重にいくべきだと思っている。

「臨機応変に……って言えるのが理想なんだけれど、理想通りに行かないって言うのは身に沁みた。ボクは、あまり多くを望めないのも分かっている。でも、だからこそ、今は純粋に強くなりたい」

 拳を握り締めた決意にバンジロウが頭を掻いた。

「ああ、もう! 分かったよ、協力する」

「無理は……」

「してないし、それにオレだって、野良試合ばっかりを重ねてきた。公式に強いって認められた強さじゃないから、バッジ集め、興味が湧いたらやってやるよ」

 バンジロウの強さは天性のものだ。それは見れば分かる。だからこそ、彼に関して言えばバッジによる恩恵は必要ないのだろう。

 だが多くのトレーナーはバッジによって強さを補強する。

 バッジ何個目かによってその強さを対外的に示すのだ。

 それはチェレンやベルも例外ではないはずであった。

「そういえば彼らは……」

 ノアの声音にアデクが応じる。

「あの子らなりに思うところはあるのじゃろう。一日、二日跨いでのプラズマ団の脅威を知ったんじゃ。もっと言えば、トレーナーの行き着くかもしれない、羅刹をも……」

 己の事を言っているのだ。

 アデクとてあの状態に至ったのは本意ではなかったらしい。

 トレーナーは戦い、その果てを求めれば鬼になる。

 それを知った新人トレーナーがどう決めるのかは自分達が口出し出来る領域ではないだろう。

「彼らがどう決めるのかは、彼ら次第ですね」

「分かっておるではないか。ワシからも強くは言えん。旅を続けるか、もう故郷に帰るか、は畢竟、旅人次第よ」

 誰もが皆、強さを探求して旅に出るわけではない。

 ブリーダーとして成功したい者、あるいはポケモンの生態を知りたい者など様々だ。

 一括りには出来ないが、彼らは今日、その帰結するかもしれない先を見た。

 自分達が行き着くかもしれない境地を。

 ならば決める権利は充分にあるはずだ。

 決して旅に出たばかりのトレーナーの勢いだけではない。

 己を知ったのなら、次は自分の指針を決める。決められるのだ。

 チェレンとベルが明日にはカノコに帰ると言い出しても、自分達は反対するつもりはなかった。

「じゃ、オレは寝るとすっか。どうせ夜まで襲っては来ないだろ」

 テントに入ろうとするバンジロウにアデクは言い含める。

「一応は警戒をしておくぞ」

「火を絶やさなければ野性も来ないって。まだカノコからそんなに離れてもいない」

 旅の序盤もいいところの場所だ。バンジロウからすればこんな場所で燻っている場合ではないのだろう。

 バンジロウがテントに入ったのを確認してからアデクは口にしていた。

「……大きな事件として取り上げられてなければいいのじゃが」

 ウルガモスの最大解放の事を言っているのだろう。ノアは思ったままの事を返していた。

「正直……お見それしました。あれほどの力の持ち主だなんて思いもしなかった」

「こっちこそ、あの状態のワシを止めるとはな。やるではないか」

 お互いに笑みを交し合い、ノアは神妙に口に出していた。

「……聖なる剣は未完成です。あれじゃ、かつてのボクには届かない」

「相当な格闘の技と見たが、それでも、か。どれほどの力の持ち主なのか、そういえば詳しくは聞いておらんかったのう」

 自分も過去のNを客観的に語れるのかどうか分からなかったのもある。

 しかし今ならば、その能力を語ってもいい気がしていた。

「ポケモンの、声が分かったんです」

 アデクは馬鹿にもしない。首肯し、続けるように促した。

「あと、ポケモンがどう動くのか、相手がどう動くのか……軽い未来予知みたいな能力がありました。それと、同調なしでのポケモンとの一体化みたいなのも……」

 口に出してみてそれほどの戦力なのだ、と思い知る。

 ポケモン側に引っ張られる危険のある同調を使わずしてトレーナーの高みへと昇っていたのがかつての自分。

 プラズマ団の王――。

「N、か。それほどの戦力ならばワシがやられても何ら不思議はない。しかも、今のようにバンジロウと旅に出ていたわけでもないのだろう?」

 その事は言っていなかっただけにノアは瞠目する。アデクは、分かるわい、と鼻を鳴らした。

「お主の立ち振る舞いからな。バンジロウを知っているのならばそれらしい反応もするじゃろうし。見かけ以上に正直じゃぞ? お主は」

 ノアはもっと気をつけるべきかと感じたが、それほどまでにアデクとバンジロウの前では自然体なのだと少し安堵もした。

「そう、ですかね」

「そうじゃとも。仮に何かを隠しているとしても、もう手札は割れた様子じゃし。お主が思っているよりも自分を隠すという事には長けておらんな」

 隠せていない。その事実に自然と脳裏に浮かんだのはアリスであった。

 彼女の前では自分はどう映っていたのだろう。

 戦いを終えるまで連絡すまいと思っていただけの相手がいきなり思い返されてノア自身、困惑していた。

「隠せていない……ですか」

「チェレン坊とベルもお主のそういうところには薄々勘付いておるよ。ただ、あの二人はまだまだ青い果実。これからじゃな」

 トレーナーの年長者としてアデクには二人が眩しく映るのかもしれないとも思った。

「チェレンと、ベル、か」

「あの二人とも何かあったのか?」

 チェレンとは幾度となく衝突した。直接ではなかったにせよ、トウヤを通して彼とも向き合っていたように思える。

 ベルは、純粋に優しい少女だと感じていた。

 プラズマ団に傷ついたポケモンを癒し、その優しさこそが彼女の強さでもあった。

 だが、この時間軸ではそれらが少しずつ歪んでいる。

「……憶測ですが」

「よい。言ってみよ」

「この時間軸はどこかおかしい。ボクのいた時間軸とは違い過ぎているほどに」

「トウヤ、というトレーナーの不在か」

「それだけじゃありません。ボクが、確認出来るだけでも数人はいる」

 電気石の洞穴で襲い掛かってきたNは言っていた。

 自分は特異点である、と。

 稀代の偉人を放り込まれたこの時間軸はおかしくなっているとも。

「電気石で仕掛けてきた奴か……」

 その因縁にアデクが呻る。あの眼帯のNはレシラムを連れていた。恐らくは最終決戦の直後の自分。

 だが、最終決戦の直後ならばおかしな事が幾つか散見された。

「あのNには、ボクだとすればあり得ない事がいくつか」

「あるのか? まぁ眼帯はしておったが」

「あの眼の事もそうですが、どうにも解せないのは、あの程度の強さじゃないはずなんです。ボクが、言い過ぎかもしれませんけれどあの程度で、アデクさんに勝てるとは思えない」

 傲岸不遜に聞こえかねない言葉にもアデクは頷く。

「確かに。不意打ちでなければあの程度には遅れを取らんな」

「ボクはアデクさんと真正面から戦い、そして……勝ちました。だからこそ言える。あれは、ボクであってボクじゃない」

「自分であって自分でない、とは下手な問答のような気もするが……」

 だがあまりにも弱いのだ。

 レシラムがあんな能力のはずがない。もっと言えば、Nは相手のポケモンを全て制するだけの能力を有しているはず。

 自分に遅れを取るのが最も解せない。

「覚醒兆候があったとは言え、あの時点でのケルディオで勝利出来たのは偶発的なものだけじゃないと思うんです」

「つまるところ、あのNは、Nではない、と?」

 ノアは唾を飲み下して頷いた。

 あれが自分であったのならばあまりにも迂闊である。

「しかし分からんな」

 アデクが火に薪をくべて言いやる。

「分からない、ですか?」

「そうじゃとすれば、この時間軸で王になろうとしているお主はどれほどなんじゃ? ワシを凌駕し、今のお主を軽く超え、さらに言えば、プラズマ団を支配している。並大抵ではないぞ」

 自分でも少しばかり過信している部分があるような気もするが、相手は全盛期の自分だ。

 決して軽んじられる相手ではない。

「それくらいの覚悟でいかないと、やられると思ったほうがいい」

「なるほど。覚悟をしておくのに、越した事はないというわけか」

 しかし、とノアは考え直す。

 自分と自分が過度に密集すると時間軸の強制力が働き、対消滅するはずだ。

 だが、N本人と会った時はそれが顕著だったのに対し、眼帯のNと相対した時にはそれほどではなかった。

 これは何を示しているのか。

 自分でも分からない。

「手持ちさえも分からないんです。これじゃ打つ手もない」

「レシラムではない、と?」

「ここにレシラムが一体いるのならば、もう一体のはずです」

「じゃがトウヤとやらは存在せず、なおかつこの時間軸も歪んでいるとなれば、伝説も二体いると考えてもおかしくないのではないか?」

「ですが……そうなってくるとレシラムともう一体……ゼクロムがいたとなればイッシュを救うどころじゃない」

「と、言うと?」

 ノアは一拍置いてから口にしていた。

「――イッシュが崩壊する」

 過ぎたる力は救えず、破滅のみをもたらすだろう。

 その予感は常にノアに付き纏っていた。眼帯のNがレシラムを出した事で余計に顕著となった出来事でもある。

 アデクは顎鬚を撫でて、ふぅむ、と思案する。

「イッシュ壊滅、か。確かに一番あってはならんシナリオじゃな」

「そうなると、おかしな部分がたくさんあるんです。ゲーチス……父さんはボクを操り人形にしてプラズマ団を踏み台にし、伝説を手にしようとした。でも、それはボクじゃなければ呼び出せなかったから。レシラムとゼクロムは相応しいと判断したトレーナー以外では決して真の強さは出さない。だというのに、この時間軸で父さんがボクを傀儡にしているとすれば」

「理由すら分かっていない、という可能性か。そうなってくるとプラズマ団自体が踊らされている可能性も出てくるぞ」

 何者に、かは言わなかった。

 無言の了承が降り立つ中、ノアは拳を握り締める。火に照らされて、ここ数日で固くなった手の皮がてらてらと輝いた。

「止めなければいけない。邪悪は、そうでなくても止めなくっちゃいけないんだ」

「ワシも、思った事があるのじゃが言っていいか?」

 アデクがわざわざ了承を取る意味が分からない。ノアは自然と促していた。

「どうぞ……、別にボクに了承なんて取らなくても――」

「お主に関する事じゃからのう。下手な事は言えん。ノアタロー。本当にお主、この時間軸の王と同一人物なのか?」

 今さら問い質すまでもない事だった。ノアはすかさず言い返す。

「そうじゃなければここまで必死にある理由なんてないでしょう」

「無論、分かるとも。過去の過ちをどうにか出来るのならば、ワシとてそうしたい事が山ほどある。じゃが、あまりにも、お主から出ておるオーラと眼帯のそれとが違っていてのう」

「オーラが、違う?」

「もっと言えば気迫、か。お主はワシを倒したと言っていたが、今のワシの実力を見たのならば食い違う部分があるはず。じゃが、お主は未来から来たと言う。そりゃ、そこを疑うわけではないのじゃが、どうしてものう、得心がいかん」

「得心、ですか……。ボクの説得力が足りない、とか?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ……これは強者を見てきたからこそ言えるんじゃが、今のお主ではプラズマ団とやら、止められんよ」

 非情なる宣告に思われた。

 だからこそ、自分がいる今言ってくれたのだろう。

 今の自分では止められない、と。

「……それは組織力で劣っているから」

「それもあるが、どうしても、その、Nとやらとお主をイコールで結びつけられんのじゃ。他人だ、と言われたほうがまだ説得力がある」

 しかしアデクは目にしているはずだ。電気石の洞穴で襲ってきたNを。

「あれはボクだったでしょう?」

「うん……? それも確証が持てんと言うか……。あれがお主だと言われればそうなのじゃが、そう言われんと気づかん」

 そんなはずがないのだ。現に対消滅現象が起きた。相手も、自分がNだと名乗ったではないか。

「でもそんな……勘違いだったって言うんですか?」

「違うのう、それは多分。勘違いでここまではせんじゃろう。ワシが思うのは……この時間軸におるNと、ノアタローが同一なのか、そうではないのか、という議論じゃ」

「何を……だってボクは、この時間軸のNと会った」

 対消滅も経験した。だから分かる。自分とNは絶対に相反し合うのだと。しかし、アデクの導き出したのは違う答えであった。

「いや、最初のほうこそそうだったのかもしれん。じゃが、今となっては。お主とN、別人に近いものになっておるのではないか?」

 ノアは硬直した。

 ――別人?

 そんなはずがあるまいと否定する自分もいたが、ある一面で納得もしていた。

 だから眼帯のNとの戦闘時、対消滅がさほど顕著ではなかった。もう自分は、Nではない別人になろうとしているのではないか、と。

 しかし、途端に恐怖が這い登ってくる。

 では自分は何だ?

 ここにいて、今ものを考えている自分は何者なのだ?

 震えが走ったのを看破したのか、アデクがその手首を掴んで首を横に振った。

「……恐らく、突き詰めてはならん事の一つなのじゃろうな。だからこそ、ワシは、ここでハッキリさせておきたかった。ノアタロー。お主は自分を止めるため、などというお題目は掲げんでいいのではないか? もう、己に囚われる必要など、ないのではないか?」

 もう自分の過ちを悔やまなくってもいい。

 それは救済に思われたが、今のノアには決断出来なかった。

「……すいません。落ち着いて考えられそうになくって」

「分かっておる。じゃが、頭に留めておいてくれ。お主は、お主じゃ。ノアという人間なのじゃろう? Nの尻拭いのような真似をする必要は、ないのじゃないか?」

 もう、過去に囚われる事はない。赦しの言葉のように思われたが、ノアはそうなってしまえば今までの旅路を否定するようなものだ。

 当然の事ながら容認は出来かねた。

「……ボクは、ボクを止めます。そのために強くなる」

「それを、阻む事はせんよ。じゃが、ワシはノア、お前にほれ込んだ。それはNではないぞ」

 あくまで自分は自分、NはNだと境目を引け。

 そう言いたいのだろう。

 だが、その境界がぼやけているから、自分は惑っているのだ。

「……まだ、答えが出せそうには」

「分かっておる。じゃが、いつかは直面するものじゃ。覚えておくといい」

 火は絶やさん、とアデクが薪をくべた。ノアはテントに入りかけてその背中を見据える。

 悪鬼羅刹の類へと、堕ちかけた背中。

 全てを焼き尽くす紅蓮の大火を内包する王。

 そう考えると途端に怖くなる。

 どうしてこれに勝てたのだろう?

 問い返しても答えは出ない。

 レシラムとゼクロムの力添えのお陰か。あるいは、それ以上に自分の能力が勝っていたのか。

 それも過去であったが、この時間軸では未来の出来事だ。

 明日起こる事なのだ。

「……ボクにとっては昨日でも、彼らにとっては明日、か」

 それはチェレンとベルにも言えた。

 二人の結末を自分は知っている。

 チェレンはジムリーダー相当の実力を手に入れる。ベルは研究者を引き継ぐのだ。

 だが、今の彼らに教えてどうこう出来ないように自分の過去に未来の自分が教えて何とするのだろう?

 ――お前は操り人形だ。プラズマ団の思想から外れろ。

 そんな事を言われて、以前の自分は大人しく引き下がっただろうか。

「……そんな事、分かり切っているのに」

 問い返したところで無粋だ。

 ノアは寝そべって眠気が来るのを待ったが、焼き付いた過去がこべりついてなかなか離れてくれなかった。



オンドゥル大使 ( 2017/09/05(火) 23:13 )