FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第47楽章「コトダマ」

「何という力……まともに打ち合わなくて正解だった」

 荒野を作り出したのはアデクだろう。だが、その荒野に一条の切れ目を入れたのは反逆者、ノアとそのポケモンである。

 ジャローダは素早さが特徴だ。だからこそ「みがわり」による離脱戦法が通用したのであるが、その代償のように何も回収出来ないまま逃げ帰ってしまった。

 用意しておいた車両に乗り込むのが自分一人だと分かったのか、団員達が訝しげにする。

「……もう一人は?」

「死んだ。ワタシが粛清しておいた」

 その言葉に団員達が押し黙る。

粛清。プラズマ団を裏切ればどうなるのか。その帰結を見せ付けたのだ。団員達が無言になるのも分かる。

「だ、出します」

 うろたえた団員が車両を道に出す。一般車に偽装してあったが、公道まで炎の射程領域があったのだとヴァルキュリアスリーは感じ取った。

 そこいらに塵が散見される。

「アデクめ……やるな」

「いえ、最初の炎はここまで来ませんでした。そこいらに石粒が落ちているのは、ついさっきの光のせいです」

 光。ケルディオが発生させた巨大な剣閃。

 ――あれがここまで威力を増長させた?

 その事実はある可能性を示唆している。

「アデク以上の使い手……、いや、あり得ない」

 この世でアデクよりも優れた使い手がいるとすれば、それは次の王権者か。あるいは、プラズマ団の王だけだ。

 Nよりも強い、否、Nに比肩する者。

 ヴァルキュリアスリーは忌々しげにその名を口にしていた。

「ノア……覚えておこう。貴様は我が部隊を一人で壊滅せしめた。最初の頃の評価を改めておく。取るに足らない反逆者と見なしていたが、今はもう違う。抹殺対象だ。確実に、貴様の息の根を止めてやる」

 それこそが道を違えた仲間への弔いとなるだろう。

 ヴァルキュリアスリーの超然とした立ち振る舞いに、団員の一人が質問を振りかけた。

「どうして……そんなに落ち着いていられるんで?」

「知れた事。ワタシ達を倒す、という意味がどういう事なのか、奴はまだ知らんのだ。ダークエコーズは何のために作られた兵士達なのか。そもそものルーツを履き違えている。我々に勝った、という事は間もなく知るだろう。真の地獄を」

 その言葉に団員が震え上がる。

 恐怖するのはそう遠くない。待っていろ、とヴァルキュリアスリーは歯噛みする。

「貴様を地獄に叩き落すのは、ワタシではないのだからな」












 展開されたのはまさしくこの世の地獄というほかない。

 猛り狂ったアデクも畏怖の対象ならば、昏倒したノアも同じであった。

 いや、それ以上かもしれない。

 チェレンは今も無警戒に外に出ているケルディオというポケモンに目を向ける。

 荒野を切り裂いたのは一閃であった。たった一撃が荒野に癒えない傷を刻み込んだ。地形を変える、それが王の実力ならばそれを上塗りした結果だ。

 王を、一時的とはいえ越えてみせた。

 その実力にチェレンは無意識の震えを感じずにはいられない。

 ――自分はこうも無力であった。だが、ノアは。彼は果敢に立ち向かい、敵を退けた。

 その歴然とした差に、チェレンは拳を握り締める。

「……どうして、僕はまだ弱い」

 もっと力があれば。超越する何かがあれば、こんな思いを噛み締めずに済むのに。

 あるいはそれも履き違えているのだろうか。

 そもそも、自分に強者になる権利すらないのだとすれば――。

 チェレンは血が滲むほど爪を立てていた。何ていう無力感。圧倒的な力を前にすれば、才能のない人間など血に伏すしかないという現実。

 他人よりも机上の空論では強さを並べ立てたつもりだ。トウコに勝てるだけの算段もついているはずである。 

 だというのに、確率論ではかれない世界が旅路には広がっているばかりであった。

 そのさい先で悪魔を知り、王の怒りを知った。

 自分はこれほどの現実と矛を交える覚悟などあるのか。

 ベルはその場にへたり込んで力が出ないようであった。治療が懸命に行われているヴァルキュリアワンだが、致命傷なのは誰の目にも明らかだ。

「……ねぇ、チェレン君。あたし、こんなのを夢見ていたのかな。こんな、みんなが傷つくなんて……そんなのを」

「やめるのならば、潔いほうがいい」

 そう幼馴染に容易く口に出来たのは、己への戒めもあったのであろう。

 ――潰えるのならば、早くに潰えるといい。

 いつまでも夢見られるほど、自分達は子供ではないのだから。

 チェレンの口調は冷たかったかもしれない。だが、ベルがその言葉程度で遅れを取るのならば必要ないと感じていた。

 玉座に登るのは一人。

 そこに至るまでのライバルは出来るだけ消しておきたいのが人情である。

 それがたとえ、慣れ親しんだ幼馴染であろうとも。

 非情さを伴わせていた。

 最早、関わるまい、とすら言える非情さを。

 これで縁が切れるのならばそれでいい、と考えていたチェレンに、ベルは意想外の声を発する。

「……ゴメン。あたし、甘えてたね」

 その言葉と乾いた頬を叩く音が響いたのは同時であった。

 ベルは自らの頬を叩き、叱咤したのである。

「こんなんじゃ、トウコお姉ちゃんに何も言い訳出来ないよ。まだ、旅が始まったばっかりだって言うのに、挫けそうになっているだなんて」

「ベルは優しいから、挫けてもいい」

 思わぬ声音にチェレンは困惑していた。ここで諦めるのだとばかり思っていた少女が、強く双眸に光を湛えている。

 決意の火であった。

「あたし、やるよ。トウコお姉ちゃんが全部のバッジを手に入れて王になるって言うのなら、あたしはそれを追いかける」

「バッジを全部集める、って言うのか?」

「チェレン君だって同じ目標でしょ?」

 振り向いたベルにチェレンは言葉を飲み下す。

 それはその通りなのだ。ただ、ベルはここで脱落するのだとばかり思っていた。

 王の壮絶な強さを目にし、ノアの怒りの剣を目にした自分達は逃げてもいい免罪符が与えられたのだと。

 生半可な気持ちでは王にはなれない。

 それが分かっただけでもある種、充分ではないか。

 そう高を括っていただけに、ベルの決定には当惑さえしてしまう。

「でも、王になるっていう事は今日みたいなアデクさんと、いずれ戦わなきゃいけないんだよ? ベルに出来るとは思えない」

「かもね。……あたし、グズだから。でもフォッコが教えてくれてるの。あたしにもまだ出来ることがあるんじゃないかって」

 出来る事、とチェレンは胸中に繰り返す。モンスターボール越しのケロマツに問いかけてもそれは見えてきそうにない。

 ベルには何が見えているのだ?

 自分にはどうしてそれが見えないのだ?

 当惑よりもここでは劣等感が勝った。

 ベルに見えて、自分に見えない道理はあるまい。

 ボールをぎゅっと握り締めたチェレンは言い放つ。

「獣道だ。それでも僕は行く」

 そう断言出来たのは胸の中に僅かに残る矜持があったからだ。

 トウコを超える。それだけではない。アデクも、ノアも超える。その先にこそ栄光がある。

 栄光を掴み取るのに、まだこの心は枯れていなかった。

「あたしも、隣を歩けるかなぁ」

 隣、とチェレンは歯噛みする。

 ――何を言っているのだ。王道に隣などありはしない。

 あるのは一本道のみ。しかも後戻りは許されない道だけなのだ。

 王を履き違えている、とチェレンは断じていた。ベルはまだ夢見る乙女。それに比して自分は一匹の獣。戦士なのだ。

 戦うのに何の躊躇いもない。

 躊躇いのないはずなのに、ノアの戦い振りやアデクの悪鬼の如き形相を思い返すと震えが止まらない。

 ――あれが、王に座する資格のある者か。

 自分はどうだ? と問い返した。

 玉座につく資格は誰にでも有するものではない。

 最初から、それこそ生まれ落ちた時から決まっているのだ。

 この世は勝者と敗者しかない。

 黒と白しかないのだ。

 ならば、自分はどちらかの道でいい。黒白の獣道を行く修羅でいい。

「僕は、行くよ」

 誰に言うでもなく決意した声音であったが、ベルは理解したようであった。

「そうだね。チェレン君なら成れるよ」

 己の真の理解者は己のみ。誰かを頼る事は、それ即ち弱さである。自分は弱さを露呈してまで、生き恥を晒したくない。

 何よりもトウコに誓ったではないか。

 振り返りもしなかったあのトウコに、必ず勝つ、と。

 自分の道が誤りであったと、振り返らせてみせる。

 その時こそ、チェレンの王道が輝く時だ。

 その時が来るのを待ち望んでいる。

「僕は、絶対に勝ってみせる」



オンドゥル大使 ( 2017/09/05(火) 23:13 )