第43楽章「紅い睡蓮の午後」
帰るなりアララギ教授の熱弁に付き合わされてアデクやチェレンは少しばかり憔悴しているようであった。
その口からプラズマ団による襲撃があったと聞かされ、ノアは眼を見開く。
「やっぱり……珍しいポケモンを狙って、ですか?」
「そのようじゃったな。辛うじて退けたものの危うかった」
自分のせいだ、とまでは思わなくともノアは責任を感じていた。
ならず者も、中にはいる。だが、ほとんどの団員はポケモンの解放を掲げただけの温和な人間ばかりだと思っていた。
それだけに襲撃班など半ば信じられなかった。
「ボクが、Nであった頃からそんな事が行われていたなんて……」
「そのNとやらの思想は聞き出せんかったのう。プラズマ団自体が、自律的に動いている可能性もある」
王の意向は無視して、と言いたいのだろう。アデクなりに自分を慰めてくれているのが分かった。
「でも翻れば、それは王の責任です」
「何でもかんでも背負い込むことはないじゃろうて。王とて万能ではない。ワシの目のないところで犯罪があったから、ではイッシュの王は責任を取る、というわけではないじゃろう?」
それは、と言葉を詰まらせた。
プラズマ団とイッシュでは規模が違う、と言いたかったが結局言っている事は同じだ。傲慢さも、同じであった。
「それよりも、アララギ教授の話に付き合ってくださってありがとうございます」
「帰ってくるなりあの熱弁はどうにかして欲しかったがのう」
苦笑するアデクにノアは笑い返した。
「ケルディオが相当気に入ったみたいで。研究者って言うのは突き詰めないと気が済まないんですかね」
「人によりけりじゃろうが、ワシは会ってきた研究者はみんなそんな調子じゃよ。何でもかんでも、果ての果てまで考え込む。それが研究者みたいじゃのう」
「ケルディオには先がある、とも言われました」
掴んだボール越しにケルディオの視線を感じ取る。
あの黒白の一撃を制御出来れば、ともすればこれまで以上に戦いを優位に運べるかもしれない。
ただ、それほど容易い道だとはやはり思えないのだ。
「先、か。それが明るいものなのか、暗いものなのかはさておき、先がある、というのならば突き詰めようもある。トレーナーはいつだってその先駆者じゃからな」
「ケルディオを使いこなせれば、もしかしたら戦いを出来るだけ少なく済ませる事が出来るかもしれない」
「少なく、か。しかしノアタロー。お主が思っておるほど、世の中は平和主義者ばかりではないよ。戦いの中でしか、己を誇示出来ない、死狂いもおるのじゃ。そのような奴らにとってしてみれば、ケルディオの先にあるのは戦いの連鎖かもしれん。ワシが言えるのは、所詮その程度よ」
重く圧し掛かる。ケルディオを制御出来たとしても戦いを減らす事は出来ないのかもしれない。だが、今は少しでも前へ。
その思いを胸に抱いたノアは、そういえばと言葉にしていた。
「チェレン君達を助けたって聞きました」
「なに、本当の意味で助けたわけじゃない。実際には、あのお嬢ちゃんが既に手を打っていた」
アデクの弁によれば、自分が本格的に助けた出したのは後半で、序盤ではチェレン達は既に立ち向かっていたそうである。
あまりにもこの時間軸、ノアのいた時間軸とは差異が生じていた。
チェレン達が旅路に出る前に死にかけるなどあってはならないはずである。
だが、現実にはプラズマ団員の強襲に遭い、危うくトレーナー志願を取り消すところでもあったという。
「何が、ボクのいたあの時間と違うんだ……。少しずつ、何かがずれている?」
「ノアタロー。時間軸って言うのはそんなに差が出るものなのか?」
「ボクにも……分かりません。本当のところは。でも、もし差が出ているとすれば、その原因は……」
濁したのは時渡りの使い手。セレビィの所有者の姿が脳裏で結んだからだ。
眼帯のNの言ったように思考実験としてこの時間軸に放り込まれているのだとすれば、一人の差異が全員の歪みとして発生する場合がある。
しかもNという稀代の偉人を少しずつではあっても投入しているとなれば、その亀裂はとてつもない大きさになるだろう。
自分が偉人である、という感覚はなかったが、英雄として、あるいはプラズマ団の王として立った以上、歴史に名を残した人間であったのは間違いない。
だからこそ、名を捨てざるを得なかったわけだが。
「捕縛したプラズマ団員は? 話が聞けますか?」
その問いにアデクが首をひねる。
「聞いてどうする?」
「今のNがどのような状態なのかを知らなければ戦略は練れません。それに、もし、この時間軸にレシラムがいないのだとすれば」
それは英雄の不在を意味する。
レシラムが在るべき場所に存在しない時間軸だとすれば、Nの行動自体が無意味だ。
アデクはふぅむ、と顎に手を添えた。
「考える事が多過ぎて仕方がないのう。まぁ隣町の警察所で捕まっておるはずじゃ。ワシの名前を出せばすぐにでも面会は可能じゃろうが」
「頼みます。ボクは、一つでも知らなければならない」
そうでなければこの先を進むのに躊躇うばかりである。
アデクは後頭部を掻いて首を鳴らした。
「しかし、バンジロウとまた戦ってくれたようじゃな。ワシとしては素直に嬉しいぞ」
「嬉しい、ですか……?」
「強敵と見える事を第一に考えておるあの孫の頭を冷やすのにはな、強い奴と戦わせるのが一番じゃて」
アデクの考えている事が分からない。ノアは尋ねていた。
「お孫さん……バンジロウをチャンピオン次期候補にするつもりはないんですか?」
「ない」
きっぱりと言われてしまった。その口調に気圧されたほどだ。
「ない、って……でも血縁者ならその資格はあるんじゃ」
「そういうの、一番に嫌うようにワシの血は出来ておるみたいじゃ。本人もじィちゃんのコネでなるくらいなら願い下げだ、って言っておる。まったく、誰に似たのやら」
そういう真っ直ぐな部分がきっと、アデクの心根を受け継いでいるのだろう。
ノアは一言、らしいですねと返していた。
「バンジロウらしい、理由です」
「ワシは正直、誰でもいいとは思ってはおる。王になるのに誰でもいいと言えば、ポケモンリーグ本局の頭の固い役人共が怒るじゃろうが、ワシは誰でもいいんじゃ。強者の心さえ守ってくれれば、誰でも」
ノアはその言葉に答えるべきか迷った。
未来の世界では、あなたに代わってアイリスという年少の少女が王になっている、と。その王の年代も代わり、新たな王が立つ、とも。
言ってしまってもいいのだが、それも歪みの一員になりかねない。
ここは黙っておく事にした。
「強者の心、ですか」
「そうだとも。如何にして相手と向き合い、ポケモンと向かい合い、その上で戦うかどうか。ワシはそれに尽きると思っておる。そういう神経さえ整っておれば誰でも、という意味じゃ」
アデクらしい信念である。ノアは一種の羨望さえも抱いていた。
「ボクには、そういう王への信念がなかった。だから取って代わられた、と言ってもおかしくないのかもしれない」
ゲーチスに。もっと言えば他の者達に。
自分はただの張りぼての王であった。だから居ても居なくともどちらでもよかった。ただ都合のいいほうに流されただけだ。
「ノアタローよ。王というのは正直、とてつもなく大変じゃ。よく分かるぞ。じゃがな、逃げてはならのもまた、王の役目よ。王は決して背中を見せてはならんのじゃ。それがどれほどの窮地であろうとも、絶対に逃げる事だけはしてはならん」
自分はあの時逃げたのだろうか。
ノアは掌に視線を落とす。
あの時、英雄の戦いが決した瞬間、自分はサヨナラを告げた。
それはこの世界から自分を消し去る行為であったのだが、結局のところ自分は逃げたのだ。
この世界の残酷さから。あるいは、全ての重圧から。
逃げなければ押し潰されていた。
責任と言う名の重石が自分を消し飛ばしていただろう。
「ボクは、一度逃げた。だからもう逃げられない。逃げちゃ、いけないんだ」
「その覚悟があるならいいんじゃんろう。ワシはお主が自分で言うておるほど悪人ではないと思うぞ?」
アデクの気安い笑みに、ノアも微笑み返した。
「そうならば、いいんですけれどね」