FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第42楽章「未來のイヴ」

 トレーナー登録の場にアデクを同行させて欲しい。

 そう願ったのは何も間違いではなかったのだろう。しかし、アララギ博士は驚愕していた。

 事件の経緯を話し、プラズマ団を捕縛してもらった後に、ようやくトレーナー登録の運びとなったのだが、アデクは同行を拒否し帰ろうとした。

 その背中を引き止めたのはチェレンの声である。

「待ってください……。僕は、あなたのようになれますか? 強く、なれますか……?」

 ベル一人守れなかった。アララギ博士も、だ。自分だけが男なのに。男としての使命を果たせなかった。

 その恥辱に、トレーナー登録を躊躇ったのもあった。

 だが、ここの瀬戸際で逃げてはならない。躊躇ってはならないのだと、チェレンはアデクに同行を頼んだのだ。

 アデクは頬を掻いてきょとんとしている。

「お主、あまりワシの事は好かんのだろう? だというのに、何故」

「それは……」

 まざまざと見せ付けられれば張りぼての理論なんて消し飛んでしまった。

 強さこそが全て。

 強ければその主張がまかり通り、弱ければ地を這い蹲るしかない。

 トウコがあの日、孤児院を一人で出て行ったのもきっと同じ理由だったに違いないからだ。

 ならば、自分は同じ目線に立ちたい。

 立って、その上で自分の行く末を決めたいと感じていた。

 チェレンの瞳が本気だと分かったのだろう。アデクは首肯する。

「……分かった。トレーナー登録の際に必要なサインに、ワシの名を書こう」

「アデクさん……! 本当に、いいんですか?」

 アララギ博士の声にアデクは手を払う。

「所詮、ワシはただのジジィ。これくらいしか後進の者には出来んよ」

「でもあなたはこのイッシュの……」

 言いかけたアララギ博士にアデクは指を立てる。ここはポケモンセンターだ。人の目のある中で王者と名乗るのは相応しくないだろう。

「お願い、します」

 チェレンは頭を下げていた。これまでの人生で他人に頭を下げた回数など片手で数えるほどしかない。

 それでも、ここは退きどころではなかった。絶対に譲れない男の一線があったのだ。

「引き受けるとも。それと……お嬢ちゃんはどうする?」

 ベルはハッとして面を上げる。

 チェレンはその言葉に疑問符を浮かべていた。

「どうして、ベルなんです?」

「見ておらんかったのか? 炎で車を守った最初のともし火は彼女のものじゃよ。ワシとてウルガモスで車体を焼いたように見せるなど出来ん」

 チェレンはその言葉に呆然とした。

 ――最初の車を焼いたように見せかけた炎がベルのもの?

 にわかには信じがたく、アデクはわざとペテンを騙っているのだとチェレンは判断した。

 ベルに夢を諦めさせないための口実作りであろう。

「……ベルも、トレーナー志願だったよね? どうする?」

 どうせここで及び腰になるだけの少女だろう。

 そう断じていたチェレンに、ベルは唾を飲み下して意見した。

「あたし……トレーナーになりたい」

 その言葉に、チェレンは冷たい眼差しを向ける。

「今日みたいな目に、もっと遭うかもしれないんだぞ」

「でも、あたし、自分で知りたいの……。自分の力を……どこまでやれるのかな、って。おかしいのかな?」

 一時的な気分の昂揚に酔っているに違いない。チェレンはそう判じた。

「では僕とベル、二人分のサインをお願いします」

「ううん。あたしはアララギ博士のサインだけでも」

「いんや、お嬢ちゃんのサインも書かせてもらおう。一人が二人になっても変わらんからな」

 アデクが優しいだけだ。チェレンはそう気取っていた。

 ベルはおずおずと書類を差し出す。

「じゃあその……よろしくお願いします」

「応よ! ワシの名前程度ならばいつでもいいぞ」

 サインをねだった少女の願望程度ではどうせ伸び悩む。それが目に見えていたが、チェレンは黙っていた。

 ポケモンセンターにポケモン回復と同時にトレーナーとして登録される。

 記念すべきこの日に写真を撮ろう、とアララギ博士が提言した。

「いや、僕はいいですよ」

「何で? 一生に一度じゃない。あたしは撮りたいなぁ」

「じゃあベルだけにしなよ。僕は恥ずかしい」

「もうっ! 素直じゃないんだから。ほら!」

 肩を引かれた拍子にシャッターが鳴る。ばっちり捉えたレンズにチェレンは襟元を整えた。

「きっと、酷い顔になっている」

「そんな事ないって。ほら、いい表情」

 撮影されたその写真を、チェレンは目にしなかった。どうせ、必要もあるまい。

「トレーナー登録を。一刻も早く旅に出たいんです」

「せっかちだなぁ……。あたしもー」

 二人のトレーナーと二体のポケモンが書類として提出される。

「では、ポケモントレーナーチェレン。手持ちポケモンはケロマツ。ポケモントレーナーベル。手持ちはフォッコ、で構いませんね?」

 最終確認のそれを二人して頷く。

「ああ、ここからが」

「スタート、だね」

 嬉しそうなベルの横顔に、チェレンはふんと鼻を鳴らす。

 この時だけだ。どうせ挫折を味わい、この少女はすぐに帰りたくなるだろう。

 自分は違う。強さの高みを目指す。今日見せ付けられたその領域を遥かに超えてみせるのだ。それこそ、トウコが言っていたように。自分も悠然と言ってみせる。

「僕はチャンピオンを超える。そのためだけに、強くなってみせる」

 トウコがあの日、出て行ったように。

 自分もまた、故郷を振り返りはしないだろう。












 制御用の楔を解き放ったダイケンキがアシガタナを振るい上げる。

 その先にいたジャローダともつれ合い、互いに干渉波のスパークを弾けさせた。

「まだ、完全回復では……!」

 研究員の声を振り払い、ヴァルキュリアワンが攻勢に入る。

「充分だ」

「ああ、これでも戦える」

 冷静な面持ちのヴァルキュリアスリーに対し、ヴァルキュリアワンはどこか気後れしていた。

 どうして、ヴァルキュリアツーは離反したのか。

 その命題がいつまでも脳裏にこびりついているのだ。

 ダイケンキの命令が鈍る。ジャローダがその腕をツタで締め上げた。

 アシガタナを握る手が緩んだ隙をついての「リーフブレード」。それが叩き込まれたかに思われたが、ダイケンキはもう一方の腕を払う。

 発生した水流がジャローダの行く手を阻んだ。

 真正面から「ハイドロポンプ」を受けたジャローダが距離を取ろうとするのを、ダイケンキは見逃さない。

 ツタを手がかりにして一気に接近し、その躯体にアシガタナの切っ先を突っ込む。

 だが、それは新緑の植物が作り出した幻影であった。

 刺さった瞬間、ジャローダの肉体を構築していた新緑が解け、そのまま霧散する。

 そうなれば向かうべきは一つ。

 振り返り様の斬撃を見舞ったダイケンキとジャローダが激しくぶつかり合い、鍔迫り合いを繰り広げた。

「……すごい」

 感嘆した様子の研究員の声音を受けながら、ヴァルキュリアワンは僅かにダイケンキの挙動が鈍いのを感じ取っていた。

 回復のせいではない。自分の覚悟のせいだ。

 トレーナーの逡巡はそのまま、ポケモンへと直結する。

 ヴァルキュリアワンの心の弱さがダイケンキの動きに迷いを生じさせ、振るったアシガタナがツタで止められる。

 そのまま何重にもツタでアシガタナが縫い止められ、動けなくなったところをジャローダが全身から新緑の暴風を生み出した。

 全身を切り裂く緑の烈風をダイケンキは満身に受けながら、ジャローダの隙を窺う。

 だが、ジャローダに迷いはない。

 ヴァルキュリアスリーに迷いがないように、そのポケモンにも迷いはなかった。

 舌打ちし、ヴァルキュリアワンはボールに戻す。

 これ以上の戦闘は無意味であった。

「早いぞ。まだ危険域にも達していない」

 糾弾の声にヴァルキュリアワンは頭を振る。

「今のままでは、まともに戦える気がしない」

「離反者の事か。もう忘れるんだな。我々に与する事の出来なかった者など」

「でも、ぼくらは全員、同じのはずだ! そうだろう?」

 覚えず声を荒らげたヴァルキュリアワンに比して、ヴァルキュリアスリーは冷徹であった。

「だからどうした? 同じであっても戦闘能力に差があるのでは意味がない。我々はダークエコーズ。闇の反響音だ。だというのに一人でも乱れがあれば、それは統率としての意味をなくす」

「それでも……ぼくらは意味があると信じたい」

「信じたいのは勝手だが、今のような戦いぶりでは死ぬぞ」

 ヴァルキュリアスリーの言葉に硬直する。

 どうすればいい?

 どうすれば、この弱さを払拭出来る?

 分からずにヴァルキュリアワンは拳を握り締めた。

 研究員が歩み寄り、同調率を告げる。

「ジャローダ、ヴァルキュリアスリーは同調率四十パーセント。ヴァルキュリアワンは同調率、三十二パーセントです」

 やはり数値の上でも遅れを取っているのか。ダイケンキを戻したボールを見やり、ヴァルキュリアワンはこぼす。

「どうすれば、届く……」

 これ以上、何を犠牲にすればいい?

 戦うのに必要なもの以外は全て削ぎ落としてきたつもりであった。

 だが、結果としてその削ぎ落としたものがうまく行かなかった、という事だろう。

 仲間に遅れを取るようでは戦えない。加えて相手にはチャンピオン、アデクがいるのだ。あの手痛い敗北をもう二度と味わうものか。

 ダイケンキがまるで児戯であった。

 水の攻撃を放つ前に全て無効化されるなど思っても見ない。

 あの黒星は自分の中でも屈辱である。

「勝った負けたに集約されるものではないにしても、このままでは何も成せやしない」

 このままではダークエコーズという部隊そのものの存続も危ういだろう。

 ヴィオからの定時連絡はなく、自分達はせいぜい模擬戦で牙を研ぐ事しか出来ない。

 その模擬戦も何回やったところで、ヴァルキュリアスリーのジャローダに追いつけもしなかった。

 自分には足りない部分がある。

 しかしそれが分からないのだ。

 分かってしまえばそれこそ容易いのかもしれないが誰も教えてくれなかった。

 闇雲に戦ったところで見えるものは限られている。

 慎重に、一つずつ詰めていこうにも時間は残されていない。

 戴冠式を前にしたNへの対抗策を全て潰さなければ、自分達の存在意義はないのだ。

 その戴冠式も、延期の話が出ているという。

 そうなれば、ダークエコーズは組織としての価値を失いかねない。

 躍起になるヴァルキュリアワンに対してヴァルキュリアスリーは冷静そのものであった。

「騒いだところで仕方あるまい。我らは常に均等の強さを目指せばいい」

 どうして、ヴァルキュリアツーが離反した今でも同じように言えるのだろう。

 自分達の一部が抜け落ちたような感覚を味わっているというのに。

「ヴァルキュリアシリーズの性能面での劣るところはありません。メンタル程度で性能が劣化するなどあるはずがないのです」

 研究者の言ではそのようだが、自分は明らかに性能の低下を感じ取っていた。

 ヴァルキュリアツーは今何をしている?

 隔離されたプラズマ団演習場などではなく、自由な空の下で何を思っているのだろう。

 自分にはそれがない。

 自由など産み落とされた瞬間からなかった。

 何故ならば、ヴァルキュリアシリーズとは――。

 その時、研究者へと割り振られた通信機に入電したのはヴィオの通信であった。

『ヴァルキュリアワン、それにヴァルキュリアスリー。君達はとんでもない、失態を犯した。その償いくらいはしてもらおうか』

「何なりと」

 ヴァルキュリアスリーは涼しげな様子だが、ここで粛清を命じられてもおかしくはないのだ。

 自分達の手でヴァルキュリアツーを殺せ、と言われても。

 ヴィオはびくつくヴァルキュリアワンの胸中を悟ったように口にする。

『仲間を手にかけるのに、いささかの躊躇いもないのが、私の設計したヴァルキュリアシリーズのはずだね。そうではないのかな?』

 試すような物言いにヴァルキュリアワンは硬直する。

 どうあっても、自分達の正面衝突は避けられないようであった。

「いえ、仰るとおりです。ヴァルキュリアシリーズに、迷いはない」

 そうだろう、と目線だけでヴァルキュリアスリーが問いかける。ヴァルキュリアワンは唾を飲み下した。

「……ええ、その通りです」

『ならば命じよう。現在、カノコタウンで確認出来た。プラズマ団員を打ち破ったアデクの存在を。そこにヴァルキュリアツーもいると考えられる。君達の一命を賭けて、粛清せよ』

「仰せのままに」

 頭を垂れるヴァルキュリアスリーに併せる。だが、心の中は決まっていなかった。

 覚悟など何一つない。

 どうやって、ヴァルキュリアツーを殺せばいいのかまるで分からない。

 通信が切れた後、ヴァルキュリアスリーは言いやった。

「ワタシは、いつでも殺せる。だが、お前はどうだ? ヴァルキュリアワン。ツーを殺せるのか?」

 問い質されてヴァルキュリアワンは返答に窮する。

 ここで迷いなく殺せる、というのがヴァルキュリアシリーズとしては正しい判断だ。

 だが、仲間を手にかけるのに一縷の迷いがあった。

「ぼくは……」

「お前がプラズマ団に貢献するというのならば、証明しろ。ヴァルキュリアツーとチャンピオン、アデクの始末はまず、お前に任せる。その遂行が困難になった時、援護に打って出よう」

 ヴァルキュリアスリーは試しているのだ。自分の覚悟を。

 このままではダークエコーズは駄目になる。それが分かっていての判断だろう。

 ――留まるのか、それとも進むのか。

 問われている決断にヴァルキュリアワンは逡巡する。

「……分かっている。ぼくだって、プラズマ団員だ」

「よし。行こうじゃないか。カノコタウン、始まりの町、か」

 始まりの町で待っているのは本当にかつての仲間なのだろうか。

 迷いの胸中を定める事も出来ずに、ヴァルキュリアワンはダイケンキの入ったボールを掴んでいた。



オンドゥル大使 ( 2017/08/25(金) 23:16 )