第41楽章「ビアンカ」
「そうですか、プラズマ団が……。分かりました。話を聞く準備をしておきます」
ノアはアデクから一報を受け取って受話器を置く。自分の与り知らぬところでプラズマ団員が動き、アララギ博士へと襲いかかった。最早Nの名前は捨てたとは言え、自分の事のように責任を感じてしまう。
「そんな顔すんなって、兄ちゃん。誰も兄ちゃんを責めやしない」
バンジロウは理解しているのだろう。ノアの少しの翳りに気づいたようであった。
「……お見通しだな。アデクさんにもキミにも」
「分かりやすいんだよ。それに、じィちゃんだってさ、今回は手が回ったけれど毎回、ってわけじゃないしな。運がよかった、それだけなんだ」
「運、か」
全ては運が招いた事なのだとすれば、どれほどに残酷なのだろう。
チェレンとベルは旅の矢先にこのような災難に遭ってもしかしたら旅をやめるかもしれない。そうなってしまえば自分のいた時間軸とはさらに異なってしまう。
「これ以上、落差が出来てしまうと、本当にボクのいた時間軸とは違ってしまう」
「それもアリなんじゃね? オレ、頭使うの苦手だからよく分からないけれどさ。元の時間にこだわる意味ってあんの?」
「それは……! その通りかもしれないけれど」
尻すぼみになってしまうのは自分自身がこの時間軸にあるべき存在ではないからだ。
どうしたって結局、自分の存在がネックになってしまう。
バンジロウは胡坐を組んでいたが、やがて立ち上がった。
「兄ちゃん。やるぞ」
「……やるって?」
「ポケモンバトルだよ。こんなモヤモヤした時には戦うべきだ」
ノアはしかしその提案に乗り気ではなかった。
「……でも、チェレン君達が襲われた時に、ボクらがバトルなんて」
「必要なんだよ。オレも兄ちゃんも強くならなきゃいけない。ヴイツーのあんちゃんみたいなのを、二度と出しちゃいけないんだ」
その言葉には力がある。本当に、バンジロウは心の奥底から強さを探求しているのだろう。
自分とは違う。否、自分では目指せない領域であった。
王の孫、それだけでも重圧だと感じてしまうが、彼はそれを跳ね除けていく。
跳ね除けた上で、自分の道を行く。
それこそが王道だと示すのだ。
案外、王の影響を間近に受けている分、その行動には迷いがないのかもしれない。
「いいよ、やろう」
「バトルコートの設営は出来たって聞いたしな」
アララギ博士の父親が審判に入り、バトルコートへと赴く。
今まで野良バトルばかりであったので、こうした本格施設は久しぶりの感覚があった。
吹き込む風もどこか普段とは違う。
「兄ちゃんは、ケルディオだよな?」
「キミはメラルバで?」
「ああ。オレ、強くなる必要があるからな。一日も早く、メラルバで頂点を目指す」
その言葉にいささかのてらいも見られない。
彼は強くなる。自分はどうだ? と問い質した。
自分は何者になれる?
ケルディオと共に、プラズマ団打倒など成し得るのだろうか。
その迷いの胸中にバンジロウがモンスターボールを投げた。
出現したメラルバが赤い触手を揺らめかす。前回、ほぼ相討ちに持ち込んだ相手だ。
しかし、お互いに強くなっている。
その影響を受け合って、共に高みを目指している間柄だ。
だから、ここでの勝負は真剣。
手を抜いた側が殺されても何らおかしくはない。
「行け、ケルディオ!」
繰り出されたケルディオが全身の毛を逆立たせ、戦闘姿勢に入った。
ケルディオの能力もまだ発揮し切れていない。まだ、自分は弱いのだ。
「行くぞ! メラルバ、まずは熱放射で相手の動きを制する!」
メラルバの触手が一斉にケルディオへと据えられる。熱放射攻撃。今まで何度も目にしたが、その精度、攻撃命中時のダメージ共に跳ね上がっている。
バンジロウの成長と同期しているかのようだ。
メラルバは確実に応えてくれている。
ケルディオと自分はどうだ。
戦いの度に強くなっているとはいえ、ケルディオには未知の部分が多い。
「熱放射を水の皮膜で防御! その上で接近だ! アクアジェット!」
蹄を鳴らしたケルディオの足元から水の勢いが迸り、熱放射をガードした。
瞬時に蒸気と化する事から相当な熱であろう。
しかし、ケルディオはその攻撃網を潜り抜け、メラルバへと接近する。
その角先を掲げて姿勢を沈めた。
「インファイト!」
超近接攻撃がメラルバの身体へと叩き込まれようとする。瞬時の攻撃をメラルバはしかし、不意に跳ねて避けた。
否、跳ねたのではない。
赤い触手が一斉に下を向いている。
熱放射を推進剤のように用い、咄嗟の回避を実現したのだ。
――やはりその精度は上がっている。しかも、飛び切りに。
一つの戦いごとに研ぎ澄まされていくものがあるような気がしていた。
バンジロウはまだ若い。幼ささえも漂わせる相貌はしかし、戦士としての未熟さの証明ではない。
彼はまだ伸びる。
まだいくらでも強くなる。
それが恐ろしくまた同時に――ノアの戦闘神経を昂揚させる。
どこまでも強くなる相手との戦いは自分も成長出来る機会であった。
「ケルディオ、逃がすな! アクアジェットで追撃!」
水流を纏いつかせ、ケルディオがメラルバへと肉迫しようとする。メラルバは白い体毛を真っ赤に彩らせた。
「フレア、ドライブ!」
通常ならば水の皮膜を纏った相手に炎というのは下策というほかない戦法だ。
しかしそのレベルが違う。
炎を身に纏い、火達磨のようになってケルディオの水の皮膜を剥ぎ落とした。
その威力、まさしく紅蓮の操り手に相当する。
だがケルディオとて負けていない。
「皮膜を剥がさせるな! ハイドロポンプで追撃!」
蒸気と化した水の残りカスを利用して「ハイドロポンプ」の触媒を形成する。
瞬時に構築された水の砲弾にメラルバは着地してその矮躯を広げさせた。
「受け止めろぉ!」
水流が形作られ、メラルバへと殺到する。瞬間、メラルバに触れた部位から気化していた。
今のメラルバには目に見えない炎熱のバリアーがある。そのバリアーを引き剥がさない限り、水の遠隔攻撃は通用しないだろう。
――ならば。
ノアは拳を握り締め、ケルディオに命じていた。
「ケルディオ、あの時の技だ。レシラムを倒した時の、あの黒白の技を使うしか、ここで場を制する方法はない」
自分でも技の名前は分からない。しかし、ケルディオは秘めている。
その小さな身体に相当な性能を。
それを引き出すのはトレーナーである自分の役目。
ケルディオが角を掲げる。
一瞬だけ、黒白の磁場が纏いついたのが視界に入った。
「打ち下ろせ!」
「させるな、メラルバ! 熱放射で距離を取る!」
昂揚した精神がケルディオの鼓動を感じさせ、ノアは吼えていた。
ケルディオもその喉から叫びを奔らせる。
次の瞬間、熱放射によってケルディオの下腹部に火傷が発生した。だがそれと同時に、ケルディオが刃を振り下ろす。
その刃はメラルバにかかりかけて、空気中に霧散した。
黒白の光が失せ、ケルディオがその場に膝を折る。
まさかの王手であった。
審判が旗を揚げる。
「勝者、バンジロウ!」
僅かな差であった。いや、差などなかったのかもしれない。この場で言える事は、ケルディオにはまだその技は使いこなせない、という一事だけ。
「……ケルディオ、お疲れ様」
ボールに戻そうとしたのをアララギ教授が遮る。
「待つんだ。今の技、何だったんだい?」
研究者として興味があるのだろうか。歩み寄ってきたアララギ教授にノアはしどろもどろになる。
「えっと……ボクにもよく分からなくって」
「よく分からない技とは言え、かなりの威力と見た。ちょっとこっちに来なさい」
手を引かれ、ノアは困惑する。
「ちょっと……! ボクが何かしましたか?」
「何かというか、単純に気になるんだよ。ケルディオ、というポケモンの記録も実はないんだ。だというのに、キミはそれを使っている。……皮肉な事に、使いこなせてはいないようだが、それでもケルディオはある程度君を信じているようだ。何かがあるに違いない」
アララギ教授の持ち出したのは特殊な機器であった。ケルディオの角に吸着する機械を押し当て、何かを測っている様子だ。
「あの……もう一度戦いたいんですけれど」
「今は待ってくれ。何かの攻撃痕が残っているはずだ」
「攻撃痕……」
「ポケモンは特殊な磁場を形成し、あらゆる属性を操っている。何もないところから水を出すのはどうやってなのか。何もない場所から岩を自らの武器とするのはどうやって、なのか。それはポケモンの発生する一種の粒子が関係していると言われているんだが、定かではなくってね。ただ、技を撃った直後ならばその粒子が残っているはずなんだ。その粒子の波形からポケモンの技を絞り出す」
「んだよ、オッサン。兄ちゃんとオレの勝負に文句あんの?」
バンジロウが不服そうに頬をむくれさせた。アララギ教授は微笑んでそれを制する。
「いいや、とても素晴らしいバトルだった。お互いに信頼が築けている。だが、あと一歩が両者共に足りていない印象だな。メラルバのほうはトレーナーが気を急き過ぎている。ケルディオのほうは逆だね」
「逆、ですか……」
「そう。ポケモンが気を急いている。君の期待に一つでも応えようとして、ね。だが、これはまだ引き出される前の技なのかもしれない。今、属性が絞り込めた。格闘タイプだね」
「格闘……」
確かにケルディオのタイプ上、謎の技は格闘タイプだと判断するのが正しい。しかし、そんな技が発生するのか。
「物理技だ。だが、データベースには存在しない。新発見の技かもしれない」
「新発見って……じゃあ今までにない技だって事ですか?」
「そう考えたほうが辻褄も合うんだ。未発見のポケモンに、未分類の技。格闘タイプの物理技だが、威力計測を行おう。少しだけでいい。ケルディオに力ませてくれ」
ノアはその言葉にケルディオと目を合わせた。力ませろと言われても勝手が分からない。
「どうやれば……」
「技を命じてくれればいいよ。アクアジェットでも、インファイトでもいい。とにかくそこから派生する技だという事は間違いないんだから」
逡巡を浮かべた後、ノアはケルディオに命令した。
「じゃあ、インファイト」
ケルディオがその躯体に力を込める。途端、機器の針が大きく動いた。
「やはり、格闘なのは間違いないね。しかもこれは……角に大きな意味を持っているようだ。切断系の技かもしれない。切り裂く、辻斬り、亜空切断などなど、切断系の技は多岐に渡るが、これはどれでもない。未発見なら君が名付け親だ。この技をどう名付ける?」
その問いにノアは返答しかねた。まだこの技を使いこなせてもいないのに技の命名など出来はしない。
「その……完全に使いこなせてから、でいいいですか? 今のボクじゃ、まだ名付け親なんてとても……」
「ああ、そうか、そうだね。いや、確かにトレーナーと研究者に大きな隔たりがあるとすればそれだ。私達は一日でも早くその現象に名前をつけたがるが、開拓分野のトレーナーは案外、そういうのには無頓着なのが多い」
「おい、オッサン、ケンカ売ってんのか」
開拓分野であるところのバンジロウのような根っからのトレーナー気質には侮蔑の言葉に聞こえても不思議ではない。
滅相もない、とアララギ教授は否定する。
「フィールドワークの有用性はホウエンのオダマキ博士が証明しているし、書を捨て町に出ようってのは間違ってはいないんだ。ただ、私達はとてつもなく、その机上の空論を埋める必要がある。それが開拓者と研究者の違いだね」
「ボクも割と確率論とか信じる傾向の部分があるから、どっちにも納得出来る。大丈夫だよ、キミのメラルバは褒められどすれ貶められるような実力じゃない」
バンジロウは後頭部を掻いてその言葉を受け止めた。
「……オレ、難しい話は全然わかんねーし、そーいうのじィちゃんも得意じゃないんだけれど、まぁ、けなされていないんならいいよ」
納得したバンジロウとの再バトルを申し出ようとしてアララギ教授は言い含めた。
「しかし、考えてはもらえないだろうか、ノア君。君には何かしら、感じるものがある。だからポケモンの命名も、出来ていいと思うんだが……買い被り過ぎかな」
プラズマ団のNであった事は話していない。それでも、ある程度の実力者には分かってしまうものなのだろう。
ノアは微笑みつつ、それに応じていた。
「あまり、買い被らないでください。ボクは、ただの一トレーナーですから」