FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第40楽章「RED WALTZ」

 水かきを持ったそのポケモンはすっと前に出た。――ケロマツ。カロスから送られてきたうちの一体。

 自分がパートナーに選ぼうと思っていたポケモンだ。

 プラズマ団員はその様子を目にしてぷっと吹き出した。

「ヒーロー登場かと思いきや、ケロマツかよ! 電気を持つライボルトに、ケロマツの攻撃が届くのかぁ?」

 ライボルトの体表で皮膜のような電気が跳ね上がり、ケロマツを焼こうとした。

 その攻撃に対し、チェレンは言い放つ。

「ケロマツ、畳替えし!」

 ケロマツが地面を叩きつけた刹那、捲れ上がった砂塵が電流を防いだ。

「たたみがえし」は一時的に相手の攻撃を無効化する技だ。

 それが一回目で決まった。その昂揚感はチェレンを押し包むのには充分であった。

 ――攻撃は有効。勝てる。

 その感触にチェレンは息を詰める。攻撃の手順さえ間違えなければ自分とケロマツでも勝利出来る。

「ケロマツ、砂塵を纏いつつ、泡攻撃!」

 身体に砂煙を身に纏ったケロマツが跳ね上がる。

 一発分の電流は防げるはずだ。

 ケロマツが口腔を開いた途端、相手の電流の網がケロマツを捉えていた。

 それは計算とはほど遠い――完全なる誤算であった。

 ケロマツが電流の投網にかけられてその場に縫い付けられる。

 一瞬であった。

 肉迫したライボルトがケロマツの首筋に前足をかけている。

 いつでも体内を焼けるだけの電流が撃てるサインであった。

「そんな……」

 昂揚した神経が急速に萎えていく。

 一撃の電気は防げる、計算であったのに。

「坊主。いい事を教えてやるよ。ポケモンバトルは確率だけで出来上がっているわけじゃないんだ。相性、優位不利、あるいはどうしようもなく埋められないレベルの差。この場合は、その一つだな」

 レベル差で、自分の戦略が覆された。

 チェレンは固まってしまう。

 身体の芯が石のように重たくなった。

「どうして……勝てるはずだ、こういう時。だって僕はそのために……」

「頭の足りないガキだな。物分りよさそうなのは顔だけか? 言ってんだよ。レベルが違うって。ライボルト」

 プラズマ団が顎でしゃくった途端、ケロマツの体表に微弱な電流が走った。それだけでケロマツは麻痺してしまう。

 ――次は。

 チェレンは必死に次の手を練ろうとするが全く脳裏に勝利のビジョンが沸いてこない。

 それどころか色濃い敗北の死神が手招いているのがありありと映った。

 このまま負けるのか。

 負けて蹂躙されて、自分達は旅に出る前に、現実を知る。

 それが運命なのか。

「安心しろ。殺しはしねぇよ。ただ、カロスのポケモンは珍しいから、生け捕りだ。ライボルト、あの車にも誰かいるな? 攻撃しろ」

 ライボルトが鬣を開いて電流の投網を広げようとする。チェレンは咄嗟に庇うように前に出た。

 瞬間、身体を打ち据えたのは引き裂くかのような激痛。

 電流が少し身体を撃ち抜いただけだ。しかしそれだけで、チェレンは震えが止まらならなくなっていた。

 ――分からない。ただ、怖い。

 攻撃される事も、何よりも何にも出来ずに敗北する事も。

 ライボルトを率いたプラズマ団員がこちらへと歩み寄ってくる。

 戦え。火を灯せ、と必死に念じたが身体は言う事を聞いてくれない。

 ――ベルと博士を守るのだろう。

 ビジョンは描けているのに、ケロマツは動いてくれない。自分の身体も全く言う事を聞かない。

 勝利までの輝ける栄光が走馬灯のように駆け抜ける。

 これだ。これが勝利の栄光だ。

 それこそが勝利者の酔う事の出来る唯一の特権だ。

 それが見えているのに――。

 チェレンの傍をライボルトとプラズマ団員が通り抜ける。

 身動き一つ取れないチェレンは無視された。

「退けよ、ガキ」

 突き飛ばされて初めて、勝利のビジョンが遠ざかっていく事に気づく。

 まだだ。まだ行くな。

 そう願うが、勝利どころか眼前にあるのは敗北よりも惨い、挫折であった。

「まだ、僕は……」

 何も成していない。だというのに、一方的にやられてしまうのか。

 トウコを、超える事も出来ていない。超えてやると誓った。あの日の背中に、何一つ言えないまま、自分は……。

 鉛のように固まった身体で宙を掻く。誰か、誰か自分達を――。

「……助けてくれ」

 瞬間、発生したのは灼熱であった。

 高密度の炎が車両を包み込み、その鉄塊を融解させている。

 振り返ったチェレンの眼にしたものは信じ難い光景であった。

 六枚の翅を擦り合わせ、天使とも悪魔ともつかないポケモンが佇んでいる。放たれた炎のフィールドにライボルトを完全に捕縛していた。

「な、何者!」

 叫んだプラズマ団の声音に応じたのは余裕のある声であった。

「何者、か。それを問うのは少しばかり、野暮というものよ」

 ゆっくりと歩み寄ってくるのは仙人じみた風体をした赤髪の老躯であった。だが、その眼光にいささかの衰えもない。

 まさしく王者。そう呼ぶとしか形容しようのない風格を漂わせ、アデクがこの場を支配していた。場を圧倒するそのパートナーポケモンにプラズマ団員が絶句している。

「あれは、チャンピオン、アデクか……」

 アデク。その名前にチェレンは硬直する。あの老人か? あの風来坊じみた男が、自分達を助けに来たというのか。

 しかし、何故。

 その問いにアデクは微笑みつつ応じた。

「珍しいポケモンを引き連れたアララギ博士に、敵が飛び込んでくるは必定。下がっておれ、博士。ワシが敵に引導を渡してやろう」

 燃え盛るフィールドが拡張し、ライボルトを捉えようとする。しかし、その前にライボルトは疾走して射程を逃げ出していた。

「馬鹿め! ライボルトの素早さを嘗めるな! いかにチャンピオンとは言え、我々の行動を邪魔立てする事など」

 そこで言葉が途切れたのはプラズマ団員が直後に巻き起こった光景を処理出来なかったからである。

 炎熱の只中から浮かび上がったウルガモスの像がいくつも幻影を作り出した。

 瞬時に六体に増えたウルガモスの姿にライボルトと団員が戸惑いを浮かべる。

「では、この六体からどれが本物なのか、分かるかの?」

 アデクの試すような物言いにライボルトを携えた団員がうろたえたが、それも一瞬だけ。すぐさま手を払い、攻撃を命じる。

「どうせ、うち五体は何も出来ぬでくの坊! 撃ち抜いてしまえ!」

 そう高を括ったライボルトの電撃がウルガモスを射抜こうとする。途端、ウルガモスの姿が電流を浴びて分裂した。

 七体目のウルガモスに団員は目を見開く。

「ハズレを引いても、お主らには何の得もないぞ? 消えるどころか、ワシとウルガモスはこのフィールドを既に制している。さて、何の用じゃったか、言ってもらおうか」

 歩み出たアデクの声音に一瞬だけ息を呑んだものの、幻影を全て潰せば問題ないのだと団員は判じたようだ。

「ライボルト! 全方位攻撃! 雷を乱れ撃ちだ!」

 ライボルトが鬣を展開し、全方位に向けて「かみなり」を発射する。しかし、その幻影が今度は消えるのではなく、瞬時にライボルトの眼前に立ち現れた。

 絶句したのは団員とライボルトと同時。

「嘘だろ……どうやってこの距離を」

「それこそ、野暮というものよ。ワシはこの射程を既に制しておる、と先に言った。つまり、このフィールドで起こる出来事は全て、この掌の上」

「い、如何にチャンピオンといえどそれほどの領域など!」

 調子を取り戻そうとした団員であったが、直後、発生した火炎がライボルトを打ち据えた。

「ならば分かりやすく言ってやろうか? ――王者を嘗めるなよ、三下共。貴様らなど、ワシの牙にかけるまでもない。ライボルトを中心軸に炎熱を発生。三十パーセントの範囲内でいい。炭化灼熱、炎上無双」

 ウルガモスの弾き上げた火炎の範囲内に団員達が放り込まれる。たちまち巻き起こった炎のフィールドに団員達がたたらを踏んだ。

「嘘だろ……こんな……突破出来ないなんて」

「それがこの地の王との差よ。貴様らは嘗め過ぎた。ウルガモス、体内から焼いてやれ」

 その言葉に団員達が腰を砕けさせる。許しを叫び、必死に命乞いした。

「お、俺達はちょっとした出来心で……どうかお許しを!」

「許す? ワシがどうして許さねばならん。ワシにはそこまでの人格はないからのう。人一人殺すのに、さほど頓着はせんぞ」

 火炎の一端が団員の服に燃え移り、団員達が続いて失神する。

 そこまで、とアデクが命じると今までの炎が嘘のように鎮まった。炎熱に包まれていた領域が水を打ったように静かになる。

 焼かれていた草木も、焦げ痕さえもない。

 炎に包まれていたに思われていた車両からベルがよろりと歩み出していた。炎は、車の内部だけを焼かずに外部フレームだけを保護していたのだ。

 全ては相手のポケモンの攻撃が届かぬようにするため。

「大丈夫か?」

 こちらを窺ったアデクの威容に、チェレンは言葉を失っていた。

 ――これが王の領域。

 同時にトウコが目指しているのはこのレベルなのだ、と思い知る。このレベルまで高められなければ、自分は届かないどころか旅の意味さえも失ってしまうだろう。

 アデクは手を引いてチェレンを立ち上がらせる。

 よろめいたチェレンを彼は受け止めた。

「よく戦った。男としては立派じゃ」

 快活に笑ったその面持ちにチェレンは目を背ける。男としては立派だったかもしれない。

 だが、力量の分かっていない人間が足掻いたところで無駄なのだと、痛いほど身につまされた。

 自分はまだ、彼らの領域に至っていない。

 それどころかスタートラインに立ててすらいなかった。

 傲慢にもトウコを超える、と思い込んでいた事が今さらに恥ずかしく思われる。羞恥の念に歪んだ顔を見られたくなくって、チェレンはすぐさまその手を振り解いた。

「……すいません。余計な事をしました」

「謝れるだけ、よし。まだお主は強くなれるとも」

 本当に、そうなのだろうか。最初の時点で、強くなれる人間とそうではない人間とは明確な差があるのではないのだろうか。

 次元が違う戦いであった。

 失神した団員達にアデクは歩み寄り、その携行端末を手にする。

「プラズマ団、か。悪ささえしなければワシは干渉するつもりは一切なかったんじゃが。ノアタローの事もあるしのう……。少しばかり真剣に、事を構えるのも考えたほうがいいかもしれん」

 そうこぼす王者に、チェレンはただただ圧倒されるだけであった。



オンドゥル大使 ( 2017/08/20(日) 23:29 )