FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第39楽章「すみれの花咲くころ」

 トレーナー登録に保護者が必要だとは聞いていた。

 だが付いて来いと頼んだ覚えもなければ、そう言い含めたつもりもない。だというのに、ノアを含む三人は同席したいと申し出た。

 解せない。それがチェレンの感想である。

 自分一人でもトレーナー登録くらいは出来る。それをアララギ博士に進言しようとして、いいじゃない、と返された。

「チャンピオンの同席よ?」

「それは……その通りですけれど、同時に烏合の衆だと思われかねない」

「ひっどい! チェレン君、あたしの事そう思っていたの?」

 ベルの糾弾にチェレンは手を払いつつ、アララギ博士を諭していた。

「体裁の問題です。それ以上に、僕が許せない。僕の旅路の始めは僕のものです。それを、チャンピオンに同席してもらうなんて。……何ていうか、カッコ悪い」

「あたしはアデクさんの同席、いいと思うけれどなー。だってさ! 王様と一緒にトレーナーの第一歩を踏み出せるんだよ? それってスゴイじゃない!」

 ベルに合わせていれば自分の第一歩も箔がつかない。

 チェレンは面持ちを崩さず、再三申し立てる。

「トレーナー登録の場に、では出ないでもらいたい」

「でもチェレンくん、親御さんの許可は……」

 濁した博士の語尾にチェレンはファイルに挟んだ同意書を突き出す。

「既に孤児院の両親相当の人間には許可はいただいています。何なら院長先生のサインも」

 既に準備万端のチェレンにベルは手を打った。

「スゴイ! あたしなんて関係書類を書くだけで目を回しそうなのに」

「早く旅に出たいからね」

 チェレンが振り返って見据えたのはこの地の王、アデクと連れ添いの二人であった。

 王の孫、バンジロウはまだ百歩譲って分かる。

 だがもう一人の同行者に関しては全くの不明であった。

 名前をノアと言ったが、恐らくは偽名であろう。トレーナー登録者の中にノアという名前の人間は存在しない事は既に調べ済みだ。

 イッシュの人間ではない可能性はあったが、そんなどこの馬の骨とも知れない者が一国の王に同行出来るわけがない。

 正体不明の人間に自分の第一歩を穢されて堪るか、というのがチェレンの総意であった。

「アララギ博士、隣町まで同行願います。トレーナー登録所は隣町なので」

「私はいいけれど……アデクさん達を邪険にする事はないんじゃない?」

「いや、ボクらは、じゃあカノコで待っています」

 ノアの発した言葉にチェレンは眉をひそめた。

「待っている?」

「どうせ旅立つなら同行者は多いほうがいいだろ。だって初心者なんだし」

 バンジロウの言葉にチェレンは返答出来ずに苛立つ。

 初心者。その言葉だけは消せない。

 自分は確かにトレーナーとしては卵もいいところだ。

 眼鏡のブリッジを上げ、チェレンは言いやる。

「頼んでいませんけれど」

「もう、チェレン君ってば素直じゃないんだから。あたしは同行して欲しいですけれど、でもみんなの迷惑になるのなら」

「ワシらは待っておろう。ノアタローが少し、試したい事があると言っておるのでな。アララギ博士、バトルコートは借りられるかの?」

「それは問題ありませんが……試すとは?」

「ボクの相棒のパフォーマンス。もしかしたらアララギ博士なら掴めるんじゃないかと思って」

 ポケモンの専門家に意見を仰ごうというのだろう。どれほど図々しいんだ、とチェレンは口を開きかけて、アララギ博士の承諾に掻き消された。

「いいわ。見てみましょう。バトルコートの準備には手順がいるから早くても三時過ぎになると思うわ。その間に私はトレーナー登録を二人の分、済ませておきますし」

「頼みます」

 ノアという青年がどれほど強いのかは知らないがそれも張りぼてだろうとチェレンは感じていた。

 この青年からは覇気が感じられないのだ。

 何か、抜け落ちてしまったかのような感覚だけしか掴めない。

 どうせ実力も大した事のないお飾りだろう。

「じゃあ、オレはカノコを一回りしてみるか。まぁ、何もない田舎だけれど」

「……田舎で悪かったな」

 呟いてチェレンは三人がその場を後にするまで睨み続けた。

「……チェレン君、顔怖いよ」

 ベルの心配にチェレンは手を払う。

「要らないって。僕は一人でも強くなってみせるんだ。だっていうのに、さい先からこれじゃ示しがつかない」

「トウコお姉さんの事?」

 悟ったベルにチェレンは苦々しく返す。

「……あんな人を、年長者だと認めたくもない」

「まぁ、分からなくもないわね。チェレンくんとトウコさんは対極みたいなものだから」

 アララギ博士が車の準備に取り掛かる。チェレンは一ヶ月までに旅に出たトウコの背中を思い返していた。

 今でも苛立ちが募る。

 あの人は一度も振り返らずに出て行ったのだ。

「……カノコなんて、本当に意味がないって言っているみたいで」

「何か言った? チェレン君」

「……別に」

 後部座席に乗り込みつつベルの言葉を冷淡に返す。

「トレーナー登録を済ませてからが本番よ。三匹の中からもう一緒に行くポケモンは選んだ?」

 運転席に収まったアララギ博士にチェレンは首肯する。

「まぁ、一通りは」

「すごいねぇ。あたし、まだ迷ってるよぉ」

 ベルが首を振って真剣にうなる。その様子をアララギ博士は微笑ましく見つめていた。

「悩め悩め、若人よ。トレーナーになるんだから、それなりに悩み抜かないとね」

 悩めるのは今だけの特権。それも分かっている。

 しかし分かっていても気持ちは急くものだ。

 早く一人前にならなければ。そうでなくとも、自分一人で旅はなんでもしなければいけないのだ。

 チェレンは孤児院の中でもトップクラスの成績を誇っていた。無論、トレーナーになった時の箔をつけるためだ。

 トレーナーとしてトップになり、強さもトウコを超えてみせる。

 その時こそ、真に自分の人生が輝き出すのだと考えていた。

 トレーナー登録。それが第一歩だというのならば、今は従おう。

 そう考えていた矢先であった。

 稲光が車体の横を掻っ切った。

 何だ、と窺った瞬間、轟音が車体を揺さぶる。四駆の強固なフレームが軋み、横転しかけた。

「何? 何なの?」

「掴まって! ……どうやら見つかりたくない連中に見つかったみたい」

「見つかりたくない奴って……」

 アララギ博士がアクセルを踏み締めたせいでチェレンは危うく舌を噛むところであった。

 急加速に後部座席へと背筋が縫い付けられる。

 隣町へと急ぐ車両と並走しているのは青い四足ポケモンであった。

 小型でありながらその身体に走っている稲光の文様が素早さを引き出しているのが窺える。

「ライボルト……何だってホウエンのポケモンがこんなところに」

 そう言いかけたチェレンの声音にライボルトから放たれた電撃が車を揺さぶる。

 雷鳴にベルが帽子を深く被って耳を塞いだ。

「どうなってるの!」

「プラズマ団だわ……!」

 プラズマ団。

 それはアデク達の言っていた急進派の組織か。どうして今、という感情を処理する前に、再び雷の一撃が前方を遮った。

 咄嗟にハンドルを回したせいで車体が横付けされる。

 前方を遮るのは青い僧兵のような衣服を纏った三人組であった。

「狩るのは容易いなぁ、おい」

 アララギ博士が運転席から歩み出ようとする。その白衣をベルが引っ張った。

 何も言えないのか、涙を浮かべて首を横に振っている。

 アララギ博士は二人を諭した。

「いい? 絶対に出ちゃ駄目」

 博士はプラズマ団へと向き直り、声を張り上げた。

「何なの、あなた達!」

「威勢のいい奴だ。だが、アララギ博士。我々の目的を推し量れないほど三流ではあるまい?」

 目的、とチェレンは胸中に繰り返して荷台を思い出した。

 この車には当然の事ながらトレーナー登録のための書類と新人トレーナー二人。それに、最初の三匹が載せられている。

 プラズマ団の目的は今朝方カロスから入ってきた最初の三匹に違いなかった。

 カロス地方のポケモンはイッシュでは手に入りにくい。輸入制限を潜り抜けたその代物をプラズマ団は狙っているのだ。

「何の事? 私達には取られて困るものなんてないけれど」

「よく言う。アララギ博士。手荒な真似はしたくない。すぐに渡すんだ。最初の三匹を」

 恫喝めいたプラズマ団員の言い草に対してアララギ博士は動じる事はなかった。それどころか声を高らかに言い放つ。

「あなた達のような悪人に、渡すわけがないでしょう!」

「そうか。それが、答えか」

 ライボルトが姿勢を沈めた途端、地表を走った電撃がアララギ博士を射抜こうとした。

 すぐ傍を駆け抜ける電流にアララギ博士は僅かにびくつく。

「ポケモンの権威ならば、ライボルトの性能は周知のはずだな? 簡単にその首、掻っ切る事が出来るぞ」

 その言葉にアララギ博士が唾を飲み下したのが伝わった。

 ――自分達がお荷物になっている。

 チェレンは咄嗟に後部荷台に括りつけられていたアタッシュケースを開いた。

「チェレン君……? 何をやっているの?」

「博士を助けるんだ。そのためにはポケモンがいる。強い、ポケモンが……!」

 最初の三匹のパスコードはファイリングされた博士のメモから見つけ出した。ロックを開き、ボールを手に取る。

 ポケモンを手にしたチェレンが車内から出ようとしたのを、ベルは止めていた。

「危ないよ……ダメ、チェレン君」

「旅を続けていれば危ない目にはいつか遭う。遅いか早いかだけだ。僕は、今、試したい!」

 ベルの手を振り解き、チェレンは歩み出ていた。

「プラズマ団!」

 アララギ博士が振り返り驚愕を露にする。

「チェレンくん? どうして」

「すいません、博士。僕は黙って見過ごす事なんて出来ない」

 ボールを掲げ、チェレンが腕を交差させて構えを取った。その様子をプラズマ団員が口笛を吹いて囃し立てる。

「おいおい、無理すんじゃねぇぞ、新人君。どうせポケモンの扱い方なんてろくに分かっちゃいないんだろ?」

「どうかな……? 僕はこの日のような時のために、今まで勉強して来たんだ! トウコさんを、僕は超える。超えたってここで宣言する!」

 投擲したボールから光が迸り、青い身体のポケモンが着地する。

「行け! ケロマツ!」


オンドゥル大使 ( 2017/08/20(日) 23:29 )