FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第38楽章「木洩れ陽のワルツ」

 カノコタウンの中天に昇った陽を眺め、アデクは切り出した木材に腰かけていた。
 老練の身には旅路も堪えるのだが、これは自分の孫のための旅でもある。だからこそ、少しくらいの無茶には付き合えるつもりであった。

 しかし、ここが終点か、とアデクは嘆息を漏らす。

「ここまでが上々であったとは思わん。しかしながら、ここでどうする? ノアタロー」

 ノアは、というと昨日から抜け殻のようになってしまったその身を持て余していた。

 当然だ。

 旅の分岐点を見失ったに等しい。

 自らの身体が己のものでないかのような錯覚さえ受ける。

「ボクは、ここまで来ればどうにかなると思っていました」

 トウヤにさえ会えば。だがその願いは脆く消え去った。

 トウヤはこの時間軸には存在しない。

 その事実が重石のように圧し掛かる。

「トウヤ、とか言ったトレーナーが、それほどまでに重要だったのか?」

「重要、でした。それこそボクという人間を構成する、一ピースだった」

 そのピースが抜け落ちてしまったノアは生きる目的を見失ったのも同義。

 中天に昇った陽を、アデクは振り仰ぐ。

「しかしなぁ、ノアタロー。陽はまた昇る。一度没しても、明日は来るんじゃ。ここで立ち止まるのならば止めはせん。カノコタウンはいい町じゃし、ワシはここでお主の旅路が終わっても、いいと思っておる」

 ノアは面を伏せてその言葉を聞き届けていた。

 ここで終わっても構わない。

 トウヤがいないのならば時間軸を修正する手段もない。

 自分がNと直接対決する事も、遠い出来事になってしまった。

 これではダークエコーズにさえ勝てるかどうかも分からない。

 重く降り立った沈黙を破ったのはバンジロウの声音であった。

「なーにしょぼくれてんだ、兄ちゃん。いないってんなら、兄ちゃんがなればいじゃないか。その、イッシュの英雄って奴に」

「……簡単に言ってくれるなよ」

 額に手をやりノアは呻く。

 英雄に、一度はなった。

 だがその玉座は空白そのもの。

 ゲーチスという野心のために育て上げられた化け物の身には相応しくなかった。

 野心だけが居座り、一地方を縛り付けるのは美しくもなんともない。

 ただ醜く、だらしがないだけだ。

 顔を伏せたノアをバンジロウはへん、と毒づく。

「そんな、この世の終わりを見たみたいな顔すんなって。まだまだどうにかなるかもしれないだろ? じィちゃんとオレと旅していれば強くなれるし、それにプラズマ団が襲ってきたって返り討ちにすれば――」

「でも、そのプラズマ団を根幹からどうにかする手段は永遠に失われてしまったのと同じなんだ」

 トウヤがいなければ英雄の因子は二つに分かれない。

 この時間軸のNがどちらの神話級を手にするのかは不明だが、どちらも手にするための方法はないのだ。

 今のノアはNと接触するだけで対消滅の危険性にある。

 そんな状態でどうやって戦う?

 戦ったところでどうなる?

 堂々巡りの思考にバンジロウはため息をついた。

「……あのさぁ、オレとじィちゃんも暇じゃないんだ。ここがもう意味がないって言うのなら、オレ達は次に行くぜ。次に行くしか、強くなる道はないんだからな」

「……何でキミ達はそんなにまで強いんだ」

 一つの挫折で彼らは倒れない。一つの躓きで何もかもを諦めはしない。その魂の輝きはどこから来るのだ。

 答えを探ろうと面を上げたノアに、バンジロウは言いやった。

「ここだよ、ここ」

 胸元を叩いたバンジロウの顔には誇りがある。

 それは王の孫だという誇りではない。

 一トレーナーとして強くある、という誇りであった。

「胸の中にあるんだ。オレの中の燻る炎は」

「燻る……炎」

「そうだ。オレは、そりゃあ何度も負けたし、こっぴどい時にはメラルバもオレもどうしようもなく敗北感を噛み締めてきた。でもよ、そこで腐ったって、明日は来るんだ。だったら、次の日にはレベルをもっと上げてやる。もっと強くなって、負かした奴を負かし返す。それくらいの気概がなくってどうするってんだ」

 バンジロウの眼に浮かんでいたのはそれこそ闘志。

 絶対に譲れない戦士の称号である。

 ああ、これが、とノアは感じた。

 彼らを動かし続ける動力源。同時に、自分があの頃トウヤに見たかも知れない意志の強さであった。

 彼は決して屈しなかった。 

 プラズマ団にもそうだが自分の幾度とない問いかけにも。

 この世はポケモンのものなのか、人間のものなのか。

 クエスチョンを投げる自分に彼は逃げる事なく答えを常に提示してきた。

 その答えが間違っていようといまいと、彼にとっての強さはそこであったのだ。

 根幹が決して曲がらない。

 どれほど世界が残酷でも。あるいはどれほど救いのない世の中でも、彼は決してその炎を絶やさなかった。

 絶えない炎の明かりに導かれて仲間が集まり、大きなうねりとなった。

 ――胸のうちの炎。

 ノアは己の左胸に手を当てる。

 まだ生きている。まだ脈打つこの鼓動を、止めてはいけないのだ。

「ボクは、まだやれるのかな……?」

「あったり前だろ。そうじゃなきゃ、オレを負かした事、いつまでも恨んでやるからな」

 自分はいつかバンジロウともう一度戦わなければならない。その時、どのような答えを描けるのかは自分次第なのだ。

「昼下がりになってきた。そろそろ飯にするか。ノアタロー。それにバンジロウも」

 明日への糧とするために。

 今は一歩でも進むしかない。

 それだけは間違いない事実なのだ。



オンドゥル大使 ( 2017/08/15(火) 21:45 )