FERMATA








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四章 凱歌の子供達
第36楽章「阿修羅姫」

 放たれた眼光は射竦める勢いを伴わせていた。

 ヒウンシティのジムトレーナーとなればイッシュという国家の中でも選りすぐりの精鋭達。もっと言えば、都会生まれの都会育ち。

 当然の事ながら、その胸には矜持がある。

 田舎者に遅れを取るものか、という矜持が。

 だが今この瞬間、その薄っぺらいプライドは粉々に砕かれていた。

 その元凶であるところのポケモンはウインクして尻尾を振っている。

 灰色の小型ポケモン――チラーミィ。愛玩用としか思えないその矮躯であったが、圧倒されたのはここにいる全員である。

 ヒウンシティジムリーダーに届くまでの数十人が、たった一人の、しかもたった一体のポケモンに蹂躙された。

 ジムトレーナーにはタイプの縛り、というものが存在する。

 それはジムごとに異なるのだが、このジムの場合は草・虫で占められていた。

 有効打が撃てるとすればそれは炎や岩である。

 しかし悠々と敗者達の眼前を歩くチラーミィにはそのどちらも組み込まれていない。

 タイプ相性などまるで関係なく、チラーミィとそのトレーナーは圧倒していた。

 一人がレベル差なのだと思い込もうとしたが、敗北した彼がデータ上で目にしたのはチラーミィの驚くべきレベルの低さであった。

「レベル……十二? 十二でこの強さだって言うのか?」

 データは嘘をつかない。虚偽を言っているとすれば、それは少女のトレーナーのほうであったのだが、彼女は勝者の余裕を伴わせてヒウンジムを歩き回る。

「変わったジム構造だなぁ。アーティに辿り着くまでに結構時間かかりそう」

 地間がかかるも何も、全員を倒したのだ。

 最早、ここで立ち塞がるべき敵はただ一人。

 この居城の主だけであった。

 立ち振る舞いは鮮やかに。

 しかして、その行動に隙は見られない。

 芸術家肌であるところのジムリーダーは悠然と佇んでいた。

 ジムトレーナー全員が倒れても、彼自身には気負ったところはない。茶髪の巻き毛の青年はすっと少女を見据える。

「やるね。なかなかの手だれと見た」

「ジムリーダー、アーティね?」

 その言葉にアーティは肩を竦める。

「最早、その問いはナンセンスというほかない。全員倒されるとは、思っていなかった。しかも、まだ実戦経験の浅い新人まで、全員……。君は鬼か? 徹底的に相手を潰したがるのかい?」

「そのほうがそっちからしても分かりやすいでしょ? 強敵が現れたって」

 お互いに一歩も譲らない舌鋒にアーティはしかし余裕を感じさせる笑みを浮かべた。

「おいおい、ぼくはこれでも一端のジムリーダー。強敵が現れたからって及び腰になるわけじゃない。逆だよ、むしろ。闘争心を掻き立てられる。いい刺激になりそうだ。君とのバトルは」

「刺激、ねぇ」

 その言葉に比して少女の浮かべた感情は冷淡であった。その反応にアーティは面食らう。

「強敵と見えるのが嬉しくない、と?」

「強敵って言うのはさ、もうオーラで分かるんだよね。で、アタシの敵じゃない、ってもう分かった。だって王者を止めるのに、そんな安っぽい台詞が通用すると思う?」

 いけしゃあしゃあと言い放った声にアーティは腹を抱えて笑った。

「……面白い。面白いよ、君! やり甲斐があるというものだ! 戦える、僕はトレーナーだからね!」

 モンスターボールに手をかけたアーティに対してチラーミィを戻しもしない。その行動にはさすがにアーティも困惑する。

「まさか、連戦を制してきたそのチラーミィだけで行くと?」

「駄目だったっけ?」

「常識的に考えるのならば、チラーミィでは威力不足の感は否めないが……それを差し引いても今のそのポケモンは消耗している。回復したまえ」

「いい。必要ない」

 そう断じた声にアーティは瞠目する。

「勝てる勝負も勝てないぞ」

「ご忠告どうも。でもさ、勝てる勝てないを論じる領域ってのは決まってる。その実力が拮抗しているかどうか。アタシとあんたじゃ開き過ぎていて話にもならないよ」

 今まではパフォーマンスだと思っていた。せいぜい、田舎から都会に出てきたトレーナーのかます虚勢だと。

 だが、その言葉を聞いた途端、アーティの眼は変わった。

「……ふざけているのか? ポケモン勝負は真剣なものだ。僕は芸術と同じくらいに高い次元にあると思っている。それを、君は、土足のまま行こうと?」

「だから、これがアタシのスタイル。敵を前に回復? ナマ言ってるのはどっちって話。どうして敵を前に悠々と回復なんて決め込める。一秒、一瞬でも速く、敵は狩る。アタシはそうして勝ってきた。勝ち進んできた。いずれアタシはこの地の王になる。だってのに何でこんなところで立ち止まれる? ここは通過点。アタシは通過点をわざわざ休憩入れてまで、のろのろ歩いているのが正しいとは思わない」

 その言葉はアーティの戦闘本能を刺激するのには充分であった。

 仮にもジムリーダーだ。そこまで嘗められれば男が廃る。

「……訂正しよう。ここでスタイルを論じるとすれば、それは強者だ。僕はね、それなりに戦闘経験を積んできた。挑戦者のレベルに合わせるのが儀礼だというのならば、君に合わせた構築にしよう」

 指をかけたモンスターボールを離し、アーティが目指したのは画材の中に埋まっている一つのモンスターボールであった。 

 絵の具を浴びてくすんだ色になっているボールだが使い込まれたのが分かる。

「こいつは僕の真の相棒だ。通常は使わないが、王、だと言い張るのならば勝ってみせろ。そして僕に見せてくれよ。真の王者の戦いという奴を」

 その言葉に少女は鼻を鳴らす。

「言われなくっても」

「気に入った。名前は? チャレンジャー」

「――トウコ。トウコ・キリシマ。覚えておきなさい。この地を支配する名前よ」

「トウコ、か。記憶に刻み付けるとしよう。ただし、君が勝った場合だけだけれどね! 行け! ハハコモリ!」

 繰り出されたのはほとんど骨身のようなポケモンであった。葉緑素を滾らせた血管が透けて見えている。

 全体的に細さが目立つ。同時に、脆い、という側面を感じさせるポケモンである。

 両腕に備えた葉っぱの腕を交差させ、ハハコモリが構えた。

 トウコは焦りもしない。それどころか悠々と取り出したのはポケモン図鑑である。

「ハハコモリ……。まだ見た事のないポケモンだなぁ。ま、いいけれど。アタシ、ポケモン図鑑コンプリートにはさほど魅力を感じないし」

「珍しいトレーナーだ。ポケモン図鑑の完成をさせるために田舎町から来たんだろう?」

 アーティの声音にトウコはぴくりと眉を跳ねさせた。

「そんなつまらない事で旅に出るわけないでしょうに。アタシが旅に出た目的は大きく二つ。一つは、うだつの上がらないあのカノコタウンとか言う場所にオサラバしたかったから。もう一つは、よく聞いておきなさい! もう一つは! チャンピオンを超えるためよ! この地の最強のトレーナーを倒し、玉座につく。そのためだけにアタシはここにいる! あんたという踏み台を前にしている」

 アーティは感嘆の息を漏らす。その黄金の夢に。あるいは、漆黒の野望に。

「分かっていても、踏み台なんて言わないものなんだが……ますます気に入ったよ、トウコ。このアーティ、全力で相手をしよう!」

「んな事、言われなくっても最初からっ!」

 飛び込んだのはチラーミィからであった。跳躍し、その箒のような尻尾を振るい上げる。

「どうやらメイン武装は尻尾のようだね。だがハハコモリは!」

 ハハコモリが瞬時にその姿を掻き消えさせる。チラーミィの攻撃が地面にめり込んだ頃にはその背後を完全に取っていた。

 ハハコモリの草の刃がその躯体を狩ろうとする。

「全身が武器だ! やれ!」

 ハハコモリの一閃が確実にチラーミィを刈り取ったかに思われた。

 だが、その刃は空を裂く。

 ハッとハハコモリが反応した時には、仰け反ったチラーミィの瞳があった。つぶらな瞳に戦闘本能を滾らせ、チラーミィがハハコモリを仰ぎ見る。

「避けた……」

 呆然とするアーティにトウコは言いやる。

「当たり前でしょ。戦いなんだから。チラーミィ。その角度からでも決められるわね? アクアテール!」

 チラーミィの全身から水飛沫が奔り、ハハコモリを押し出した。

 水を帯びた尻尾がその身体を打ち据えようとする。だが、その薙ぎ払い攻撃はハハコモリの細くしなやかな体躯が受け止めた。

 瞬間、衝撃波がジムの鉄筋を震わせる。

 減衰し切れない物理の波にアーティが、ふむと思案を浮かべた。

「分からないな……。こちらは草・虫の使い手だと分かっていてのアクアテール。下策としか思えない」

「そうとしか思えないから、あんたはこんなところでジムリーダーなんてやっている」

「……さすがにキズつくよ、その言い分。だけれど、僕がここでジムリーダーをしているという事は! この街の実力者は僕だという事だ!」

 跳ね上がったハハコモリが反撃の刃を研ぎ澄ました。

 返す刀の新緑の刃。避ける事などまず叶わないと思われた。

 しかしチラーミィはほとんど迷う事もなく、その刃をかわし様に拳を打ち込んできた。

 完全に不意を突かれた中空のハハコモリの腹腔へと、拳がめり込む。

 途端、ハハコモリの外骨格の肉体が軋んだ。一撃で後退したハハコモリが細長い腕で着弾点をさする。

「なかなかに解せない事をするね。尻尾がメインウエポンかと思いきや、肉弾戦もやる。読めないポケモンだ。何が得意なのか、何が苦手なのか……。それとも、分かっていてそういう戦法を取ってくるのかな?」

 トウコは手を払った。その指先が二を示す。

 二番目の技を放つ気だ、と判じたアーティがハハコモリに命じる。

「ハハコモリ、距離を取れよ、相手は接近タイプだ!」

「誰が、接近型だ、なんて言った?」

 次の瞬間、チラーミィがその腕に充填したのは紫色の光であった。一秒ごとの脈動で拡大していく光にアーティは自らの判断の迂闊さを呪う。

「いけない! それは――」

「破壊光線」

 放たれた一条の光線がハハコモリを焼き切り、そのままジムの内壁を融かした。

 それほどの熱量の攻撃にアーティは絶句する。

 ――この相手は一体何者なのだ?

 どうしてここまでジムリーダーを相手に弱点タイプでもなく一方的に立ち回れるのか。

 考えを浮かべる間にもアーティは次の判断を鈍らせない。

「……素早さだけならば」

 ハハコモリはチラーミィの直上を取っていた。

 古くからの相棒ならではの状況判断だ。「はかいこうせん」が放たれる直前に跳躍し、ジムの内壁を使って即座に上を取って見せた。

 飛び込んだハハコモリが腕を交差させる。

「シザー、クロス!」

 刈り取るためだけに特化した細腕がチラーミィの首を取るべく払われる。

 ハハコモリの動きは変幻自在。加えて完全に取ったと判断したのは、相手が「はかいこうせん」という呪縛つきの技を撃ったため。

 確実に反動ダメージのロスが現れる。

 そう確信してのアーティの命令は、しかし直後に裏切られた。

 反動ダメージを受けているはずのチラーミィが自らへと拳を打ち込む。

 まさか、と息を呑んだ。

 打ち込んだ箇所を基点としてチラーミィの完全に静止した肉体に光が宿る。

「己に……自分から拳を打ち込んで反動を無視させた?」

 反動無視。

 その領域はジムリーダーとしての格を極めれば一度は目にした事のあるものだ。

 アーティが見たのはバッフロンと呼ばれるポケモンが反動を無視して挙動した試合であったがそれはそのポケモンの特性が反動を無視出来るものであったため。

 どう考えてもチラーミィに反動無視の特性などついているはずがない。愛玩用のポケモンに実戦型の特性など組み込まれているはずもないのだ。

 だというのに――。

 眼前の光景は一線を画している。

 行動可能になったチラーミィが一閃した「シザークロス」を完全に回避し、ハハコモリの懐へと飛び込んだ。

 それだけでも驚嘆すべきだが、次の行動はアーティの意表を突く。

 身体をひねり込ませるように入ったチラーミィが先ほどの「アクアテール」で発生させた僅かな水溜りへと肘打ちを叩き込む。

 その軌道に電磁が注がれている事にアーティは辛うじて気づいた。

「いけない、空中のハハコモリを、まさか……」

「十万ボルト」

 放たれた攻撃にハハコモリの体躯が悲鳴を上げる。肉体を焼く高圧電流にハハコモリは逃れようと腕についた撚糸をジムの内壁に括りつけた。

 アースのように、電流が凪いでいく。トウコが舌打ちした。

「惜しい」

 惜しい、などという生易しいものではない。確実に狩りにきているその攻防にアーティは息もつけなくなっていた。

 一瞬、一秒でも集中を切らせば、その行き着く先は敗北。

 これほどまでの戦い、今まで経験した事はない。

「何て、無茶苦茶な攻防なんだ……。自分に攻撃、それに水辺を使っての十万ボルトの威力補正。チラーミィだが、その本質はギャラドスか、あるいはカイリューのようだ」

 無敵のドラゴンポケモンにたとえられるほどに、チラーミィの技構成は実践型であった。

 遠距離、中距離を埋める「はかいこうせん」。近距離を打破する「アクアテール」。加えてその威力を補正する「じゅうまんボルト」。

 まだ一つ隠し持っている、とアーティは唾を飲み下す。

 ポケモンは四つまで技を持てる。その中の三つだけでこれほどまでに追い詰められているのだ。

 自分は、とてつもない怪物を前にしているのではないか。

 アーティの額を伝った汗にトウコがフッと笑みを浮かべる。

「冷や汗一つ? それでもう確信した。あんた、アタシに勝てない」

 勝利宣言であった。だが、とアーティは構えを取らせる。ハハコモリの耐久力では次の攻撃を凌ぎ切れまい。

 だが、ここ一番に賭けるのがトレーナーだ。

 戦う事を宿命付けられたジムリーダーの本質なのだ。

 眠っていた戦闘神経が昂揚し、アーティは劣勢にも関わらず、笑みを浮かべていた。

 ――楽しい。これほどまでに楽しい戦いは久しぶりだ。

 チラーミィが次にどのような手を打ってくるのか、全く予測出来ない。予測出来ないのが今はとてつもなく楽しい。

「あんた、変だね。笑ってるよ。負けてるのに」

「君だって笑っている。お互い、勝負師の魂を持っているようだ」

 ハハコモリの構えが変わった。

 至近距離での戦闘は極力避け、相手の不意をつくのがハハコモリの戦闘スタイルであったが、今は捨てよう。

 代わりに維持されたのは一刀を持つ侍が如く、片腕を掲げ、もう片方の腕を肘に沿える、という姿。

 チラーミィが僅かに殺気立つ。アーティはハハコモリの戦闘姿勢に言葉を添えた。

「これは、僕が全力を持って潰す、と判断した相手にのみ使う技だ。この技の申請許可は、実はまだポケモンリーグには下ろしていない。つまり、見るのも食らうのも君が初めてだ」

「それは、光栄、と思うべきなのかしら? それとも、ここでやられるから覚悟しろ、とでも?」

「……どっちもさ。ハハコモリ、相手の不意をつくのはやめだ。直球勝負。相手が来るのならばその本気を受け止めるまで」

「いいね。嫌いじゃないよ、そういうの。でも、アタシのチラーミィには届かないけれど」

「届かせてみせる。ハハコモリ、落ち着いて、相手の行動を見るんだ。確定で中てに行く」

「落ち着いて見ろ、だってさ。だったらこっちは、落ち着かせないようにしようか。チラーミィ!」

 チラーミィが跳ね上がり、水の推進力を得てさらに高空へと至った。

 ジムの天井の梁を手がかりにチラーミィの軌道が変わる。その足音は全方位から聞こえてくるようであった。

 どこからでも来るようでもあるし、一方向のような気もしてくる。

 かく乱戦術。

 だがそれはとてつもなく高度で、なおかつリスキーなものである。

 一瞬でもチラーミィが姿勢を崩せば終わりの戦い方だ。チラーミィのような尻尾に比重のかかっているポケモンでは難しいと思えるほどの軽業。

 まるでエイパムか、あるいはとてつもなく素早い相手を前にしているかのよう。

 チラーミィのデータには素早さに特化しているという情報はない。

 つまりこのチラーミィは特殊。

 トウコの育て上げたワンオンリーであろう。

 だが、こちらにもワンオンリーは存在する。

 常時使うハハコモリとその進化前、クルマユでは覚えない強力な技を相棒であるハハコモリは習得している。

 命中精度も低く、実戦で使うのには心許ない。

 だが、このチラーミィを倒すのにはこれしか方法がない。

 この一刀をもってのみ、怪物を屠る事が出来る。

 チラーミィの機動速度が上がった。

 明らかに取りに来ている。次の一撃は「はかいこうせん」か。あるいは、水を触媒にした「じゅうまんボルト」か。

 どちらにせよ、自分とハハコモリに残されたのはたった一つの技だ。

 極限、というものがこの世に存在するとすればまさしく今であろう。

 集中を高めたハハコモリが一打にかける。

 チラーミィが内壁を蹴り、一気に肉迫してこようとする。

 だがそれこそが落とし穴であった。

「今だ! その内壁を虫食い!」

 ハハコモリから伸びていたのは、目を凝らさなければ見えないほどの小さな撚糸。だが、ジムの内壁を知らぬ間に腐食させ、「むしくい」で破るのには充分なほどの時間が経過していた。

 不意に足場が崩れたものだからチラーミィが狼狽する――かに思われたが、案の定、チラーミィが取り乱す事はない。

 トレーナーは、といえばチラーミィが勝つ事を信じているのか、余計な命令を出さない。

 こういう時、トレーナーのメンタルが崩れるものだが、それさえも見せないとは。

 だが、チラーミィの足場が崩れた。それは絶対に生まれる隙を意味している。

 振り返ったハハコモリが片腕を掲げたままチラーミィを打倒すべく赤い眼に必殺の光を灯らせた。

 それはまさに必勝をもたらす最強の攻撃。その名は――。

「ハハコモリ。ハサミ、ギロチン!」

 紡がれた技の名前と共に掲げた腕に宿ったのは一撃必殺。

 腕が奔り、空間そのものを軋ませた。

「ハサミギロチン」は通常、ハハコモリは覚えない。だが、アーティのこの個体は特別であった。

 特別に「ハサミギロチン」を習得し、相手を葬る事が許されていたが、主であるアーティが自ら封じていたのだ。

 この技は禁じ手、だと。

 ジムリーダーは各地を巡るトレーナーの才能をはかるためのもの。その夢を潰すためなど、あってはならない。

 一撃必殺の技は決まれば確定で相手を落とす。

 そのために、この技を使うとすれば、それは既にジムリーダーとしての敗退を意味している。

 同時にアーティという、逃れられない兵の血が暴れ出した証拠だとも。

 トレーナーは誰しも逃れえぬ戦闘の性を持つ。

 その性を隠し、芸術という生半可なものに落とし込んだのが自ら。

 芸術は語れば芸術となる。だが、戦いの性は語るに及ばず。

 語れば語るほどに、その牙は失われていくものだ。

 だからこそ、アーティは自分を芸術家だとうそぶいた。

 そう言い繕う事によって勝てない勝負には打って出ない冷静さを手に入れたのだ。

 だが、もうアーティには身も世もない。

 トウコ、という稀代のトレーナーと戦えただけで一生の価値に値する。

 そう決めたからこそ、この技を命じた。

「ハサミギロチン」の軌道は正確に、チラーミィへと注がれるはずであった。

 振るわれればそれこそ問答無用。

 一撃で沈ませる禁忌の技。

 しかし、当のトウコとチラーミィの挙動に変化はない。それどころか、その技を見せた瞬間、トウコが――嗤ったのを目にした。


オンドゥル大使 ( 2017/08/15(火) 21:45 )