第34楽章「革命の血脈」
フキヨセからの便は通常日程通り、運用されると言う。
旅客機にしては小型のその機体が銀翼を日光に映えさせる。
バンジロウが仰ぎ見て、ほうと感嘆した。
「でっけぇなぁ」
「ポケモンのほうが大きいのもいるんじゃないかな」
「いや、オレずっとじィちゃんと歩く旅ばっかりしていたから、こういう風な、何ていうの、機械っての全然見た事ないんだ」
バンジロウからしてみれば心躍る瞬間なのかもしれない。
輸送機へと、パイロットと助手が入り、次いで旅客である自分達の許可が出た。
中は思っていたよりもずっと広い。
手狭だが、と言っていたフウロの言葉は謙遜であったらしい。
「カノコタウンまででよろしいんですね?」
パイロットの声にアデクが手を掲げる。
「おう。カノコタウンまでで頼む」
「シートベルトを。それと通信機の電源はお切りください」
席についたノアとアデクが通信機の電源を切っている間、バンジロウは今か今かと舷窓を眺めていた。
「これ、ホントに飛ぶんだよな?」
「ワシがポケモンリーグに参加しておった頃はこれよりもっと不均衡なものが飛んでおったぞ。氷の空中要塞がな」
嘘なのか本当なのか分からない事をアデクは言う。
いくつかのチェックが成され、輸送機が陸を発った。
浮かび上がる感覚にバンジロウが笑う。
「くすぐってぇな。何か」
無事にフライトコードに着けた輸送機でシートベルトを外してもいい許可が下りた。
バンジロウは真っ先に外して輸送機を歩き回る。
落ち着かない様子であった。
「すまんな。我が孫ながら、少しばかり騒がしくって」
隣席のアデクの声音にノアは、いえ、と返す。
「それよりも、元気でよかった。ボクは正直、ヴイツーの怪我に責任を感じているんだと思っていましたから」
「あれは感じておるよ。感じておりながら、自分なりに、それをどうにかする手段を考えておるんじゃ。戦士としては早熟だが、人間としてはまだまだのひよっ子よ。やはり、何かしら紛らわせるものが必要になってくる」
アデクの言葉には重みがあった。ノアはホルスターに提げたモンスターボールを翳す。
「ボクも、強くならなくっちゃ」
「慌てる必要はない。プラズマ団とやらもまだ本格的に動いておる様子でもないし、あのN、とやらにも勝ったのじゃろう?」
「勝ったと言っても、運がよかっただけです」
本当に運がよかっただけなのだろう。自分はたまたま勝てたに過ぎない。アデクは、しかし嘆息をついた。
「謙遜も、過ぎれば毒となる。お主は実力者に勝てた。それだけで充分ではないか」
「でも、ボクはもっと上を目指さなければならない。そうじゃなきゃ、何のために……」
濁した語尾に力が篭る。
何のためにこの時間軸に舞い戻ってきたのか。
結果論ではあるが、全てはプラズマ団を止めるため。止められるのならば命と賭しても構わない。
「軽率ではないのはいい事じゃが、あまり構えるな。肩に力が入れば勝てる勝負も勝てなくなる」
「……何でも、お見通しなんですね」
「何でもではない。勝負に関しての事くらいじゃわい。それ以外は疎い。よく言われる」
微笑んだアデクにノアは少しばかり救われた気がした。
自分はまだやれる。まだ到達点にも至っていない。
「間もなく、カノコタウンへの着陸コースに入ります」
パイロットの声音にバンジロウが唇を尖らせて席についた。
「もう着くのかよ。楽しめないなぁ」
「なに、速く着くだけでもよし。それだけ、ワシらの目的も果たしやすくなる」
目的、とノアは胸中に繰り返した。
彼に会わなくてはならないのだ。
彼に会い、自分がこれから起こる事、これから何を成すのかを伝えなければならない。
それが自然の摂理にもとる事であっても、自分はここで伝えなければ、どうしようもないのだ。
「着陸姿勢に入ります。シートベルトを装着してください」
アナウンスが入り、ノアは席に深く腰かけた。
「はい、はい……。もうすぐなのですね。はい」
応じた通話口の声音に寝そべっていた少年は起き上がる。
いつになく緊張した声音の白衣の女性が通話を受け取っているところであった。
自分は、というと今日も今日とてポケモンの参考書を借りにわざわざ研究所に出向いていたのだ。
「はい。アララギのサインがあればよろしいですね?」
応じた女性――アララギ博士の声に少年は置いていた眼鏡を手に取り、ブリッジを上げる。
「アララギ博士。僕がお邪魔なら」
そう口にし掛けた少年をアララギ博士は制する。
「ああ、ちょっと待って、チェレン君。これから来る人に、会っておいたほうがいいわ」
その言葉にチェレンは眉根を寄せた。
「会っておいたほうが、って誰なんです?」
「それは会ってのお楽しみね」
微笑んだアララギ博士にチェレンは首をひねる。
自分が会ったほうがいい人物とは何者だろう、と考えつつ、チェレンは研究所を出た。
田舎町であるカノコタウンには珍しい、銀翼の輸送機が着陸待ちなのか、空中を周回している。
アララギ博士が表に出て受話器を手に声を吹き込んだ。
「着陸許可は出ています。すぐにでも、ええ」
輸送機がカノコタウンの空いたスペースへと着陸する。
平時には聞かない大音響に町の人々が飛び出してきた。
これだから田舎は、とチェレンは胸中に毒する。
「なに、何かあったの?」
緑色の帽子を押さえて飛び出してきた小柄な少女に、チェレンは言いやった。
「輸送機だって。何か、特別なものでも乗せているのかな」
その言葉に少女が目を輝かせた。
「すごいね! 輸送機なんてカノコに来るんだ……」
「そりゃ、来る時は来るだろう。そういう風に出来ているんだからさ」
「チェレンくん。だったらあれかな。珍しいポケモンでも乗せているのかな?」
「さぁね。どっちにせよ、メンドーじゃなければいいと思っている」
淡白な返答に少女が頬を膨らませた。
「えー、ちょっと見ていこうよ」
「……野次馬だと思われる」
「いいじゃない。たまには、さ」
「……ベル。君みたいな好奇心旺盛の人間なら、そりゃ恥ずかしくもないのだろうけれど、僕は田舎者だと思われているみたいで嫌だな」
「どーせ田舎者じゃない。だったら、さ」
ベルの押し気味の声音にチェレンは仕方なくといった様子で輸送機へと歩み寄っていった。
降りてきたのは見た事のない人影が二名である。一人は十歳に満たないかもしれない赤い髪の少年であった。
まさかそんな子供を迎えに?
湧いた疑問にアララギ博士が歓迎の言葉を発する。
「まさかわざわざご足労願うなんて思いもしませんでした。チャンピオン、アデク様」
その言葉にチェレンは覚えず駆け出していた。恥も外聞も捨て、人垣の向こうにいる存在を見やる。
赤い鬣のような髪に風来坊の井出達。下駄がカランと音を発する。
あれが、とチェレンは息を呑んでいた。
「あれが、ポケモンリーグチャンピオン……アデク」
話には聞いた事があるが見たのは初めてだ。メディア出演も全くない、王の中の王だと言われている。それが目の前に佇んでいた。
「ふぇー、あれがチャンピオンなんだ」
ベルの呑気な声音を他所にチェレンは頭の中でアララギ博士とどういう関係性なのかを考える。
当然、ポケモンの権威であるアララギ博士の父親とは同門であろう。
それゆえの繋がりなのかと考えていると、ベルが人混みを掻き分けて駆け出していた。
その無節操な歩みにチェレンが手を伸ばす。
「何やって……!」
「何って、サインもらうんだよ。だって珍しいじゃない! チャンピオンだよ! チャンピオン!」
「……そういうの、僕は田舎根性丸出しで嫌だな」
「ふぅーん。じゃあ、チェレンくんはサインなしね。あたしはもーらおっと!」
恥も外聞もないのか。ベルはサインをもらおうとアデクにずかずかと近づいていく。チェレンはというとアデクに近づく度に鼓動が高鳴った。
目の前にいる存在がこの地の王。最強のトレーナーなのだ。
そう思うと自然と緊張する。
何を話せばいいのだろう、と考えていると首を巡らせているもう一人の旅客にぶつかった。
何かを探しているのか。必死に周囲の人影を見やっている。
自分が目に入っていないかのような忙しさにチェレンは低く声に出した。
「あの……」
「……キミは」
相手が息を呑んだのが伝わる。
何だ、と胡乱そうにしているとベルが色紙を持ってこちらに自慢してきた。
「すごいよー。チャンピオンのサイン色紙! どれくらい珍しいのかなぁ」
「そんな事言ってる場合じゃ――」
そこから先の言葉を遮ったのは、青年のふとした声であった。
「キミは、ベル、って言ったか」
どうして見ず知らずの人間がベルを知っているのか。疑問に思うより先に青年はベルの手首を掴んだ。
ベルが困惑する。
「キミはベル、だね? だったら、彼の事を知っているはずだ。夢の跡地で、キミと彼は……」
「ちょっと! 離してください。何の権限があってそんな……」
強引な手をチェレンが引き剥がす。青年は呆然とした様子でその手を彷徨わせた。
「えっ、何? あたし、何かしたっけ?」
「知らない。変質者だよ、きっと」
チェレンの声に青年はそれでも何かを探しているようであった。
「研究所にどうぞ。お茶を入れますわ」
アデクらを招くアララギ博士にベルは後頭部を掻いた。その中には先の青年も混じっている。
十歳に満たない少年にチャンピオン、それに変質者が来客だというのか。
これに自分が会っておいたほうがいいと?
チェレンは眼鏡のブリッジを上げて小さくこぼした。
「……まったく、メンドーなんだから」