FERMATA








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三章 N∽N
第33楽章「永久戒厳令」

 七賢人の誰もが、驚愕に顔を塗り固めていた。

 その中で僅かにその事実を受け止めいたのは、席に腰かけるヴィオ一人だけであるのを、ヘレナは感じていた。

「今、何と……何と仰いましたか?」

「戴冠式の中止、あるいは延期を願いたいと言ったのです」

 いきなりの賢人集会に際し、全員が及び腰の状態で放ったヘレナの言葉は思ったよりも効いたらしい。

 あるいは、それほどの強攻策に出るとは思われていなかったか。

 いずれにせよ、これは急務であった。

「どうなされたのですか! 戴冠式が行われなければ、N様はいつまで経っても王にはなれないのですぞ!」

「この状態で戴冠式をやる。それを本気で言っているのですか? バーベナもいない、謎の襲撃者の素性も割れていない。こんな、不均衡な状態で」

 それは、と口ごもる。ヘレナは今の七賢人ならば押し切れる、と感じていた。

 誰もが戴冠式を中止すべき、と心の奥底で思いながら、誰も口にしないところを見るに、戴冠式で得られるメリットのほうが大きいと見た。

 その中止勧告を行ったのが張りぼてと思われていた平和の女神なのだから、全員からしてみれば驚愕の一事だろう。

「しかし何故……。戴冠式は可能です。たとえ……バーベナ様が行方不明でも、出来なくはない」

「それは完全な戴冠式ではございません。王になった、という証明だけならば今のままでも結構」

「ですが……」

 何としてもプラズマ団を挙げて戴冠式を行わなければ、有事の際、Nに全責任を擦り付けられない。

 責任転嫁の果てにあるのは全員が全員、泥を被りたくないという本音であった。

「ですがその場合、権限が宙に浮く。ゲーチス様でもなければ、N様でもない。王が不在の状態なのですぞ」

「そ、その通りだ」

 慌てて調子を合わせる七賢人に、ヘレナは嘆息をついた。

「では、ここにバーベナがいれば、いつでも戴冠式を行うと?」

「それは……」

 ここで問題となっているのはバーベナの不在ではない。

 自分が戴冠式の取り止めを進言したと言う事実。いくらお飾りとは言え象徴である平和の女神が中止勧告を行った、となれば後々響いてくるのは明白。

 その場合、誰が強行採択したか、で揉めるのは分かっているのだ。

 七賢人は誰もが責任を負いたくない烏合の衆。だからこそ、こういった直接手段が効いてくる。

「戴冠式は延期します。それは決定事項です」

 譲らないヘレナに誰かが言い返すのを待っているようであった。

 しかし一向に誰も言い返す事はない。勝ったか、とヘレナがこの集会を決議に回すべきだとした、その時である。

「あまりに、強攻が過ぎませんかね、ヘレナ様」

 口火を切ったのはやはりというべきか、ヴィオであった。

 頬杖をつき、ヴィオは言ってのける。

「何かを焦っているように映ります」

「そうですか? 私に焦りなど」

「ええ、それはもう、随分と。誰かがほだしましたかな?」

 ヴィオの眼が七賢人を見渡す。勘繰られたくない人々がめいめいに視線を逸らした。

 ヴァルキュリアスリーの進言はヴィオの勅命ではない。

 この時点でその事実が浮き彫りになる。

 ――では誰が?

 ヘレナは注意深く観察する。

 誰が、ヴァルキュリアスリーの本当の飼い主だ?

 それを探っているヘレナへと、差し込まれた声があった。

「では逆に問いましょう。平和の女神。戴冠式を行わない場合、誰が、どうやって王を採択するというのです?」

 その質問が来るのは予見している。ヘレナは迷わずに答えた。

「それは、来るべき時に、来るべき民主主義の採択で行われるべきでしょうね」

「それはいつです?」

「プラズマ団が磐石になった時、とでも言っておきましょうか?」

 少なくとも愛の女神の不在ではどうにも出来まい。そう高を括った声音であったが、ヴィオは口角を吊り上げる。

「では、バーベナ様の位置情報さえ分かれば、戴冠式は行われるのですね?」

 その言葉に全員が息を呑んでいた。

 まさか、とヘレナは腰を浮かしかける。

「あなたが、バーベナを……!」

「急かないでください。わたしは、バーベナ様の現在地が分かれば、という話をしているだけです。犯人に仕立て上げられては堪ったものではない」

 うまい逃げ口上を思いつくものだ。

 どちらにせよ、ここでヴィオが選択すべきは二択。

 バーベナの位置を全員に晒すか、あるいはここで何もしないか。

 二つに一つ、と息を詰めたヘレナに比してヴィオは冷静であった。

 冷静に事の次第を俯瞰している。

「ヴィ、ヴィオ殿……、分かるのですか? バーベナ様の位置が」

「このような時のための技術は既に出来ております」

「では何故、前回の会議でしらばっくれたのか」

 その命題に突き当たったが、ヴィオは痛くも痒くもないとでも言うように肩を竦めた。

「タイミングではなかった」

「タイミング? そんな事で、バーベナの居場所を知らない振りをしていたと言うの……!」

 怒りを滲ませたヘレナの声音にヴィオは咳払いする。

「誤解も混じっていますな、平和の女神。わたしが言う、タイミングではなかった、というのは、あの時には分かっていなかった、という意味でもあります」

「あの時には……今は分かるというのか? ヴィオ殿」

 突き詰めた七賢人の声音にヴィオは冷静沈着を崩さない。

「ええ、しかしそれはリアルタイムではございません」

「つまり、現在地ではない。矛盾ですが」

 ヘレナの糾弾にヴィオはフッと笑みを浮かべる。

「どれほど自分の半身が大事なのやら。……現在地ではありませんが、この付近でしょう。その探りは入れてあります」

「ダークエコーズ……ですか」

 この場で誰もが分かっていながら暗黙にしていた事実をヘレナが言ってのける。その声音に七賢人の一人からストップがかかった。

「ヘレナ様……! それに関しては……」

「最早、隠し立てするのも意味がないようですね。ええ、そうです。わたしにはダークエコーズという私兵がいる」

 自ら認めてみせたヴィオに全員の視線が注がれる。

 ヘレナは唾を飲み下し次の言葉を継いだ。

「では……バーベナがどこにいるのか、ダークエコーズは突き止めている、と?」

「甘く見ないでもらいたい。わたしの私兵は優秀です」

 だが、そうなってくると議論として挙がるのは――。

「ヴィオ殿。まさか此度の騒動、あなたが……」

 そう、ヴィオへの不信だ。それを買ってまで、バーベナの位置が分かる、とのたまった意味が分からない。

 ヴィオは涼しげな様子で応じる。

「わたしではございません。しかし、追跡調査を行っておりました。あの日、あの時、何が起こったのかを」

「……話してもらえますか?」

 ヘレナの慎重に切り出した言葉に、ヴィオは首を横に振る。

「いえ、不可能です」

「不可能? 分かったと今しがた……!」

「わたしが分かったのは、バーベナ様の居所。それだけです。あの日、何が起こったのかまでは分かりません。ヘレナ様、そちらこそ、まるであの時、何が起こったのかを知っているような口ぶりですが?」

 ――謀られた。

 ヘレナは歯噛みする。

 自分は当然の事ながらもう一人のNの事、加えてダークエコーズの離反者の事も知り得ている。

 ノア、なる反逆者の事も自分しか知らないはずだ。

 ここで逸ればぼろを出す事になる。一番のウィークポイントを探られたのはむしろ自分のほうであったのだ。

 一転して、議会はヴィオへの追及からヘレナへと矛先が変わった。

「ヘレナ様、知っておられる事があるのでしたらオープンにすべきです。それと、それを話せないからこそ、戴冠式の延期という分かりやすい注目点を作ったのですかね?」

 わざとらしいヴィオの声音にヘレナは絶句する。

 最初から自分のカードを出す気はないのだ。

 ここではめられたのは自分の側であった。

 バーベナの居場所を知りたい、という心が先走るあまり、自分のガードが甘くなっていた。

 これでは七人の賢人の眼を誤魔化す事も出来ない。

 分かりやすい、戴冠式の延期、という張りぼてが通用しなくなってしまった。

「ヘ、ヘレナ様。何か知っておられるのですか?」

「知っているのならば何故、我らに言ってくださらないのです?」

「ヘレナ様?」

 追及の声にヘレナは面を伏せる。

 ――どうすればいい?

 ノアの事、それに加えてもう一人のNの事、言ってしまうべきか。だが、自分の中の何かが告げている。

 これは秘密にすべきだ。

 そうでなければ自分の立場などあっという間にすくい取られてしまうだろう。

 もう一人のNの存在とノアなるNの似姿が分かったところで七賢人はどうにも動かないのかもしれない。

 あるいは、この情報でようやく重い腰を上げてくれる気になるかもしれない。

 だがそれ以上に、自分の権限が失われる。

 それだけは確信していた。

 平和の女神としての発言力と信憑性は一気に損なわれるであろう。

 そうなってしまえば突き詰めたところ、待っているのは狂人としての扱いか、あるいは張りぼて以下の出来損ない。

 決断が迫られていながら、ヘレナは決定打になる事は何も言えなかった。

 どう足掻いたところでヴィオの作り出したこの場から逃げ切れる気がしない。

 思えばダークエコーズの一人が情報を差し出したのも、この場を作り出すためなのかもしれない。

 自分を追い詰め、情報を搾り取る。

 そのためだけにここに呼び出された。

 自分は羊達から情報を刈り取るつもりであったが逆だ。自分こそが、刈り取られる側の羊であったのだ。

 それも無防備な子羊。

 やはり、小娘か、という眼差しがヴィオから注がれているのが分かる。

 自分の招いた三文芝居で自分の首が絞められるなど滑稽極まりない。

 ここで首をはねられるのは自分だ。

 どうあっても審問者は向こうであり、自分は問い詰められる側であったのだ。

 ヘレナはきつく眼を瞑った。

 もうどうなっても構わない。

 このような秘密を胸の内だけにしておく事のほうがよっぽどの生き地獄であろう。

「……私は」

 口にし掛けたその時であった。

「失礼します」

 入ってきたのは自分の従者である。何故、という思いとは裏腹に、七賢人達が責め立てる。

「貴様、部外者であろう。引っ込んでいろ」

「そうしたいのは山々ですが、勅命が下ったので」

「勅命? 誰のだね? 言ってみろ」

「失礼。言ってみろとの事ですが」

「――そうか。言ってみろと言われれば仕方ないな。ボクの命令だ」

 七賢人の議会に似つかわしくない、涼やかな声音が凛と咲く。

 まさか、と息を呑んだのはヘレナだけではない。

 新緑の長髪に、切れ長の瞳。全てを見透かす王の眼差しが、穢れた議会を睨み据えていた。

「N、様……」

 虚をついて出た声にNは微笑みかけた。

「ヘレナ。この場は任せてくれないか。ボクに、何か秘匿したい情報があるらしいね」

 従者へと目配せする。彼女の采配か、と感じている最中にも状況が動いているのが分かった。

 Nを敵に回したくない責任転嫁の人々が手を掲げて制する。

「お、お待ちください、N様。何も我々は隠し立てなどしようとは思っておりません」

「ではこの集会は何だ? 先ほどの物々しい空気は? まるでヘレナに非があるかのようであったが、違うのかな?」

 Nを相手に隠し通せるわけがない。苦味を噛み締めたヴィオが舌打ちした。

「本当に! 何でもないのです。ただの通例議会でして……。先ほどはヘレナ様に代表質問が成されていただけで、もういいのです。もう、終わりましたから」

「そうか。ならば彼女を送り届けてもいいかな? 平和の女神が傷つけられるなどあってはならないからね。ましてや闇討ちなど」

 キッと睨み据えたNの眼光に、全員が竦み上がったようであった。

「ど、どうぞ……」

「行こう、ヘレナ」

 手を引いたNにヘレナは呆然としていた。

 何よりもこの状況で混乱していたのは――目の前のNは、本物か否か?

 顔に出ていたのだろう。Nが声を振り向ける。

「本物だよ。……もっとも、聞いた限りではそういう手合いほど怪しいらしいが」

 本物であった。自分の知るNだ。

 ホッと安堵の息をつくヘレナに、Nは優しく言葉を投げた。

「部屋までは送ろう」

「何があったのかは……」

「聞かないほうがいいだろう。聞いてしまえば連中とボクは同じになってしまう」

 やはり、Nは自分の事を慮ってくれている。それだけで充分であった。

「でも、N様……。バーベナの居場所がもしかすると本当に聞けたかもしれないのです。それを、私はみすみす逃してしまったかもしれない……」

 そう思うと怖くて仕方がなかった。千載一遇の好機を逃したかもしれない。震え出した手を、Nの体温が包み込んだ。

「大丈夫だ、ヘレナ。ボクがいる」

 平時ならばそれだけで落ち着けるのに、今はどこか疑心暗鬼めいた眼を向けてしまう自分が浅ましかった。

「……ごめんなさい」

「分かっている。もう一人の、ボクだね?」

 従者へと目線を振り向ける。彼女は首を横に振った。

「では何故……」

「出会ったんだ。ライモンシティの地下鉄で」

 その告白にヘレナは戸惑うばかりであった。

 ――ライモンシティ? そんな段階からNへと接触が?

 混乱するヘレナにNは言いやる。

「彼とは……一度会わなければいけない。そんな気はするのだけれど、今のボクに急ぐべき事柄がある」

「戴冠式……N様、戴冠式は中止なさってください」

 差し出がましい事は分かっている。それでも、自分に時間が欲しかった。

「それは、キミが真実を突き詰めるまでの時間かい?」

 やはりNにはお見通しだ。ヘレナは強く頷く。

「私、どうしてもバーベナが消えた事に、今回の騒動、他人事とは思えない。多分、どこかで繋がっていると思うのです」

 Nは顎に手を添えて考え込む。この状態のNの考えは高速回転しており、常人でははかり知れない思考回路となっている。

「……もう一人のボクに、バーベナの失踪……。繋げるのには強引かもしれないが、あの黒い瘴気……。ともするとボクでも難しい、そういう問題が横たわっているのかもしれないね」

「N様でも、ですか……」

「あるいはボクだからこそ、解決出来ない問題なのかもしれない。ヘレナ、くれぐれも無理はしないでくれ。この秘密は絶対に、何かがある。それこそプラズマ団の今後を揺るがしかねない何かが。それを突き詰める時、深淵もまたキミを見つめているんだ。呑まれないようにだけ、気をつけてくれ」

 やはりNは優しい。こんな時でも自分より他人の事を考えてくれている。

 あの日のまま。あの森の日々のまま、彼はやはり立ち止まってくれているのか。

 あるいは、歩まなければならないと知りつつも、彼は変わろうともしているのかもしれない。歩みを進めるその対価として、大切なものを失いつつも。

「N様、その、私……疑う気持ちが、どこかにあるのかもしれません」

 Nを、でもあるがこの場合、プラズマ団全体への不信である。

 誰を信じればいいのか。誰を頼りにすればいいのか分からない。

 Nはしかし、怒るでも悲しむでもなく、ゆっくりと頭を振った。

「正直、ボクも同じ気持ちだ。何を信じればいいのか。何のために歩めばいいのか。そのために指針を示すのが王の役割だと分かっていてもね。戴冠式はみんなを納得させるために必要だと、ボクは思っていたんだが、ヘレナが言うのならば、延期も視野に入れよう」

「でも、N様……! 全て私の戯れ言なのかもしれませんよ」

 自分が間違っている可能性もあるのだ。

 その言葉にNは、いや、と目を伏せる。

「ボクが信用出来るのは、組織の中でも一部だけだ。そんなキミが、戯れ言を言うなんて考えられない」

 Nはやはり王の器。

 それが分かっただけでもよかったのかもしれない。

 だが、自分はまだ賢しくもNの言葉の裏面を探ろうとしていた。

 誰を信用すればいいのか。

 分からぬまま、事態だけが進んでいく。

「N様……その、ライモンで出会ったN様の似姿の事、教えてもらえますか?」

 一つでもNの負担を肩代わり出来れば、と思ったのもある。Nは少しだけ逡巡してから、やがて語り始めた。

「うん、そうだね。ボクも、話したほうが気楽かもしれない」



オンドゥル大使 ( 2017/08/04(金) 21:13 )